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    桜道明寺

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    桜道明寺

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    黑雅デート回です

    ことほぎ わあ、と口を開けていたら、埃が入るぞと笑われた。
     おりもおり、目の前を荷馬車が横切って、思わずよろめいた背を片手で抱き止められる。
    「どうだ? 田舎娘」
     逆光を背負う、悪戯っぽいまなざし。
     絢爛豪華な都の入口で、私はまだ、この状況を理解できずにいた。


     話は少し前に遡る。
     幽都を流れる川のほとりで、嵐白と並んで洗濯をしていたら、突然大哥がやってきて「行くぞ」と声をかけられた。
     突然の任務? その割には、いつも隣にいる白哥が居ない。
    「白哥は?」
    「あいつは今日は別口だ。それより、行くのか、行かないのか?」
    「え、行くよ。でもどこに?」
    「行きゃ分かる」
     いつもながらのつっけんどんな物言いに、嵐白と顔を合わせて苦笑する。
    「行ってらっしゃい、あとは私がやるから」
    「うん、ありがとう」
     捲っていた袖を戻し、やや後ろで待っていた大哥の元へ小走りで駆け寄る。
    「いいよ」
    「よし」
     言うが早いか飛び立った背を、同じ速さで追いかける。幽都の門を抜け、山を越え、谷を越え、飛距離が私の普段の縄張りを過ぎた辺りから、おかしいな、と思い始めた。
     大哥たちと任務に望むのは、これが初めてじゃない。でも、こんなに遠くまで来たことあったっけ?
     内心で首を捻る間も、目の前の身体は全く速度を緩めない。結局、そのまま小半時は飛んで、太陽が中天に差し掛かった頃、大哥はようやく下降を始めた。
    「ここって……」
     巨大な城壁が行く手を遮っている。少し離れたところに降り立ったと言うのに、端と端が視界に収まらないほどに広大な建造物は私を圧倒した。中央にある門からは人や馬車がひっきりなしに出入りしていて、その向こうには幅広い大路が真っ直ぐ、どこまでも伸びているのが見えた。
    「燕京だ」
    「ええ」
     驚く私をよそに、大哥はすたすたと門に向かって歩き出す。
    「何してんだ? 行くぞ」
    「う、うん」
     初めて見る都の威容に度肝を抜かれて突っ立っている場合ではない。私は仕事でここに来たんだ。もっとしゃんとしないと。
     両手で軽く頬を叩いて気合を入れ直す。でも大哥に続いて大門をくぐり抜けた時、ぴんと張った心の糸が、驚きにまた緩むのを感じた。
    「うわあ……!」
     金、赤、白、茶、黒。あらゆる色の洪水が目に飛び込んでくる。霞越しの黄色い太陽が辺り一面をくまなく照らし、吹き抜ける風が空いっぱいに並んだ提灯を音もなく揺らす。道往く女の着ているあでやかな衣、緩く巻かれた美しい黒髪。武官風の男が持つ刀の見事な細工。大路には荷車や馬車が行き交い、その合間を縫って幟を下げた行商人が練り歩く。なんと賑々しく、活気に満ちた眺めなのだろう。数刻前には予想もしていなかった光景に、私はぽかんと口を開けていて——それで大哥に笑われたのだ。「埃が入るぞ」と。
     我に返って慌てて口を閉じる。その時、目の前を荷馬車が通ったので、ついよろけてしまった。すぐ横にいた大哥が私の背を抑えて笑いかける。
    「——どうだ? 田舎娘」
    「すごい!」
     からかわれているのは百も承知だけど、それでもこの興奮は抑えきれない。私は、まるで子供に戻ったみたいに、あちこちを駆け回りたい衝動でいっぱいになった。
    「ちょっと遠いけどな、この国一番の都だ。お前、いつか連れてけって言ってたろ」
    「え、覚えててくれたの? あれ、でも仕事は?」
    「仕事? 何言ってんだ?」
     呆れたように言って、また笑う。
    「たまには物見遊山もいいだろ。見識も広がるしな」
     そう言って、横を通り過ぎようとしていた行商人を呼び止め、串飴を一本買い求めた。
    「ほら」
     差し出されたのは可愛らしい飴細工の兎。受け取って、まじまじと見る。夢じゃないことが信じられないくらい、現実感がない。飴を口に含む。甘い。やっぱり夢じゃない。
     じわじわと嬉しさが胸にこみ上げる。わあ、どうしよう、どこから見よう
     きょろきょろと辺りを見回す。露店にある彫金の飾りは姝玥に似合いそうだ。阿言に筆も買ってあげたい。あの店先の蒸籠から上がっている湯気も気になる。ああ、目が足りない!
     胸をときめかせながら、どこから巡ろうと思い悩んでいると、ぱっと空いている方の手を握られた。
    「ここは人が多い。はぐれるなよ」
     そう言って人波に乗って歩き始める。
     少しひんやりとした、大きな手。
     稽古では数知れなく打ち合って、すっかり馴染みの手のはずなのに、強くもなく、弱くもない力で指先を握るそれは、まるで知らない手みたいで、何故だろう、頬がどんどん熱くなっていく。
     くすぐったいような、甘苦いような、不思議な感覚が湧き上がる。
     これは一体何だろう?


     山の端に陽が沈んでいく。
     春分を過ぎたとは言え、夕刻ともなるとまだ外は肌寒い。
     けれど、空気の冷たさに反して、私の心はとても温もっていた。
     腕に抱えた包みが、かさりと幸福な音を立てる。
    「本当にいいのか?」
     隣に並んで歩きながら、大哥が言う。
    「お前、自分のもの、ひとつも買ってないだろう」
    「んー」
     足元に伸びた長い影を見ながら私は答える。
    「いいや。欲しいものは全部買えたし」
    「人のものばっかりだけどな」
    「選ぶのが楽しかったの。これあげたら喜ぶかなと思うと、こっちまで嬉しくなるし。おおむね満足だよ、私は」
    「おおむね、ね」
    「うん。すごく楽しかったから、終わっちゃうのだけが寂しい」
    「そうか」
     そのまま、互いに口をつぐむ。黄昏のように訪れる穏やかな沈黙が心地よかった。
    「……ねえ、大哥」
    「ん?」
     ひとつ息を吸って、言う。
    「今日はありがとう。分かってたんだね、——今日が私の命日だって」
     見つめる先にある影の動きは変わらない。
     ややあって、大哥が「ああ」と答えた。
    「——もしかして、みんな気づいてる?」
     今日会った人たちの顔を思い浮かべながら言う。
     大哥は答えない。
     やっぱり。私は苦笑する。
    「あー、私もまだ修行が足りないな! こんな風にみんなに気を遣わせちゃうなんて!」
     ごめんね、でも大丈夫だから、とおどけて言うと、ぐっと頭を引き寄せられた。
     びっくりして立ち止まる。
    「わっ! なになになになに」
     押し付けられたこめかみが大哥の胸に当たる。服の上からでも分かる胸の厚み。その向こうで脈打つ心臓が、肌越しに微かな鼓動を伝えてきた。
    「……そんなんじゃねえ」
     静かな声。ちょっと苦いものを噛んでしまったかのような。
     私は微笑む。
    「心配かけてごめんね。でも、本当に平気なんだ。いや、正直に言うと、今朝までは全然大丈夫じゃなかったんだけど。この時期になると、嫌でも思い出しちゃうから。でもね、今日は本当に楽しかった。楽しくて、今日がその日だったって、つい忘れちゃうくらいに。すごいよね。今までは忘れよう忘れようと思って、それでも忘れられなくて、毎年吐きそうになるほど苦しかったって言うのに」
     見下ろす包みを、ぎゅっと抱きしめる。
    「ずっと汚いと思ってた。私の身体には、擦っても擦っても絶対に落ちない染みがあって、それが死んだ日に向かってどんどん濃くなっていっているような気がして、毎年、辛かった。記憶と一緒で、消えないの。一度死んで、蘇って、復讐も果たしたって言うのに、その染みは消えずに、ずっと呪いのようにこびりついていて。嫌だった。いっそこの身をまるごと焼いてしまえと思うくらいに。でもね、そんなことをしたって何にもならないから、我慢するしかないんだって、いつしか諦めて——普段は気にしていなくても、年に一度思い出す、この時期だけ頑張って耐えればいいんだって、そう思うことで割り切ろうとしてた。めそめそするのは柄じゃないしね」
     大哥は何も言わない。ただひとつ、大きく息を吸い込んだだけ。
    「——だからね、今日は本当に驚いたんだ。燕京の門を潜った瞬間から、私の心は、そのことをきれいさっぱり忘れてしまってた。毎年苦しくて、みじめで、いっそ消えてしまいたいと願うほど嫌だと思ってた今日を笑って過ごせただなんて、私がどれだけ驚いたか分かる? どれだけ嬉しかったか」
     私の染みは消えた訳じゃない。それは今も変わらずそこにある。
     けれど私は今日、それに囚われない術を見つけた。——それは。
    「それはね、大哥のおかげなんだよ。——それと、みんなの」
     顔を上げる。ぽろと涙が零れたけど、私は構わず笑った。
     記憶は消せない。過去は切り離せない。
     だけど私はもう、傷つけられても寄る辺の無いまま泣くばかりだった娘じゃない。優しい人たちに囲まれて、私の存在はいま、ここに在る。過去に囚われない力を、私はもう、とっくにみんなから貰っていた。
     そして分かった。今日は私が死んだ日だけれど、それは言い換えれば、私が新たに生まれた日でもあるのだと。
     今日は呪いではなく、寿ぐべき日であるのだと。
    「ありがとう、大哥。私——私ね、今日ここに来られて、本当に良かった」
     ずっと苦しかった、この日に笑えている。そのことが、何よりも嬉しい。
     帳を下ろし始めた群青を背に、大哥の目が僅かに見開く。そうして、かつてないほど柔らかく目元を緩ませると、私の耳元に口を寄せ、
    「帰るか」
     と穏やかな声でひとこと、言った。
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