A white medium 1412 博物館に怪盗キッドが現れてから一週間が経った頃。すっかり日常を取り戻した米花町だが、とある喫茶店にいる二人の探偵だけは未だに彼の話題を口にしていた。
小学校から帰ってきた江戸川コナンは、数日振りに訪れた喫茶ポアロで推理小説を読んでいた。
「ねえ、コナンくん」
静まり返った店内に良く通る声が響く。今日は雨が降っていて客足が少ない上、まだ夕方のピークには早いからかコナンの他に客はいない。ページを捲る手を止め顔を上げると、カウンターの中でこちらを見つめる金髪の青年と目が合った。
「なぁに?」
と特に身構えることもなくいつもの調子で尋ねれば、声の主もカウンターに頬杖をついて世間話でもするように先を続ける。
「この間ふと思ったんだけど、キッドってどことなく君と似てるよね」
ぶふぉっ。思いもよらぬ言葉に飲み込もうとしたアイスコーヒーを吹き出してしまう。いきなりなんてことを言い出すんだ、この人は。自分の本来の姿とキッドの素顔が瓜二つであることを嫌と言うほど思い知らされている少年は、内心ドキリとしつつ平静を装う。
「きゅ、急にどうしたの? だいたい安室さん、キッドの顔を見たの?」
老若男女どんな人物にも化け、声色、喋り方に至るまで変幻自在に操る謎多き人物、怪盗キッド。いくら安室と言えどその素顔までは知らない筈だ。
「いや、モノクルとシルクハットの所為でよく見えなかったよ」
「え、じゃあ一体どういう……?」
いつの間にかカウンターに零れたコーヒーを拭き終わった安室は、まさにきょとん、としか言いようのない顔をするコナンに意味ありげな微笑みを向ける。
「僕が似てるって言ったのは見た目じゃなくて、——攻め方って言うのかな。ああやって大勢の大人相手に堂々と挑んで鮮やかに出し抜く様が、なんだか君とダブって見えたんだ」
意外なことを告白する安室に、——そう言えば必死でこの人を欺こうとしたことも何度かあったな、と出会ってから暫くの攻防を思い返す。
あの気障な怪盗と似ていると言われるのは少々癪だが、自分より遥かに多くの修羅場を掻い潜って来たであろう男からのその言葉は存外嬉しいものだ。けれどもそれを素直に教えてやる気にはなれず、普段通り心の中に仕舞い込む。
「そんなこと思ってたの? まさか安室さんがキッドを褒めるなんて……。あんなに対抗心剥き出しにしてたのに」
「……勿論、君のことも褒めてるんだよ? そうだ、もしかして君、阿笠さんや工藤くんのようにキッドとも親戚だったりして」
感情を悟られぬように嘯けば、答えが返ってくるまでに少し間が空いたような。それにほんの一瞬、安室の目が僅かに見開いた気がする。
だがそんな気付きは後半の冗談によって頭の隅に追いやられてしまった。
「ははは、そんな訳ないでしょ。キッドだよ? 流石にそれはないって……」
とは言うものの、あれだけ顔が似ているのだ。もしかしたら本当に遠い親戚ということだってあるかもしれないのが怖いところである。勿論こんなことを思ったところで口に出せるわけもなく、コナンは残っていたコーヒーを飲み干す。
「安室さんってたまに変なこと言い出すよね?」
「そうかい? 感じたことをそのまま言ってるだけなんだけれど」
「じゃあ感性が変なのかもね」
「ふふっ、なんだいそれ。手厳しいなぁ」
そうして話しているうちに上階で物音がし始めた。
「あ、蘭ねーちゃん帰って来たみたいだし僕そろそろ帰るね!」
「うん、またね、コナンくん」
高めの椅子を飛び降り、ちら、と見遣ったその顔には、いつも通りの柔和な笑みが湛えられていた。
閉店時間を過ぎたポアロは静まり返っている。一人店内に残る男は片付けを終え、数刻前までコナンが座っていた辺りを見つめて長い溜息を吐き出した。
——あんなに対抗心を剥き出しにしていたのに。
そう、元来負けず嫌いなこの男は先日挑発してきた怪盗の態度が面白くなく、絶対に捕まえてやると息巻いていたのだ。それが何故、褒めるという態度に変わったのか。安室としては別段褒めたつもりなどなかったが、そう言われてしまえば自分から出た台詞は確かに褒めていると言って差し支えのないものであった。コナンに疑問を呈されなければ気づかないほどごく自然に、キッドに対して親近感を覚えていたのである。相手は泥棒で、逮捕されるべき人物だというのに。
一体どうして……、と考え込んでいる内に、先程発した言葉の一部が引っ掛かる。
——君とダブって見えたんだ。
まさか。
「キッドに彼の姿を重ねてしまったから……、なのか?」
それだけであれ程の敵意が親近感へと変化してしまうものだろうか。もしそうだとするならば自分は相当あの少年に心を開いていることになる。——以前自ら恐ろしいと語った、他ならぬ彼に。
潜入用に与えられた仮の人格を突き抜けて、本来の僕までもこんなに影響されてしまうなんて。まあ、彼には安室透以外の自分も見せているし正体だって突き止められている。だからと言って油断したつもりはないが、彼に対しては無意識に、安室透としてだけでなく僕としても接していたということなのか……。
「……全く、これでよく潜入捜査が務まるものだな」
——部下のことを叱咤出来たものではない、と困惑のあまり独りごちた男は、その口の端が僅かに緩んでいることには未だ気づいていない。