だから先に言え この不可思議に溢れた魔法の城にやってきてはや数か月のある日。スリザリンのテーブルを通りすがったフィンは、とあるものに目を引かれついつい足を止めた。
茶と白に塗り分けられた升目とその上に並べられた特徴的な形の駒。それを挟んでレオとヴィジャイが向かい合っている。だが、二人とも手ではそれぞれ別な事をしている様だ。そして時折盤に目を向けたかと思うと、
「ポーンをCの4へ」
と口で言う。すると、一体全体どういう仕組みなのか。駒がひとりでに動きだし、その指示に従っているではないか。
「……なにそれ?」
ついつい疑問が口から零れ落ちる。すると手元のレポートから顔を上げ、ヴィジャイが答えた。
「魔法界のチェスを見るのは初めてですか? ルークをAの6へ」
「わっ、動いた! すげー!」
ヴィジャイの言葉に従って黒のルークが滑り、目的の升にいる白のナイトを盤の外に弾き飛ばした。思わず歓声を上げると、盤を見つめていたレオが鼻で笑った。
「何だ、マグル生まれはチェスも知らんのか……キングをBの7へ」
「それくらい知ってるっての! あっちのチェスは勝手に動いたりしねーんだよ!」
「魔法界のチェスも、マグルのものとルールなどはほぼ変わりませんよ。違いと言えば、駒が勝手に動く――いえ、駒に命が吹き込まれている、と言う方が正確でしょうか――それくらいです。クイーンをDの5へ。チェックですよ、レオ」
カシャン、と軽い音を立てて白のクイーンが退けられる。淡々と告げられた勝利宣言に、レオは眉根を寄せて考え始めた。
「……リザインだ」
勝負の終わりを苦々しい声が告げる。すると、あちこちに散った駒がふわりと浮かび、元の列の形へと勝手に並んだ。はぁー、と関心の溜息がフィンの口から零れ落ちる。
「百聞は一見に如かずとも言いますし、良ければやってみますか? 貸しますよ」
「え、良いのか!?」
普段ならチェスなんて小難しいゲームを敬遠しがちなフィンも、その新鮮さに好奇心が勝ったのだろう。瞳を輝かせてヴィジャイの申し出を受け入れようとした。
「おい待て」
が、それにレオが待ったを掛ける。
「お前が俺に勝てる訳が無いだろう。ましてや、借り物の駒でなど不可能に等しい」
「んだと!?」
レオの高飛車な言い分に思わずこぶしが出そうになったが、フィンが初心者なのは確かに事実だ。ヴィジャイも「一理ありますね」と頷いている。
「俺も弱い物虐めをする趣味は無い。という訳だからクリス、相手してやれ」
「へ、俺ぇ? ま、いーけど……」
そこで白羽の矢が立ったのはクリスだった。という訳ってどういう訳なのよ、と言いながらも一応耳は傾けていたらしい、クリスはさして不思議そうにする素振りも無く、こちらへと寄ってきた。
「ってかチェスセットとか常備してないんだけど? 俺やだよ、レオの借りるの」
「じゃあお前がヴィジャイのを借りろ。フィン、お前には特別に俺のを貸してやろう」
「うわ~。レオ、流石に意地が悪くない?」
「クハハッ、だが面白そうだろう?」
「え、なに、どゆ意味?」
チェスセットはチェスセットだろ、とフィンは頭上に?を浮かべる。が、レオもクリスも説明する気は無いらしい。
「頑張りましょうね、アドバイスは任せてください」
ポン、と肩に手を置きながらヴィジャイがそんな事を言う。今一つ意味が呑み込めないまま、フィンはチェス盤の前に座ったのだった
***
20分後。
「は~い、チェックメイト♡」
「あーーーっ!!」
あっさりと告げられたチェックメイトに、フィンは頭を抱えて机に突っ伏した。
勝負の結果は言うまでも無く惨敗。そもそもまともな勝負になっていたのかも怪しい。
と言うのも、駒が言う事を聞かないのだ。
比喩的な表現ではない。魔法を掛けられたチェスの駒達はてんでばらばらに自己主張を始め、指し手であるフィンの言う事など全く聞かなかったのだ。しかももっともらしい言い方をするものだから、初心者のフィンの思考は大いに乱された。ヴィジャイのアドバイスも焼け石に水状態。
結局、駒が回収されるだけの作業ともいえる一方的な展開が繰り広げられ、ほぼ手も足も出せずにフィンは負けた。
「なっっっんだよこれ! ぜんっぜん動かせねーし!」
「知らないようだから教えてやる。高級なチェスの駒はな、下手な指し手の言う事は聞きたがらないんだよ」
「先に言えよそれ!!」
「ハハハハハハハッ!」
事が予想通りに運び、レオは声を上げて笑った。
「まぁまぁ、初心者だからしょーがないって、ね?」
「そーゆーてめーも笑ってんじゃねーか!」
クリスがフォローするような素振りを見せる。が、その口元はニヤニヤと笑みを隠しきれていない。
「い、いや、だってさ、自殺するみたいに駒が飛び込んで来るから……ふっ、ふふっ、あっはははははっ!」
とうとう堪えきれないと言った様にクリスも笑い始めた。チェス盤を前にして二人が笑い転げているという異常事態に、周囲の生徒が何騒いでいるんだと言う視線を向けてくる。
「ちょっと、何事?」
と、そんな群衆の中からこちらに向かって歩いてくるものが一人。
「俺のせいじゃねーし。ってかウェンディ聞いてくれよ! こいつら酷いんだって!」
また問題行動かとウェンディが咎める様な視線をフィンに向けてきた。が、自分のせいではないとフィンは抗議の声を上げる。誤解されたままではたまらない。かくかくしかじかで、と事の次第を説明し始める。
「……何やってんのよアンタ達は」
それを一通り聞き終えるとウェンディは呆れた顔になった。誤解は解けたらしく、その視線は主にクリスの方に向いている。
「いやぁ、新入生くんが初々しいからつい、ね?」
「つい、じゃねーだろ」
そう言うフィンの声には拗ねた様な響き。クリスは慌ててフォローに回る。
「ごめんって、怒んないでよ~。そうだ! ゴブストーンやる?」
「何だよゴブストーンって」
「それはちゃあんと教えてあげるから♡ 勿論ルールもね」
クリスはゴブストーンのセットを鞄からするりと取り出し、いそいそと準備を始める。初めて見るゲームに好奇心が再び芽生えてきたらしいフィンも、それを手伝おうと立ち上がる。
「チェスセットは無いのにゴブストーンはあるんですね」
「ねぇ、これ止めた方が良いんじゃないの?」
「ハハハッ、“あれ”を喰らった時にどんな顔をするか、見ものだな」
それを見守る三人は不思議そうだったり心配そうだったり、あるいは面白がっていたりと、三者三様の表情を見せている。
「あ、三人もやる?」
「絶対にやらん」
「え、ヤダ」
「遠慮しておきます」
しかしクリスが誘いをかけても、みな一様につれない反応で。気付けばちゃっかり距離まで取っている。
「……?」
その訳をフィンが知るのは、もう少し後の事だ。
魔法使いのチェス:駒が喋るし動く。指し手が下手だという事を聞いてくれない
ゴブストーン:おはじきゲーム。失点すると臭いにおいのする液体を顔面に吹き付けられる