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    fuki_yagen

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    7/30の新刊の冒頭です。前に準備号として出した部分だけなのでイベント前にはまた別にサンプルが出せたらいいなと思うけどわかんない…時間があるかによる…。
    取り敢えず応援してくれるとうれしいです。

    #つるみか
    gramineae

    つるみか準備号だった部分 とんとんと床暖房の張り巡らされた温かな階段を素足で踏んで降りてくると、のんびりとした鼻歌が聞こえた。いい匂いが漂う、というほどではないが、玉ねぎやスパイスの香りがする。
     鶴丸は階段を降りきり、リビングと一続きになった対面式キッチンをひょいを覗いた。ボウルの中に手を入れて、恋刀が何かを捏ねている。
    「何作ってるんだい? 肉種?」
    「ハンバーグだぞ。大侵寇のあとしばらく出陣も止められて暇だっただろう。あのとき燭台切にな、教えてもらった」
    「きみ、和食ならいくつかレパートリーがあるだろう。わざわざ洋食を? そんなに好んでいたか?」
    「美味いものならなんでも好きだ。それにな、」
     三日月は調理用の使い捨て手袋をぴちりと嵌めた手をテレビドラマで見た執刀医のように示してなんだか得意げな顔をした。さらさらと落ちてくる長い横髪は、乱にもらったという可愛らしい髪留めで止めてある。淡い水色のリボンの形をした、きっと乱とお揃いなのだろうな、と察せられる代物だ。
    「おれの手は冷たいだろう?」
    「そうだな。今年も気をつけてなけりゃ霜焼けにもあかぎれにも凍傷にまでなっちまう季節になったな」
    「なに、本丸もこの家も暖かだからな。ここにいる間は手入れもないし、精々しもやけに気をつけようとは思うが、そういうことではなく」
     にちにちとまた肉を捏ねながら、三日月はふふ、と楽しげに笑う。
    「この冷たい手で種を作るとな、じゅーしーで美味いハンバーグになるそうだ」
     母国語が英語の主の影響か比較的横文字も話す三日月だが、ジューシーは言い慣れなかったらしい。辿々しい言葉遣いに少し笑い、へえ、と感心してみせて鶴丸はキッチンカウンターに手を突き覗き込んだ。たしかに油が溶け出している様子はない。人間の冷え性などより余程低温の鋼の冷えが、ちょうどいいのかもしれない。
    「おれたちの手は、ヒトの形をしてヒトのように動かすことのできる道具のようなものなのだろうな」
    「いやあ……ま、俺はまだそんなに体温が高いわけじゃないから気をつけながらやれば美味いハンバーグは作れるかもしれんが、大包平みたいな体温が高いやつもいるからなあ」
    「はっはっは……そうだそうだ、彼奴は熱いのだったなあ」
    「かと思えば薬研みたいに、真冬でも薄着で彷徨いてるくせにきみに負けず劣らず氷のような躯をしてる刀もいるしな。ま、俺たちも一言に刀剣男士と言えど、顕現のしかたは様々なんだろう」
    「うん、そうなのだろうな。みな同じではつまらぬしな」
     はは、と鶴丸はカウンターに突いた手に体重を掛け、片足をぱたぱたとさせた。
    「俺みたいなこと言うようになったじゃないか」
    「ふふ、ずっと共にいるせいかな? しかしおれも、楽しいことは好きだぞ」
     さて、よし、と混ぜた肉を成型し、三日月は用意してあったバットにそれを並べていった。多少不格好ではあるが、それも味だろう。
    「あとは夕食の時に焼こう。余った分は冷凍だな」
    「じゃ、スープとサラダは俺が作ってやるよ」
    「うむ、任せた」
     大仰に頷き、それからふふふ、と笑って、三日月はかたことと片付けを済ませてキッチンから出てくる。エスコートするように手を差し出すと、嫋やかな指がちょんと鶴丸の掌へと乗った。その手を握り、鶴丸は室内では己よりも背の高い恋刀を引き寄せる。
    「さて、今日のお月さんは……うん」
    「左がないだろう」
    「そうだな、左の月が散歩中のようだぜ。見えないかい?」
    「いや、ぼんやりとは見えているな」
     そうか、と細腰を引き寄せ頬に軽く口付けて、鶴丸は身を離し手を繋いだままリビングへと三日月を誘った。
    「今日は寒いしな。外を出歩くのはやめて、映画でもどうだい」
    「ああ、いいな。洋画を見たい」
    「へえ、気に入ったのか?」
     三日月は薄い唇をうつくしい形に引いて微笑む。
    「色彩も音も艶やかで楽しいな」
    「そうか。タイトルは俺が選んでいいか?」
     頼む、と頷く三日月をソファまで誘導し座らせて、鶴丸はネット配信サービスへと繋ぎ適当にCMを流してコーヒーを淹れるため、いったんキッチンへと戻った。

     三日月の眸の中の月が時折いなくなるようになったのは、大侵寇のあとからだった。

     どこの本丸でも大騒ぎだったのだろうが、例に洩れず我が本丸も三日月がひと振りで遡行軍を食い止めているらしいとなったとき、それはそれは大騒ぎとなった。狼狽えずにいた鶴丸に心配ではないのか、と詰め寄る者もあったほどだ。
     鶴丸は修行から戻ってすぐに本丸の全員に三日月と恋仲であることを公表したが、それまでは秘密、というほどではなくとも敢えては知らせていなかったため、あまりおおっぴらに仲をどうこう言われることはなかったのだが。
     口を挟んでもいい、ということではないが、それを前提として苦言を呈することはみんなできるようになったんだよな、と考えながらコーヒーを運んで戻ると、三日月は見たい映画を選んだらしい。憂い睫毛の月が一つしか無い眸が見上げる。
    「これはだめか?」
    「いいぜ。俺もこれは初めて観るな」
     ようやく操作を覚えたばかりのリモコンで音量を少し上げ再生を掛けて、三日月は隣に座った鶴丸との隙間を軽く詰めて肩を触れ合いにこにことしている。姿勢のいい三日月の肩はだらりと座った鶴丸の肩より上だ。鶴丸は遠慮なく、肩というよりこめかみのあたりへとこつんと頭を傾け触れた。
     修行の終わりに行方をくらました鶴丸を探しにきたあのあとから、それまではゆっくり静かに想いを深めてくれていたこの恋刀は、まるで恋する少年少女のように浮ついた様子で鶴丸に触れることがある。いつもではないが、ここには今ふた振りきりであるせいか、本丸にいるときよりもスキンシップは多めだ。
     
     今年の連隊戦はふたりはお休みでお願い、と。
     
     主が言ってきたのは晩秋の頃だった。多分年を跨いでまたあるだろうから、いつもは出突っ張りでお願いしていたけれど、という金髪にそばかすの年齢よりも遙かに若い容姿の主になんだか申し訳なさそうにされて、鶴丸はにやりとした。あれは政府のシミュレーターを使う催し物だ。そこに何度も何度も刀剣男士の霊力を発散させて新たな神にお越し願う、そういう儀式だ。
     修行から戻った直後、イレギュラーな極となった鶴丸を刀解処分もしくは政府への譲渡を打診された主が、あの気弱で人の良いかわいいヒトの子が、どれだけ必死に己の盾となってくれたのか鶴丸は知っていた。知らぬふりはしているが、鶴丸がこうして呑気にしていられるのも主が庇い立てしてくれたからこそだ。
     だが、政府のシミュレーターに参加させるわけにはいかないと、それは突っぱねることができなかったのだろう。加えて三日月の不調だ。
     不調、と言ってもときおり眸の月が消え失せる──恐らくは薄く掠れて見えなくなってしまうだけだが、そうして月がなくなった側の視力が落ちてしまう。
     完全に見えなくなることは稀のようだが、今日のように霞んでいたり、極端な近眼のようになってしまったりとなかなか難儀だ。原因は解らず、大侵寇のあとからの症状ということで、まだ疲労が完全には抜けていないのではないか、というのが政府の見解だ。
     それでも慣れた頃には再び出陣もするようにはなっていたのだが、今回鶴丸が連隊戦を外されたついでに、じゃあ現世の僕の持ち家でゆっくりしてきたらいいと本丸を出されてしまった。いればなにかあったときに頼りたくなってしまうと主は言っていたが、まあそれは本当だろう。鶴丸の審神者は、気心の知れた薬研や鶴丸や三日月を重用する向きにある。あまりよくないことだ、他のみんなの不満が溜まってしまうかも、と気をつけてはいるようだが、やはりなにか胸の裡を吐露するとき、雑談のように本丸の話しをするときは、その三振りが呼ばれがちだ。
    「鶴丸」
     まあ、うちは初期刀がいないもんな、と考えていると、映画に見入っているようだった三日月がまるでひそひそ話でもするように声を潜め、わずかに俯くようにして鶴丸の額の上で囁いた。
    「今年はぼうなす、が出ただろう。賞与だ」
    「ん? ああ。何か買ったかい?」
    「うむ。極めの守り袋をな、ひとつ買ったぞ」
    「そりゃまた奮発したもんだな」
     はは、と映画に視線を投げたまま笑う鶴丸に、うん、もらったぼうなすが空になった、と笑い、それから三日月はさら、と鶴丸の髪へと頬擦りするように頭を傾けた。
    「持って来たからな。………いつぞやは致し方なくそうしたが、折りたくば折っていいぞ」
    「…………、……ん? なんだって?」
     思わず顔を上げた鶴丸は、恥じらう乙女のように目元をほんのりと染めてみっしりとした睫毛の影を眸に落とし微笑んだ三日月に、ひとつ大きく瞬いた。
    「何を言ってるんだ、きみは」
    「主の持ち家だからな。新しく建てたのだろう? 折れれば血も大体は消えてしまうとはいえ、それでも汚すわけにはいかんしな。やるなら風呂場になるが……」
    「いや、やらんぞ」
     三日月はもじもじと落としていた視線を上げて不思議そうにきょとんと瞬く。
    「やらんのか」
    「ああ、やらん。どうしてこんなにのんびり休暇をもらったってのに、また主の手を煩わせるようなことをすると思うんだ」
     三日月は小首を傾げた。
    「煩わせるかな?」
    「そりゃそうだろ。いくら休暇中だからって、俺たちのステータスは本丸でいつでもチェックされてるんだぜ。怪我をしたり折れたりすればすぐにわかる。即座に復活したって記録は残るからな。主が連隊戦ほっぽって飛んでくるぞ」
    「ううん……それは困るなあ」
     ではやめておくか、と残念そうに頷いた三日月に、うーん、と鶴丸は頭を掻いた。
    「連隊戦不参加とはいえいつ呼び出しがあるかもわからないからと旅行はやめたが、やはりどこぞにふたり旅のほうがよかったか」
    「それはまたいずれ、ということになっただろう。おれはこの家も好きだぞ」
    「だが、家だからな。旅先なら、きみだってそんな妙なことは考えなかったんじゃないか?」
    「妙なことか?」
    「そもそも妙なことを言ったのは俺だけどな。……なあ、三日月。嬉しそうにしてたが、きみ、まさか折られる快感に目覚めたなんて言わないよな? もしもそうだとすると、俺はきみのその要望にはちと応えかねるんだが……」
    「まさか」
     丸くした眼の月のない左側が、ぼやけたような滲んだような、少しばかり透明度を落とした色合いをしている。三日月は困ったように眉を下げてかぶりを振った。
    「そんなことはない。ただ、お前が望んでいるのなら、と、そう思ったまでだ」
    「……俺が望んでると思ったから、そんなに嬉しそうにしてたのかい? 俺の望みを叶えられるから、ってことか?」
     伸ばした指先で猫の子にするようにちょんと顎の下をつついてやると、三日月はまた目尻を溶かすように微笑んだ。白い肌のほんの一部、とろけた目尻だけが、うっすらと紅を刷いたようだ。
    「うむ。お前が望むようにしてやれれば、と思ったのだが……余計な気を回しただけだったかな」
    「あー……そのあたりの話もちゃんとはしてなかったしな。きみが律儀に憶えていてくれたことは嬉しいが、俺はもう、きみを折りたいともきみに折られたいとも思っちゃいない。きみが折ってほしいと懇願したって、それを叶えてやるつもりもないぜ」
     そうなのか、とどこかしゅんとした三日月の頭を撫でて、そうなのさ、と鶴丸は苦笑した。
    「俺はきみ、三日月宗近の鶴丸国永なんだからな。主……ということではないが、俺のよすがは三日月、きみなんだ。きみが好きだからというだけじゃない。極となって、そういうものになったのさ。だからもしもきみになにか辛いことがあって泣いて喚いて殺してくれと言ったって叶えてやるつもりはないし、俺を深く恨むようなことがあったとして、折られてやるつもりもない。きみがいなけりゃ俺は存在する意味がないし、俺は存在証明をやめるつもりもない」
    「うん、それは解っているぞ。おれもそうしてほしいと思っている」
     にこり、と眉尻を下げて微笑みぽそ、と鶴丸へと寄り掛って、三日月は随分と進んでしまった映画を見始めた。何が起こっているのかわからないだろうに、色彩や音を楽しみたい三日月は、途中からでも構わないらしい。
     鶴丸は最初から見ようと提案するのをやめて、三日月を肩へと凭れさせたまま、マグカップを手に取りコーヒーを啜った。
     本来なら審神者をよすがに刀剣男士というモノの形を変える修業という儀式を、恋刀をよすがにすることで鶴丸は終えた。だからこそ仮初めにでも戻って来られたし、主たる審神者がそれでよいと受け入れてくれたから、今こうして正式に、本丸の一員として存在している。
     許されている、とそれは感じる。鶴丸にしても、三日月よりも執着する相手はいないとはいえ、主のことは大切だ。何をおいても守ってやりたいと、修行に出る前も、戻って来た今も、変わらずそう思う。
     ただ、ある種暴力的な生きて生かす、その生を強要する強い願いという名の呪で主を縛り付けてしまわずに済んだことに、鶴丸はどこか安堵していた。
     個刃差はあるとはいえ、脅迫、束縛、懇願、守護、言い換えれば都合よく当てはめることのできる言葉はいくつもあれど、結局極めた刀はみな、主を、審神者を逃がすことをしない。隣りにいろ、側にいろ、生きて、生かして永劫に共にと、神の掛ける強い願いは呪縛となる。
     新たな刀との縁は結びやすい主だ。現在政府より実装済と報告されるすべての刀が揃い、修行許可の出た刀はほぼすべて極めている。主をよすがに変わってしまった己に自覚のある者もいれば、ない者もいるだろう。
     ただ──三日月宗近は、鶴丸の恋刀だけはまだ、修行を終えていなかった。眼の不調もある。しかし修行には差し障りはないだろうとの政府からの調査結果も届いている。主は不安げだったが、三日月が望むのならば、と修行道具の準備はしていた。
     それでも三日月自身がなにも言い出さなかった。何も触れず、大侵寇のあと人型にもなれず刀のまま戻ってきたあとも、休息を経て本丸の中を自由に歩き回れるようになったときにも、なにも言わなかった。三日月宗近の修行許可は、疾っくに出ていたというのにだ。
     俺が妙なことをしたせいか、と少々責任を感じないわけでもないが、鶴丸は己が本心から反省しているわけでもないことを知っていた。
     修行、極、というシステムは、ヒトが語り継いできた逸話をよすがにして顕現した刀剣男士を、審神者の刀にする儀式だ、と鶴丸は考える。
     今、己がどう思おうと、例えば主ではない誰かを伴侶として持っていようと、そこに子を成して家族となっていようと、修行を終え、刀帳番号を書き換えられ、極となった刀は以前の己を本霊とし、別の刀へと顕現し直すようなものだ。そしてその芯にあるものは、審神者だ。伴侶でも子でもない。無論愛する相手が変わってしまうわけではなくとも、何を置いても審神者を選ぶ、そういうものになってしまう。
     そう、作り替えられてしまう。
     だからもしも三日月が修行へと出れば、彼は審神者の刀となるだろう。勿論今までだってそうだ。互いに主の刀であることに違いはなかった。それは三日月が極となっても同じことだ。
     だが、それでも釈然としないものはある。鶴丸は、己がどれだけこの美しい刀に執着しているのか、それを知っている。
    「………な、三日月」
    「ん?」
    「きみ、修行には出ないのか」
    「んん、そうだなあ」
     随分直球できたなあ、他は今剣くらいだったぞ、と視線をテレビ画面に向けたまま笑い、三日月はこつん、と鶴丸の頭へと己の頭を付けた。さらさらとした髪と薄い皮膚の下、繊細な形をした頭蓋骨があるのが解る。
    「おれは昔のことをあまり憶えていないだろう? 昔の主たち……持ち主たちやその周辺の者たちを、ということだが……」
    「そう言ってたな」
     うん、と頷き、恋刀は鶴丸へとすり寄った。
    「修行に出た者たちの話は面白かったからなあ。たくさん聞いて回ったが、多くは元の主や刀工の元へと向かったらしい。実際に会った者もいれば、そうではない者もいたが、なんにしても己の過去を旅して来たわけだ」
    「……ふん」
    「しかしおれには旅する過去がわからん。否、わからんわけではないし、征けば懐かしいと感じるだろう。面白いものだろうなとも思う。練度も頭打ちだしな。主のためにもこれからの戦いのためにも、極めたほうがいいことはよくよく解っているつもりだ。………だが、うん……そうだな。おれはきっと、数多の三日月宗近の中でもとりわけぼんやりとしているのだろうなあ。あの大侵寇を経てすら、不変の月も形を変えてもいいのだと、知りはしても腰を上げる気になるほどではなくてなあ」
    「征く、と、以前言ってたと思うんだがな」
     はは、と三日月はいつもの困り笑顔を浮かべた。細めた眸が映画を観ているようで、まるで別のところを眺めているようでもある。
    「そのつもりではいたよ。ただ……大侵寇、あれはお前たちを驚かせてしまったが、おれも少なからず驚いたのだ。他の三日月宗近がどうかは知らんが、少なくともおれはあの瞬間までなにも憶えてはいなかったからな。怒濤のように無限の繰り返しの記憶が呼び起こされて、けれどあまりに幾度も繰り返されたそれはおぼろげで、はたして今おれのいるこの本丸のことなのか、今の主のもとにいたのか、それとも大勢いる分霊たちの記憶の寄せ集めなのか、それもわからん始末だった。ただ、ここを突破しなくては──そうでなければ未来はないと、それだけはよくよく解っていたからな。喩え己が折れようが、それだけは成し遂げねばと思っていた」
     鶴丸は溜息を吐いて三日月の腰に腕を回し緩く抱いた。
    「俺の知らんところで折れてくれるなと言ってあったつもりなんだがなあ」
    「もちろん、お前のことは考えたぞ」
     おや、と鶴丸は瞬いた。意外なことを言われた。すっかりと忘れ去っていた、とは言わないが、使命の前にはあらゆる己の甘さを捨てゆく刀だ。恋刀のことなど、心の隅に引っ掛けてもらえていれば上等と、その程度のつもりでいたのだが。
    「おれが折れれば鶴丸は怒るだろうとか、政府に楯突かねばよいがとか……けれどそもそも、おれが遡行軍を惑わし本丸への攻撃の手を少しでも緩めなければ、つまりおれが折れたなら、そのまま結界は壊され主も、お前も、みなも、全て破壊しつくされてしまっただろうからな。いくつか、そういった本丸があると小耳に挟んだが」
    「そうらしいな。なんらかの理由で少し前に受け取り箱に放り込まれてたひと振りすら解かしてしまった本丸や、直前に運悪く三日月を折った本丸なんかは、そもそも結界を張れずに壊滅したと聞いてるぜ」
    「全てではないだろうがな。交流のある本丸との連携がとれたところもあるようだ。とはいえ、大概の本丸があのときは孤立していて、前線にてようやく他の本丸が無事であることが解った、という有様だったからな。そう多くはないのだろう」
     おれたちがもっと上手く立ち回れればよかったが、と小さく呟き、まあ言っても仕方がないと唇で笑んで、三日月は鶴丸を見た。
    「あれを経て、おれもよく解らなくなってしまったのだ、鶴丸よ。おれは確かに未来を、本丸を、主を守りたいとずっとずっと願っていたらしい。だからこそ幾度でもやり直し繰り返し、けれど呑気なおれですら心折れそうになるほど永い間、あそこで足踏みしていた。それは我々が幾度も幾度も同じ時代へと出陣し、勝つまで、遡行軍が諦めるまで、何度でも戦いに赴くことと同じことだ。ただそれは過去ではなく現在、未来ともいえるもので……そこで本丸が全て壊滅し、時の政府が滅び、遡行軍が勝利を収めたとして……気に食わないからと幾度もやり直しをしていた、それが大侵寇の正体だろう。それは……なあ、鶴丸」
    「きみが何を不安に思ったかは解ったつもりだが、三日月。それは歴史改変ではないぜ」
    「…………うむ」
    「承服してないって顔だな。別に慰めで言ってるわけじゃない。あれはあの瞬間の今、現在の出来事だ。あそこで俺たちが勝とうが負けようが、その先の未来はまだ確定していない。確定しないギリギリのところで、俺たちは知らずやり直しをしてきた。……負けたその先に進み未来が確定してからやり直したのでは歴史改変となっただろうが、そうしないために、きみたちは気の遠くなるほど繰り返しをしたんだろう。そして今、俺たちの勝利……といってもいったん退けた、というだけだが、少なくともこちらの陣営が壊滅するような危機は乗り越えた状態で未来が確定している。今後、大侵寇の時期を狙って遡行軍が動きを見せたとして、俺たちは大手を振ってあの瞬間に出陣できるというわけだ。時の政府の陣営が壊滅しないために、本丸を守るためにな」
    「………うん。そうか」
     そうだな、お前が言うのなら、とふふ、とはにかむように微笑んで、三日月は鶴丸に凭れたまま再び映画へと視線を移した。ほとんど同時に、ボトムの尻ポケットに入れていた電話が震える。
    「本丸か?」
    「他からはこないだろ。──鶴丸だ。……なんだ、光坊。どうした? やはり連隊戦に俺たちも………」
     違うんだ鶴さん、戻って来てはほしいんだけど、よく聞いて、と焦りにときどきつっかえながらも比較的要領よく説明をした燭台切に、鶴丸は表情を引き締め身を起こした。
    「───了解した。すぐに戻る。片付けなんかは放っていくが、いいか?」
     いいよ、あとで誰かに片付けに行ってもらうから早く、と返し、それじゃ、と通話は慌ただしく切れた。
    「燭台切はなんと?」
    「ああ。本丸に急いで戻ってほしいと。───主が倒れた」
     三日月の、いつも柔らかな目尻がまるで戦場での貌のように鋭く切れ上がる。鶴丸は麗人の姿をした恋刀を促し立ち上がりながら続けた。
    「呪詛を掛けられた可能性があるそうだ」
    「遡行軍か」
    「解らん。とにかく、きみの眼と判断が必要だろう。戻るぜ、三日月。休暇は終わりだ」
     わかった、と頷き、さらさらと桜の花片を舞わせ戦装束に姿を変えた三日月を連れて、同じく戦装束に姿を変えながら鶴丸は遡行の門のある二階奥の部屋を目指した。
     リビングでは、のんびりとした音楽をバックに洋画が流れ続けていた。
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     鶴丸は階段を降りきり、リビングと一続きになった対面式キッチンをひょいを覗いた。ボウルの中に手を入れて、恋刀が何かを捏ねている。
    「何作ってるんだい? 肉種?」
    「ハンバーグだぞ。大侵寇のあとしばらく出陣も止められて暇だっただろう。あのとき燭台切にな、教えてもらった」
    「きみ、和食ならいくつかレパートリーがあるだろう。わざわざ洋食を? そんなに好んでいたか?」
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