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    seeds_season

    @seeds_season

    ただいまmhyk小説(メインはミス晶♂・全年齢)がしがし書いてます

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    seeds_season

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    ミス晶♂風味。賢者の言葉が通じなくなる話。

    ※まほやく初心者につき、未読イベスト・カドストが山のようにあるので、あちこち設定等で矛盾あると思われ。
    ※魔法に関する捏造が色々あります。ふわっと読んでください。

    呪いと祝福――あるいは奇跡について この世界でも言葉が通じるのは、どうやら謎の力で自動翻訳が行われているから、らしい。
     そのことをはっきりと知覚したのは、ルチルに文字を習うようになってからだ。
     こちらの世界の文字を一通り教わり、簡単な単語の書き取りを教わった時。聞こえてくる発音と、教わった文字の綴りがどうにも噛み合わなかった。そこでルチルにゆっくり文章を読んでもらい、その口の動きを観察させてもらうと、聞こえている音と口の動きにズレがあった。
    (なんだか、吹き替えの映画を見ているみたいだな……)
     ルチルはこちらの世界で広く使われている共通語を話しているが、それが俺の耳に届いた時には、どういうわけか日本語へと変換されている。逆に、俺が話している日本語も、彼らの耳には共通語に変換されて届いているらしい。
    「これも賢者様のお力なのでしょうね」
     なんてルチルは感心していたが、どちらかというとこれは、俺をこの世界に呼び寄せた不思議な力――《賢者の召喚術》の副産物なのだろう。せっかく異界から賢者を呼び寄せても、意思の疎通が出来なかったら意味がない。だから言葉だけは通じるように、不思議な力が働いているのだと思う。
     どうせなら、その力でこちらの世界の文字も読めるようになっていれば、依頼書をいちいち読み上げてもらったり、報告書を代筆してもらう必要もなかったのに――なんて、そんな欲深いことをチラリとでも考えたのがいけなかったのだろうか。


     異変は、昼食時に起こった。
    「今日は人数が少ないから、随分と静かだな」
     任務や個人的な用事などが重なった結果、今日は朝からほとんどの魔法使いが出払っている。魔法舎に残っているのは東の魔法使い四人とリケ、それにクロエという、かなり珍しい組み合わせだった。
    「人が少ないからでしょうか、雨の音がいつもより激しく聞こえますね」
    「いや、季節外れの嵐が吹き荒れているからだろう」
     窓硝子を叩くような雨と風。結界が張られている魔法舎でもこんなに影響を受けるのだから、街中はもっとひどいことになっているかも知れない。
    「これも厄災の影響なんでしょうか」
    「確かに、こんな時期にこれほどの嵐が来るのは珍しいよな」
     天気が崩れ始めたのは昨日の午後からだ。天体観測に出かけたムルが、向こうもこんな天気だったら観測なんか出来ないと、珍しく困り顔だったのを思い出す。
    「調査に出かけた連中は、雨だろうが嵐だろうが関係ないって感じだったけどな」
     今朝方、少々厄介な任務に向かったのが、スノウとホワイト、ミスラとオーエン、そしてラスティカの五人だった。適性を考えて組まれたメンバーのはずだが、どう考えてもツッコミ役が足りない。
    「ラスティカ、大丈夫かなあ。本当は俺も行きたかったけど、双子先生にはっきりと駄目って言われちゃったんだ」
    「今回は俺も同行NGって言われましたからね」
     大抵の任務には賢者が監督役として同行することになっている。しかし今回の依頼は北の国にある、魔法使いしか入れない店で起こった事件の調査だった。そこに人間である俺がついていったとしても、それこそ足手まといにしかならない。
    「そう言えば賢者様、――――――」
     クロエの言葉が、急に不思議な響きに変わる。
     声は確かにクロエのものなのに、まったく分からない言葉、聞き慣れない抑揚。まるで急にテレビの音声出力を切り替えたかのように、目の前のクロエはいつもと全然違う言葉を喋っている。
    「クロエ!? 一体どうしたんですか?」
     思わず声を上げてしまったら、今度はクロエの方がきょとんとして、困ったように何かを喋り出したが、やはりそれも何を言っているか分からない。
    「―――? ――――――、――――!?」
    「――、――――?」
     異常事態に気づいたらしいネロが何か焦った様子で言っているが、やはり聞き取れない。しまいには食堂にいた全員が俺を取り囲んで口々に話しかけてくれたが、その意味を理解することが出来なかった。
     それは彼らも同じことで、俺の言葉もまた、彼らに伝わっていないようだ。

     ――恐れていたことが、起きてしまった。

     言葉が通じる。それだけが、この世界における安心材料だった。未知の世界でひとりぼっちでも、彼らの言葉が心に届いたから、前を見て歩き出すことが出来た。それなのに。
    「――――――?」
    「――、―――――――?」
     心配そうなクロエとヒースクリフ。困惑した様子のネロとファウスト。状況があまり理解できていないらしいシノとリケ。表情を見れば何となく言っていることは想像できるけれど、それが正しいかどうかも分からない。
    「ああ、どうしよう……。分からないんです。皆さんの言葉が、聞き取れない――!」
     まるで極寒の地に身一つで放りされたような、途方もない心細さ。世界から拒絶されたような絶望と押し寄せる不安に、目と鼻の奥がつんと痛くなって、慌ててぐっと奥歯に力を入れる。
    (っ――だめだ、弱気になっちゃ)
    「俺が泣いても何も変わらない。俺は賢者なんだから、しっかりしないと」
     通じていないのをいいことに、わざと口に出す。ついでにばしばしと頬を叩いて自身を奮い立たせると、驚いたように静まりかえったみんなに、精一杯笑ってみせた。
    「大丈夫。きっとすぐに、話せるようになります」
     この言葉だってもちろん通じていないのだろうけれど、せめて俺が大丈夫だってことは伝わってほしい。
    「―――、―――――――」
     何か言いたげな視線を向けてきたファウストが、溜息を漏らす。俺よりも泣きそうな顔をしたヒースクリフは、躊躇いがちに俺の手を握ってくれた。
    「ありがとうございます。俺、大丈夫ですから。心配しないで下さい」
     本当は、ちっとも大丈夫じゃないけれど。せめて空元気だけでも出しておかないと、不安に押しつぶされてしまいそうで。
    「――、――――――。――――!」
     沈痛な空気を蹴散らすように、ネロが陽気な声を上げた。きっと「今はとにかく昼飯にしよう」みたいなことを言ってくれたのだろう。その声に背中を叩かれたように、リケやヒースクリフ、そしてシノが厨房へと走って行く。
     ファウストがそっと肩に触れて、席に着くよう促してくれて、それからネロ達が運んできてくれた美味しい昼食を、いつものようにみんなで食べる。
    「――、――――――――――」
    「――――――?」
     しきりと何かを話している彼ら。手を伸ばせば触れられる距離にいるはずなのに、こんなにも遠く感じるなんて。
    「―――」
     急にシノがつかつかと近づいていて、俺の肩をがしっと掴んだ。
    「――――――。――――――」
     シノは何と言っているのだろう。その表情は硬く、どこか怒っているようにも見えた。
     慌てたようにヒースクリフがシノを引き剥がし、何か言い合いをしている。取りなすようにネロが割って入って、それから俺の頭をがしがしと撫でてくれた。
    「――――――、――――――」
     小さい子供をあやすようで、ちょっと気恥ずかしかったけど、少しだけ落ち着いた。
     大丈夫。どんなに言葉が通じなくたって、彼らは俺を除け者にしたりしないはずだ。そう――信じよう。

    +++

     一日経っても、二日経っても、俺とみんなの言葉は通じないままで。
     それでも、何とか身振り手振りで意思の疎通を図ることが出来たので、思ったほどの不便はなかった。
     みんな俺に気を遣ってくれて、いつも以上に親切にしてくれる。
     それなのに時折、無性に胸が苦しくなる。
     みんなが集まって他愛もない会話をしている、そんな当たり前の光景が、まるで紗幕の向こうで繰り広げられているお芝居のようで。
     みんなは舞台上でスポットライトを浴びているのに、俺だけが暗い客席にいて、誰かに口を塞がれているような、息苦しさと切なさ。やりきれない思いが、日を追うごとに胸を締め付ける。
     誰とも話せないことが、こんなにも辛いなんて思わなかった。
     この世界に呼ばれて、孤独を感じながらも明るく振る舞えたのは、みんなが気さくに話しかけてくれたからだ。
     彼らは俺の言葉にきちんと耳を傾けてくれて、決して笑ったり馬鹿にしたりしなかった。
    (話を聞いてもらうことすら、出来なくなるなんて……)
     意思疎通の手段を奪われてしまったら、想いを伝えることすら難しい。
     どんなに頑張ってもすんなり伝わらないもどかしさが苛立ちや焦りを生み、自然と口数は減ったし、俺だけではなく、魔法使い同士の会話も少なくなっているような気がした。
     間の悪いことに、魔法舎を離れている他の魔法使い達も、それぞれ任務や用事が長引いているようで、一向に帰ってこない。
     まるで俺の心情を映したかのように降り続く雨も、これで三日目。
     静かな談話室に、雨音だけが響いている。

    (駄目だ、ここにいると気分が滅入る……)
     自室に戻って先代賢者の書を読むか、もしくは図書室で、歴代賢者の書を整理する作業でもして気を紛らわそうか。
     そう思って立ち上がりかけたところで、聞き慣れた呪文が背後から響く。
     反射的に振り返れば、談話室の奥に突如出現した《空間の扉》から、北の国へ出向いていた魔法使い達がぞろぞろと姿を現したところだった。
     賑やかにおしゃべりをしながらこちらへやってくる魔法使い達。俺の姿を認めてニコニコと手を振るスノウとホワイト、穏やかに笑みを浮かべるラスティカ。興味ないとばかりにさっさと談話室を出て行こうとするオーエン。そして――。

    「―――、―――――――」
     最後に姿を現した長身の魔法使いは、赤い髪を振りながら気怠げに歩いてくる。目の下の隈がいつも以上に濃くなっているのは、きっとこの三日間、ほとんど眠れていないからだ。
    「―――?」
     俺が返事をしなかったからだろう、小首を傾げつつ、つかつかと距離を詰めてきた北の魔法使いミスラは、問答無用で俺の顔をむぎゅっと掴んできた。そして――。

    「アキラ」

     その唇から紡がれた声も、響きも、間違いなく俺の名前で。
     気づいたら、涙が溢れていた。

     涙でぼやける視界でも、はっきりと見て取れる、鮮やかな緑色の双眸。そこに映っているのは、子供のように泣きじゃくる、情けない俺の顔だ。
     顔に触れていた手が頬を撫でて、決して優しいとは言えない手つきで涙を拭ってくれる。しかし、とめどなく溢れてくる涙に業を煮やしたのか、そのままぐいと引き寄せられて、黒いシャツに顔を押しつける羽目になった。
    「ミ、ミスラ……! 汚れちゃいますから」
     思わず抗議の声を上げたが聞き入れてもらえるわけもなく、抱きしめるように背中に回された腕は、とても温かくて。
     それに――泣き顔を晒さずに済んだ安堵感が、ますます涙を呼び寄せる。
     みっともなく泣き喚きながら、ミスラがみんなと何か話している声を聞いていると、何だかとても安心した。言葉は分からないままなのに、その静かな声音が、荒れ狂う心を鎮めてくれる。
     ようやく涙が引っ込んできた頃、頭上から静かな溜息が聞こえて、頭をわしっと掴まれた。
    「ぎゃっ、ミスラ痛いです――っていうか近いです!」
     至近距離で顔を覗き込まれて、思わず慌てふためく。そんな俺の動揺などお構いなしに、ミスラはふうん、と言いたげな顔で何やら呟いた。
    「――――、――――――。――――――、アキラ?」
     耳に馴染んだ声なのに、名前以外は全然聞き取れない。それでも、はっきりと俺を呼んでいる。俺に話しかけてくれている。それだけで、胸がいっぱいになる。
    「はい、ミスラ」
     そう答えた途端、ミスラがどこかほっとしたように、小さく笑った――ような気がした。

     言葉の自動翻訳が上手く行かなくても、固有名詞はそのまま伝わる、ということが互いに分かったところで、談話室は一気に賑やかになった。
    「―――――アキラ―――――」
    「アキラ――! ――――、――――――」
    「――――――。――――――アキラ―――!」
     みんなが口々に俺の名前を呼んでいる。躊躇いがちに。戸惑いながら。愛嬌たっぷりに。そして――愛おしむように。
    「ありがとうございます、皆さん――じゃなくて、えっと」
     一人ずつ名を呼べば、それぞれに答えが返ってくる。まるで点呼のようになってしまったけど、それがなんだか面白くて、嬉しくて。
     最後にミスラの名を呼んだら、間髪入れずに「アキラ」と返ってきた。その声を聞いた途端にまた目頭が熱くなって、ごしごしと袖で拭おうとしたら、呆れたようにその手を掴まれる。
    「――――――――――」
     再び抱きすくめられてしまい、気恥ずかしくて顔が上げられない。みんなが何か言っているけれど、それを理解できないのは、今だけは救いなのかも知れなかった。
    「――――――――――――」
     背中をぽんぽんと叩かれて、ああもしかして、俺が寝かしつけの時についやってしまう仕草が、ミスラに移ってしまったのかな、なんて考えているうちに、段々と眠くなって――その後のことは、覚えていない。

    +++

     気づいたら自室の寝台に寝かされていて、隣には当たり前のようにミスラが寝転がって、こちらをじっと覗き込んでいた。
     朝の日差しに照らされて、燃えるような赤い髪と緑柱石のような瞳がきらきらと輝いている。
    「おはようございます、晶」
    「はい、おはようござ――!! ミスラ、言葉が――」
    「ああ、通じるようになりました? それは良かった――って、また泣くんですか、あなた」
     言われて初めて、自分の目から涙が溢れていることに気づく。ああ、そうだ。昨日もこんな風に泣いてしまって――そのまま眠ってしまったのか。
    「だって、俺――もうみんなと、話せないのかと思って――!」
    「俺を誰だと思ってるんですか。どうにかなるに決まっているでしょう」
     ふふんと不敵に鼻を鳴らして、窓の外を指さす。
    「あの双子が言うには、新月の間は賢者の力が弱まることがあるそうです。それに加えて、数日前から分厚い雨雲が月を遮っていたから、いつも以上に影響が出たんだろう、と」
     だから雲を打ち払ってやりました、と何でもないことのように言ってのけるミスラ。天候を自在に操るなんてまるでオズのようだ、なんて思ったけど、それを口にしたら機嫌が悪くなるのは目に見えていたので、そっと胸の中にしまっておいた。その代わりに、精一杯の感謝を口にする。
    「ありがとうございます、ミスラ」
    「このくらい、お安いご用です」
     ご機嫌でそう答えてくれたのに、そのあと何かを思い出したような顔をしたミスラは、ごろんと転がって、体ごとそっぽを向いてしまった。
    「ミスラ?」
    「俺があなたの名前を呼んだら泣いたのに、なんで他の連中が呼んだ時は笑ってたんです?」
    「えっ」
    「俺に名前を呼ばれるのが、そんなに嫌だったんですか」
     これは単に拗ねているのか、それとも――?
    「違います! 嬉しかったから、泣いたんです」
     びっくりして、胸が一杯になって、堪えていた寂しさが一気に吹き飛ばされて。だから涙が溢れてしまったのだ。
    「嬉しくても泣くんですか、あなた」
     本当に泣き虫ですね、と呟く背中に、こつんと額をぶつける。
    「……俺、緊張感が足りなかったんだなって思い知らされました。異世界で言葉が通じるなんて、本来はあり得ないんです。俺のいた世界とこの世界では、言葉も文化も、何もかもが違う。それなのにこの世界で、最初から言葉が通じたから、これが当たり前なんだって思い込んで、その奇跡に感謝すらしなかった。だから今回のことは、いい教訓になりました」
     早くこちらの世界の言葉を覚えよう。せめて多少なりとも文章が書けるようになっていれば、まったく意思疎通が出来ないなんて事態にはならなかったのだ。
    「はあ、そうですか」
     興味がなさそうな相槌が返ってきたが、構わず続ける。
    「まずは単語カードを作るところから始めようと思います。良かったらミスラも手伝ってもらえませんか」
    「なんです、単語カードって」
     ごろんとこちらに向き直ったミスラは、もう機嫌を直してくれたようだった。
    「よく使う言葉を小さなカードに書いて、そこにこちらの言葉と、俺の国の言葉を両方書けば、カードを見せるだけで伝わるでしょう? そういうのを一通り作っておけばいいんじゃないかと思って」
     どんなカードを作っておけば便利だろうか。やはり日常の挨拶とか、よく使う物の単語が最優先だろう。そんなことをつらつら喋っていたら、ぎゅっと手を掴まれた。
    「あの、ミスラ? あっ……もしかして、昨日――」
    「ええ、眠っていませんよ。あなたが先に寝てしまったので」
     うっかりしていた。隣に寝ていたからてっきり、ミスラも眠っていたのだと思い込んでしまっていた。
    「すいません、ミスラ……」
    「まあ、いいですけど。あなたの寝顔を見ているのも、結構面白いので」
     くああ、と猫のように欠伸をして、両手で俺の手を包み込むように握りしめる。
    「おやすみなさい、晶」
    「はい、おやすみなさい、ミスラ」
     感謝と真心を目一杯込めて、手を握り返す。まもなく安らかな寝息が聞こえてきたところを見ると、賢者の力というやつもちゃんと戻ってきているようだ。
     一度寝入ってしまえば手を繋ぎ続ける必要はないけれど、いつものようにミスラは俺の手を離そうとせず。俺も今は手を離したくなくて、少し考えた末、再び寝台に寝転がった。
     半日以上寝ていたのだから、眠気が残っているわけもなかったが、昨日今日とあまりに泣きすぎて、顔が重い。考えてみれば、大人になってこんなに泣いたのは初めてかもしれない。
    (これじゃ、みんなと顔を合わせづらいな)
     そういうことにして、無理矢理二度寝を決め込んだ。

    +++

     目が覚めたら昼をとっくに過ぎていて、しかも案の定がっちり抱き枕にされており。
     さすがに心配になって突撃してきたカインとファウストに救出され、改めて言葉が戻ったことを喜び合う。
    「すまない、晶。俺がいたらすぐに名前で呼んでやれたのに。心細かっただろう?」
     アーサーと二人、城に呼び出されていたカインは、今朝になってようやく戻ってこられたらしい。
    「名前は存在を定義づけるもの。祝福であり、呪いでもある。だから魔法使いに名を知られてはいけない、支配されてしまうから、なんて言われるくらいでね」
     呪い屋稼業を営むファウストの言葉には重みがあった。
    「もちろん、本物の呪いはそんな簡単なものじゃないが、きっかけにはなり得るから用心するに越したことはない。まして人間の君には加護の魔法もかかってない。だから――僕も君を名前で呼ばないようにしていたんだが」
     ごほん、とわざとらしく咳払いをして「不測の事態が起きた場合は、呼ばないこともない」と言って、気恥ずかしそうに視線を逸らす。昨日、名前で呼んでくれたことに対する、ファウストなりのけじめなのだろう。
    「人の眠りを邪魔しておいて、何をべらべらと喋ってるんですか」
     叩き起こされたミスラは機嫌の悪さを隠そうともせず、大体、と俺の頭に顎を乗せる。
    「あなたも気安く名前を呼ばれて喜びすぎなんですよ」
    「いやあの……」
     一番気安く名前を呼んでくるのはミスラなのでは、と言いかけて、そういえば彼は、人前では俺のことを「賢者様」と呼んでいることを思い出した。
    「……あれ?」
     では昨日、なぜ名前で呼んでくれたのだろう。あんなにも人がいたのに。いやそもそも、なんで二人きりの時は名前で呼んでくれるのか。
    「あの、ミスラ。ちょっと聞きたいことが……」
    「腹が減りましたね。食堂へ行きましょう」
     聞く耳を持たず、さっさと寝台から抜け出したかと思えば、呪文一つで身支度を調えてしまうミスラ。そう言えば昨日、さんざん涙を染みこませてしまった服は、ちゃんと洗濯に回したのだろうか。
    「じゃあ、俺達は先に行って、ネロに何か作ってもらっておくよ」
    「他の連中も心配している。さっさと顔を出してやりなさい」
     二人は気を利かせて部屋を出て行ったが、ミスラはぼんやりと入口付近に佇んだままだ。
    「すぐ着替えますから!」
     急いでクローゼットから普段着を取り出し、わたわたと着替えていると、不意に気怠げな声が飛んできた。
    「魔法使いの名前には、強力な加護がかかってるんです。だから魔法使い同士で名を呼んだところで、よほどの力量差がなければ相手を支配することは出来ません」
     唐突な話だったが、きっと先ほどのファウストの講釈をミスラなりに補足してくれているのだろう、
    「まあ、慎重な魔法使いは偽名を使って活動したりしますけどね。だから、名前を呼ばれて云々、というのはあくまで人間側の話です」
    「……あの、その理屈だと、ミスラが俺の名前を呼ぶことも呪いになりかねないのでは……」
    「呪いです」
     あっさりと肯定されてしまい、思わず着替える手が止まる。
    「呪ってるんですか!?」
    「別に構わないでしょう。あなたのことを忘れないようにする呪いですから」
     窓の外を一瞥し、はあと溜息を吐く。
    「俺も賢者の魔法使いとして、それなりに長く生きていますが。これまでに出会った賢者の顔も名前も、いつの間にか思い出せなくなっているんです」
     ずきん、と胸が痛む。ああそうだ。俺もいつかは、みんなに忘れられてしまうんだ。どんなに爪痕を残そうと足掻いても、俺がこの世界に残せるのはきっと、俺が綴る賢者の書だけ。
    「まあ、さほど興味がなかったので、これまではあまり気にしていなかったんですが。ただまあ、忘れたくないことを強制的に忘れさせられるのは癪なので」
     だから呪います。そう言って、その言葉とは正反対の爽やかな笑みを浮かべるミスラ。
    「言葉が分からなくなっても固有名詞はそのまま通じると、今回のことで証明されましたし。せいぜい、あなたの存在をこの世界に刻みつけてやります」
     忘れたくないのだと、覚えていたいのだと。彼はそう言っているのだ。そう思ってもらえることこそが、堪らなく嬉しくて。
    「俺も、ミスラのこと、たくさん呼びます」
     いつか別れる日が来たとしても、この出会いを、この記憶を、この思いを、一方的に取り上げられたくはないから。
    「まあ、そもそも俺の名前を呑気に呼ぶ人間なんて、あなたくらいしかいないんですけど」
     言われてみれば、巷でミスラの名を聞く時は大抵、恐怖や畏怖がセットになっている。
     北のミスラ。雪原の赤い獣。死者の国の渡し守――。まるで、忌まわしいもののように呼び習わされる彼。それこそが――彼を縛る呪いのようで。
     だとしたら。俺は呪いではなく、祝福を込めてその名を呼びたい。
    「ミスラ」
    「はい、なんですか。晶」
    「お待たせしました、着替え終わったので、食事をしに行きましょう!」
    「まったく、俺を待たせるなんて真似が出来るのは、あなたくらいですよ」

     当たり前のように、互いの名を呼び合えること。
     それもまた、呪いであり、祝福であり――奇跡なのかも知れない。
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