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    とらきち

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    とらきち

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    pixivで今は亡き話
    結局一番好きなのでどっかに載せときたくて

    狂犬「エアグルーヴ、その指の傷はどうしたんだ?」

     夕日の差し込む生徒会室。本日最後の業務を片付けていたところ、会長からの言葉で、資料に落としていた顔を上げた。自らの左手の2本の指には、昨日までなかった絆創膏が巻かれている。意識の外にあったそれを一瞥して、咄嗟に返答を、いや……言い訳を考える。

    「ああ、これは……犬に噛まれたのです」

     なるべく迷う素振りを見せない様に、淡々と伝えた。それがどれほど会長相手に通用するのか、自信はないまま。

    「そういえば、子犬を預かっているのだったか。君の話では、賢く覚えもいい、とのことだったが……噛まれることもあるのだな」

     会長は耳を一瞬動かした後、納得したように頷く。その反応に思わず安堵の息が漏れた。
     本当は彼女――ドーベルとの行為の際、興味本位で指を噛ませたら想定以上に深い傷になってしまったのだが。勿論そんな事を言えるわけもなく。

    「……少々機嫌が良くなかったのでしょう。普段は大人しい良い子ですよ」
    「そうか。なら今度、私も様子を見に行っても良いか?」
    「ええ、もちろんです」

     しかし、先日河川敷で拾った賢い子犬に罪を被せるのも心が痛んで、少しばかりフォローの言葉を添えた。
     子犬の存在を思い出して、その名前といい、ドーベルも可愛い犬のようだと、下らないことを考える。いや、可愛いとは言い難いな。言うなれば狂犬、か?……ああ、あの噛みつき癖からして、その表現はぴったりかもしれない。などと思案していたところを、凛とした声で引き戻された。

    「エアグルーヴ、どうかしたか?」
    「……いえ、何でもありません」

     少し怪訝な視線に応えるように、微笑む。

    「しかし……私が噛まれる分には構いませんが、他の娘を噛まないよう、きちんと躾けておかなければですね」

     手元の資料に視線を戻して、独り言を呟いた。……もちろん、愛しい狂犬のことを頭に浮かべながら。だが、これが杞憂だということは自分が一番理解していた。彼女が私以外に噛み付くなど、有り得ない。
     制服の上から胸の辺りに触れる。そこにあるのは、まだ治りきっていない傷。穏やかな空気に似つかわしくないその痛みは、私の頬を緩ませた。

     この仕事を終えれば、また彼女に会える。



    「なあドーベル、今日、会長に手の傷のことを聞かれたよ」
    「……!」
    「犬に噛まれたのだと誤魔化したが……間違ってはいないだろう?」

     傷を隠す絆創膏が巻かれた私の指をちらりと見ると、ドーベルはばつが悪そうに目を逸らす。気にする必要はないと、その頬を優しく撫で、こちらを向かせた。

    「……躾のできていない犬だと、呆れられましたか?」
    「いや、驚いていたよ。大人しい良い子だと思われていたようだ」
    「……それで、いいです。先輩だけが知ってれば」

     そう言って彼女は私の手を取ると、絆創膏の上からキスをする。口角は満足気に持ち上がり、深い夜を映したような紫の瞳は、うっとりした様子で指先を見つめていた。

     2人にとって、この傷は不和の原因などにはなりえない。

    「先輩、今日も綺麗です」
    「ありがとう。……ドーベルも」

     むしろ愛を示すものだ。自信のない彼女の独占欲を満たし、臆病な私が愛されていると自覚するための。



    「先輩の彼女でいられる、自信がないんです」

     数週間前、そう突然告げられた。直接の言葉はなくとも、実質的な別れ話だとすぐに分かった。
     恋人同士になって、何かが劇的に変わったわけではない。だが、デートや、キス、特別なこともして。関係は良好だと思っていた。しかし、それは彼女が必死に本心を隠した上に築かれていたのだと、ようやく気が付いた。

    「先輩はいつだって輝いていて、たくさんの人に信頼されている。アタシより素敵な人もいっぱいいるから……先輩がいつか、離れて他の人のところに行っちゃうんじゃないかって、怖いんです。むしろ、アタシなんかといても、先輩は――」

     真っ白になった頭では、その言葉の全てを理解できているとはとても言えなかった。けれど、何か勘違いをしている、それだけは分かって。

    「そんなことは……っ!」

     思わず、語気を荒げてしまう。ドーベルはただ、首を横に振った。

    「先輩がそう思ってないのは知ってます。アタシのせいなんです。アタシが嫌なふうに考えて……これ以上迷惑かけるわけにはいきません、だから……っ!」
    「だから、別れようと?」
    「……はい」
    「そんなに泣きそうな顔をしているのにか?」

     そう私が口にした時には、すでにその瞳は涙を湛えられておらず、頬にいくつもの筋が伝っていた。

    「でも……!」
    「私は、お前のことが好きだ。……お前は、そうではないのか?」

     絞り出した声が、自分でも驚くほどに震える。この想いが、私だけのものだったのかもしれないと。彼女に否定されてしまうのが、怖くて。

    「そんなわけ……っ!ない、です」

     叫びにも似たその言葉は、疑いなく本心だと分かった。

    「大好きです、先輩のこと。自分でも、おかしいと思っちゃうくらい、好きなんです……でも……」
    「どうすれば、お前を不安にさせないでいられる?」

     涙を拭うその手を、赤く跡が残るほど強く握る。こんな形で終わりたくなくて。ただ、必死だった。

    「何を言っても、嫌いになりませんか?」

     それは、やけに低く落ち着いた声。自分の意識も追い付かぬうちに、私は頷いていた。

    「先輩に傷を、つけたいんです。アタシ以外のところに行かないように、誰が見てもアタシの物だってわかるような。……いえ、他の誰にも、見せられない傷を」

     潤んだ瞳に、獣のような黒い欲望を見て。何故だか目が離せない。耳には煩いほどに心音が響く。

    「すみません。やっぱり、おかしいですよね、こんなの。好きなひとに、痛い思いなんて――」
    「いや、つけてくれ。ドーベルの好きなだけ」

     

     それから、彼女は私に傷をつけるようになった。

     2人だけで過ごす時間は決して多くない。だからこそ爪を立て、噛みつき、自分のものだと示すように痕を残す。……こんな事しなくても、私は離れたりしないのに。
     けれど、これでいい。やめさせる気など毛頭ない。私だけが、彼女の獣のような一面を知っている。彼女の私への想いが、全て私自身に刻まれている。それがこんなにも愛おしいなんて知らなかった。



    「痛いですか?」

     私の胸の傷を触りながら、ドーベルが上目を遣う。数日前、彼女がつけたものだ。強く歯を突き立てられて出来たそれは、歯型を写して弧を描いている。

    「ああ。でも、お前がつけたものなら愛おしいよ」

     その髪と耳を優しく撫でると、花に似たシャンプーの香りが立った。

    「先輩、どこにも行かないでください」
    「行かないよ。お前のものだ。私の心も、体も」

     子犬のように縋る彼女のキスに応えて。細い肩を抱きながら、私もこの愛しい存在が離れていくのを恐れているのかもしれないと、思った。別れを切り出されたあの日の、息が詰まる感覚。今でも、思い出すと涙が溢れそうなほど苦しくなる。
     ……ああ、それなら。彼女を私から離さないようにする、簡単な方法があるじゃないか。

    「ドーベル。私もお前に、傷をつけていいか?」
    「……!もちろんです。先輩の、欲しいです」

     一瞬の躊躇いもなく、その瞳が輝く。僅かに顔を覗かせた狂気に、ドクンと、心臓が高鳴った。

    「どこがいい?」
    「……先輩につけたのと同じところに、ください」

     そう言って、彼女はキャミソールの襟を下げる。曝け出された恐ろしいほど綺麗な肌に、思わず見惚れてしまった。不思議そうに見上げる視線に気付いて顔を埋め、自身の傷をなぞりながら、同じ場所に歯を立てる。

    「……んっ」
    「すまない、痛かったか?」
    「……いえ、嬉しいです。先輩の……」

     白い肌に痛々しく刻まれた、血の滲む歯型。それは紛れもなく、彼女が誰かの――私のものであることを表していた。可愛らしい見た目に、大人しい印象を持つ少女の内側に、こんなにも生々しい傷があることを誰が予想できるだろうか。……確かに、この征服感は悪くない。
     綺麗な彼女に傷をつけてしまったことに、心が痛むのに。それ以上に、もっと欲しい。私のものであるという証が。
     何も言わずに首筋に舌を這わせる。当たった歯の感覚に気付いたのか、彼女が身をすくめた。

    「せんぱい、そこ……見えちゃいます……」
    「……駄目か?」

     形ばかりの抵抗を、甘い声色で溶かす。私がこう聞けば、断るわけが無いのは分かっていた。だって、繋いでいる手は欲しがるように強く、強く握られている。

    「ん……いいですよ」

     その声に合わせて、細い喉が震えた。言い終わるのも待たずに首筋に噛み付くと、同時に背中に鈍い痛みが走る。強く抱きしめられた体、彼女が背中に爪を立てているのだろう。
     
     ――狂犬病を発症した犬は、凶暴になり、頻繁に物に噛み付くようになる。

     そういえば、あれは犬に噛まれると感染するのだったな。死の病と、こんな堕落的な行為を同じように例えるのはいささか愚かだが。

    「ドーベル……好きだ」
    「アタシも、大好きです」

     こんな風に、互いに愛の言葉を囁きながら傷つけて。傍から見れば“狂”っていると言われるのも無理はないなどと、考えてしまう。
     何にせよ、治療法が無いのは同じことか。もう元のように戻れなくとも、構わない。死ぬまで彼女と共にいられるなら。
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