レムナンを甘やかすの会「第一回！　レムナンを甘やかすの会を開催します！」
　あるループの始まり、私はセツの前で高らかにそう宣言していた。なんの前口上もなくそう告げたのは、セツを驚かせたいという悪戯心からに他ならない。
　セツはさぞ戸惑った顔をして首を傾げるだろうと思っていたのだが……その予想は大きく外れることとなった。
「あぁ……ついに第一回か。最初はレムナンがターゲットだったんだね」
　私の予想に反して、セツは何故か感慨深そうに遠くを見つめ始めたのだ。
「……ねぇ、もしかして」
「……正解。第二回以降の開催に出くわしたことがあるよ」
　ふふっ、と私を揶揄うように笑ったセツに、何だか恥ずかしい気持ちになった。


　“レムナンを甘やかすの会”を思い付いたのは、十ループほど前のこと。そのループでは『わくわく！　人間牧場』通称ニンボクという謎のバトルゲームで、ジョナスとしげみちが対戦する様子を見守ることになっていた。
　勝負の結果としては、激戦の末、ジョナスが僅差で敗れることとなる。しかし、勝者のしげみちはというと、喜びのあまり「これがグノーシアの力だ！」とうっかり口を滑らせてコールドスリープされるという何とも笑える結末を迎えていた。勝負に勝って試合に負ける、とはまさにこのことだろう。
　しかし、そんな面白い出来事と同等に印象に残ったのが、その勝負を見守っていたレムナンの楽しそうな表情だ。
　いつも彼は不安げで、笑っていても表情にはどこか陰りが見える。しかし、ニンボクを実況している時のレムナンは、目をきらきらと輝かせて、嫌なことなんて全て忘れたかのように、年相応の本当に楽しそうな笑顔を見せていた。
　この表情こそ彼の素顔なのかもしれない。
　そう思ったら、どうにかしてその笑顔を再び引き出したくなったのだ。
　そこで思い付いたのがこの“レムナンを甘やかすの回”なのである。まぁ方法は単純で、とにかくレムナンを甘やかすのだ。レムナンにとにかく優しくし、労い、助け、でろでろに甘やかす。とにかく甘やかす。
　正直、第一回！　とセツに紹介したのは、場を盛り上げようとしただけだったのだが、私はどうやら本当に何度もこの回を開催するらしい。あくまでレムナンを甘やかすために考えたものだったが、第二回以降では他の乗客も対象になるようだ。もしまたやるようなことがあれば、今度は“乗客を甘やかす回”に名称を変更するべきかもしれない。
「今回は……あぁ、レムナンとユウが留守番なんだね。私はレムナンを守ればいい？」
「……話が、早いね」
「ふふ、伊達にループしてないからね」
　私が“レムナンを甘やかす回”を開催するにあたり、このループを選んだのにはきちんと理由があった。
　この宇宙船にはグノーシアが存在している。そんな状況下で無作為にループを選んでレムナンを甘やかせば、彼が早々に消されてしまうかもしれないし、彼がグノーシアであった場合に他の乗員に顔向けできない。
　だから、レムナンが留守番として人間であることが確定しており、セツが守護天使としてレムナンを守ることができるループが来るのを選んだのだ。または、私とセツがそれぞれ守護天使かエンジニアで、レムナンの正体を探った上で守護出来るループでも良かったのだけど、ことごとくレムナンはバグがグノーシアで、結局今回まで条件に合うループは訪れなかった。
「それじゃ、他に守るべき人が生まれない限りはレムナンを守っておくよ。甘やかすの、頑張って」
「あ、う、うん……」
　自分で言っといて何だが、これはそれなりの奇行だと思っていたため、冷静に頑張れと言われると恥ずかしいものがある。だけど私は決めたのだ。レムナンを甘やかす。絶対にだ。


　会議の終わり、よく見る流れでラキオがコールドスリープされ、私たちは空間転移までの時間を自由に過ごすことになった。
「ねぇ、レムナン。ちょっと話したいことがあるんだけど、いい？」
　私が声をかけると、彼は一瞬にして怯えたような表情になってしまう。しかし、静かに首を縦に振ると私の後ろについて歩いてきてくれた。怖がりこそすれ、嫌われてはいないようだ。人間であることが確定している留守番同士だから、警戒心の強い彼も、多少私に気を許せるのかもしれない。
　私はそんなレムナンを連れて、食堂に足を踏み入れる。なぜここに？　と不思議そうな彼と並んでフードプリンターの前に立つと、私は彼に好きな食べ物を尋ねた。
　持論だけれど、人を甘やかす上で美味しい食事は欠かせない。好物を食べれば大抵の疲れや不安なんかは吹き飛ぶものだ。フードプリンターで作られた味はまぁ再現率五割、と言ったところだが、風味を感じられるだけで気分転換にはなると思う。だから、甘やかしの第一段階として、好物を一緒に食べることを選んだのだが。
「好きな、食べ物……ですか。えっと、特に.……食べられるもの、なら、なんでも、好きです」
　早速難題にぶつかってしまった。会議中の雑談でも似たようなことを言っていたが、まさか本当に可食部ならなんでも好きだとは思っていなかった。企画倒れの気配に、慌てて質問を変えてみる。
「えっと……じゃあ、これまでここで何を食べたことがある？」
　私の好みが彼の好みとは限らないし、レムナンの食べた傾向から好みを割り出して提供した方がいいだろう。
「え、え？　あ、えっと……パンと、ライスボールと、合成シリアル……あと確か、しげみちさんに勧められた、ラーメンだったかと……」
「……え？　四種類だけ？」
「は、はい……食べなかったり、繰り返し、食べてるものもあるので……」
　彼の答えについつい戦慄してしまう。確かにこの船に乗ってそんなに経ってないとはいえ、一日三食食べれば普通は四種類だなんてことにはならないだろう。あまりにも寂しい食事に言葉を失っていると、レムナンが申し訳なさそうに頭を下げた。
「あの、ユウさん。ごめんなさい。僕は、あまり、食事に詳しくない、ので……参考には、ならないと……思います……」
「そんなこと……」
「役に立てなくて、申し訳ない、です。ジナさん、なら、ユウさん好みの食事も、知ってるかもしれません。僕、呼んできますね」
　何かを勘違いしているレムナンは、私を置いて食堂を出て行こうとしてしまう。レムナンがいなくては意味がない！　と、私は咄嗟に彼の手を引く。ひっ、と小さく声を上げたレムナンは、私の手を振り払い、怯えた瞳でこちらを見つめた。
「ご、ごめんね。驚かして……違うの、私はレムナンに好物を食べてもらおうと思って連れてきたの。だからレムナンが居なくなると来た意味がなくなるというか……」
「どうして僕に、そんなことを……？　何かを、企んでるんですか……？」
「まさか！　ほ、ほら、今一緒にいて安心出来るのって、レムナンだけでしょ？　こ、こんな状況、怖いし、一緒にご飯でも、食べて……落ち着きたいなぁって……思って……その、……ごめんなさい……」
　悪意はない！　と必死に弁明すればするほど、私の『甘やかし』がいかに一方的なものだったかを自覚した。
　レムナンの様子を見れば、私が彼に対して余計なことをしたのは明白で、甘やかすどころか怖がらせてしまったことを心の中で深く反省する。
　無理に連れ回されて時間を奪われるなんて、レムナンにとっては一種のパワハラでありセクハラなのではないだろうか。
　嫌な沈黙が、食堂に続く。激しい後悔に襲われて、このまま自主的にコールドスリープしちゃおうかな。なんて、心が折れそうになった時、小さな声が耳を打った。
「……僕は、ユウさんの……おすすめが、食べてみたいです」


　それから十数分後、食堂で調達したお菓子を木製の箱に詰めた私たちは、動力室に向かって歩いていく。甘やかす会なので、箱はもちろん私持ちだ。レムナンは申し訳なさそうだったが、持たせては私が甘やかされてることになってしまうので断固拒否した。
　途中、何人かの乗客とすれ違い「密輸ごっこか？」「餌やりか？」と奇異の目で見られたが、留守番同士で作戦会議をすると言えば、大して深く突っ込まれることもなく動力室に入ることができた。
「動力室で、よかったんですか……？」
「もちろん。むしろここが良いかな」
　動力炉を眺めて、そう答える。レムナンのことはまだ詳しく知らないが、彼が動力室が好きだということは、ループを通して何となく気付いていた。彼がオトメのヘルメットを修理してあげていた時の発言からも機械を好きなのだろうと推測できたし、そもそも動力室に足を運ぶ姿を何度も目撃している。だからここを甘やかし会場に選んだのだ。
「……良いですよね、動力室。ユウさんも、機械とか、好きなんですか？」
「うん。私はあんまり専門的なことはわからないんだけど……非現実的な感じがしてかっこいいなぁと思うよ」
　問われて、機械に対する素直な気持ちを口に出した。無理に話を合わせてボロが出るよりは、思いのまま機械への印象を伝えた方がいいと判断してそう答えたが、あまりにも単純すぎる回答だったかもしれない。ラキオが聞いていたら「ハッ、機械なんてこの世で最も現実的だろう？」とさぞ馬鹿にされたことだろう。そう考えたら、自分の答えが途端に恥ずかしくなってきた。
「ごめん、今の子供っぽいから忘れて……」
「ど、どうしてですか？　素敵だと、思います……僕も、かっこよくて、好きです……」
　そう言って優しく微笑むレムナンを見て、やはりここを選んで正解だったなと思う。
「あの……ユウさん」
　そろそろ段差に腰掛けようかなと考えた時だった、レムナンが少し緊張したような声色で私の名前を呼ぶ。何を言われるのかは分からないが、不安そうな彼を安心させたくて柔らかさを心がけて返事をすると、彼はうやうやしく頭を下げた。
「ど、どうしたの？」
「留守番で、作戦会議する、つもりだった、なんて……知らなくて……僕、食堂で酷いこと言って、すみませんでした……」
「え」
　作戦会議なんて、するつもりはない。食堂でレムナンと一緒に過ごしたいだけと説明したつもりだったが、もしかして私が他の乗客とすれ違いざまに誤魔化しで言ったことを、レムナンまで信じてしまったのだろうか。
「僕、作戦の役に立てる自信は、ないですし……こんな状況ですけど……。なんだか、作戦会議だなんて、動力室が秘密基地みたいで、ちょっとわくわくしますね……」

(レムナンは、とても喜んでいる……)

　私の直感が、そう告げた。
　これは、なんというか、とても作戦会議なんか無いとは言い出しづらい。
「うん……留守番だからこそ出来ること、あると思う……し、その……頑張ろう」
「はい……！」
　まぁ、いいか。レムナンに喜んでもらうことがこのループでの目標なのだから。
　結局、私おすすめのお菓子を数種類食べて、その夜は解散となった。
「甘やかすって……難しい」
　自室のベッドに倒れ込み、私は一人、そう呟いたのだった。