お前が死んで、好きだと気付く。『お前が死んで、好きだと気付く。』
ジェノスが死んだ。
買い出しに行ってきますと家を出ていく弟子の後ろ姿も見ずに「おー。いってら。」とテレビを見ながら俺は答えていた。
それから数時間後の事だった。速報が入り、なんとなく見ていた刑事ドラマの画面は、気になるところでニュースキャスターのお姉さんの顔に変わってしまった。
犯人分かんねぇじゃねえか…なんて思ったのもつかの間、「鬼サイボーグ、殉職」の文字が俺の頭を真っ白にした。
俺はスーツに着替えることも無く、半裸のまま現場に走った。現場にはおそらくジェノスを破壊した張本人であろう怪人がいたので、見つけた瞬間に殴って殺した。怒りとか悲しみとか困惑とかの感情がグッチャグチャになったままだったのに、地球が割れないように気を遣って殴ることができた俺の事を誰か褒めてほしい。
それから俺は必死でジェノスを探した。ニュースの姉ちゃんは真剣な顔して怪人がどうのとか言ってたけど、怪人に破壊された規模がでかいから早まって死んだとか言ってるだけじゃねーの。
探して、探して、探した。
しかし見つかったのは、コアだけだった。
それからの事は、あまりよく覚えていない。
気が付いたら家にいた俺は、ジェノスが予備で置いていた携帯電話でなんちゃら博士に連絡してみた。博士は、ジェノスは死んだことで間違いないと言っていた。話が長いわ難しいわで内容はほとんど覚えていないが、ジェノスから発信されている電波が完全に途絶えたそうだ。それは死を意味するらしい。博士の声は弱々しく、震えていた。
コアは俺が持っていたいと言ったら、その方がジェノスも喜ぶだろうと快諾してくれた。良い爺さんだ。
その日から、俺はジェノスがいる時と同じように、コアと生活しようとした。ただ、コアは自分で動けるわけじゃないから、俺がコアを風呂に入れたり、たまに磨いてやったりした。
ジェノスの体があった頃、あいつはクローゼットで寝ていたが、コアと俺は一緒の布団で寝た。布団に入れたコアはひんやりとしていたが、握りしめているうちにだんだん温かくなっていった。
鉄でてきた、あいつの体と同じだった。
その日は、いつもより早く目が覚めた。頭がぼぅっとする。まだ陽はのぼっていない様で、真っ暗だった。もしかしたら、まだ深夜なのかもしれない。
しかし、二度寝する気にはなれず目を開けていた。だんだん覚醒してくると、握りしめていたはずのコアが無いことに気がついた。
コアがない。
コアが、ない?
あ、夢?
……そうか、実は全部夢で、ジェノスは生きてて、こんなリアルな夢を見たんだって焦りながら言う俺に「俺はそう簡単に死にませんよ」とかド真剣な顔して怒ってくるあいつは今…クローゼットで寝ているんだ。
そうだ。思い返してみれば、全てが非現実的すぎる。いつも、どんなにぶっ壊れても、なんちゃら博士が全部完璧に戻してくれて、「油断しました」とか言いながら、気まずそうな顔して帰ってくるんだよあいつは。
昨日までの重い気持ちはどこへやら。急に気分が良くなった俺は、弟子の寝顔が見たくて、クローゼットに向かおうとした。
布団を勢いよく捲ると、足元でコロコロとコアが転がっていくのが見えた。
それを見た俺は、布団の上から動けなくなった。
俺は一日中、布団の中にいた。
その日の夕方、携帯電話が一度だけ鳴ったが、出ることは無かった。
次の日の朝、俺は久しぶりに料理をすることにした。じっとしていたら、だめだ。嫌なことばかり考えちまう。
無心で調理して、朝食が完成した。いつもの低い机の上に箸や食器を並べる。ジェノスの定位置にコアを置いてみたが…うーん、コアが小さい。向かい合わせに座っていては何も見えなかったから、コアは机の上に置き直した。コアの前には俺と同じように、白ごはん、味噌汁、焼き鮭を並べる。どれも出来たてであたたかい。ジェノスは俺ん家に来てから、ずっと飯を作ってくれてた。だから、自分で料理をするのは久しぶりだった。上手くできているだろうか。
まず味噌汁をすすってみたが、驚いたことに何の味もしない。分かるのは口の中にある豆腐が砕けていく感触だけだった。おかしいな、出汁も味噌も入れたはずなんだが。
ジェノス、悪い。失敗したみたいだ。
ふと違和感に気付いた。太陽はとっくにのぼっているはずなのに、部屋は薄暗かった。
俺はカーテンを開け忘れていたようだ。
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいて、料理からゆらゆらと湧いてくる湯気がそれに照らされている。ただの白い湯気がなんだか幻想的に見えた。
その時、ふと思い立った。
あ、俺も死ねばいいんじゃね。
思い立ったが吉日。俺はロープを買いにソッコーで家を出た。自殺と言えば首吊りだろう。なんとなく、知り合いには会いたくなかったから、かなり遠い店まで走った。最近頭が冴えなくてぼーっとしてるから、もしかしたら県外まで行ってたかもしれないが、そんな事はどうでも良かった。
帰宅して、買ってきたロープを開封しながら、朝食が食べかけのまま放置してあることに気が付いた。このまま鮭達を放置しておけば、俺が死んだあと、気持ち悪い虫がこの部屋に大量に湧いてしまうのだろうか…。そんな事を考えてしまい、背筋がゾォッとしたが、死んだあとのことなんて知らん、と、現実逃避した。
部屋の中を見上げてみたが、ロープが結べそうな場所がどこにもなかった。天井は見渡す限り真っ平らだ。仕方なく、もう死ぬんだからいいよな。と、天井に穴を開けて、天井裏に見えた骨組みにロープを引っかけた。
穴を開けてから、変な虫とかネズミとか落ちてこなくて良かった…とまたゾッとした。
おそらく、首吊り自殺するための正しいロープの結び方があるんだろうが、よく分からなかったので適当に輪っかを作って固結びしてある。
よし、後はあの輪の中に首を突っ込むだけだ。
実は死のうと思ってから俺はかなりワクワクしているのだ。アイツにまた会えるのかと思うと嬉しくて堪らなかった。
「ジェノス、待ってろよ〜」
コアも小さくて可愛かったけど、やっぱりお前の顔が見てえ。声が聞きてえよ。俺の下らない言葉にいちいち過剰に反応してメモしようとしてた鬱陶しいお前に会いたい。
何でもっと早く気が付かなかったんだ。
ごめんな。
あいつの事だ。向こう側で、先生、先生、と俺を探しているに違いない。
今からいく。
瞬間、俺は首を吊った。
首を吊ったんだが、どうもおかしい。
苦しくない。
ぷらぷらと浮いているだけだ。
意識はあった。それはもう、はっきりと。
何これ?ブランコの首バージョン?
あれ?死んだのか?これ。
一瞬で死んで幽霊になった的な?
でも、変だ。マンガとかドラマとかだと、こう…足をバタつかせたりして、苦しみながら死んでいってた様な気が…。
結果、俺は死ねなかった。
俺はジェノスが居なくなって思考回路がかなりアホになっていたらしい。どんなに強い奴のパンチやキックを受けても傷ひとつつかない俺の体が、お手頃価格のロープ1本で死ねる訳が無かった。
しばらくぷらぷらと中に浮いたまま俺は絶望していた俺は、絶望という単語の意味を今初めて理解できた気がした。
どれくらい経ったのだろう。カーテンの隙間から差し込む光が、朝は長細かったのに、今は短く、小さくなっていた。
「はあ」
ため息をつき、ロープからするりと抜けて、フローリングに足をつけた。
死ねない体で、どうすればいいんだよ。
またため息をついて、広げっぱなしにしてある布団の上に倒れ込んだ。
ジェノス、ごめんな、あの時守ってやれなくて。
そう思いながら机の上に手を伸ばして、コアを手繰り寄せた時、乾燥してカピカピになっている白米が目に付いた。
「あ…飯…」
ぐぅ。
空腹感は全く感じないのに、生理現象で腹が鳴った。そういえば、ジェノスが死んで一週間くらい経った(多分)が、口にしたものは今日の朝食の味噌汁ひと口だけだった。
何か食わねえと…でも何も食べる気になれねえ…あ、そうだ。そうだよ…。何も食わなきゃいいんだ。
確信は無かったが、首吊りで死ねないと分かった瞬間、俺は入水自殺や焼身自殺でも死ねないという直感があった。
今すぐに死ねるわけじゃないが、これは確実だ。
ちょっと待たせちまうが、許してくれジェノスよ。
俺は自分の心臓の位置にコアを持っていき、優しく抱きしめて、キスをした。
少し笑って瞳を閉じると
まぶたの裏に、笑うあいつが居た。