プライベートはすぐそこ「……茨」
凪砂がこちらをじっと見つめてくる気配を感じながら、茨は視線をスマホに落としたまま動かさずにいた。
現在地は、凪砂が来たがっていた博物館の最寄駅。様々な展示をあらかた見て回り、さて帰ろうと話していたところだ。ついでにどこかで夕食でもと思ってスマホを取り出した茨は、隣でぼんやり立っていた凪砂が何かに興味を惹かれた気配を感じて目線を向けた。彼の視線の先では、二人組の人間がひっきりなしに通り過ぎている。どうやら近所で偶然にも何らかの催事が行われていたらしく、それを知らなかった自分たちはどこを見てもカップルだらけの空間に迷い込んでしまったようだ。
稼ぎ時であるクリスマスやバレンタインなどのメジャーなイベントは茨も把握しているが、記憶を探っても特に思い至るものは無い。何かにつけて騒ぎたがる人種の考えはよくわからないと思いながら目線をスマホに戻すと、ちょうど同じタイミングで凪砂がこちらを向いた。途端に嫌な予感が大挙して押し寄せたため、茨は絶対にスマホから視線を離さないぞと意思を強く固める。
「……私も手を繋ぎたい」
予想通り、周囲の浮かれた雰囲気に影響された凪砂が、スマホを見つめる茨をじっと見つめてくる。これがキスだとかハグじゃないだけまだマシだと思ったものの、顔を見れば頷いてしまうことは必至なため、茨はスマホから頑として目を動かさない。
「……茨、ねえ」
ついに痺れを切らした凪砂が頬をつつき始め、それでも動かずにいたら彼は片手で茨の顎を鷲掴んで無理やり己の方へと向けさせた。所詮は無駄な抵抗、むしろよく時間を稼げた方だ。
「嫌?」
「……嫌じゃないから困ってんですよね~」
至近距離で見つめてくる凪砂の瞳には、断られる可能性など微塵も考えていないように確信が満ちている。
「……ただ、ここは衆目がございますので」
苦笑を浮かべながら理由を説明すれば、凪砂はなるほどと言わんばかりに小さく頷いて手を離す。変装しているとはいえ、隠しきれないオーラのせいでじわじわと人目が集まっている事に彼も気付いているのだろう。
「そういうことは人目のない場所で。……今日の夕食は自分の料理で我慢してくださいね」
どことなく落ち込んだ凪砂に声をかける。人混みの少し先で、慣れ親しんだフルスモークの車が横付けされる音が聞こえた。