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    桜道明寺

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    桜道明寺

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    老君の日に寄せて

    ネバーランド それでは行って参ります、と従者が軽く頭を下げた。
     私は軽く手を上げてそれを見送る。
    「気をつけて行っておいで。皆によろしく」
     はい、と応えたすぐ後には、従者の姿は消えていた。妖精会館の本部の会合に、私の代理として出席するためだ。随従の獣も連れていったので、普段、ただでさえ静かな室内は、完全なる無音に包まれる。私は、その時間が嫌いではなかった。私以外の気配はなく、其処に留まっている限り、こそとも音がしない、その凪のような空間に身を置くことが、時の流れに取り残された不変の只中にいるようで、心地よかった。何も普段の彼が騒々しいというわけではない。それでも誰かが生きて動いている限り、物音は立つ。私は気まぐれなので、そのささやかな生活音も嫌いではないけれど、というより、それによって心穏やかになることもあるけれど、それでも時折、こうして現実から切り離されたような無音に全身で浸りたいときもある。いまはちょうど、そのような気分だった。

     長い間揺蕩うようにぼんやりしていて、ふと我に返り、目線だけで自分の身体を検める。短く丸い、子どもの指。小さな薄い爪。ぶかぶかの着物の裾から覗く足裏は扁平で、土踏まずが浅く柔らかい。我ながら、もうすっかり見慣れた姿だけれど、本来、こんな幼い子どもなら、こんな風に黙って坐っていることもあるまいと思う。その歪さに、つい苦笑する。結局のところ、私はどこまで行っても老成した妖精で、戯れに見た目相応の振る舞いをしたとして、心までが無邪気な子どもに戻れるわけではない。それでもあえてそう振る舞うのは、無聊を慰めたいのか、演じることでひととき、沈み込もうとしている思考を乖離させているのか、自分でも判然とはしないが、それが無意識による自己防衛のひとつであることは、何となく気づいている。振り回される従者には気の毒なことだとは思うけれども、仕方がない。つくづく、よく付き合ってくれるものだと思う。ここに来た当初は、多少戸惑っていた感はあったが、今では慣れたもので、私の我儘を右から左に気持ちよく捌いていく。たまに、従者としてそれはどうなんだ、と思うこともないではないが、面白いので、特に気にしてはいない。彼なら、私の見目が子どもだろうと大人だろうと、特に態度を変えることはないだろうと思う。それは、本質を受け止められているようで、妙に嬉しかったりもするのだけれど、全ては私の気のせいかもしれない。何にせよ、かつて本来の姿で相対したとき、彼はまだ子どもだったので、彼自身に問いたださない限り、その辺りのことは確かめようもない。
     そう考えると彼も私も、そして私の周囲も、随分と変わったものだ。
     四百年という時間の重み。人通りの絶えた街は寂れ、手が入ることのない建物は、ただ朽ちるがままに任せている。星夜湖はその名の通り夜に沈み、かつては賑々しく行き交っていた航跡も、今は水面に筋すら残らない。静かに横たわる不変、切り離された時間。それは私が望んでそうしたものではあるが、底に一抹の苦衷をひそませている。まるで湖底に沈む泥のように、それは絶えず其処にある。私はそれをかき混ぜぬよう、静かに上澄みの部分に浮かぶ。藍渓鎮を閉じてから、ずっと、そうして過ごしてきた。見ないふりをすれば、いいというものではないが、それでも痛みに鈍感になることには、ずいぶん慣れた。きっと、ひとりで過ごしていたら、永遠に乾くことのない生傷と、ひたすら向き合っていただろう年月、忠義をもって寄り添ってくれた従者には、ただ感謝しかない。今更ありがとうでもないし、もし私がそう言ったとしても、「なんです気持ちの悪い」と微かに眉を顰め一蹴されてしまうだろうけれど。
     ふふ、と吐息にも似た声が出る。従者のことを思うと、何故か心の底から温かい笑みが湧いてくる。
     十年後も二十年後も、見目の変わらぬふたり。私たちを置き去りに、流れゆく時。それは今に始まったことではないけれど。
     西洋の御伽噺には、永遠の国があるという。
     こんな風に、ひとりで過ごす夜には、その物語に思いを馳せる。
     長の年月、私と彼とふたりきり。それでも、それほど寂しさを感じないのは、いまの私にとって、何よりも幸いだと思う。
     建物の外で、こそりと帰還の音がした。
     私は、近づく足音に耳を澄ます。

     ——さあ、聞かせておくれ。お前の口から、時の流れる国に住まう者たちの話を。
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