どうしてこんなにもなにをしていても気にはなるのだから仕方がない、という諦観をキャリバーには抱く。
ボラーもヴィットも気にはなるのだが、それぞれ「大丈夫だな」というところに帰着するので余程深刻でない限りはそっとしておく。
それが適度な距離感だと思う。それぞれ大人であるのだし。
この身体年齢に見合うような記憶も記録も私たちは持っている。
ツツジ台に降りてきた私たちが裕太や六花、内海と関わる中で得たものは「自分でも自分が思うようにならない」ことや「自分で答えが出せないこと」があるということだった。
今まではそういったことはなかったのだ。
人であることを学習して記憶していく過程で「気にしなくていい」ということができなくなった。
初めてのことだ。
どこかフラフラとしているキャリバーは気になる。
背負っている刀が入り口でぶつかる音を聞く。常に前しか見ていない彼にとってそんなことは些末な出来事なのだろう。
けれど私は気になるのだ。歩いて家に帰っているのか、猫はちゃんと世話しているのか。
ボラーがいう。
「マックス、保護者的なヤツじゃん」
保護者なのかといわれるとそれは違うのではないか、と思う。
そのまま伝えると「あーもういい。そのままで」と棒読みの答えが返ってくるだけだ。
カウンターの端で六花のことを目で追っていた裕太がいう。
「気になるものは仕方がないです」
ヴィットは「ね、」と笑う。
なにが「ね、」なのか。
私は諦観を持ってキャリバーを受け入れるしかないのだ。
「どーしてこんなに鈍いのか、わっかんねえなあ……」とボラーが呟くと裕太が「あの、頑張りましょう」と私に声をかける。
なにが「頑張りましょう」なのか。
入り口でキャリバーの刀がぶつかる音がする。