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    s_toukouyou

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    s_toukouyou

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    テーマ「海の家」

     からんと音を立てグラスの中の氷が崩れる。しゅわしゅわと泡立つメロンソーダ。スプーンを差し込むとしゃりと音を立てるかき氷。ちりんとなる店の軒先に吊るされた風鈴。ざざんと寄せては返す潮騒。詰問する男の声。否定する女の声。そして、物言わぬ死体。

     客のひとりが店員に詰め寄っていた。すでに通報はされていて、警察の到着を待つ中、死体と同じ空間に居続けることに焦れたらしい。
    「違う、私はやっていません!」
    「だが状況を踏まえると、君しかいないと思うんだがな」
     すべての音がいまや遠い。言い争う声も耳を素通りするだけだ。
     なんということだろう。俺は海水浴に来ただけだというのに。ちょっと涼もうと海の家でかき氷を食べようとしただけじゃないか。
     死んだ客はなんの因果か、俺の向かいのテーブルの客だった。ちょうど向かい合う席に座っているもんで、ちょっとかき氷から顔をあげたら死に顔が視界にとびこんでくる。俺がなにをしたというのだ。あとで警察に説明しやすいように、事件があったときと同じ場所にいてくれと言われても、せめて死体と向き合わない席にいさせてほしいんだが。
     興味本位で死体に視線を滑らせた。ついでに細かくすりおろされた氷を掬って口に運ぶ。冷たさが舌を伝って脳まで届くようだった。
     若い男だ。短くそろえた黒い髪に日焼けした肌。二十代くらいだろうか。男はラタンの椅子の背もたれに体をあずけたまま、かくりと首を傾けていた。その髪はしっとりと濡れていて、よく見れば肌の上には大粒の水の珠がある。顔色は妙に青白い。もしかして、溺死か?
     裏付けは一拍おいて追いついてきた。
    「そもそもなんで私が疑われているんですか!?」
    「席まで海水を運んで、溺死させられるのは店のスタッフくらいだと判断した」
     海水で溺死したということか。俺はすぐにテーブルの上におかれているメニューをひろげた。限定メニューの欄を確かめる。たしか……、あった。
     氷と海水で満たした桶に小さめの容器に入った氷菓子をいくつか浮かべた限定メニュー。涼やかさを目や潮の香りを楽しんでほしいという一品らしい。つまり問い詰めている男はこの桶に被害者の顔を押し込んで溺死させた、と言いたいのだろう。
     確かに被害者の前にあるテーブルに桶がある。しかし……、それにしてはテーブルが綺麗すぎるように思う。本当にその方法で溺死させたというのなら、抵抗されたときに周りに水が飛び散って、テーブルが濡れるはずだし、そもそも隣の席にいた俺は被害者が抵抗する音や声が聞こえなかった。抵抗できない状態だったということだろうか。
     ほかの人はどうだったのだろう。店内を見まわし、ついでに背もたれに肘をおいて、体をひねり、自分の後ろの席も確かめる。
     振り向いて、俺はうおっと仰け反った。
     後ろは後ろで衝撃的な光景だった。光輝くような、過言でも何でもない。文字通り光輝くような男がいた。影のなかでも眩く長い金の髪は緩いみつあみにまとめられて、白い肌はほんのりと輝いているように見える。白いシャツにレースアップの水着。ばちりと視線が合う。興味深そうな色合いが浮かぶ金色の瞳に吸い込まれそうだ。指すら自分の意思で動かせない。俺はただ彼と見つめあっていた。ずっと見られていることに、彼は少し不思議そうにしてから、微笑んだ。今度は息すら止まる。心臓が役割を放棄しようとしていた。
    「ハイドリヒ」
     いきなり声が聞こえて、俺はもう一段後ろに仰け反った。
     気が付くと金髪の男の横に、黒髪の男がいた。
     長い黒髪は不思議な色合いをしていた。まるでシラーを帯びたような、うねるように変化しつづける光沢。黒髪の男はハイドリヒと呼んだ男を向いているために横顔しか見えないが、病的な白さを感じさせる肌色。深淵のような黒い瞳。こんなにも暑いというのに、この男を見ていると妙な寒気がしてくる。
     ハイドリヒは黒髪の男のほうに顔を向けた。途端に体の自由が戻ったので、俺はそそくさと前に向き直った。死体の青ざめた顔が俺を出迎える。俺は無言で下を向いた。かき氷は半分溶けていた。くるくると半透明の赤い水をかき回す。いちご味の水になってしまった。
     テーブルに頬杖をつく。さきほど見た光の男を脳内から追い出そうと、死体のことを考えた。よく考えてみれば、俺はずっとスマホとかき氷を見ていたから、真正面の席にいた被害者のことをろくに見ていない。テーブルの上を見る限り、一人分の食器しかないので、被害者は一人だったと考えるのが自然だろう。しかし、それだとなにか引っかかるような……。
    「他に誰かがいた、と?」
     艶やかな低音が耳朶をたたいた。ぞわりと背筋を駆け上がる痺れに流されつつ、ひとつ頷く。
    「ちらっと見ただけで、あんまり覚えてないんだが、女だったと思うんだよな。ビキニタイプの水着で、俺に背を向けていたから……」
     いやまてよ。正面から話しかけられたが、俺の前には誰も座っていないはずだ。俺は誰と会話をしているんだ。
     顔をあげて、俺は固まった。いつのまにか、テーブルの向こう側にふたりの男が座っていた。俺の後ろのテーブルにいたふたりだ。足音や立ち上がるときに椅子が動いた音は何も聞こえなかった。金髪の男は目の前、黒髪の男は斜め前にいる。
    「えーと、なにか御用で……?」
    「ふふ、卿の考えに興味があってな」
     俺の考えと言われましても……。所詮素人の推理だ。正解には程遠いと思う。
    「被害者が殺された方法についてですか」
     確かめると、金髪の男は楽し気に頷く。
    「カール」
     名前を呼ばれて、黒髪の男はめんどうそうな表情を作りつつ、テーブルの天板を人差し指の先で二回叩いた。テーブルの表面を光の筋が走り、徐々に立体的な像が結ばれる。
     これは海の家のなかのようだった。俺たちが今いる場所から、奥のキッチンや倉庫の場所も表示される。さらに人間が現在どこに居るのかも記されていた。
     驚いてふたりを交互に見る。
     金髪の男はにこりと笑って、卿はどう思うと問いかけてきた。
    「なに、警察が来るまでの暇つぶしと思えばいい」
     不謹慎ではないだろうかと思いつつ、まあどうせ赤の他人だ。三人でひっそりとあれこれ言うだけなら良いだろう。
     こうして俺は椅子に座ったまま海水で溺死した男の事件に首をつっこんだわけである。
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