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    桜道明寺

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    桜道明寺

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    居酒屋でサシ飲みをする洛竹と无限

    #羅小黒戦記
    TheLegendofHei

     午後八時の居酒屋の店内は、満員の人いきれと、それが醸し出す喧噪に満ちていた。
     古い格子の天井から幾つも吊り下げられた裸電球が、その下にある料理や人々の笑顔を暖色に照らし出す。縦横に並べられたステンレスのテーブルに人々が集い、その間を回遊魚のように料理や空の皿を抱えた店員が行き来する。その賑やかな店内において、ひとつだけ、しんと静謐を保った空間があった。四人掛けのテーブルで斜向いに座り、料理がまだなら飲み物もまだ、一人は淡々と前を向いていて、一人は俯いて自分の腿辺りを見ているといった体たらく。相席ではなく、顔見知りの待ち合わせだと言うのに、どうしてこんなことになっているのかを説明するためには、時を少し遡らなければならない。とはいえ、ほんの数分前のこと、俯いている男——洛竹——のスマホに、一件のコメントが入ったのだ。
    『ゴメン、急なお客さんで少し遅れる。先に始めてて!』
     絵文字も取り混ぜて、必死に謝っている送信元の名前は紫羅蘭。本来、この時間に居合わせるはずだった三人目の人物だ。
     それを受け、思わず頬をひくつかせた洛竹の顔を見て、「どうした?」と対面の男——无限——が訊く。
    「いや、あの、紫羅蘭が遅れるって。先、始めててくれって」
    「そうか」
     頷いて、そのまま黙り込む。対面とはいえ斜向いであるから、无限が真っ直ぐ前を見ている限り直接目が合うことはないが、それでも若干気詰まりで、洛竹は思わず下を向く。
     ——そもそも、苦手なんだよなあ。こういうの。
     内心で冷や汗をかきながら思う。賑やかな場所が、という意味ではない。無口な奴と差し向かいというシチュエーションのことだ。洛竹自身は本来陽気な性格で、誰とでもわりかしすぐに打ち解けられるけれど、无限のように物静かな相手だと、会話の糸口が掴めずに困ってしまう。洛竹の周りにも無口な奴は居たけれど、そもそも兄弟同然に育ったため、互いの間に会話がなくとも余計な気を使う必要はなかった。だが无限は他人だ。しかも浅からぬ因縁がある。一時は恨んだこともあるけれど、今では精算——とまではいかないが、日常の挨拶程度なら会話を交わせるようにはなっていた。逆に言えば、まだその程度ということだ。なのに、今。その相手と差し向かいで、一体何を話せというのか。
     誘われた時は、特に気にしていなかった。酒の席に无限が来るというのは正直驚いたけれど、紫羅蘭がいるし、自分は話を聞く側に回ればいいと思っていた。なのに、真逆こんなことになるとは。洛竹は祈るような思いで、右手に握りしめたスマホの画面を見つめた。紫羅蘭、早く来てくれ。だが五分経っても十分経っても、スマホの画面は黒く沈黙したまま、うんともすんとも言わない。
     あとどれくらい、この重苦しい沈黙が続くのか——そう思った時、无限が口を開いた。
    「このまま何もしないのも、店員に申し訳がないな。適当に注文しようと思うが、いいか」
     洛竹がちょっと驚いて頷くと、无限はメニューを手に取って開きながら続けて訊いた。
    「好きなものはあるか?」
    「え、特に——何でも」
    「嫌いなものは?」
    「……特に、何も」
    「そうか、わかった」
     そうしてメニューを端から端まで黙読すると、店員を呼びつけ、写真を指差しながらあれこれと注文をし始めた。
     それを洛竹は意外な思いで見つめる。
     淡々としているように見えて、実は无限は无限なりに気を使っていたのだろうか。
     そういえば知ろうともしなかった。自分たちを離島から追い出した張本人で、館の執行人で、バカみたいに強い、小黑の保護者。それ以上の情報を、特にアップデートしようとすら思ったことはないけれど、考えてみれば紫羅蘭を始めとして、无限に懐いている妖精も多い。冷徹なだけの人間なら、ここまで人望が厚かろうはずがない。今では小黑もすっかり懐いている。无限のことを思うと、どうしても過去のあれこれが頭をよぎるから、普段は考えないようにしていたけれど、こうして洛竹が居るのを分かっていて飲み会に顔を出す辺り、无限なりに歩み寄ろうとしてくれているのかも知れない。そう思うと、謎の熱が洛竹の胸に生まれた。
     ——そうだ、俺も前に進むって決めたじゃないか。この街に住むって決めたあの日に。
     いつまでもしがらみを抱いていては前に進めない。現に、自分を捕まえた冬冬とも今ではスマホで連絡を取り合う仲だ。无限とだけ分かり合えないなどというはずはないだろう。——风息のことは、どうしても心に引っ掛かってしまうけれど。
     ——よし。
     腹に力を入れて、ぱっと顔を上げる。
    「あのさ、小——」
    「はいよ、お待ちどお!」
     どんどんどどんと、目の前に皿が積み上がっていく。
    「なっ……!?」
     四人掛けのテーブルいっぱいに広げられ、それでも足りず立体的に載せられた皿の山を見ながら、洛竹が絶句する。
    「ちょっ、これ、量間違ってない!?」
    「いや?」
     慌てる洛竹に対し、无限はどこまでも冷静だ。あまつさえ、何か変か? と言わんばかりの顔をして、箸を手に取る。そして自分の小皿に肘子の小片を幾つか載せると、相変わらず淡々とした様子で食べ始めた。
     洛竹はぽかんとしたが、「食べないのか?」と合間に訊かれて、思い出したように自分の箸を取る。目の前に空芯菜の炒めものがあったから、ひとまずそれを取り分けて、いつの間にか届いていた生ビールを飲んだ。強い炭酸と、さっぱりしたビールの味が、カラカラに乾いた喉を潤していく。喉が潤うと、急に空腹を感じたため、とりあえず洛竹も食事を摂ることにした。空芯菜をしゃくしゃくと噛み、白切鶏に唐辛子のペーストを塗りつけ、粽子の皮を剥く。ある程度食べて人心地ついた頃、
    「美味いな」
     ぽつりと无限が言ったから、
    「美味いな」
     と同じような調子で返した。
     酒の勢いもあって、何だか妙に可笑しかった。真逆あの无限と、こんな風に一対一で食卓を囲む日が来るなんて。
     ——数年前の自分に言っても、絶対に信じなかったろうな。
     思わず、ふふ、と笑いを漏らすと、何だ? とばかりに无限が首を傾げる。
    「あ、いや。——小黑は元気?」
     さっき思い切って言おうとした会話のきっかけすら、さらりと出てくる。
    「ああ。最近は人間の学校にも行って、毎日、覚えたことを話してくれる」
    「学校かあ。学び舎のことだろ。それって楽しいの?」
    「小黑は毎日がとても楽しいみたいだ。友達も沢山出来たと」
    「そうか……」
     あの、ひとりぼっちで、襤褸を着て、他人と触れ合うことすら慣れていなかった子供が、今では大勢の人間に囲まれて、日々を笑って過ごしている。
     置いていかれたような気持ちと、良かったなあ、と喜ぶ気持ちが綯い交ぜになって、思わず、じわっと涙が浮いてくる。
     あ、いけね、と思ったその時、
    「お待たせー!」
     陽気な声と共に紫羅蘭が洛竹の隣に座った。
    「遅れてごめんなさいね无限様、急に大口の注文が入っちゃって。洛竹も……って、どうしたの!? 何で泣いてるの!? 何があったの无限様!?」
    「いや、私は何も」
    「无限様! いくら无限様といっても、うちの大事な従業員に何かしたら許しませんよ!」
     今にも腕まくりをして立ち上がりそうな剣幕の紫羅蘭を慌てて止める。
    「ち、違うんだ。これは俺が、何ていうか、ちょっと感動しちゃって」
    「ええ?」
     怪訝な顔をする紫羅蘭に、とりあえず大丈夫だからと説明して、洛竹はごしごしと目をこする。
    「小黑のことを聞いたんだ。そうしたら、なんだか嬉しくなっちゃって」
     そっか、と紫羅蘭が笑って座り直す。
    「ああ、びっくりした。慌てたら余計にお腹空いちゃった。それにしても随分と頼んだのね。お皿がテーブルから零れ落ちそうよ。二人とも、そんなにお腹が減っていたの?」
    「いや、これは无限が」
    「そんなに多いか?」
    「多いですよ! 相変わらず健啖家ですね。ここだけお祭りみたいになってますよ。あ、香椿魚児がある。私これ好きなんです、嬉しいな。それにしても本当に多いわね! これは頑張って食べなきゃね。すみませーん、私にもビールくださーい」
     紫羅蘭がいつもの調子に戻った途端、テーブルが急に華やかになる。さすがは花の妖精だな、と内心で苦笑しつつ、洛竹は无限と共に、駆け寄ってきた店員に二杯目のビールを頼んだ。
     かちゃかちゃと、食器や箸が触れる音。どこかの席で、どっと起こる笑い声。今日あった、面白おかしいこと。店の中が、渾然一体となって賑やかに空気を震わせる。
     先刻までの静かに沈んだテーブルは、いまや店内のどこを探してもない。
     思いがけず、楽しい夜になりそうだった。
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