色彩キャリバーんちさあ、猫が家主って感じだったぜ、とボラーがアイスミルクティーにガムシロップを入れながら話す。
ふーん、とさして興味のなさそうにとりあえず相槌だけ打つヴィットの声。
「お前もうちょっとなんかあんだろ」ボラーはそうやっていつもヴィットの相槌に同じ言葉を返す。
「マックス、もう一個ガムシロ」と手を伸ばすボラーに自分のアイスコーヒーについてきたガムシロップを渡す。
「どんな部屋だった」
その質問にチラリと視線だけを投げ、
「まあ、おおかた想像通りって感じ。猫のものはキチンとしててさ、新しくてキレイにしてんだけど他はなんもねえ感じの」
寝るためのベッド。
食べるための食器。
ガランとしたキッチンは必要最小限ですらない。
バカでかい冷蔵庫があるから何入ってんのか聞いたら「猫の餌だ」って言われたとボラーが可笑しそうにクククと肩を揺らした。
アイツ日当たりなんかどうでも良さそうなのに、ちゃんと南向きの部屋でさ、返ってくる返事はわかってたけど「猫が寒い」って。あいつが部屋にいる時間なんか今、殆どないじゃん。
エアコン付けっぱなしだから適温みたいで大の字になって猫寝ててさ。
すっげえ気持ちよさそうにしてた。
でもキャリバーが帰ってきたら
足元に纏わりついてたし。懐いてんだな。
でもあれじゃ猫が住んでてキャリバーが間借りしてるみたいなもん。
思わずふふと声が出てボラーはまたチラリとこちらを見た。
でもすぐに「しょーがねえよなあ、ほんとアイツ」とカウンターに肘をつく。
ボラー好みにかなり甘くなった筈のアイスミルクティーの氷が溶けて小さな音を立てた。
まともに寝たり食ったりしてる感じじゃねえもんなとボラーの言葉に頷く。
こうやって絢にいるときはそれなりだが、たぶん一人になればそんなことはキャリバーにとっては殆ど興味のないことなのだろうと思う。
「あとはなんつーの、色がない部屋」
地味とかそういうんじゃなくて有り合わせみたいな感じっていうか。どうでもいいんだなそういうのっていう。あ、でもな一個だけ鉢植えあってさ。
それだけなんか場違いだった。
でもあれちゃんと世話してる感じだったなあ。
その話を聞いている自分の脳裏に突然、ある場面が細切れに再生される。
自分の姿、日当たりのいい部屋。サンセベリア、それを眺めるキャリバー。
「─── 私だ」
「は?」
ボラーが怪訝な顔をする。
こちらに背を向けたままスマホの画面を見ているヴィットが察したように「フラッシュバック、ときどきあるよね」と呟く。
「欠落と忘却」
「なんだよ、その言い方」ボラーが笑う。
「内海くんがね、この前言ってた」
「あいつほんとそういうとこな」
グリッドマンと私たちには共通して欠けた部分がある。
もしかしたら、何度目かわからない世界を私たちはまた始めているのかもしれない。この街にも自分自身にも霧が纏わりついている。
「すまない」
「別に謝るようなことじゃねえだろ。まあ、ちょっとびっくりしたけど。あ、そういやキャリバーは?」
「気になることがあるから学校の辺り見てくるって」
フラッシュバックはときどきある。
あれはたぶん二人の間にあった出来事の記憶だと思うが、それを思い出しているのは自分だけかもしれないということだ。共通の記憶だとしてもそれをお互いが『見る』わけじゃない。
その事実に苛立ちを覚える。
理由すらはっきりしないことなのに。苛立ちは破片のようなものだ。胸に刺さる。そしてそれがまた理由のわからない切なさを生んだ。
自動ドアが開く音に振り返る。
入ってきたのがキャリバーだとわかるとヴィットが顔も上げず「なんかあった?」と力の入っていない声で聞く。
「い、いやなにもなかった」
「よかった」
キャリバーは大きく溜息を吐きながら音を立てて椅子に座ると「腹が減った」とボラーに言う。
「お前は雛かよ」
「腹が減った」
チッと舌打ちしながらボラーが面倒臭そうに自分のサンドイッチを一切れ差し出すやり取りをぼんやり眺めていた。
サンドイッチを受け取りながらキャリバーが「ど、どうした」と私の顔を見た。
なんて返事をしたらいいのか一瞬迷った。それが妙な間を生んだ。
相手が憶えているかどうかすらわからない、そもそもそんな事実があったのかどうかすら曖昧な事象。
そんなものに振り回されて自分が感情が揺れていることをどんなふうに説明するというのか。
それに一瞬見たあの光景はごく個人的なやり取りだったような気がした。それも自分を口籠らせる理由になった。
キャリバーが小首を傾げる。
「フラッシュバック」
ヴィットが発したひと言でキャリバーが全てを察したように頷いた。
「と、ときどきあるな」
店に自分たち以外いないことを確認したボラーが新条アカネが今日、登校していたかどうかキャリバーに問う。キャリバーは頷き、興味の対象が自分から逸れ密かに安堵した。
やはりそれぞれがいつの出来事かなにに繋がっているのかわからない光景を見る。
キャリバー、あの光景を『見た』か。
あのとき私たちはなにを話し、なにを分け合っているのか知っているか。
お前の部屋にある唯一の色が私が渡したものであることを『見た』か。
なぜ私はたったひとつの光景にこんなに執着するのか。その理由を知っているのか。
「り、理由のない執着などない」
突然耳に入ってきた言葉と視線を受け止め、視線に込められたものの意味とその言葉が新条アカネに対して語られたものであることを理解しつつ混乱した。
息苦しさを感じて襟元を緩める。
そこまでをじっくりと見届けたキャリバーが口の端に薄い笑いを浮かべて視線を逸した。
ただいまぁ、と裕太が店に入ってきて「ここ私んちだけど」と続く六花の声。
「忘却、帰ってきたぞ」と内海の姿を見つけたボラーが嬉しそうにヴィットに告げる。
急に賑やかになった店内をそっと抜け出し、店の外に出るとまだ日射しは弱まる気配もなく、眩しさに思わず手のひらをかざした。
ずっと動揺していたのだと思う。
近付いてくる足音に気づかなかった。『理由』が
目の前に現れて自分にペットボトルの水を無言で差し出した。
キャップを捻りながら「だいぶ待ったか」と問うとキャリバーは肯定も否定もせずただ笑った。
「記憶」
アスファルトから照り返す太陽の熱が体温を上げ、水分を奪っていく。
こういうとき特に美味くも不味くもなく普通。普通という以外にはないジャンクショップのコーヒーが飲みたいと最近思うようになった。
毎日ジャンクショップに詰めている俺たちにとって一番手っ取り早いものに慣れたのだ。
ママさんは気まぐれでメニューにないものを「食べる?」と出してきたりしてわりと飽きない。が、ボラーは周りの反応を見てから手をつける。
マックスはそれを見て「学習している」と呟く。
冷えたコーヒーを脳裏に思い浮かべながらジャンクショップに入るとカウンターの中に見慣れた姿があった。
ヴィットもボラーも姿はなくカウンターの内側で大きな男が丁寧に皿を拭いている。
その姿を少し離れたところでしばらく眺め、脳裏に刻み込む。
六花たちは写真を撮るのが好きだ。
なにかというとスマホを向ける。動画だとか写真だとか見せ合って楽しそうにしている。
なにもかもが終わるとき、それがどういう形であれ自分はなにも持ってはいけない。
スマホも写真も動画もメモひとつすら持ってはいけない。
記憶だけ。
いつかなにもかもが終わる。
目を閉じたとき、目の前を流れていくもの、記憶に刻み込んだものだけしか持っていけない。
だから今、視線の先に立っている生真面目そうなマックスの姿を脳裏に焼き付ける。
「いつの間にいたんだ」
「す、少し前だ。皿を拭くのに夢中だったんだろう」
どれだけのものを持っていけるのか。
他愛もない会話も氷を入れすぎたコーヒーが薄かったことも俺は持っていけるのか。
誰もいないときにしか聞けないようなこの柔らかい声色も全部持っていきたい。
全部憶えていたい。
「あまり健康的な考えをしていない顔をしている」
次はティーカップをひとつひとつ丁寧に拭きながらマックスが言う。
「腹が減っただけだ」
「……そういうことにしておこう」
ヴィットが帰ってきたのを目の端に捉えたマックスがいつもの表情に戻る。
名前を付けることが難しいような、とてつもなくシンプルなようなそんな感情をお互いに今日も持て余す。
診断メーカーのお題より「手を繋ぐ」
「裕太の六花に対するあれ、相変わらずまどろっこいしいよなあ」
ボラーが高校生の三人を眺めながら言う。
「まあ、そんな急に変われるようなキャラでもないじゃない彼は」
「そこが良さでもあるのかもしれないからな」
「良さねえ…」
焦れったいもんだなあとボラーが呟くと
「意外とせっかちなんだよねえ」とヴィットが返す。
「だってよ、六花眼中にないっぽいじゃん。いや、そんなのは仕方ないけどさ」
「り、六花はどちらかと言えば新条アカネを見ている」
ボラーは唇を突き出した。
思ったよりもずっと裕太に情が移っているのだ。
そんなボラーは微笑ましく、大人しい弟を持つ兄のようでもあった。
「手くらい繋がせてやりてえなあ…」
「なんでそんな親戚のおじさんみたいな感じになってんの」ヴィットがスマホの画面から顔を上げ笑った。
「そういうボラーはさ、最近誰かと手とか繋いだ?」
ああ?面倒臭そうにボラーが返す。
「この前、お前が入り口で躓いたとき!スマホばっか見てっから転けたんじゃねえか。助け起こしたお前とだよ!」
「いや、そういうのじゃなくてね」
手を繋ぐって言ったってハードル高いって。
マックスが口を噤む。
もちろんマスクで口元は見えないのだけれど明らかに一歩引いた。
その気配を察したヴィットがマックスを通り越して「キャリバーは」と聞く。
「憶えていない」
うん、予想通りの回答だったとヴィットは話を切り上げた。
キャリバーは忘れていたわけではなかった。
決めたことがあっただけのことだ。
あの日、ジャンクショップの冷えた店内、古びたソファでマックスの隣に座っていたら程よい熱が伝わってきて眠くなった。
コクリと一瞬舟を漕ぐ。
30分で起こしてやるから眠ったらどうだとマックスが言う。
すまないと礼を言ったかどうかも憶えていない。
寄りかかって眠っていたら大きな猫が手を伸ばしてくる夢を見た。
その手を掴むと心地よく、久しぶりに穏やかに眠った。
その猫の手はやがて人の手になり、自分の手を包み込むように覆う。
ゴツゴツしていた。それでもただ心地よく、そのまま暫く眠った。
温かい手だった。
たくさん声と音がし始めて目を覚ます直前にその手は離れていった。
裕太たちが帰ってきていた。
マックスの両手は膝の上できっちりと組まれていた。
マックスを見遣るとその目は笑っていてマスクの前で小さく人差し指を立てた。
体躯に似合わないなんだか可愛らしい姿に脱力して笑った。
よく憶えている。
それはあの瓶ラムネの中にあったビー玉のような記憶で、取り出せるのは俺だけだ。
これは誰にもやらないしやれない。
診断メーカーのお題より「逃げてくれと叫ぶ喉」
ちょっとまずい感じじゃない俺ら、いつもの飄々とした口調でヴットが言う。
ちょっとって感じじゃないと思うんですけど!ボラーもいつもの調子で言い返す。
「囲まれたよねえ」
周りを見回すと結構な人型が見えた。ジリジリと距離を詰めてくる。
「もうちょっとメカメカしい造形にしてくれれば良心も痛まないのにさ」
「余裕あんじゃねえか」
「いや流石にね……」
通信も死んでる。連絡の取りようがない。
「ボラー」
ボラーはヴィットがそんな尖った声を発したのを初めて聞いた。
落ちてくるコンクリートの小さな破片。
長く使われていなかった建物のカビたような臭い。
高い窓から差し込んでくる光に埃が舞っている。
ヴィットが次になんて言うのかボラーにはわかっていた。
言葉は予想に違わず「逃げてくれ」と続く。
言い返そうと息を吸い込むと「言い合いしてる暇ないんだよ」と懇願するような表情のヴィットが振り返った。
「接近戦は不利だ。ボラーの武器じゃ余計不利になる。マックスとキャリバーに知らせて欲しい、頼む」
不利だってことはわかっていた。ボラーはグッと唇を噛む。悔しい、悔しい。こんな不利な状況にヴィット一人を置いていくことが。
ヴィットは黙ってボラーを見詰める。
「── わかった」
「ありがと、頼むよ」
ヴィットが続ける。
「なんかさ、ボラーとはまた逢えるような気がする」
「あったり前だろが。明日も絢で……ママさんのわけのわかんねえ創作料理食うんだから」
「ああ、そうだった。あの微妙なやつ」
そうだよ、あのすっげえ微妙なやつだよ。だから。
斥候の三体が動きだした。
「ボラー」
ボラーは強く唇を結ぶ。いろいろな言葉を飲み込みヴィットを見る。
ヴィットは小首を傾げ笑った。
精一杯いつものヴィットをボラーの目に焼き付けようとした。それが成功したかどうかはもうわからない。
走り去っていく足音が少しずつ遠ざかる。
ヴィットはひとつ大きく息を吐いた。
これで心残りはない。
「じゃ、いくか」
こんなカビ臭いところの予定じゃなかったんだけど仕方ない。
人型の前に飛び出したとき発した叫び声は、歯を食いしばり走るボラーの耳には届かなかった。
診断メーカーのお題より「キラキラ」
なぜか、という言葉が頭の中で何度も泡のように浮かぶ。それを自分で潰して無心であることを選んだ。
怪獣の上にあるのは丸い月。私の前を歩いているのは剣である。
三人が目を覚ましてから暫く街は静かな状態が続いている。
ジャンクショップに集まりいつ何時の事態も情報にも対処できるようにと過ごしている。
今この瞬間にもなにがあるかなどわからない。
けれど今、私はキャリバーの後ろを歩いている。
静かな夜だった。
「こ、ここだ」とキャリバーが建物を見上げる。
それなりに年季の入ったマンションのコンクリートの壁には蔦が這っていた。
「五階」と言いながらあれだと部屋の場所を指さした。
「キャリバー、人がいるときは階段を使うんだぞ」
跳躍は便利だが、と言いかけると
「いや、エレベーターがある」
至極真っ当な答えが返ってきた。
こういうところもひどくアンバランスに感じるが、もう既にそれが好ましいものだと感じる。
「す、少し窮屈かもしれない」
確かにキャリバーと私では少し窮屈に感じるが特に問題もなかった。
内海がつけるコロンのような香りも六花の清潔感のある甘い香りもなにもない。
キャリバーからするのはそういうものではなかった。
それはボラーやヴィットとも違う。
頭の中で泡が浮かぶ。なぜか。その泡をまた私は潰す。
ドアを開けると猫がいた。
私を見ても動じることもない。
「もう一匹はたぶん出てこない。人見知りだ」
ボラーの言った通り部屋は必要最小限のものしかなく、日当たりのいい場所に鉢植えがひとつ。
近くにあまり高い建物がないので、ベランダからの眺めはいいだろうと思ったとき、自分はその景色を知っているという感覚に襲われた。
猫に餌をやっているキャリバーにベランダに出てもいいかと聞くと、うん、と短い返事が返ってきた。
ベランダには履物が二つあった。
モスグリーンのものを迷わず履いた。
顔を上げるといくつかの短い会話がとぎれとぎれに再生され、軽く目眩がした。
気配をさせることなく隣にやってきたキャリバーは上着を脱ぎ、ネクタイもしていない。
その姿を『見慣れている』と感じて目を逸した。
「だ、大丈夫か」
話を逸らそうと「眺望がいい」と無難なことを呟く。
「以前もそう言った」
そう言ったあとただ黙って二人で眼下に広がる灯りを眺めた。
ここがどういう世界でも人は生を営む。
自分という存在が不確定なものでも、どれだけのことを忘れていても。
この世界がいずれ消えてなにもなかったことになったとして。
「マックス」
あまり考えすぎるな、とキャリバーは笑う。
「い、生きたことは消えない。そう言ったのはお前だ」
あの灯りが全部消えてもキラキラしてたってことが消えるわけじゃない。
そういうことだってお前が言ったんだ。
今、私たちの間にあるものもそうなのかと問おうとして躊躇した。
「もし次があって、俺が忘れたら今度はお前が俺に言ってくれ。か、必ず思い出す」
キラキラしたものはどこかに残って俺とお前を必ず繋ぐ。
そう言いながら寄りかかるこの感覚を、熱を、呼吸をよく憶えていた。
部屋の中から猫が鳴いてキャリバーを呼んでいる。
診断メーカーのお題より「束の間の休息」
「今日もありがとうございました」と裕太は頭を下げ、内海と二人で店を出ていく。
これから彼らは束の間の日常に戻り、食事をして友人として他愛もない会話をする時間を持てる。
六花はママさんが食事の準備をする二階に上がろうとして一度戻り「おやすみなさい」と手を振った。
店の照明はまだ灯ったままだが店主はいない。私達も帰ろうと立ち上がるとボラーが二階に向かって「ママさん!不用心すぎ!」と叫んだ。
珍しく四人で連れ立って店を出るとキャリバーが「腹が減った」と呟いた。
南口のファミレスもう飽きたよとヴィットがすかさず答える。
「なら私が作ろう」
そう言うと三人とも足を止め、怪訝な顔で私を見上げた。
そんな怪訝な顔をしなくてもと思ったが「簡単なものだが」と続けるとキャリバーが「ま、マックスの料理は美味い」とぼそっと呟く。
ヴィットとボラーはふうんとなにげなく流したが、その言葉が持っている意味を理解したのではないかと思う。
こういうときに知らない振りなどはしないし、できないところがキャリバーなのだ。
そもそもそんな器用な部分を期待したことはない。
「こ、これが繊細な暮らし…!」とボラーが適当なことを言いながら部屋をぐるりと見回してから上着を脱いで手伝う気概を見せ、ヴィットは早々と一番座り心地のいい椅子に座る。
「キャリバーも手伝え」
ボラーにそう言われたキャリバーは黙々と野菜の皮を剥いた。
出来上がったものは野菜が多すぎるカレーだったが取り敢えず今日の空腹を満たすことはできるだろう。
炊飯器の電子音が鳴って、食事が始まる。
「う、美味いな」
「いいんじゃねえの」
満足気な二人は既に二杯目だった。
「ねえ、なんで甘口にしたの」
「ボラーとキャリバーの希望だ」
なるほど、とヴィットが笑う。
ほんの束の間の、人としての時間だ。
たぶんもうあまり長くはないだろう。
グリッドマンも私達も戻らない記憶がある。だがほんの少しわかることがある。
『私達はもともとひとつだった』ということだ。
ならばいずれ ──
「もし、次の世界とかでまたこうやって会ったときさ」
「そういうことなんとなく言うからヴィットは厭なんだよ」
ボラーが顔を顰める。
飄々としていて表情にも感情を乗せないが大きな熱の塊のようなものを内側にしまい込んだヴィットの冷静さとある種の達観は私達に必要なもの。四人のバランスだった。
皆それを知っている。
「またこうやってさあ、たまにご飯食べようよ」
「ヴィットはな、なにもしてないがな」
「あ、そういうこと言う?今、わりと重要な約束しようとしたんだけどなあ…まあ、いいか」
「憶えておこう」
「じゃあマックスに頼んだからね」
キャリバーもボラーも黙ってそのやり取りを聞いていた。
今この瞬間も『前の世界』からの約束だったのかもしれないとふと思う。
束の間、人として呼吸をしている。
そこに生まれる感情に名前を付けることをやめたのはそれにも理由があるのだろう。
それでも、名前などなくても今はただ共にいる。それで十分だった。
十分だった筈なのに、と、向かいに座る姿勢の悪い男の顔をそっと見て自分を嗤う。
診断メーカーのお題より「目が覚めたら消えてしまう」
裕太が目を覚ますにはジャンクが必要だと全員が気付いたあの瞬間からどこかで思っていた。
終わりが始まる。
人を想うことが生む熱。もつ鍋の熱い湯気とか。コーヒーカップの温かさ。猫の体温。
みな置いていく。
最初からわかっていたことだ。
できれば無事にこの肉体を返してやりたいと思う。できればそうしたい。
それは六花や内海が持っている人としての正解からは程遠い。けれど自分にはない。『身勝手な感情』なのだとこの短い時間で覚えた。
この世界が消えてなにもかもなかったことになり、彼らは俺たちを忘れる。
ずっと待っていた。グリッドマンの覚醒を。
触れると温かい皮膚越しの熱がほんの僅かにその感情を揺らした。
みな忘れてしまうというのにそれでも刹那ただその熱を望んだ。
「意味を探すな」と言う。
わかっている、そう何度答えたことだろう。
それでも知っていた。意味を探していたのはお前のほうだったことを。
理由も意味もなくていい。
そうだ。いずれ消える世界だ。
でもお前も知っていただろう。その意味にも理由にも名前があることを。
明け方目を覚まし、傍にある躰に触れると、この熱を忘れることが惜しいと思った。
息苦しくなり起き上がろうとした腕を掴んで自分の傍らに引き戻しながらそれに気付いていただろう。
二人とも理由などなかったことにしたまま、終わりが始まった街を走り抜ける。
リハビリ7 診断メーカーのお題より「最期の景色が君であるように」
これが最後の戦闘になるのだとわかった。
裕太が目を覚ましたとき、自分はグリッドマンだと答えたとき。
その時が来たのだとわかった。
当たり前のように「じゃあ行こう」と体は動く。
私達は武器なのだ。私達はそのようにプログラムされている。
見慣れた背中を目の端に捉えふう、とひとつ息を吐く。
グリッドマンとあちらの世界へ帰ったらまた私達はひとつのモノに戻るのだ。
今ほどわかりやすく別々ではなくなる。
そしてまたいつか、必要に応じてどこかしらの世界へ戻ることもあるだろう。
今回借りたこの肉体を通して見るのはこれが最後だ。
いくつかの夜はともに越えた。
また暫く、この『人の体温』を与え合うことはできなくなる。
それを惜しいと思う。感傷的になるのはおかしいと自分でよくわかっているのだが。
そろそろ行くか、と声を掛ける。
その背中を見つめながら、心の中で「またな、キャリバー」と声を掛けた。
その時、キャリバーが振り向いてひとつ頷いて、笑った。
口角を上げただけの不器用な笑い方で、今の自分が最期に見るものがそれだったことをひどく幸福なものだと思った。
これが最期だ。
「全員で行こう」