重苦しい鈍色の空に、閃光が奔る。
室外を照らした青い光に肩を震わせて、幼い少女が窓からちらりと空を見上げる。瞬間、稲妻を追いかけるように凄まじい轟音が鳴り響き、空気と大地を震わせた。
「ひぅ…」
雷は嫌いだ。お空を引き裂いて、ゴロゴロと大きな音を立てて、冷たい雨風を連れてくる。
翔蟲のように眩い光を纏っているのに、どうしてこんなに違うのだろう。
太陽が天辺を越えるまでは穏やかな晴天が広がっていたはずなのに。突然の熱雷を境に急に変わり始めた空模様。少女は不安げに眉尻を下げ、小さな掌でそっと耳に蓋をした。
こんなことが気休めだということは分かっていたけれど、怖いものから少しでも気を反らしたかった。
自分の小さな体の内でごうごうと巡る命の音に、重い雨粒が屋根を叩く音が混じりはじめる。それから間もなくして天水桶をひっくり返したかのような雨が大地を濡らしていった。
いまだに里の上空では雷様がぐるぐると廻って、地鳴りのような雷鳴を放っているというのに。少女はさらに憂鬱な心地になってしまい、窓に背を向けてそっと瞼を閉じた。
「いやー!ついに降ってきたね!」
塞いだ耳の隙間からぼんやりと、世界で一番好きな声、ウツシの声が入り込んできた。ぱっと弾かれたように顔をあげ、少女は家の入口へと駆け出す。
雨が降る前に外の用事をすませようと走り回っていて、今しがた帰宅の途についたのだ。
ウツシは濡れた体もそのままに家へ飛び込むと、素早く玄関の戸を閉め、しっかりと閂をする。深い松葉色の髪は雨に降られて水分を含み、いつもよりも幾分かしんなりとしていた。
「ウツシ兄ちゃん!おかえりなさい!」
「ただいま!思ってたより遅くなっちゃってね。一人で大丈夫だった?」
「うん!」
頬を緩ませて元気に返事をする。怖がっていたことが恥ずかしくて、自分の胸の内に知らんぷりを通した。
そんなことはウツシにはお見通しだったのだけれど。
けっこう濡れちゃったなぁ、と呟いてウツシは髪の雨粒を飛ばすように頭を軽くぶるぶると揺する。
その姿がまるで洗われた後のガルクのように見えて、少女はくすくすと小さな笑い声を溢した。
ウツシの体から滴る雫が土間にぽつぽつと雨を降らせる。濡鼠のまま居間に上がるわけにはいかず、濃い色に変わってしまった衣服を脱いでいると、少女がもじもじしながら、そばによってきた。その手には手拭いが握られている。
「どうしたの?」
「ウツシ兄ちゃん。あのね、私が頭拭いたげたいんだけど…いい?」
いつも風呂上がりにウツシに頭を拭いてもらっている立場故だろうか。少女は使命感に目をキラキラと輝かせ張り切った面持ちでウツシを覗きこむ。
その姿に幼い少女の成長を感じて、ウツシは愛おしさで胸をきゅんと弾ませた。
「じゃあ、お願いしようかな」
そう言うと、少女はお任せあれ!とばかりに破顔し、胸を張るのだった。
インナー姿からゆるりとした甚平に手早く着替え、暖をとるため囲炉裏端に腰をおろすと、少女がウツシの背後にまわる。
小さな掌に両肩が掴まれて、幼子の高い体温が冷えた体にじわじわと染みてゆく。なんだかこそばゆい気持ちになり、ウツシは少しだけ身を竦めた。
「それじゃあ拭きますよー」
「お願いしまーす」
少女は自分よりも少し下に見える松葉色の頭にふわりと手ぬぐいを被せると、小さな両手で抱え込むように水滴を拭ってゆく。
頭の上から、襟足へ、ウツシが自分にしてくれるように。いつもは見えないつむじが見えて、なんだか可愛いなんて思いながら、優しく、丁寧に。
こうしているといつだったかウツシに頭を撫でられた時に、君の髪は絹糸みたいに柔らかくてきれいだねと言われたことを思い出す。
大好きな人に女の子として見てもらえたような心地がして嬉しくて心が擽ったくて。その時の気持ちが沸々と蘇り、少女はほんのりと頬を染めた。
そういえばお風呂上がりにウツシは耳をきゅっと包むように拭いてくれていてことを、少女は思い出した。
自分もそれに倣いウツシの耳元の髪をそっと退けた矢先、ついに目にしてしまった。
ウツシの耳がぽやぽやと、ほんのり赤くなっているのだ。
(かわいい〜〜〜!!!)
少女はハッとして、ウツシにバレぬように心の中でそれはそれは大きな声で叫んだ。ふくふくとした頬をさらに桃色に染め、黒い瞳をキラキラとさせる。心が昂ぶっていつもなら地団駄踏んでしまいそうになるのだけれど、それさえも必至で我慢した。
かわいい、ウツシ兄ちゃんが照れてる、かわいい…!
ウツシがよく自分やフクズクにたいして「可愛すぎて胸がきゅんきゅん!」と、想いの丈を口に出してしまう気持ちが今なら分かる。
それと同時に幼い心にむくむくと湧き出たのは、少しだけちょっかいをかけたいという悪戯心。
いつだったかゼンチ先生が、耳はどんな生き物にとっても敏感な部分だと言っていた。ゼンチ先生のふわふわの耳をちょっと触った時も、ピロロッとその耳を震わせてジト目でこちらを見つめて、なんとも言えない表情で昼寝を決め込んでいたのを覚えている。
教官はどんな顔をするのだろうか。笑うかな、怒るかな、それもといつもどおりかな。