「嫌ですけど」
それは暦の上では春に差し掛かり、そろそろ暖かくなってきたからと、茨が冬用の布団を片付けた頃のことだった。テレビの中でアナウンサーが『冬の寒さが戻ってくるでしょう』と言うのを聞きながら、凪砂はベッドの前で仁王立ちする茨を見つめて首を傾げた。
「……どうして? 寒いのも長くは続かないみたいだし、クリーニングから戻ってきたばかりの布団を使うより効率的だと思うけれど」
「だからといって、自分が閣下と同じベッドで眠るなど分不相応にも程があります!」
凪砂の言葉に頑として頷かない茨は、そう言いながら冬用の布団を出す為にクローゼットの前をうろついている。その扉の前に凪砂が立ちはだかっているので、どけるわけにもいかない茨と布団を変えさせたくない凪砂の睨み合いが続いていた。
彼の用意した羽毛布団は温かく、今年の冬も凪砂は快適な寝心地だったことは事実だ。だが、それでも片づけてしまったのを取り出してまで使いたいかと聞かれたら、実を言うとノーに傾いてしまうのも本音だった。何故ならここには茨がいるので。
「……相応かどうかは興味がないな。私はただ、茨と一緒に寝たいだけ」
「いや、ですから……」
「人の体温というのは、高級羽毛布団にも引けを取らない心地良さだよ」
渋る茨を説き伏せるために、言葉を畳み掛けていく。巴家で暮らしていた頃はたまに日和と共に眠っていた凪砂にとって、その心地良さを説明するのは因数分解よりも容易い。
「……ね、駄目? 私のお願いは二回もクリーニングに出すより面倒?」
「ぐっ……、卑怯ですよ!」
ダメ押しで続けた言葉を聞いて、茨の意思が揺らいだのが手に取るようにわかる。
どんな要望も、論点を『凪砂の頼みを聞きたくないかどうか』に変えてしまえば通りやすくなることは、既に経験で知っていた。
「湯たんぽを抱いて寝た方がずっと良いと思うんですけどね……」
羽毛布団を取り出すのは諦めたらしく、茨が小さくため息をつく。それを見て先程から陣取っていたクローゼットの前を離れた凪砂は、部屋を出て行く茨の背を見ながらベッドに腰を降ろした。この押し問答を続けているうちに凪砂の就寝時間が近くなっていたので、彼も寝る準備を整えに行ったのだろう。
あくび一回分ほど待っていると、彼は自分に言い訳しながらも凪砂のパジャマを片手に戻ってきた。その表情はどことなく浮かれており、やっぱり満更でもなかったんだなと小さく笑った。