虹を待っている 第1章 (2/3) 居酒屋「かがやき」の玄関に足を踏み入れた日向は、歩いている間息を止めていたかのようにほっとしたようにため息をついた。慣れ親しんだ照明と話し声は心地よくて、上着を脱ぎながらカウンターの席に向かった。
店主兼コックが顔を上げると、日向に気づいてにっこり笑った。
「こんばんは、日向くん!」
日向は頷きながらカウンターに腰を下ろした。
「やあ、花村。寒くなってきたな」
花村はカウンターに寄りかかり魅惑的な笑みを浮かべた。
「ふーん、そうだねぇ。今夜はぼくが温めてあげようか?」
「そうだな。じゃあ、温かい鮭茶漬けで」
クールな即答に花村はにやりと笑った日向をぼんやりと見つめる。
「なんだ?」
コックはため息をつき、首を横に振った。
「昔は反応もあんなに可愛かったのに…」
「そりゃ俺は2年もここにいるんだ。もうお前のやり方は知ってるはずだろう?」
花村は首を首を振り続けながらビールをグラスに注ぎ、日向の前に置いた。
「いつものやつをどうぞ。茶漬けを作るからちょっと待ってくれ」
日向は背の低い男に感謝の笑みを見せると、グラスを口に運んだ。食事を待っている間、日向は他の客に目を配り、声をかけてくる人に手を振っていた。常連客ばかりで、当然のことだった。かがやきは地元の勤労者に人気あり、20代の若者が夜な夜な通う店だが、町外からの客はあまりいないのだ。
ごく普通の夜だ、と思いながら日向は黙ってビールを飲んだ。ああ、なかなかいい暮らしだ。完璧ではないが、平和で予想通りの生活でよかったのだ。
「鮭茶漬け出来上がり!」
と花村が日向の前に茶碗を置くと、正面のドアがガラッと開いた。
日向と花村の顔が玄関に向かうと、初対面の青年がいた。それだけでも不思議なのだが、彼がカウンターに近づくにつれ、日向はその異様さに気づかざるを得なくなった。背が低い。花村ほどではないが、日向より頭一つ分ほど低い。しかし、シャープな細線のスーツに金髪の坊主で、そして童顔にかかわらず不機嫌そうな表情が、実に圧倒的に見えた。
青年は日向の2つ隣の席にうつむいた。顔を合わせた日向と花村は、見知らぬ男が入ってきたから一言も発しなかったが、この展開に少し気分を害していることは明らかだった。
日向は花村に向け、金髪の男に首をかしげた。ようやく伝わった花村は沈黙を破り、男に向かった。
「やあ、いらっしゃいませ!何にしましょうか?」
「焼酎。ストレートで」
と、ネクタイを緩めながら、男は明らかに何かに苛立っている様子で不機嫌に言った。
「どんどん注いで」
「はあ…」
花村は一瞬、日向に目をやったが、また一元客に戻した。
「身分証明書をお持ちですか?」
日向はかろうじてうめき声を抑えたが、同時に青年がうなり声を上げてカウンターに手をついた。怒りに燃える目でコックに近づいた。
「ガキ扱いする気か!?」
彼が叫ぶと、花村は身を縮こまらせた。
「見下ろすんだねーよ、あぁ!?」
「おい、ちょっと待てよ」と日向は切り出し、状況を和らげようとした。
「あいつはいつも初対面の人にそう聞くんだ。あの弐大にも」
日向は、食堂の低いテーブルに座っている体格のいい高校の体育の先生を指差した。いつものように小学校の体育の先生と一緒に飲んでいる。
「珍しいかもしれないが、花村は被害妄想が強いんだ。そうならないようにと言い続けているんだけどね」
この言葉に日向は花村に鋭く睨んだ。何度も何度も、非番の警察官がいても、そんなに気張る必要ないと言ってきた。
金髪の男は口を引き結び、明らかにまだ苛立っていた。それなのに、席に座り直し、不機嫌そうに住基カードを取り出してカウンターに叩きつけた。
日向はそのカードを一瞥しただけで、花村は手に取って確認した。その間、日向が分かったことは二つだけ。名字が「九」から始まっていることと、市章が確か内陸部の町のものであろうこと。やっぱり地元の人間ではなかった。なぜかがやきに来たのだろう?
「はい、いいですよ」
と花村は言って、住基カードを持ち主に返した。酒を注いでいる間に、青年はカードを戻してしまい、フッと息をついた。
日向はぼんやりと茶漬けを食べながら、見知らぬ男を横目で見ていた。花村が接客したのなら酒を飲める年齢なのだろうが、グラスに注がれた酒を飲み干し、おかわりを要求してくるので、日向は本当に焼酎のストレートに耐性があるかと疑問に思った。かなり小柄で、しかも何も食べてないのだ。
案の定、アルコールはすぐに効いてきて、男はカウンターに頭を寝かせているにもかかわらず、まだ飲み物を追加注文していた。
「あの…」
日向は空になった茶碗を退けながら、たまらいながら口を開いた。
「本当にまだ飲んでいいのか?顔色も悪いし…」
「うっせーなぁ」
見知らぬ男の言葉はカウンターの上でくぐもった。
「飲みてーもんを飲めんの」
日向は花村をちらりと見たが、花村は力なく肩をすくめただけだった。
「せめて何か食べたほうがいいんだろ?おすすめなら焼き鳥とか…」
金髪の男はカウンターに手をつき怒鳴った。
「ほっとけぇなぁ、くっそ!オーナー!もう一杯!」
日向は花村の視線を受け、きっぱりと首を振った。しかし、花村はこういう時、いつも痛々しいほど押しに弱いんだ。焼酎が注がれる度に日向はため息をついた。