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    桜道明寺

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    桜道明寺

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    羅小黒戦記ワンライまとめ・7

    【七刀】【傘】

     ばたばたばたばた、と頭上で油紙が鳴っている。
     夏の雨は容赦がない。一粒一粒が重みを持って礫のごとく打ち付けてくる。
     肩にかけた傘の柄を傾け、前方から吹き込む雨を凌ぐ。そうしても足元や片袖は水を吸って色濃く重くなっていく。
     ――やっぱりもう少し居れば良かったか。
     出先で、昼を食おうと店に入った。飯を食っている間にどんどん空模様が怪しくなり、遂には雷鳴も伴うような雨が降り出した。雷に恐れを抱くような自分ではないから、構わず店を出ようとしたところ、給仕をしている小娘に呼び止められた。店の傘を使えと言う。見れば入り口横の傘立てに、数本同じ柄の傘が刺さっていた。それを見て得心する。最近は傘に屋号を書いたものを貸し出す店も多いと言う。宣伝になるし、また、返しにきた時にあわよくばまた客になるかもしれないからだ。普段なら断るところだが、使ってみる気になったのは、飯がまあまあ美味かったからだ。それに、好き好んでずぶ濡れになることもあるまい。雲の上まで飛んでしまえば濡れずに済むが、いまは腹ごなしにぶらぶら歩きたい気分だった。まあ、雨が止んだらその辺に棄ててしまえばいい。そんな気まぐれが幾つか重なって、俺はいま他の音をかき消すほどの雨に降り込められながら、人気のない道を歩いていた。
     馬車も通れないような小道は、両側にある林を切り開いた形で延びていて、足元も悪い。ぬかるみに足を取られないよう、自然と下を向いて歩いていたら、前方から、ぷん、と錆臭い臭いが漂ってきた。
     見ると、傘の下から、にょっきりと足が生えている。二本と二本。脛毛が生えてむさ苦しい。草履を履いた足は、僅かにたたらを踏んだようだった。
     少し傘を上げてみる。貧相な衣を着た男たちだった。こんな大雨の中、傘も差さず箕もつけず、何をしているのだろうと思った矢先、その二人の合間の地面に、赤黒い水が蛇行するように流れてきているのが見えた。
     更に傘を上げる。一人は総髪で顔に傷のある中年、もう一人は頭の天辺で髪をひとつに括った髭面の男だった。そしてその向こうに、何かが横たわっていた。赤黒い水は、そこから流れ出ているようだった。
     酷く泥で汚れた、小柄な老婆だった。うつ伏せに倒れた首元から、夥しい血が流れ出ている。
     そして髭面の手に握られたままの財嚢。もう片方の手には、雨に薄まってはいるが、明らかに血の滴る小刀を下げている。
     俺を認めて、男たちの目が剣呑に光る。
     ああ、またか、と思った。
     一体何度、似たような光景を見ただろう。
     これしきで揺らす心は、ほぼない。ただ無味乾燥な思いが湧き上がってくるだけだ。虚しさと諦めと――ほんの一欠片の笑い出しそうな怒り。
    「なんだあ? てめえ」
     傷のある男が懐から短刀を出して凄む。まるで茶番を見ているような白けた気持ちで、俺は傘を持ち直した。
     総髪の男が、両手で短刀を持って突っ込んでくる。身を躱すついでに手刀で得物を叩き落し、体制を崩したところで胸を強く蹴り上げた。背中から、ばっと血飛沫が上がる。男はそのまま地面を転がって、髭面の傍で止まった。瞳からは、既に生気が失せていた。
    「ひっ……!」
     髭面が後ずさり、身を翻して逃げていく。俺は足元に落ちたままの短刀を拾い上げると、片手で無造作に放るようにして投げた。刀は過たず男の項を貫通して、そのまま息の根を止めた。
     相手にもならない。人間は弱い。
     かつての俺も、あっけなく死んだ。
     力ない者は死ぬのだ。その場合、相対的に力ない者から順に死ぬのだ。
     それは、この老婆とて例外ではない。
     死骸は、雨の泥に弾かれて、更に汚れていく。
     俺は、この老婆がどう生きてきたかは知らない。
     けれど、こんな寂しい場所で、こんな風に無惨に死ぬことはなかったはずだ。
     素朴に生きてきたであろう、老婆ですら天寿を全うできない世界。
    「……クソだな」
     吐き捨てるように呟いて、傘を死骸の傍らに置く。
     どうせ棄てるつもりだったのだ。なら何処に棄ててもよかろう。
     顔を上げる。重苦しい曇天が両側に並び立つ木々の合間から見える。
     大粒の雨が痛いほどの勢いで降りかかる。いっそ清々しい気がした。


    【藍渓鎮の村人】【夏至】

     金色の野に風が吹き抜けてゆく。
     清凝は屈んでいた腰を伸ばして、額に浮いた汗を拭った。
    「あー、気持ちいい」
     思わず呟くと、横合いから、あはは、と笑い声が上がった。
    「清凝ちゃんも変わってるねえ。まだ小さいのに、こんな暑い中、畑仕事を喜んでやるだなんて」
     そう言って手渡された竹筒の水を、ありがとう、と受け取って、だっておかみさん、と笑いかける。
    「こんなに沢山の麦、見ているだけで嬉しくなるでしょう? これだけあれば今年も飢えずに済むって」
     飲み口の栓を外して中身を煽る。乾いた喉を滑り落ちる清水が心地良い。
    「はあ、美味しい。さて、もうひと頑張り」
     竹筒を返し、改めて茂った麦に向き直る。夏至のこの日、藍渓鎮の外れでは、一斉に麦刈りが行われる。去年の秋に撒いた麦は、厳しい冬を経て、陽が最も盛んになるこの時期、豊かに穂を実らせる。すっくと凛々しく立ったその麦を一束掴んではざくりと刃を入れる、その音は幾千の黄金が鳴らす音色にも劣らない、と清凝は思う。
     藍渓鎮の住民は、ここで新たに生まれた者を除いて、皆が避難民だ。多かれ少なかれ、誰もが飢えの苦しみを知っている。男手を戦に取られ、残った老人や女子供で貧しい畑を必死に耕したとて、収穫などたかが知れている。その少ない実りでさえ、兵士や野盗に略奪されたりして、住民の口に入るぶんなど、ほんの僅かだった。ほぼ水のような粥を口にしながら、皆ぎりぎりのところで生きてきた。戦に巻き込まれて死ぬか、餓えて死ぬか――藍渓鎮には、そんな経験をしてきた人達が大勢住んでいる。戦乱と貧困という死の顎から逃れ、守護されたこの地で、毎年巡りくる豊かな実りに相対する時、幸福を感じぬ者など誰一人としていないだろう。
     ざくざくと順調に麦を刈っていると、頭の上の方で、人々の声がさざめきのように広がっていくのが聞こえた。顔を上げると、揺れる麦畑の向こうに、清凝の未来の師である老君が立っているのが見えた。
    「師父!」
     笑顔で手を振ると、老君は柔らかに微笑んだ。
    「皆さん、お疲れ様です」
     畑に立つ人々をねぎらって、老君はあらためて風に揺れる麦の穂を見回す。
    「今年もよく実って何よりだ。ここが豊かであるのは、汗水惜しまず働いてくれる皆さんのおかげ。本当にありがとうございます」
    「いやいや、そんな」
    「そうですよ、そもそも老君様がいなけりゃ私ら」
     途端に恐縮する人々を、くすぐったいような思いで眺める。師が人に感謝されたり褒められたりすると、何だか清凝まで嬉しくなってしまう。
     頭の天辺から爪先まで藁屑にまみれた老人が、口元に手を当てて大きく声を張り上げる。
    「今夜は夏至の宴です。老君様も是非いらしてください」
     夏至の宴には、麦の収穫を祝った各種の麺を始め、様々なご馳走が並ぶ。藍渓鎮の人々が楽しみにしている、大切な行事だ。清凝はまだ一回しか出たことはないが、去年は狗哥が丼を山と積み上げているのを見て驚きに目を丸くしたものだ。
    「ああ、ありがとう。そうさせてもらうよ」
     皆がにこにことやり取りをしている。清凝はふと、自分が今とても幸福な気持ちになっていることに気づいた。
     戦乱も飢えもなく、穏やかで平和で、実りがあれば皆で寿ぐ。
     いつか誰もが望んだ世界が、ここにはある。
     老君と言う太陽に照らされた、平和な世界が。
     今日は夏至。一年で一番長く空に陽があると言う。そんな風にできるだけ長く、この幸福な日々が続けばいい、と清凝はまだ幼い心で祈るように思った。


    【黑白无常】【日常】

     私は変化を好まない。
     大河の水が滞り無く流れるように、日々を恙無く過ごせればそれで良いと思っている。
     その辺りは相棒の黑无常とは正反対であると、周囲によく笑われる。
     むしろ似た者同士ではないからこそ上手くいっている、と言う向きがないでもない。
     黑无常——老黑は私と違って変化を好む。とかく面白そうな事象を好む。
     そんな老黑は最近、楽しそうだ。
     少し前、我々の元に新しい仲間が入った。まだ年若い死霊の娘だ。
     その娘が、なかなか見どころがあると言うのだ。名を雅婷と言う。
     死霊として蘇ることのできる者は、そもそも、そう多くない。死してなお魂魄の散らなかった者だけが、我らが主である明王の恩恵にあずかれる。そうして蘇ることができた者は、元より魂の位において、人より秀でている場合が多い。
     雅婷は強い娘だった。身体だけではなく、霊力も含め、成長する可能性を多く秘めていた。
     打てば響くように、日々、着実に力をつけてゆく弟子を見ることは、師にとって喜びだ。明王に任ぜられた命ではあるが、老黑自身、雅婷に関わるのを楽しんでいる節があった。
     もちろん、我々の仕事はそれだけではないから、今日は西、明日は東と、各地を飛び回ることも多い。老黑は喜々と、私は淡々と、明王の定めに従わぬ者を、見つけ次第処罰していく。そうして任務を終えて鄷都に戻ると、待ちかねたように雅婷が駆け寄って来ては、「今日はどこに行ったの?」と屈託なく尋ねる。
    「いいなあ、大哥たちは。私も色んなところに行って色んなものを見たいよ」
     そう朗らかに言ってのけるが、我々の仕事は、基本、命を刈り取ることだ。それは雅婷とて例外ではない。特に雅婷は死霊であるから、己を保持するためには、他者の命を贄としていかなければならない。信賞必罰とは言え、その行為に嫌悪を抱かない者だけが、この鄷都で生きてゆくことを許される。同族にすら眉を顰められる任を負った我々だが、だからこそ仲間内での結束は固い。妖精に家族という概念はないが、仲間がひとところに集って、賑やかに笑いさざめく姿は、時折、私に擬似的なそれを思い起こさせた。この仲間達のためなら、何だってできる。そう、例え、己を犠牲にしてでも——そう強く思えてしまうのは、我ながららしくないと内心で苦笑してしまうが、紛れもない本心だ。
     そして、それはきっと、老黑とて同じであるだろう。そう言う意味では、私達は正反対でありながら、どこか似たもの同士だとも言える。
     人の命を刈り取ったその手で、茶杯を持ち、菓子をつまむ。枠外から見れば歪であるだろうそれが、我らにとっては大河のように過ぎてゆく自然な日常だ。
     卓の向かいでは、老黑と雅婷が冗談を言い合っている。それを見て嵐白と阿言が笑い、私の横では风华が静かに茶を楽しんでいる。
     命を刈られる側から見れば、この団欒も恐ろしい死神の宴席に見えるだろうか。
     だが別に構うものか、と思う。
    「老白、どうした?」
     老黑が笑いかけ、皆が私を見る。頬に瞳に、微笑みを宿しながら。
     胸に温かいものが満ちる。
     私が生きている限り、この地に仲間と在ることを後悔する時は一瞬たりとてないだろう。
     そう。この日常をこそ、私は確かに愛しているのだから。


    【師弟】【夏休み】

     夏休みってどこで買えるの、と訊かれて、幾度かまばたきをした。
    「……すまない、何て?」
     問い返す私に、小黑はちょっと首をかしげると、
    「僕にもよく分かんないんだけど、世の中のこどもはみんな持ってるものみたい。暑くなると、こどもは夏休みを使ってどこかに行ったり遊んだりするんだって、蕾蕾が言ってた」
     蕾蕾とは、私たちが近頃滞在している村の子だ。小黑とは同年代で、会えば二言三言、口をきいたりしている。
    「そうか」
     小黑は学校に行っていない。同じ年頃の子は学齢に達しているのだから、その選択を考えなくもなかったが、かつて話をした時に、当の小黑から固辞された。
    『そんなところ行きたくない。それよりもっと強くなれるよう修行をしていたいよ』
     まあ、本人が望まないものを押し付けるのは私のポリシーに反するし、そもそも寿命からして違うのだ。妖精が無理に人間の規範に合わせる必要もあるまい。生きていく上で、いずれ知識を身に着けさせる必要はあるが、それは本人が望んでからでも遅くはない。それに、何も学校に通わなくとも、知識を与えることはできる。何にせよ、本人が動くまで待とう。私たちには、それだけの時間があるのだから——そう、考えていた。
     だが小黑は小黑で、人間のことがまるで気にならないと言うわけではないらしい。特に同じ年頃のこどもが周りに居なかったせいか、彼らのやることなすことが妙に気になって、時々私のところへ聞きに来たりする。
     そんな中での「夏休み」だ。皆が揃ってにこにこと楽しみにしているそれが一体なんなのか、正体を知りたくて仕方がないといった様子だった。
     思うに良いもの、こどもがとても喜ぶ、素晴らしいものと捉えているようだ。それはある意味間違ってはいないけれど、「夏休み」がどこかで買えるものの類だと勘違いしている幼い無知が可愛くて、私はつい微笑んだ。
    「夏休みは店で買うようなものではないよ。暑い時期、長いあいだ学校を休むものだ」
    「休むって、修行の休憩みたいなあれ?」
    「そうだ」
    「長いあいだってどれくらい?」
    「二ヶ月くらいかな」
    「そんなに!? そんなに休んで何するの!?」
    「人それぞれだ。遊んだり、旅に出たり、中には勉学に励む子もいるだろうが、ほとんどは気ままにのんびり過ごしているだろうね」
    「へえ……」
     分かったような、分からないような、どっちつかずの顔をして、小黑は丸い目をきょとんとさせている。思えば、師弟の契りを結んでからこっち、日々修行と任務に明け暮れて、まとまった休みをこの子に与えたことはなかった。ピンと来ないのも当然だ。
    「お前も欲しいか? 夏休み」
     促すようにして訊くと、うーん、と小黑は口をへの字に曲げて首を捻った。
    「分かんない。いきなりそんなにたくさん休んでもいいって言われても、何したらいいか分かんないし、逆に困っちゃう気がする」
    「なら、やることがあればいいのか?」
    「何するの?」
    「そうだな、まずは海にでも行こうか。釣り竿で魚を釣ったり、泳いだり、スイカを食べて昼寝をしたり。山もいいな。高い山に登って、一晩中夏の星を見るんだ。アイスを食べたり、祭りに行ったり。修行のことは忘れて、思いきり好きなことをすればいい」
    「ほんとに!?」
    「ああ。たまにはいいだろう。急な任務でも入らない限り、しばらく私も暇だしな」
    「えー、嬉しい、どうしよう! いつ行くの? 明日? 明日? それとも明日!? 僕、久しぶりに師父のイカダに乗りたい! バイクにも! ね、いいでしょ!?」
     途端に目を輝かせる。それから堰を切ったように、実はあれをやりたかっただの、どこそこに行きたいだのを捲し立て始めた。その溢れる喜びに、こちらまで当てられたように、くすぐったい気持ちになる。
     この子にとって生まれて初めての「夏休み」が楽しいものになればいい。
     弾けるような笑顔を間近に見ながら、心からそう思った。
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