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    tojo_game

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    喫茶店パロ「喫茶店アイ・シー・ユーにようこそ」より、ラギー・レオナ×ルークの話のWeb再録です。

    #レオルク
    leorque

    ハムとチーズのホットサンド パソコンのデスクトップがアップロード完了を告げ、その前に座っていた生徒は両手を上げて天を仰いだ。ぐっと噛みしめる様に拳を作り、固まった筋肉をほぐすように脱力する。
    「終わっ……た……! 提出完了……!」
     その言葉を受けて、同じ部屋に集まっていた他の者たちも一気に脱力した。ある者は机に突っ伏し、ある者は天を仰いで両手で顔を覆い、ある者は長椅子に倒れ、深く疲労を滲ませた息を吐き出す。
    「お疲れさまでしたぁ……」
    「まじふざけんなあのハゲ……」
    「やだもう四時半じゃん、大惨事のギャグすら遅いわ」
    「無理おうち帰れないそんな元気ないもうここで寝る」
     まさに死屍累々。ラギーも凝り固まった肩をほぐすように腕をぐるぐる回して「疲れたぁ」と呟いた。いや本当に、超繁忙期かつディナータイムのキッチン・ホール大戦争状態と同等かそれ以上の疲労感だ。
     帰る気力のある者は立ち上がって部屋を出て行き、ない者はその場に倒れて仮眠をとろうとする。早い者は既に寝息を立てており、どれだけ限界だったかというのが伺えた。
     両肩をある程度解したところで、部屋に残っていて起きている(もしくは寝る姿勢に入っていない)のはラギーとその斜め前の席に座って目薬をさし眉間を揉んでいたレオナしかいなかった。他は帰ったのが三人、その場でダウンしたのが四人。
     これが現代社会の闇、デスマーチというやつか。げにまったく恐ろしきことである。
    「四時半かぁ……これで一限寝過ごしても大目に見てくんないっスよね、あの教授」
    「大目に見るはずがねえだろ、あのバカ鈍感が。論文締め切り一ヶ月間違えたのを笑いながら伝えてくるイカレ野郎だぞ」
    「っスよねー……」
     はは、ともはや乾いた笑いしか出ない。のんびりしていて人当たりはいいくせに、学術的な方面においては妥協を許さない自分たちのゼミの教授は情け容赦なく欠席にチェックをつけるだろう。
     しかし、そうなると今から家に帰って寝直したとしても落ち着かない。この部屋で寝てしまうか、もしくは駅前のネカフェで仮眠をとる程度で済ませるか。六時を過ぎれば校舎にも入れるようになるので、それまでは起きていて、鍵が開いたら授業の行われる教室へ行って授業開始まで寝るのが一番確実かもしれない。
     とりあえずコンビニでコーヒーでも買おうか。
     これからの予定の道順を組み立て始めたあたりでレオナが立ち上がり、ラギーはそれを目で追った。持ち物を適当にカバンに仕舞ったレオナは大きな欠伸を一つして、それからラギーに問いかけてくる。
    「お前はどうすんだ、寝るのか?」
    「とりあえず校舎の開錠待って、開いたら教室で寝るつもりっス。レオナさんは家帰るんスか?」
     「確か隣駅でしたよね」と問えば、レオナは上着を着ながら一つ頷いた。レオナの家が大学に近いのはゼミでは周知のことだ。大学近くで飲み会をして終電を逃した時の避難先として。隣駅とは言っても十分徒歩圏内なので、電車が動いていない今の時間でも帰宅は可能だろう。さらに普段ゼミ前に仮眠している様子を見るに、レオナは寝付くのも早いので、恐れるのはアラームをかけずに寝ることぐらいである。
     てっきりさっさと部屋から出て行くものと思ったが、レオナはその場で止まって少し考えるそぶりを見せ、それからラギーに言う。
    「気が変わった」
    「へ?」
    「朝飯食いに行くぞ、ラギー。奢ってやるからテメェも来い」
    「えっ、まじスか! 行きます!」
     奢りとは嬉しい誤算だ。ラギーは顔を輝かせて立ち上がり、自分のカバンに荷物を詰め込んで上着を引っ掴むと、先に部屋を出たレオナの後を追って廊下へ出た。部屋を出ると肌寒く、器用にカバンの持ち手を変えながら上着を着る。レオナも歩きながら温かそうなマフラーを巻き、その下に口元を埋めてまた欠伸をしていた。
    「にしても、こんな時間からやってる店、この辺にありましたっけ?」
    「まぁな」
     駅前のどこかに二十四時間チェーンがあったかな、と考えるが、家が少し遠いラギーはあまりこのあたりの飲食店に詳しくない。逆にレオナはこのあたりが生活圏内なので、出来たばかりの店や分かりづらいところにある店なんかも知っていそうな気がした。
     なんにせよ、あてずっぽうに行動することに人を巻き込むような人でないことは後輩としてよく知っているので、ラギーはレオナに従うことにした。長い尻尾がゆぅらゆぅらと揺れるのを見ながら、自分も一つ欠伸をする。
     外に出ると途端に一層寒い空気が肌を撫で、ラギーはぎゅっと体を縮こませた。まだ太陽も昇っておらず、暗さに沈んだ街に街灯がぽつぽつと輝いている。
     家々の明かりも落とされていて、見慣れた町は声を出すことも憚られるような冷たい空気で満たされていた。

     ラギーは大学に通う二年生である。ゼミ生としては一年目だ。将来就職に役立ちそうで、なおかつ自分に適性のある学部のゼミに入り、それなりに要領よくやってきた。バイトをして貯金をしつつ、いい成績を収めて返済不要の奨学金を貰う。この大学に通っている生徒の中でも特にエネルギッシュに活動している方だろう。
     そんな要領よくやってきた彼、そして彼らがなぜ朝の四時半まで大学の研究室の一つで資料とにらめっこをして論文を作成していたかといえば、ひとえに彼らの所属するゼミの教授のせいである。

    「ごめんね、いまやってもらってる論文だけど、発表する日の日付の方を伝えちゃっててね~」
    「……つまり?」
    「締め切りがちょっと早まるよ、一ヶ月くらい!」

     大ブーイングにもにこにこしたまま、号泣する生徒にも慌ててスケジュール帳をめくりだす生徒にもにこにこしたまま、教授は残酷にも一ヶ月スケジュールを早めることを強制した。提出期限は授業開始と同時の朝九時。
     まさにメンタルの死神である。

     そういうことで、ラギーの所属するゼミの全員は全員でとりかかっていた論文の作成ペースを一ヶ月早めることとなり、この惨状となった。ゼミ生それぞれで作業を分担し、並行して論文のパーツを作ってゼミ長が連結させる形で論文を作成したのでなんとかなったが、これが個人作成の論文だったらと思うとぞっとする。
     というか、個人作成だったら心が折れる生徒の方が多かっただろう。今回はゼミでの合作ということで、一人が抜けた瞬間全てが崩壊することが決定づけられていた。死んでも迷惑をかけるわけにはいかないという執念と連帯感……よりも共通する憎悪でなんとかなったに過ぎない。
     集団というのは使いようによっては荷物にもなるが、今回はいい方向に作用したようで本当に良かった。ラギーは胸をなでおろし、白い息を吐きながらレオナの後をついて歩いた。

     ゼミの先輩であるレオナとラギーは同じ獣人ということもあってゼミの中でも親しい方だ。博識でぶっきらぼうに見えるが面倒見もよく、何かと頼りにさせてもらっている。実家も特殊らしいが裕福だそうで、身につけている物も高価なものが多い。そんな彼が知っている店というのにはラギーも興味があった。
     たとえ二度目は行けないような高級店でも人の奢りなら安心だ。いい経験になるだろうし、そういう店で出てくる料理の味がどれほど違うのかも分かる。肉なら嬉しいが、こんな時間からやっている店だと肉はあまり出さないだろうか?
     まだ夜に沈んでいる街をしばらく歩き、レオナは駅前の栄えている区域を迷いなく抜けてずんずんと歩いていく。このあたりは全然知らないなと思いながら歩いていれば、やがてレオナが「あそこだ」と口を開いた。
     ラギーは前を覗き込み、その店を探すべく右から左へと目を動かす。
     一応視界の中に喫茶店らしき看板が置いてある建物はあるが、扉には「CLOSE」の札がかけられていて、窓もカーテンが閉まっている。開店まで少し待つのだろうかと思っていると、レオナはそこへ歩いていき、躊躇いなくその扉の取っ手を掴んだ。
     ラギーは驚いて声をあげる。
    「れ、レオナさん、レオナさん!」
    「なんだ」
    「まだ開店の札になってねぇっスよ! お店、五時からとかなんじゃ……」
    「店は六時からだ」
    「まだ五時前っスよ?!」
     思わず目を剝くが、レオナは面倒くさいという顔をして、さっさと扉を開けてしまった。何故鍵がかかっていないのか、という疑問と同時に、レオナが店の中に入りながら奥へと声をかける。
    「ルーク!」
     まだ薄暗い店内にその声が響く。呼んだのは人の名前だろうか。本当にいいのかとおそるおそる様子を伺うラギーは、店の奥から聞こえた返事と足音にそちらへ目を向けた。少しして、キッチンらしき方からひょこりと若い男が顔を覗かせる。
    「おや、珍しい。今日はお連れさんもいるのだね」
    「ゼミの後輩。徹夜で論文終わらせたところだ、朝飯食わせてくれ」
     どうやら親しい仲らしい。ラギーは自分に向けられた視線にぺこりと会釈した。開店前に入ってきたことを咎める様子はなく、レオナの無遠慮な言葉にもにこりと笑った男が客席の方を手で示す。
    「ウィ、ウィ。モーニングメニューのものならすぐ出せるよ。寒かったろう、中へどうぞ」
    「悪いな」
     レオナはそう言ってさっさと客席の方へと行く。彼が謝るところなど初めて見て、ラギーは思わず目を瞬かせた。そして男が踵を返してキッチンの方へ戻っていくのを見たところでレオナに名前を呼ばれ、はっと我に返る。しまった、開けっ放しだったと慌てて店に入ると扉を閉める。店内は仄かに暖かく、コーヒーの匂いがした。
     客席の方を見れば既にストーブに一番近いテーブル席のソファ側にレオナが座っていて、ラギーもそちらに向かう。上着を着たままのレオナはテーブルの端に置いてある置型のメニューを指さして口を開いた。
    「食えるメニューはそこだ。適当に好きなのを頼め」
    「あ、はーい……レオナさん、随分慣れてるっスね。開店前なのに何も言われねーし……」
    「馴染みの店だからな」
     レオナはそう言ってまた欠伸をし、腕組みをして背もたれに体重をかける。向かいのイスに腰かけたラギーはカバンを隣のイスに置き、上着を脱ぎつつメニューに目を向けた。朝の十一時まではモーニングサービスがあり、ドリンク代だけでトーストがついてくるらしい。プラス料金でホットサンドやクロックムッシュ、ワッフルなどにも変更できるそうだ。今出せるものというのはこれのことらしい。
     ドリンクもそれほど高くない。昔ながらの喫茶店といった雰囲気で、コーヒーも紅茶もジュースもあった。あったかいカフェオレに何かプラス料金のセットにしようかな、どうせ奢りだし。
     ラギーが真剣に悩んでいるところで男が客席の方へやって来た。手にしたトレーにはいくつか、小さな一輪挿しに水仙などを挿したものが乗っている。どうやらテーブルに置きに来たらしい。
     あらためて開店準備中だったことを実感し、男が自分たちの座る席に来たあたりでメニューから顔を上げたラギーは申し訳なさそうに笑って声をかけた。
    「すんません、開店六時からなんスよね? 邪魔しちゃって……」
    「ノンノン、気にしないで。冬はこの時間にもう店にいるからいつでもと伝えたのは私の方なんだ。注文は決まったかい?」
    「ブレンドとホットサンド」
     端的に言ったのはレオナだ。「ウィ、いつものだね」と男は朗らかに返す。ラギーは慌ててもう一度メニューを見て、文字列を指さした。
    「じゃあ、オレはホットのカフェオレで、おんなじホットサンドでお願いします」
    「ウィウィ、いい選択だ。すぐに作るよ、少し待っていておくれ」
     男はウィンクをしてキッチンの方へ戻っていった。やけにウィンクに慣れている。そのキザに見えることもありそうな仕草にも嫌味がないのは、整った顔立ちのせいか、その人当たりのいい印象からだろうか。
     ラギーはその背を目で追い、メニューを元々あったテーブルの端へと戻した。レオナも尻尾を揺らしながらキッチンの方を見ていて、ラギーは一輪挿しの花を一瞥し、店内を見回しながら問いかける。
    「随分と優しい店長さんっスね。プライベートでお知り合いなんスか?」
    「別に、最初から店長と客だ。あいつが変人なだけでな」
     それはなんとも。ラギーは曖昧に相槌を打ち、ストーブを見たり、別の席を見たりする。なんだか雰囲気のいい店だ、腰を落ち着かせるのに最適というか。さすがはレオナさん、質のいい店を知っているなと思いながら見慣れない店内を楽しんでいたラギーは、キッチンの方からいい匂いが漂ってくるのにごくりと唾を飲み込む。
     この焼ける小麦の匂いは、何故こんなにいい匂いに感じるのだろう。特にトーストは普段から朝食にしていることもあって、朝の早いこの時間からも食欲を掻き立てる。
     ラギーが耳を立ててキッチンの方をそわそわと気にしていれば、ちょうどよくその角から男が現れて目が合った。はしゃいでいるのを見られて羞恥心がぶわりと尻尾の毛を逆立てたが、男は優しく笑ってこちらへやって来る。トレーにはカップが二つ乗っていた。
    「先に飲み物をどうぞ。それと昨日の残りのスープがあるけれど、飲むかい? ミネストローネ」
    「要らねえなら貰う」
    「え、あ、じゃあオレも……なんかすんません」
    「ノンノン、本当ならお客様に出すものじゃないからね、年上からのお節介と受け取っておくれ。それじゃあもう少し待っていてね」
     カップを二つ、レオナとラギーの前にそれぞれ置いて男は戻って行った。レオナの方は典型的なコーヒーカップだが、ラギーの方に置かれたのは砂糖壷と顔ぐらいありそうな大きさのカップ……ボウル? だった。なんだこれ。
     思わず口をあんぐり開けて凝視するラギーに、レオナがくつくつと肩を揺らして笑う。
    「カフェオレボウルも見たことねえのか? お前」
    「いや見たことねえっスよ……! めちゃくちゃでかいっスね、たっぷり飲めてお得でサイコーじゃねっスか!」
     ラギーはお得なものが好きだ。よくあるコップ一杯を想定していたので喜びもひとしおである。大きなボウルを両手で包むように持ち、ふうふうと息を吐いて冷まし、口をつけて啜る。
     美味い。たっぷりの牛乳の甘さ、コーヒーの香り。お腹の中から温まる感覚はほっと安心を連れてきて、ラギーは尻尾をぱたぱたと揺らした。
     向かいの席に座るレオナは腕と足を組んでブラックコーヒーを啜っている。その口角が僅かに上がっているのを見て、今は随分と機嫌がいいな、とラギーはふと思った。
     レオナは普段学内でも気だるげな姿を見せていることが多い。無愛想なところが良いとかクールで素敵だとか学内の異性からきゃあきゃあ言われているのはよく目にするが、それに関しては単なる面倒くさがりだとラギーは思っている。
     面倒見はいいが、基本的に徒労となることは嫌う。頭の良さを基本的に自分の負担の軽減にしか使わず、ゼミの教授だけでなく他校の教授とも学会のような場で丁々発止とやりあうのも時折目にしたが、そういう時は決まってその後不機嫌になる。面倒なことで体力を使いたくないとぼやいていたっけ。
     そんな面倒くさがりのレオナが教授のせいで徹夜を強制されたものだから、これまでと同じように不機嫌になるか、もしくは他のゼミ生がそうであるように眠くて不機嫌になるかすると思ったのに。
     ひょっとすれば、彼が不機嫌にならないだけ、この場所というのは――……
    「パードン、待たせたね!」
     思考を遮るような声にラギーは顔を上げ、目の前に置かれた皿にぱぁっと顔を輝かせた。黄金色に焼かれたサクサクのサンドイッチは二つの三角形になるように切られ、断面からはハムとチーズが覗いている。とろけるチーズに子供のようにテンションが上がってしまった。このたっぷりのチーズ! 分厚い断面に覗く何層ものハム!
     更に置かれた小さめのカップにはミネストローネが入っていて、トマトとバジルのいい匂いがした。なんて素晴らしい朝食だろう。
     こんなにテンションの上がるものがドリンク代にわずかなプラス料金だけで食べられるとは思っておらず、ラギーは徹夜の疲労も今が何時かも放り投げてカフェオレボウルを脇に置いた。
     カトラリーとおしぼりの入った箱がテーブルの真ん中に置かれ、男が快活に笑う。
    「さ、暖かいうちに召し上がれ。私は作業をしているから、ゆっくりどうぞ」
    「あァ、ご苦労」
    「あざーっす! いただきます!」
     早速おしぼりの袋を破り、手をさっと拭いてからホットサンドに手を伸ばす。耳の部分はプレスされて硬く、そこが持ち手としては非常に良かった。真ん中から贅沢にいくか、端からいくかと考え、せっかくだからと火傷を恐れず真ん中に齧りつく。
     ざくざくといい音を立ててパンを齧りとると、中にたっぷり詰まったとろけたチーズが溢れてきて、火傷しそうな熱さに舌を引っ込めて牙を立てたままふうふうと息を吐いてなんとか熱さを緩和させる。行儀は少々悪いが、まぁいいだろう。
     ひとまず火傷はしないぐらいまでの温度になって、口の中の物を咀嚼する。チーズのコクにハムの塩っけがちょうどよく、パンのトースト具合もラギー好みだ。黒胡椒の辛さが味を引きしめていて、飲み込む瞬間まで美味い。
     あとはもう夢中だった。ふうふうと冷ましつつ急くように大きな口でホットサンドを齧り、喉が渇くとカフェオレを飲む。それから時折カップに手を伸ばしてスプーンで中をかき混ぜ、とろとろに煮込まれたダイス状の野菜やベーコンを口にした。中に入っているバジルが最高。
     このスープは残り物だと言っていたが、一晩置かれた分野菜の柔らかさが際立っていて、舌だけで簡単に潰せてしまうのはとても贅沢だ。更にマカロニなんかも入っていたが、こちらは恐らく入れたまま放置は出来ないアルデンテの茹で心地だったので、わざわざ別で茹でて足してくれたらしかった。食べ盛りの男子大学生だからだろうか、だとしたらなんともありがたい心遣いだ。聖人か何かだろうか。
     午前四時の聖人はずっと背後で開店準備をしていたが、ラギー達には声をかけてこなかった。忙しいというより配慮のものだろう。そういう気がした。

     そうしてチーズがとろけている間にとばくばく食べ進め、二切れを食べ切りスープも飲み干せばそれなりの満腹感があった。温かい食事をとったことで体の中も熱く、ストーブも店内を暖めているので充分暑い。ラギーは満足気に息を吐いて、おしぼりで手を拭く。
    「美味かったぁ……サイコーっスね、ここ。大学からも近いし、一限の日とかなら来れるかも」
    「ホットサンドが一番人気だと」
     ホットサンドの最後の一口を飲み込んだレオナがスープのカップに手を伸ばしながら言い、「道理で」とラギーはうんうん頷いた。しかしこれがこうも美味いとなると、他のメニューも気になる。バゲットサンドにクロワッサンサンド、シュガートースト……なかなか多様だ。
     普段のラギーならプラス料金がかからないものを選ぶが、ここならかかるものも食べてみたいと思わせるだけの力が先程のホットサンドにはあった。
    「ランチとかもあるんスね。今度奢ってもらう時ここでお願いしよっかな……」
    「そんなに気に入ったか」
    「そりゃあもう!」
     ぱっとラギーは顔を上げて興奮気味に返した。
    「美味いし多いし満足感すげーし、雰囲気いいしお店の人も良い人だし、何よりそんなに高くない!」
    「だとよ、ルーク。良かったじゃねぇか」
     スープを飲み干したレオナがカップを置きながらキッチンの方へ声をかければ、カウンターや壁の向こうから「メルシー!」という声が返ってきた。聞こえてたか、と恥ずかしく思うが、足早にやって来た男が嬉しそうな顔をしていたので、ラギーはむず痒さを感じつつカフェオレボウルに手を添える。
     やって来た男は皿やスープのカップを重ねながら笑みをラギーに向けた。
    「お腹は満たされたかな? お口にあったようで嬉しいよ」
    「はい、めちゃくちゃ美味かったっス! チーズたっぷりで食いごたえあって、ミネストローネも野菜とろとろで! あとこんなにでかいカフェオレ初めて見たっス」
    「ふふ、あんまり見ないかもしれないね。ここに来るお客さんのほとんども頼んで驚かれるんだ。それがまた楽しくてね!」
    「しししっ、いい性格してるっスね。こんな時間にやってる店とか知らないんで、まさかこんなに良い店で美味いもん食べれるなんて思ってなかったっス。レオナさんが連れてきてくれて……」
     ね、と同意を得ようと向かいの席の方に顔を向けたラギーは、レオナを見て言葉を途切れさせた。腕を組んでソファの背と横の壁によりかかり、目を閉じている。完全に寝ている。いつの間に。つい先程まで喋っていたはずなのだが。
     しかし開店前にお邪魔している身だ、起こした方がいいのではないかとレオナと男を交互に見るラギーに、しかし男はのんびりと和やかに言う。
    「いつもこうだから気にしなくていい。あと一時間ぐらいしてカフェインが効き始めれば起きるよ」
    「あ、そうなんスか……えーっと、ルーク、さん……でしたっけ」
    「ウィ、あっているよ。ルークだ」
    「あざっす。ルークさんとレオナさんって、結構長い付き合いなんスか? さっきレオナさんがずっと店と客の関係だって言ってましたけど」
     男、ルークはテーブルの上の空いた皿を重ね終わってもそこに立ったままで、ラギーの言葉にひとつ頷いた。壁にかけられているカレンダーを見ながら口元に指先で触れる。
    「何年か前から来てくれているね。こうして開店前に来ることも多いから、お客様と言うより友人知人みたいな感覚だけれど」
    「なんでまた、開店前のこんな超早朝に……」
    「昔は夜中の散歩が習慣になっていたらしくてね。元々は外を歩いてた彼に私が声をかけて誘って、それ以来ふらりとやって来てはコーヒーと朝食にホットサンドを食べて、カフェインが効き始めるまで寝て、起きたら帰る……というのが定番の流れさ。寝られるぐらい落ち着く場所にしてもらえて嬉しいね」
     なんというか、懐が深いというか、ひたすらに善人だ。ラギーは眩しさを感じながらルークを見上げた。レオナを見ているルークの横顔は慈愛や優しさばかりで、レオナが彼のことを気に入るのも分かる気がする。
     陽だまりに似た居心地を感じる人だ。整った顔立ちなのにそれを鼻にかける様子もなく、開店前にやって来てもそれを咎めない。逆に善人すぎて悪い人につけこまれないか心配するレベルである。
     ああきっと、この人は人を信じているし、信じられているし、愛しているし、愛されて育ってきたのだろうな、とラギーは遠くにある物を眺めるような、そんな気持ちになった。自分にはないものをたくさん持っている人を見た時の、あの遠くどこか切ない気持ち。
    「キミも眠ければ寝ていて構わないよ。開店時間ぐらいには起こすから。徹夜作業なんて疲れただろう?」
    「あざっす、でも大丈夫っスよ~。まだ飲み物も残ってるし……あ、なんか手伝えることあればやるっスよ。皿洗いとか、掃除とか」
     お客様だからなぁと悩むルークに、時間潰しだからと笑いながら言って少し冷めたカフェオレを啜る。カフェインの苦味。
     それはきっと好奇心だったろう。自分と全く違う人種の存在に対する、道端の廃墟へ向けるような好奇心。午前五時のわずかな冒険。

     意識の浮上はいつも緩やかで、舞台を覆っていたカーテンが音もなく上がっていくのを思い出す。レオナは目を開けて、コーヒーの匂いと、薄暗いが温かな色の照明を見て、尻尾をぱたりと揺らした。凭れていた体を起こし、んん、と固まった体を軽く解す。ここまではいつもの流れ。
    「うっま! ふわふわ熱々でポテンシャルがやべぇ……」
    「ふふっ、揚げたては殊更だね。ソースもいいけど、塩だけも合うんじゃないかな」
    「あー確かに! バーベキューソースとか……冷えててもサルサとか」
    「これとサルサソースをレタスで巻くとか」
    「うわー! 好きっス!」
     わっとキッチンの方から楽しそうな声が上がり、レオナはそちらに耳を向けて少し考えた。そうだ、ラギーを連れてきたのだった。スマートフォンを見ればいつも通り六時少し前。
     レオナはテーブルに置いてあった結露つきのグラスを取ってぬるい水を飲み、立ち上がると声のする方へ向かった。普段客が入るべきでないキッチンではあるが、ラギーが入っているのならお咎めもないだろう。営業時間中ならまだしも、開店前にルークが入るなと怒る想像もつかない。
    「おはよう、レオナくん。よく眠れたかい?」
    「あっ、レオナさん! おはよーございますっス~」
     キッチンの入口から中を覗けば、作業台の所に立っていたルークとラギーが声をかけてきた。どちらもいい笑顔で、前に置かれた皿には茶色い何かがいくつか盛られている。あっさりしたいい匂いだ。ラギーの手にはフォークが握られている。どうやら何か食べていたらしい。
    「随分と盛り上がってたじゃねぇか」
    「そうなんスよ! 聞いてくださいレオナさん!」
     随分と高いテンションだ、徹夜ハイだろうか。その声は寝起きの頭には少し響いたが、レオナの眉間に寄った皺に気付かないのか無視をしているのか、喜色満面といった様子でラギーはフォークを掲げる。
    「ルークさんに安くてたくさん食える料理とかアドバイス色々教えてもらったんス! これも豆腐ナゲットっスけど、めちゃくちゃ美味くて!」
    「ふふっ、喜んでもらえて嬉しいよ」
    「ふぅん? 食ったことねぇな」
     説明し終わったラギーはそのままフォークで皿の上のナゲットを突き刺して口へ運び、如何にも美味しい物が口に入っていますという顔で上機嫌だ。その隣のルークも和やかに笑っていて、レオナも作業台の方に行くとナゲットの一つを指で摘んで口に放り込む。
     薄味に「そういえばソースの話してたな」と思ったのは後の祭りだが、それでも豆腐の甘さや衣の下味があって充分美味かった。確かに熱いうちは塩でも味が引き立って美味いだろう。味の濃いバーベキューソースなどもいい。ジャンクフードに近くなるので、味は濃いがカロリーは低いという素敵な代替品になること間違いなしだ。
    「レオナくんは何をつけるのが合うと思う?」
    「出来たてなら塩」
    「っスよね~。いやほんとウマ……ルークさん、料理上手っスねぇ。喫茶店やってる人に言うことじゃないかもしんねーけど」
    「ノンノン、嬉しいよ。メルシー、ラギーくん」
     みるみるうちに皿の上のナゲットはラギーの口に消えていき、ルークはそれを嬉しそうに見ていた。元々開店前に見ず知らずの男を招くような男だ、自分の料理をこうも美味しそうに平らげる年下というのは大層嬉しいことだろう。
     結局、レオナが二つ目に手を伸ばす前に皿の上のものはラギーが平らげた。ルークは皿やフォークなどを流しの方へ持っていきながら、思い出したようにレオナ達を振り返る。
    「そういえば、レオナくんが起きたということはそろそろ帰るのかな?」
    「んー、オレは一限まで教室で寝てるつもりだったし、そろそろ行くっスかねぇ。あんまりここに長居しても申し訳ねぇし」
     「ゼミの人らも起こさねぇと」と言うラギーにレオナも頷いて、親指でレジスターの方を示す。
    「二人分の代金は置いていく。外の札もひっくり返しときゃいいだろ」
    「ウィ、メルシー、レオナくん! ラギーくんもお手伝いをありがとう。是非おうちでも作ってみておくれ」
     ピッタリの金額を置いていき、外に出る時に「CLOSE」の札を「OPEN」にひっくり返して行くのはレオナがここから出ていく時にいつもしていることだ。今回もそれでいいらしい、とレオナは踵を返してキッチンを出る。背後からはラギーがルークに話しかける声が聞こえてきた。
    「ここはバイトとか募集してないんスか?」
    「ウィ、そうだね。こじんまりしたお店だし、私一人で充分回ってしまうから。アルバイト先を探しているのかい?」
    「や、バイトは色々掛け持ちしてんスけど、ここだったら賄いとかも超美味いんだろうな~って下心っス」
    「なるほどね。地域のお祭りの時に手伝ってもらう学生さんはいるのだけれど、それも二人で回せてしまっているから……ぜひ、ここへはお客さんとして来ておくれ」
     その学生はレオナも知っている。地元の高校生で、なんでもお祭り以外は月に一回ストレス解消に厨房を貸しているのだとか。毎月第三水曜日のカレーフェスの正体である。
    レオナも一度気が向いてランチに来た時に食べたことがある。結構美味かったが本格的に辛かった。
     荷物を持ち財布を出した辺りでキッチンから出てきたラギーは残念そうにしながらも了承を口にし、レオナが既に帰る準備が出来ていると見て足早に席に戻ってきた。上着を着てカバンを手に取るラギーを置いてレジのトレーに二人分の代金ぴったりを置き、一応キッチン側からしか見えない場所に置くとキッチンの中へと声をかける。
    「邪魔したな」
    「ごちそーさまでした! また来まぁす」
    「ウィ、またおいで。行ってらっしゃい!」
     キッチンから顔を覗かせてひらひらとスポンジを持ったままの手を振るルークに尻尾を揺らすのを返事に代えて店を出る。明るさに目の奥が痛んだ。次いで出てきたラギーが扉を閉め、かかっている札を裏返しにするのを横目に、レオナは大学の方へと歩き出す。
     冬の朝の匂いだ。ふぅと白い息を吐き出し、早足で追いついたラギーの興奮気味な話を半分は聞き、半分は流しながら、レオナは欠伸を一つする。
    「良い店だし、良い人っスねぇ、ルークさん」
     飯も美味いし。ふんふんと上機嫌な鼻歌と尻尾の擦れる音。レオナはそれに素っ気なく適当な同意を返して、次に来る時は一人で来ようと思った。
     なんだかラギーとルークが二人ではしゃいでいることに少しだけ疎外感を感じたとか、そういう少し子供っぽい感情は心の内に秘めておく。
    獅子のプライドは高いのだ。
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