夏にしては涼しい夜のこと。
廊下に出ると軍服姿の男が一人、月を眺めていた。彼は私の存在に気づくと慣れた所作で軍式の敬礼をし、私もそれに対して腰を折った。記憶と寸分違わぬ美しさに喉元がつきりと痛んだが、私は久方ぶりで、と声をかけ、何食わぬ顔をする。
彼の方も固く結ばれた口の端を緩め、暫くの再会を懐かしんでいるようだった。
『こんな夜更けに相すみません。明日──いえ、今日。息子がこちらにお世話になるらしく、ご挨拶をと思いまして」
「──御子息が、ですか」
『ええ。どうも、御令息に修行をつけていただくのだとか』
「空却に?」
『我々は親子共々、縁が深いようですね』
「……ええ」
月明かりに照らされた微笑は、漠然とした希望を抱く青年にも、世を理を知り尽くした老人にも見えた。
この人は老若男女に慕われていたが、今思うと人々の目には、境界線の上を悠々と歩くこの姿が魅力的に映ったのだろう。多くの人がその背中に救われ、差し伸ばされた大きな手に縋り付いた。だが、その顛末が……。
そう思い至ったところで湿った風が首を撫で、袖をバタバタと揺らす。月が翳りゆく様を二人で見上げると彼は上品と愛嬌の中間の佇まいをスッと潜め、威ある風格を漂わせた。
『息子は、私に似ているのですぐに分かると思います。……灼空殿、恐縮ですが、どうか、気にかけてやってください』
深々と頭を下げ、切願する姿に、旧友として感慨深くもあり、一人の親として眼前の未練が手に取るようでもあり、とにかく、息詰まった。
だが功徳を施すのも私の勤め。胸の荒波を抑え静謐に頷く。
「相分かりました。此方のことはお任せください」
『頼みました。──ありがとう』
月が雲を纏うと俄かに影は消え、残ったのは私一人。
朧になった月を見て、古い歌が頭を過った。
巡り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に