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    小米紫

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    小米紫

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    ある日、自室の前の池に鯉が泳いでいた三日月と鯉に執心の鶴丸のつるみか の再掲。

    #つるみか
    gramineae

    釣った魚に餌をやりたい話 三日月の部屋の前には池がある。特に生き物もおらず、水草が揺れ、大層な花も咲かない、大きなだけで簡素な池だ。特に誰に観賞されるためのものでもなく、元は貯水用だったのかもしれないが少なくとも活用されているところを三日月はまだ見たことはない。
     だが今まで虫と鳥がやってくるだけだった池に、最近変化があった。
     ある朝起きて池を覗いてみると、一匹の鯉が現れたのである。

     季節は秋。池から漂う水の気配がやや冷えた空気に乗って肌を撫でる。三日月は手ぬぐいを持って池に近づく。手ぬぐいには厨から貰ってきたパンの端切れが包まれている。開いて中身を取り出していると水面に細長く影が現れた。白い背中を晒し、ゆらゆらと身体をくねらせ泳いでくる。鯉だ。黒や赤の模様も持たず、長い髭だけ薄らと金に染まっている。
     鯉がその頭を持ち上げ、ひれで水面を打つ。こちらに向かって口を大きく開け、餌を催促するように尾ひれを揺らす。
     手ぬぐいの中のパンを小さくちぎって水面に投げ込むと、それまで静謐だった池にぴちゃぴちゃと水の跳ねる音が響いた。
     はじめ、この鯉の登場にさしもの三日月も首を傾げた。鯉とは大抵数匹で飼うものであったように思う。だが、池のどこを見てもこの一匹限りであるようだ。鯉はその模様、色彩が水の中で揺れ動く様を愛でるための生き物だ。このように広い池に一匹限りでは、優雅どころか侘しく感じる。
     それまでは確かにいなかったはずの魚が悠々と一匹には広すぎる池を泳いでいるのを見て、三日月は審神者か誰かがここで鯉を飼うことにしたのだろうと思ったのだが、鯉の持つ色彩を見て、すぐ考えを改めた。この鯉は誰がここへ放ったわけでもなく、居るべくしているのだと納得したわけである。
    それから毎日厨から余り物を頂戴し、餌付けているわけであった。


    「鯉なんて飼い始めたのか?」
     厨ででも聞きつけて来たか、珍しく鶴丸国永が三日月の自室を訪ねてきた。
    「俺が飼っているわけでもないが、餌はやっているぞ」
     なにせ他の生き物もたいしていない池である。草や虫でも十分なのかもしれないが、それで腹が膨れるかと心配になってしまったのだ。三日月はそういう刀であった。なんにでも情が湧くのだ。
     鶴丸はふぅん、と池を覗き込んでいる。鯉は三日月が池の淵に近寄ると勝手に寄ってくるようになった。餌が貰えると思っているのだろう。
     餌はまだかと口をぱくぱくやって跳ねる鯉を見て鶴丸はこんなことを言いだした。
    「なら俺がこの鯉を釣ってもいいよな?」
     三日月は笑った。冗談だと思っていた。翌日釣り道具一式を携えた鶴丸が池に現れるまでは。

     三日月は、着々と鯉を釣る準備をする鶴丸の周りをうろうろしながら尋ねた。
    「本当に釣るのか?」
    「あぁ」
    「釣り上げてどうする?」
    「さぁてな」
    「……よもや食うのか?」
    「食ったらきみは満足か?」
     質問を返されても困る。返事に窮していると、準備を終えた鶴丸は気にせず糸を水中へ垂らした。鯉は住処に侵入してきた見慣れぬ糸へ伺うように近寄ってくる。針に付いた餌に気が付けば、恐らくすぐ食いつくだろう。鯉は雑食だ。三日月はその様子を固唾を飲んで見守った。
     しかし。
    「なぜだ!全然釣れん!」
     今にも竿を投げ出してしまいそうに鶴丸は喚いた。
    「ははは、こやつもそちらの餌は危ないと解っているのだろう」
     言いながら、不服そうに座り込む鶴丸の横で三日月は池にちぎったパンを放り投げる。すると鯉は途端に水しぶきを上げてパンを平らげるのだ。隣で揺れる糸の先についた魚の切り身など目もくれない。
     最初、糸につられて近寄った鯉はすぐ食らいつくかと思えたが、餌を検分した後(魚なので容貌などわからぬがそのように見えた)、ふっと興味を失ったように後はもう糸の先を気にしなくなった。
    「パンよりこっちの方が美味いと思うんだが」
    「好みではないのではないか」
    「じゃあ甘味でも垂らせばいいのか」
    「俺ではなく鯉だぞ、鶴丸」
     仮に三日月でも流石に甘味では釣られない。多分、そうだろう。そう思いたい。
     まぁこれくらいは想定内だ、と頷いた鶴丸はいったん餌を変えるらしい。随分手が込んでいる。
    「そんなに釣りがしたければ、もっと魚が多いところで試してはどうだ?」
     三日月の言葉に、鶴丸はいっそ胡乱げな顔をした。
    「きみが惚けているのかどうなのか、正直わからんが、こいつが野放しにされているなら俺が貰ってもいいはずだろう?」
    「そうだろうか」
    「そうだろ」
     想像の中で鶴丸がこの鯉を釣り上げて、水槽に入れてかわいがる様子を思い描く。その想像は三日月を薄ら寒いような、それでいて満たされるような心地にさせた。暗澹たる気分になる。それは三日月が鶴丸にさせたい事ではなかった。それが嫌で、三日月はこんなことをしているのではなかったか。そもそも餌などやらねば良かったのかもしれぬ。厨に餌を貰いに行かなければ鶴丸に知れることも無かった。どうせここで泳いでいればそのうちどこかへ消えたであろう魚の一匹。餌などやって育てる意味など無かった。
     それでも目に見える形をとってしまったのであれば、三日月はそうするしかなかったのだ。想いから生まれた三日月は、想いを無下にはできない。たとえ疎ましいものであっても。己から離れた分だけ更に遠ざけ難くなったような気もする。あぁそうだ、これがこんな色をしているからいけないのだ。こんなに真白で穢れの一つも知らぬように、己がなんであるのかもわからぬように。
    「おぬしはこれを釣ってどうするのだ」
     三日月にしては全く珍しいことにやや腹立ちまぎれに鶴丸に再び尋ねる。すべてわかっておきながら未だに水中に糸を垂らし続ける男を咎めるように見る。気まぐれならばどうか放って置いてほしいものだ。
     鶴丸は彼方でゆらゆら此方でゆらゆらしている白い尾ひれを眺めて答えた。
    「餌でも、やるかね」
     そんなもの俺でもやれる。そう反論しようとして、続いた鶴丸の言葉に遮られ叶わない。
    「うんと美味いもんを毎日、これでもかってほど甘やかして、もうほかの飼い主には飼われたくないと思うくらい愛でて愛でて嫌だって言っても止めない。食えと言うなら食ってもやろうさ」
     三日月が目を丸くして信じ難い気持ちで鶴丸を見つめると。
    「「あ」」
     ぱちゃり、と鯉が針の餌に食いついた。鶴丸が持っている竿をぐいぐいと力強く引いている。
    「お気に召したようで何よりだな」
    「……もう黙っておれ」
     顔から火が出そうなので着物の袂で覆って隠すが、鶴丸はやはり三日月の様子など気にせず上機嫌に釣り上げた鯉を、水を張ったバケツに移している。鯉はやはり三日月の心境など知った事でないとばかりにぴしゃりと水面を打った。
     まったくこれだから鯉は雑食だというのだ。


     きゃらきゃらと部屋の中から楽しそうなはしゃいだ声がする。短刀たちの声だ。彼らは鶴丸の部屋で鯉を眺めているのだろう。部屋の主は不在だが、いつでも部屋に入って見て良いと言われているようだ。
     鯉が鶴丸に釣り上げられてから幾日か経った。鶴丸はあろうことかあの鯉を自慢して回って、是非見に来るよう皆に薦めた。そして鯉を見た皆は口々のその美しさを褒めた。純白にきらめく鱗の輝きを、たおやかな背びれの優雅さを。
     なんてことだろう。あれは見せびらかすような大層なものではない。勿論、やめろとすぐ鶴丸に言ったが彼は取り合わない。曰く、俺が釣り上げたんだから三日月が口を出す権利はないという主張だ。横暴なと思わなくもない。
     三日月はあれからずっとそわそわと落ち着かない。あの鯉が鶴丸の元にいると考えただけで、思わず用もないのにその場で立っては座ってを繰り返し、小狐丸に不審がられた。池に鯉がいないことがどうも気にかかる。無くても良いと断じてあそこへ泳がせていたのに、いざ目の前から無くなってしまうと妙な不安に覆われる。今あれはどんなふうになっているのだろう。何か変化はないだろうか。なにかもっと悪いものに変じてはいないだろうか。考えても詮無いことを堂々巡りでずっと考えている。
     考えているだけ、というのは三日月らしからぬことだ。三日月は考えたなら行動するし、動くつもりがないならそもそも一つのことを延々と考えない。らしくないと思っても、件の鯉についてはもうずっとらしい振る舞いをしているとは言えないと自覚もある。であるので、やっと三日月は自分の目で確かめることにした。


     皆が部屋から出て行ったのを確認して三日月はそろりと中へ足を踏み入れた。そっと周囲を伺って、近くに誰もいない事を確かめると障子を閉め切ってしまう。まるで悪事でも働いているような気持ちで心蔵が少し早い。
     きちんと整頓された部屋の奥の広い机の上。両の腕を広げたほどの幅の水槽が置いてある。その中で鯉は最後に見た時と同じように細長い体でゆったりと漂っていた。水槽に取り付けられた装置がうんうんと唸りを上げて水中へ酸素を運んでいる。水槽は汚れもなく綺麗で底には小石が敷き詰められており、数本の水草が揺蕩っている。宣言通り、鯉はきちんと大切にされているようだった。それは最後に見た時と同じ姿をしていて変化する様子もなく、どこからどう見ても真白い鯉である。
     鯉はあの池の何十分の一もない狭い水槽に閉じ込められながら、まるでここが終の棲家であるというような風体で堂々としている。
     水槽の硬い硝子越しに問いかける。
    「なぁ、鯉よ。そこは居心地が良いか?」
     金の髭が返事をするかのようにゆらゆらと水にそよぐ。が、顔を覗いてみてもやはり魚の表情はようとしてわからぬ。鯉は恥じることも誇ることも無くただあるままに泳いでいるように見えた。己を必要が無いと切り捨てた刀にまるで見せつけるかのように、目の前で旋回し鱗を輝かせる。
    「お前は幸せか?」
     賞賛の言葉を浴び、褒めたたえられ、一番ありたい場所にあるのだ。幸せだろうとも。三日月が遠ざけようとしたあたたかな場所にいて、この鯉は幸いであろう。
     この鯉がかわいがられている様子を実際に目の当たりにしても、思っていたような薄ら寒い心地も満ち足りる気分も訪れない。実際に感じたのはどうしようもない寂しさだ。それを不思議に思ってから、一人腑に落ちた。ものを切り取れば当然穴が空くのだ。心であったとして同じであると言えよう。
     三日月はじっと鯉を見て、鯉もまた、何を思っているのか全く分からない黒い瞳で三日月を見返した。
    「……そうだな」
     決めるのは鯉ではない。


     閉め切られた障子を開けて部屋へ帰ると、水槽を置いた机にもたれかかる人影があった。豪奢な衣の裾を床に垂らして突っ伏しているのは三日月宗近だ。起こさぬよう気配を殺して近づく。
     机に突っ伏して浅い寝息を繰り返す三日月を認めてから、魚影の無くなった水槽を眺める。水の中は水草と酸素の泡が揺蕩うだけの空間だった。
     真白の鯉はどこぞへ消えてしまった。
     鶴丸は眠る三日月のすぐ横へ膝をついてその白磁の貌を覗き込む。
    「三日月」
     まだ閉じたままの瞼を見つめて低く呼ぶ。瞼が震えて重たげな睫毛が持ち上がる。酷く緩慢な仕草で現れたあかつきの瞳は、小舟のような月をゆらゆらと揺らしている。朝が明けるようなこの瞬間が鶴丸は好きだった。
    「つるまる?」
     まだ夢との境界にいるのか、三日月はぼんやりと鶴丸の名前を呼んだ。じぃと見つめると、口元だけで彼は笑んだ。ゆったりと言葉を紡ぐ。
    「すまんな、鯉は返してもらった」
    「いいんだ」
     もともときみのものだ、と言うと三日月は少し困ったように眉尻を下げた。きっと彼は戸惑ったに違いない。飼い殺しにするつもりだった鯉を、突然現れた鶴丸が釣ると宣言してここまでもってきてしまったのだから。元々三日月が返してほしいと言えばいつでも返す用意はあった。ただ彼は返せではなく見せびらかすなと言ったので、それは鶴丸の自由だと返したまでである。
     鶴丸は鯉そのものが欲しかったのではない。あれがあのまま消えてしまったり、別の色に染まってしまうことが耐えがたかっただけだ。だから釣り上げてきた。
    「要らないんじゃなかったのか」
     問いかけにいくらか苦い色が混じる。一目見てあの魚が何か鶴丸にはよくわかった。一匹だけで広い池の中を泳いでいく影にしんしんと積もるようなやりきれなさを覚えた。ついに捨ててしまったのかと、それほどに疎ましかったかと深く傷ついた。捨てられたのなら拾えばよいとこうして水槽まで用意したのだが、それは多分、抵抗だった。
    「要らぬと思ったのだが、お前があれを可愛がるとな、俺はここが空いたように寒いのだ。道理だなぁ。あれも俺だ」
    「そんなことも気が付かなかった?」
    「うむ。そんなことにも気付けなかったのだ」
     すまなんだ。ぽつりと落とされた許しを請う言葉を追うように、小さく唇に口づける。
    「こいは美味かったかい?」
    「……胃がもたれそうだなぁ」
     まだどこかぼうっとした様子で答えた三日月の肩口にもたれて鶴丸は呻いた。
    「もう捨てないでくれ。ちゃんと持っていてくれ」
    「うん」
    「きみが持っていなければ意味がないんだ」
     三日月はもう一つ、うんと繰り返してあやすように鶴丸の頭を撫でる。指先が髪を梳いて流していく。
     何もいなくなった水槽だけがそれを見ていた。
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