蛇の霍乱「──三十七度五分……風邪の症状に酷似しているね」
普段を知る人間からすればだいぶ高い数値を示す体温計を見ながら、凪砂はベッドの住人となった相方を見下ろした。
「……面目ない」
熱が辛いのか、返事をする茨の声には普段よりも覇気がない。少しズレた濡れタオルの位置を直すと、凪砂は近くまで引っ張ってきた椅子に腰掛けながら分厚い本を取り出した。数ヶ月ほど前に興味を持って茨に調達してもらっていた『家庭の医学』という本だ。専門的な医学書と一般家庭向けに書かれた本の中身を比較してみようと思って読んだそれが、こういう形で役立つとは凪砂も思っていなかった。
「風邪症候群……上気道の炎症の総称。発熱などの諸症状もそこに含まれるんだって」
気晴らしになるかなと思い風邪についての項目を読み上げつつ、対処方法に目を通す。体を温めるほか、室内の温度や湿度にも気を使う必要があるようだ。
「……閣下、自分は大丈夫ですので自室にお戻りください。閣下にうつしたとなれば自分はどう責任をとればいいのか……」
「……でも、この本には安静にするのが必要と書いてある。それに食事は料亭から運んでもらうにしても、他の部分で色々と不便はある。長引かせないためにも、健康な人間が側にいるなら頼るのが最適解だと理解していると思うけれど」
起き上がりかけた茨の体を布団の中に押し込み、凪砂は片手に持った本を読み上げる。彼は非常に合理的な考え方をするので、本人が納得するかしないかという点を除けば下手に言って聞かせるよりは論理的に諭す方が早い。
「私にうつしたくないのなら、早く治そうね」
何か言いたそうに呻いていたにこりと笑って見下ろせば、彼は面白くないと思っているのがありありと伝わる表情で頷く。茨の閣下じゃなければもう少し素直に聞いたのかなと栓のないことを考えると物哀しいものを感じたりするものの、それと同時にこの関係でなければここまで近しい存在にもならなかっただろうと思う。一人で考えても結論の出ることではないので、ひとまず非特待生の誰かを呼び出して食事の用意を手伝ってもらうために腰を上げる。
非特待生が「鬼の霍乱だ」と口々に噂していたことを告げたら、負けん気の強い茨は気合いで風邪を治すだろうから、しばらく黙っておいた方が良いだろう。