富士山が見えてきた下りの一般道路はこの時間はもうさほど渋滞しておらず、順調に流れていた。
交通情報を聴くためにつけておいたFMラジオからは穏やかな声のDJが現在進行系でメールを募集している。休日の夜はまだ終わらない、そう思うとちょっと気が楽になるから不思議だ。
街宮はだいぶ前に寝た。後部座席で腕を組み難しい顔をして寝ている。
バックミラー越しにそれを見た金城が「どっかの武将みたいだ」といって笑った。
「あいつ寝てても怖え顔してンな」
夢の中でもなにかと戦ってそうだ。
「荒北も眠いなら寝るといい」と金城はいうがそれもなんだか申し訳がない。
「オレは全ン然平気ヨ。金城こそ眠いならいつでも運転代わるからサァ」
「いや、それはいい」
「即答!」
「この前の心の傷がまだ生々しいからな。街宮にも荒北が運転するようなことになったらワシを起こしてくれっていわれてる」
ちぇっ、つまんねえの。そうボソっと口にすると金城がワハハと声を出して笑った。
たまにこんな感じの笑い方をすることをこの一ヶ月くらいの間に知った。
最初すごく意外な感じがした。金城はどっかの山に籠もって修行してきたみたいな顔してるし、言動なんかもときどき腹立つくらい落ち着いてるから、そういう年相応なとこを初めて見た気がして。
それぞれがそれぞれを一ヶ月分知った。当たり前だけどそれでもまだ知らないことのほうが多いんだろう。入学してからこの約一ヶ月、あっという間だった。よく走ったしよく笑ったかもしれない。入学前は一人で暮らすってもうちょっと寂しかったりするんじゃないかって思っていた。
「練習でもうすうす感じていたが今日初めて荒北の嗅覚と勝負勘の凄さを知ったな」
前方を走る車との車間距離がいつも一定。安定のブレーキングにコイツやっぱりどっかで修行とかしてたんじゃ……?とぼんやり考えていると伸びをしながらそんなことをいう。
「ハハッ、あんなモン序の口ヨ!」
「それはこれからが楽しみだな」
金城の目は本気だった。ワクワクした表情と伝わってくる熱量。ああそうか、コイツもロードレースが好きなんだ。自分と同じように際限なく。後部座席の怖い顔した武将もそう。
ヘトヘトに疲れたレースのあともう次のレースのことを話すくらいにはお互い楽しくてたまらないのだ。
「荒北は下りもものすごい踏むよな。オレもあまりダウンヒルを怖いと思ったことはないんだが今日は少し肝が冷えた」
「オレ、ダウンヒルすげえ好きなんだヨ」
それは知ってる、流れ出した車の波に乗りながら当たり前のようにそういった。
「インターハイのときからそう思ってた。一緒に走ることがあったら面白いだろうと思ったからよく憶えてる」
たぶんすごくポカンとした表情をしていただろうと思う。ハッ、と笑うしかなかった。
「こっからは暫く一緒だ。ダウンヒルだってクソ面白いと思うほど引いてやンヨ!」
よろしく頼む、と妙に真面目にいうからなんだか急に照れ臭くもなる。
「付いてこれねえなら千切ってくかんなァ」
「わかってるさ。だが荒北が逃げ切って一番最初にゴールラインを踏むならそれでもいい。街宮だって構わない。それはどれも洋南の勝利だからな」
まだ一年のオレ達には戦略的にほぼ権限はないだろうがいずれ近い未来、そんなレースもあるだろう、と楽しみでたまらないという口調でいうからそれが伝播して心がわき立つ。
「ハッ、ロードレースは実力の世界だ。金城が見原さんより速く走ればいいだけのこった」
「そうだな。オレはオレで出来る努力するさ」
初めての土地でまた自転車に乗り、自転車を介してお互いを知っていく。
レースは正直だ。自分の欲も他人の欲も剥き出しになる。
レースは物語でもある。ひとつひとつ紡がれていく。今日のレースはまた次のレースに繋がっていく。
この短い期間に金城を信頼している自分がいて、その『嗅覚』をあまり疑ったことがなかったことを今更不思議に思う。信用に値するとそう思ったのはなぜなのか。
その理由はまだわからない。ただそう遠くない未来にわかるような気がしてる。
街宮にしてみてもそれは同じだ。
「夏に呉にいくの楽しみだな」
「そうだナァ。喫茶店行かねえとな、駅前の」
「荒北は甘いもの好きだな」
「甘味の世界は金城が思ってるよか深いンだヨ」
「そうなのか……?」
「今度さァ、地元で隠れた名店ってとこ行ってみようぜ」
「全部甘いのか?」
「コーヒーはあるダロ」
「ありゃ富士山か?」と後部座席から嗄れた声がした。
街宮はひと月経ってもこの光景には圧倒される、といっていたことがあった。そのうち慣れてしまうのだろうとも。
「なんか帰ってきたなって感じすンネ」
「そうだな。まだ山梨県との県境あたりだが」
「運転代わるヨォ?」
「いや、いい」
「だから即答やめて?」
それを聞いていた街宮が荒北はげに諦め悪いのぅ、と呆れたように笑う。