For you -white-　——カランカラン。
　開店準備に伴う作業を一通り終え、店の周りを掃除するために箒とちりとりを持って外に出る。ここ、喫茶ポアロのシフトが朝から入っている日のルーティンだ。ひと月前と比べるとだいぶ高い位置から射し込む光に、どこか清々しさを覚えながら店の前を掃いていく。厳しかった寒さもだいぶ緩み、自然と顔が綻ぶ。
　そんな誰もが待ち侘びたであろう春の陽気に束の間の平穏を感じていると、頭上から「いってきまーす！」と幼い声が降ってくる。程なくして元気な足音とともに声の主がランドセルを背負って下りてきた。
「おはよう、コナンくん」
「おはよう、安室さん。久しぶりだね、今日は朝から？」
「そうなんだ、マスターに今日はどうしても出てくれないかって頼まれちゃって……」
　珍しく立ち止まって会話をしてくれる彼に、そういえばいつもより少し早いかとすぐに合点がいく。二言三言交わしたところで「時間、まだ大丈夫かい？」と問えば「あっ、そろそろ行かなきゃ」と慌てる素振りはどこからどう見ても小学一年生のものである。普段大人びた言動を多く見せられている所為か、そういえばまだ七歳なんだよなぁ、と奇妙な感心をしてしまう。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
　そんなことを考えながら見送りの言葉を掛けると——忘れるとこだった、と呟いた彼が何故か再びこちらに向き直ってきた。
「はい、これ安室さんにあげる」
　そう言って差し出された白い紙袋を反射的に受け取ると、傷が早く綺麗に治ると謳う絆創膏のロゴがチラッと見えた。
「コナンくん、これは……？」
「お返し。こないだチョコくれたでしょ？ それだったらいくらあっても困らないかと思って。じゃあ、僕行くねっ！」
　予想外の出来事に呆然とする僕をよそに、いつも探偵団の子供たちといるときのような笑顔でそれだけ言った彼は、学校へと勢いよく駆け出して行ってしまった。
　まさか貰えるとは思っていなかった。改めて袋の中身を確認すると、先ほど見えた高機能な絆創膏の徳用パックと包帯が入っていた。なるほど彼らしい。職業柄何かと怪我をすることが多い僕にはうってつけの「お返し」というわけだ。

　一ヶ月前、集客も兼ね日頃の感謝としてバレンタインデーにチョコを配ると聞いたとき、ふとコナンくんの顔が浮かんだ。ポアロの常連であることは勿論、僕が命懸けで護るこの国で、尋常でないほど多くの事件の解決や未然防止に貢献している彼には正直いくら感謝してもしきれない。しかもそれらの中には——警察官としてあまり認めたくはないが——彼がいなければ多数の死者が出る大惨事になりかねなかったものも少なくないのだから尚更だ。加えて、警察内でも特殊な立場に身を置く僕はなかなか表立って動くことができない。このためどうしてもやるせなさや焦れったさを感じることが時折あるのだが、彼の数々の活躍を目にし、耳にするようになってからどこか救われるような心持ちになっていることは自覚していた。
　だから思ったのだ、コナンくんにもチョコを渡そうと。そしてせっかく渡すなら、彼に美味しく食べてもらえるものがいいと。

　あくまで一方的な、言葉にもしていない感謝の気持ちだ。お返しなんて期待していなかった。しかも彼が遠慮しないように、店の余りと言って渡してしまったのだ。多少の文句は言われるかもしれないと思っていたが、こうしてちゃんと用意してくれるなんて。
　——全く、敵わないな。これじゃどちらが年上か分からないじゃないか……。
　深く息を吐き出すと、再びカランとドアベルを鳴らして安室は店内へと戻っていった。

　後日、若い女性客を中心にホワイトデー当日の安室がいつにも増して神対応だったとSNS上で話題になったのは言うまでもない。