三日月宗近は、己が鶴丸国永へ懸想していることを自覚していた。
気づいたら目で追うており、これに疑問を持ち、何故なのかを思考し、答を導き出した。
刀である己がまさか恋に落ちるとは。まるで人のようである。
だが戸惑いはわずかで、三日月宗近はすぐにその事実を受け入れた。
そして、それだけであった。
三日月宗近は、想いを返してもらいたいという”欲”が全くなかった。
そしてもう一つ、己に課せられた【機能】を十全に理解し、弁えていたからである。
そのため、想いの自覚からこれまで、特段の行動も起こさず変わらず、己の想いの丈を決して外へは現さなかった。
日々はただただ粛々と過ぎた。
想い人が笑って日々を過ごしているのならば、三日月宗近はそれだけで満たされ、幸福であったからであった。
そして安穏の日々が終わり、おのが役目を果す時がきた。
かつてない本丸の、ひいては政府の危機に、「対大侵寇防人作戦」が発令された。
戦は過去に類をみない激しいものとなった。
三日月宗近は、本丸を、主を、仲間たちを未曾有の危機から救う為、己に【設定】された【機能】を躊躇いもなく【起動】させた。
そこで己は折れると、そう確信していた。
しかし、無事大侵寇を退けた現在、己はまだ生きていた。
初期刀に手を引かれ、満身創痍で本丸へと戻ると、主や仲間たちから、それはそれはひどくお説教をされた。
これを三日月宗近は始終にこにこと笑って聴いていた。
また再び皆と笑い合えている。その事がこれ以上ないほど嬉しかったのである。
【機能】は変わらずこの身に宿っており、今は平常時の【待機】状態に戻っただけである。
それでも己の内側にはっきりと大きな変革がもたらされ、一つの区切りがついたのだと実感していた。
修業へ出たい。
それはストンと抵抗もなく己の中に落ちてきた。
再び笑い合えた主と仲間たちと共に新たな一歩を踏み出すため、また、往時より劣ってしまった己と向かい合うため、旅立ちを決意するに至った。
変事から帰還を果たしたばかりであったが、主は快く了承してくれた。
その日の夜、三日月宗近は己の無事を祝って催された宴を、申し訳ないと思いつつ、早々に辞し、修行へ向かうための準備を行っていた。
そろそろ整え終えるという頃合いで、部屋を訪ねる者があった。
鶴丸国永である。
想い人がこのような時間にたずねて来たことに、心浮き立つより先に疑問が頭を占める。
このような夜更けに珍しい。
おまけに何やら思い詰めた顔をしている。
そういえば、この男、宴の席にいただろうか?
少なくとも見渡す中に真白の姿はなかったように思う。
皆こぞって三日月宗近の側へやってきては、恨み言や歓喜の言葉を述べては酒を呑んだり、料理をふるまわれたりと、慌ただしかったので見落としていた可能性はある。
それに想い人の姿が見えずとも、三日月宗近の気持ちは平穏静かに凪いでいる。
息災であるなら顔を合わすのはいつであろうと構わぬと、大して気にもしてはいなかったということもある。
そこではたと気づいた。
そもそも防人作戦が終了してから見掛けていないのではないか?
良くも悪くも目立つ刀である。
姿も話題もチラリと見せないなんて事があるだろうか。
加えていま、己の目の前には、当の張本人が神妙な面持ちのまま押し黙ったまま座している。
三日月宗近が好ましく思っている、イタヅラっ子のようなあの明るい笑顔はどこに置いてきたのだろうか。
ますますわからない。一体何事であろうか。
沈黙はそれなりの時間続いた。
三日月宗近は元々おそろしく気が長いのでこの状態を苦痛に思うことはなかったが、この刀の気質を知っている分ここまでくるとさすがに心配になってきた。
もしや先の作戦で怪我でもしたのだろうか。
いや、それならば早々に手入れ部屋で治療されているはずだ。
そして彼の刀は己の想い人であるが、実は普段それほど接点はなかった。
鶴丸国永は己より後に顕現した刀であった。
それ故、あれやこれやと世話をする事が多かった。
といっても世話をされる方が性に合う三日月宗近なので限度はあったが。
しかし、それは人の身に馴れぬ最初の頃のみ。
その後、練度の違いも大いにあって出陣や内番が被ることもなく、今はたまに本丸内ですれ違った時などに挨拶や当たり障りのない会話を二、三交わす程度のなのである。
想い人と定めているのに悲しいことではあるが(でも少しも気にしていない)、三日月宗近の部屋を訪れるほどの用件があるとは思えない。
三日月宗近はさすがに辟易してしまった。
なぜ鶴丸国永は黙ったままでいるのだろうか。
三日月宗近はようやく決心したのだ。
明朝旅立つ身としては、こんなところで心残りを作りたくはない。
ましてや想い人に対して。
三日月宗近は幾分か逡巡した後、ようやく腹を決めた。
しかし、いよいよ言葉を紡ごうとしたところで、鶴丸国永が口を開いた。
「三日月宗近、きみを愛している」
「は?」
三日月宗近は耳を疑った。
鶴丸国永は、いま、何と言った?
「俺は顕現した時からきみに惚れている」
「??」
「まぁ、きみが俺のことを歯牙にもかけちゃいないのは重々承知していたし、どうこうなろうなんて思っては・・・いや、ちょっとは・・・いやかなり考えていたが・・・」
「???」
正に青天の霹靂。
声はたしかに耳を通るのだが、言葉が、単語が、全く理解出来ない。
くり返すが、三日月宗近は己の想いに見返りなど微塵も望んでいない。というより思いつきもしていなかった。
それ故に、相手が想いに応える、同じ気持ちを抱くなど想像の埒外であった。
三日月宗近は混乱を極めていたが、鶴丸国永もまた常の状態ではなかった。
普段の察しの良さは鳴りを潜め、三日月宗近の様子に気づかずに言葉を重ねていく。
「すれ違いは多いが、きみが幸せならこのまま穏やかな関係を続けていくのもいいと思った。だが、先の作戦で、きみが一人で行くのを止められなかった時、おれは自分の愚かさに心底絶望した」
「・・・・・・は」
「結局きみは無事に戻ってきたが、もしまたきみがいなくなって、今度は折れてしまったら?刀として戦場で折れるのは本来名誉な事だ。だがあれは、違う気がした。きみが途方もなく遠い場所でたった一振で寂しく折れてしまう。俺が到底辿り着けない所でな。そんな場所へ、誰よりも優しくて、誰よりも寂しがり屋のきみを一振で行かせてしまった、選ばせてしまった事が悔しくてな」
「それはお前のせいでは・・・」
「今までの関係でまぁ御託は並べたが、ようは俺がきみがいない世界に耐えられる気がしないってのもある」
「・・・っ」
頬をわずかに染めた鶴丸国永の目は真剣だ。
予想もしていなかった展開に、三日月宗近の思考回路は完全にショートした。
眼の前の男は……ナニヲイッテイル?
「だからな三日月…」
「鶴丸国永」
言うやいなや、三日月宗近は鶴丸国永の胸ぐらを掴み………力いっぱい投げ飛ばした。