傷痕目を覚ますとアキチャンは金城の隣で寝ていた。
理不尽、という言葉が脳裏を過る。
楽しんでいる様子だった金城も、そりゃさすがに気疲れするだろ、と思わずにはいられない熟睡っぷりだった。
金城は普段、大体先に起きている。中に何か精密機械みたいなのが入ってるんじゃねえの?と入学当時は思っていた。
子どもの頃から早朝集まって試合に行く、とかそういうことを繰り返していた結果、俺は意図的な遅刻以外はしない。
だから高校時代も、集合時間にはまだ人があまりいない頃に着いていた。
だけど、大学に入ってから金城より先に着いたことはなかった。
欠伸しながら部室へ行くともう金城がいて、何か書いてたり、読んでたり。静かな奴だった。
こいつ霞食ってそうだなって。最初の印象はそんな感じ。
そうやって顔を合わせるようになって、少しずつ話すようになった。
情熱というものをすべてレースに渡してしまったみたいに普段はもの静かで、周りは優等生的な讃え方をしてたけど、なんだかアンバランスな奴だって思ってた。
ただ、早朝、二人で話している時の金城はただのどこにでもいそうな奴って感じだった。
他愛ない話に大笑いしたり、自炊はどうしてるだとか、そんな話からだんだん高校時代の話やそれぞれに選択を分けた友人たちの話をするようになっていった。
それは砂山を作って棒を立て、両方から砂を取り合い、棒が倒れたら終わる砂山崩しのゲームみたいだった。
両方から少しずつ砂を取り合っていく。
片方が欲張って砂を取りすぎればゲームはすぐに終わってしまう。
少しずつ様子を見ながら砂を取り合い、その棒が倒れないように毎朝、ほんの少しだけの時間、大切にそのゲームをしているようなものだった。
面白くなってくる頃には早い奴が部室にやってくるので、なんとなくもう五分早く出てみるか、と思うようになり、その頃の金城はどう思っていたのか知らないけど、部室を開けながら挨拶するとやっぱり先に来ていた。
金城がおはよう、と笑うようになって、俺はそれを見てなんだか安心するようになった。まだ春先のことだ。
そんなことを思い出していると、金城がアキチャンの頭の辺りをモシャモシャと弄りだした。寝惚けてる、と可笑しくなってしばらく見てたんだけど、あれは一緒に寝てる時に俺を起こす仕草だって気が付いて、急に恥ずかしくなった。
迷惑そうなアキチャンには申し訳ないけど、見ていられないので先に階下に行く。
階段を下りると朝食の匂いがして、とても懐かしい気持ちになった。
母さんが朝飯を作るのを見るのは久しぶりだった。
昔はよくこうやって座って弁当を詰めたりするのを見ていた。
いくら朝早くても弁当を詰めて持たせ、いってらっしゃいと玄関まで見送ってくれた。
野球のやの字も知らなかった母さんにとって、野球がすべてだった息子はどんなふうに見えていたんだろうって今は思う。
それを失って荒れていき、家を出た俺をどう思って見守ったのか。
スクラップ魔の親父が集めた記事は俺が十四歳の年で一度終わり、次は十六歳の年の本当に小さい地方紙の記事から再開されている。
昨日それを見た金城が記事を読みながら「いいお父さんなんだな」って呟いた。
十四歳までの記事には手を付けなかった。
金城は相変わらず丁寧に砂を取る。
「靖友、帰ってきた目的忘れてないわよね?」と言うお母さんの声にハイハイと生返事をした荒北が「靖友!」と呼び止められているのを庭先から見ていた。
「もう昨日要るものは分けた。あとは悪いけど捨ててほしい」
「要るものはどうするの?うちに置いとくの?」
「静岡に送る」
荒北がそう答え、お母さんは少しびっくりした様子で「わかった」と言ってなんだかちょっと嬉しそうに笑った。
「早く帰ってきなさいよ!今夜すき焼きだから!」とまるで小学生に言うように言い、手を振って見送ってくれた。
どこに行くのかと聞いたけれどちょっと、と言葉を濁したのでそれ以上聞かずについていくことにした。
赤い電車に乗り、六郷土手という変わった名前の駅で降り、住宅地の間をクネクネと通り抜けると多摩川の土手に出る。
そこは広く整備されていて、球技をする子どもから大人が集まって賑やかだった。
荒北は傾斜のついた草の上に「この辺でいいか」と座り、さっきコンビニで買ったパンとコーヒーを俺に渡した。自分は相変わらずのベプシを開けている。
ここに来るまでもあまり話さなかった荒北が、目の前で行われている草野球の試合を見ながら「俺、野球やってたって話したことあったっけ?」と打球を目で追いながら言った。
荒北の右腕には肘の辺りに傷痕がある。
その痕は腕まくりをしたり、半袖でいる時に人目に触れる。
気を遣って聞かない人間が多い中、待宮はひと言「それは自転車でか?」と聞いた。荒北が「ちげーよ、古いやつ」と答えるとそれ以上聞かず「ほーか」と言っただけだった。
そして俺と二人の時に「たぶん野球じゃろう」と言った。野球の好きな待宮が野球のことをよく知らない俺に対して「やたらなことを言わずにおれ」という待宮なりの気遣いだったのだと思う。
荒北が自転車に乗る前は野球をやっていた、というのは新開に聞いた。
大学でのレース前に「靖友は挫折を知らないような選手とは違う」と荒北を評して言ったことがあった。「真護君、聞いてない?」と新開が言うのでその言葉の意味は深く考えないようにして冷静を装い「聞いたことはない」と答えた。
新開は表情に「付き合いの長さが違う」という余裕を見せ、いい選手だったそうだよ、と穏やかに話し出した。そして本当に掻い摘んで荒北が箱学の自転車競技部にやって来るまでの話をした。
だから知ってはいた。だが本人が話したくないことを聞くつもりはなかった。
「なんとなくは知っている」と答えると「なんだヨ、なんとなくって」と可笑しそうに笑い「俺、すっげえ野球が好きだった」と言った。
投手が投げないと野球は始まらない。
試合は全員いなければ始まらないし、全員で補い合うからチームになるんだけどさ、と荒北は話し始めた。
それでも投手というのは特殊なポジションで、試合の流れを作ることも壊すこともできる。
もちろん膠着状態を作ることもあるし、どれだけ打たれても、どれだけストライクが入らなくても投げなくちゃならない。三つアウトを取らなきゃ終わらない。
俺はコントロールもよかったし、そこそこ速い球も投げた。
三振の山を作るのはある種の麻薬のようなもので、自分が今そこですべてを支配した王様になったような気がしたものだった。
俺がいるから野球になるんだってそんなふうに驕っていた。
中継ぎの投手が打たれると腹が立つから完投する。
投げ過ぎだって監督も先輩だった捕手も言った。
でも俺が投げたほうが早い。俺が投げれば勝てるってそんなふうに思ってた。
実力が認められているうちはさァ、どれだけ生意気でも不遜でもある程度は周りが許してくれる。
だけどそんな奴が壊れたら、誰も味方してくれない。
俺の肘はあっという間に壊れてしまった。
野球選手にとって肩も腰も肘も消耗品みたいなもので、朝起きて痛いところがないとホッとするんだヨ。
痛いところがあったらそれをどうやって隠すか、そしてそれを隠し通して与えてもらったポジションをこなすかっていうのを考えなきゃならない。
若い選手はそんなこと考えないかっていうとそんなことなくて、若い奴だって酷使した身体には爆弾を抱えているようなものだ。俺みたいに十四歳くらいでも投げられなくなったり。それを投げられるように装う。
球種を変えてごまかしたり。でもそんなのあっと言う間にバレる。
見てるのはもっと経験のある大人で、そんな体験をしたことある人ばかりだから。
手術してリハビリして、長く王様の椅子を空けたらもうそこには別の王様が座ってる。
だから必死で元に戻そうとした。
でも自分がないがしろにしてきた奴らはそんなの待っててくれなかったし、許してもくれなかった。
自分が招いたことだって今ならわかるけど。
あの頃はひでえなって、そんなふうに思った。
すべてに見捨てられた気がした。
誰も自分を必要としない。存在する意味がなくなってしまった。
俺は二年だったし、先輩もいた。だからもともと俺のこと気に入らない奴もたくさんいた。
だからさァ、ここぞとばかりに攻撃してくるわけ。
そこを耐え忍んでもう一度、って思うようなタイプじゃなかった。
王様のプライドが俺を支えていたから。
あの椅子に座るのが俺はそこにいるって証明だった。
でもその椅子に座るのが俺じゃなくなった。
周りもそういうふうに思い始めた頃、俺は野球を辞めた。
もう打球の音を聞くのも厭だった。
わかりやすく荒れて、差し伸べられる手すら殴った。
誰にも必要とされないっていうのはとてもつらいことだった。
でもつらいって思ったらもっと悲しくて惨めな気持ちになるからさ、腹が立つ、ってそういうふうにすり替えて誰かのせいにしたかった。だからいつも怒ってたんだよ。
そしたら仲間だった奴も周りからいなくなった。
家にあった野球に関するものは全部捨てた。
そして高校受験の時、野球部がなくて、遠く知り合いもいない箱根学園を受けた。そして寮に入った。
高校入って自転車乗り出して、初めてのレースで福ちゃんにアシストしてもらって勝ったんだ。その時、自分の中で少し何かが変わった気がして、少しだけ周りが見えた気がした。それで初めて実家帰った。
母さんが「おかえり」ってちょっと泣いた。
そんなこともあった。
昨日、部屋に行ったら捨てたつもりでいた野球のあれこれが丁寧に箱に入れて押入れにしまってあった。
その箱を昨日初めて開けた。
ロードレースっていうのに夢中になって、仲間ができて、尊敬する奴もできた。
見捨てられた悲しさとかそんなのは知らないほうがいい。
だから俺は誰のことも見捨てたくなんかない。
金城には失礼な話だとはわかっている。
だけど、金城を落車させたうちの王様がどれだけ自分を責めたか、走れなくなったスプリンターがどれだけつらいか、山に魅せられて自転車に乗った奴がゴールを獲れなかったことがどういうことか、陰でずっとチームを支えた奴がそれをどんなふうに思ったか、一緒にインターハイを走り王座を明け渡した。そのスプリンターが次の世代を背負う。そいつのプレッシャーを思うことがある。
俺はできるならもう一度、自分の身をいくら削ってでもあのチームのためになりたい。もう一度やれるならもっと踏んでやるって思う。
でも、もうそれは過ぎてきたことで二度と取り戻せないし、そこに自分を置いてくるつもりはない。「前を向け」っていつも福ちゃん言ってたからさ。
俺は肘を壊して野球を失ったけど、見つけたものがある。
それはとても大切なものばかりだ。
お前に会えたのもあの時、野球を失くして、福ちゃんに会って自転車乗って、その延長線上にあったんだろ。
今、ここでこんな話をしてるのも。
荒北はぽつりぽつりと話し出し、途中で少し言葉に詰まった。
それでも最後は笑い「こっちは東京側なんだヨ。川を跨ぐと神奈川で、あっちには知り合いが一人くらいいるかもしんねえから、なんとなくまだ避けちゃうなァ」と川の向こう側を見た。
昨日、荒北が風呂に入っている時に、上の妹がやってきて「お兄ちゃんはいつもあんなふうですか?」と聞いた。
あんなふう、の意味がよくわからなかったけれど「実家にいるからいつもよりリラックスしているんじゃないかな」と答えるとしばらく考えて「お兄ちゃんはあんなふうに笑ったりするんですか?」と聞き直した。
不思議に思ったが「いつもどおりだよ」と答えると「私、あんなふうに笑うの見たの久しぶりです」と言った。
二歳しか違わない妹は野球の王様だった頃の荒北も憶えているし、荒れて、家族の中でも荒んでいく姿ばかりを憶えていて笑っている荒北の記憶があまりないと言った。
下の妹は小さくてあまり憶えていないと思うけど、私にとってお兄ちゃんはいつも眉間に皺を寄せていた。自分たちには手を上げたりしたことはないけど、お母さんが泣いたりとかいろいろあって。だから家を出た時、少しだけホッとしたんだ、と話し、お兄ちゃんには絶対内緒にしてくださいと言った。
高校に入ってからは少しずつ昔の兄のようになっていったけれども、どこか切羽詰まっていて、ピリピリしているように感じた。
でも大学に入って帰って来た時なんか雰囲気が変わったなあ、と思って、と俺の顔を見て「これからもお兄ちゃんよろしくお願いします」と早口で言い、走って部屋へ帰っていった。
「いつか、あっち側で野球を見よう」と荒北に言うとハッと笑い「来年も来んの?」と言った。
「来年でも再来年でも構わない」と答えるとしばらく考えていた荒北が珍しく素直にうん、と頷いた。
それから二人でしばらく草野球を見てから帰った。野球をよく知らない俺に荒北は細かく説明してくれた。
家に戻ると夕飯の支度ができていた。暖かい部屋でお父さんが晩酌の準備をしている。
今日も朝から休日出勤していたお父さんに挨拶をして、ニュースの話から景気の話をしていると「お前さァ、本当はいくつなのォ?」と荒北が混ぜっ返してお父さんに酌をした。
その時のお父さんの顔はとても嬉しそうだったし、今日は妹ともケンカをせず和やかな夕飯になった。
またびっくりさせられると困るのでアキチャンを連れて部屋に戻ると、荒北が小さい箱をひっくり返して昔の写真を見ていた。
子どもの頃のユニフォーム姿の写真もあった。一枚くれないか?って聞いたら「バァカ!」と言われた。横浜のチームの選手のサイン色紙があった。こっそりと待宮に誰なのかメールして聞いたら「知らんのか!」と呆れたような返信があり「十八番つけとるんはエースなんで!」と何故か叱られた。
同じ年に生まれて、まったく違う所で生きてきた。
お互いにいろいろなことがあって、つらい時は誰にも言えずに抱えてきた。
でも這うようにして前を向いて歩いてきた。
どこで自分たちの人生が交差したのだろう。
福富を引いている後ろ姿だったのか、インターハイのテントだったのか、大学の部室だったのか。レースで自分の背を押す手だったのか。それとも荒北の背を押す俺の手だったのか。
腕まくりをしている荒北の肘に傷が付いてしまった頃、もしも会えたなら「もう少しで会える」と伝えたい。
そしてきつく唇を結んでいる自分にも「もう少しで会える」と。
とても大切に思う人間にもう少しで会えるからと伝えたい。十九歳の自分たちはひとりではないと。
「どうした?」と聞く荒北に「いや、好きだなと思って」と答えると、後頭部をわりと本気で殴られた。その後、しばらく黙っていた荒北がぎゅうと抱き付いてきて「俺も」と耳元で言った。部屋にはアキチャンしかいない。そのアキチャンは寝転がりそっぽを向いている。
下から、お風呂空いたわよ!とお母さんの呼ぶ声がする。