乙五ワンドロライ第10回 お題『誘惑』「人と交わるのは本当はダメなんだよね」
事後の気だるさをその身にまとわりつかせ、美しい空色の瞳をゆったりとこちらへ動かしながら、悟は言う。
ピンと尖った耳をひょこりと動かして、狐であることを表す豊かなしっぽをばさりと振れば、腰にかかっていた布がずれて白い肌が露わになった。そのまま横臥の体勢から胡座をかいて向き直るものだから、あらぬ部分を凝視してしまいそうになり、憂太は焦る。
落ちた布を憂太がわたわたとかけ直すと「君たち人間が服を着る習慣って不思議だ」と、不服そうに尻尾を左右に振られてしまった。
「あの、ダメってどういうことですか?」
「そのままだよ。こうやって会話するのもだし、さっきみたいな交尾はさ、特にダメ」
「こうび……」
憂太は鸚鵡返しにその言葉を口にする。
「だって赤ちゃんできちゃうでしょ」
思ってもみない言葉に、憂太はポカンと口を開けた。
「あれ? ひょっとして交尾で子供ができるの、知らない?」
「し、知ってます。知ってますけど。でも悟さん、男でしょう?」
「当たり前でしょ。僕のどこが女に見えるの」
「見えません」
「でしょ」
「でも。なら、なんで」
「ほら、やっぱり知らないんじゃない」
人間である憂太からすれば理屈に合わないことだったが、妖狐の悟からすれば至極当然の話らしい。
「胎の中に精を出すんだから当たり前だよ」
呆れながら言われる始末だ。
他者から精が注がれること。胎の内でそれを受けとめること。それは文字通りの意味で受精になるのだと悟は言う。
「そういうことをさ、人間は知らないんだよね。だから簡単にまぐわって簡単に孕ませる。それでいて自分の子供じゃないみたいな責任逃れをする。昔から色々あったみたいだよ。だから禁忌とされてるってわけ。たとえば、」
愉快そうに笑いながら、軽い口調で語られる昔話は凄惨なものだった。
「……知らなかったです」
「じゃあひとつ賢くなったわけだ」
無知を蔑む言い方ではない。無責任をあげつらう言い方でもない。
それはただ、憂太の知らぬ過去の事実を伝えることで驚く顔を楽しんでいるといった、言うなれば人を化かして楽しむ狐の気性が表れているような様子だった。
化かされているのだろうか? と、憂太は思う。
この話が作り物の偽りであるのなら、ぼんやりと話を聞くばかりの憂太をもっと焦らせるような言葉を投げかけてくるはずだ。
話は本当で子を孕む可能性のことを脅してくるのであれば、もっと脅迫めいたことを言うはずだ。
けれど悟にはそういった様子は見られない。
それに、と考える。全てが事実である場合、受け入れる側にいるのは悟なのだから、憂太よりもリスクは大きいはずなのだ。
では目的は違うところにあるのだろう。
それは、なにか。
顔をあげる。美しいその生き物に目を向ける。
出会ったのは数ヶ月も前だ。人として出会い、人ではないものだと知り、多くの話をして。想いを打ち明け、身体を重ねた。
今更それら全てが化かすための偽りのやりとりだったのだと知らされても、憂太が悟を恨むことなどありはしない。
ふと、脳裏を掠めたのは単純な疑問だった。
「あの、悟さんは知ってたんですよね?」
「赤ちゃんできちゃうこと? もちろん」
「なら、どうして僕を受け入れたんですか」
浮かんだ問をそのまま舌に乗せれば「情緒がないね」と揶揄される。
「わかんないの?」
大きな尻尾がふさり揺れた。白尾がたゆとう様子は美しい。
「……わからない、です」
綺麗な指が伸ばされて、そっと憂太の顎(おとがい)をなぞっていく。
「ねえ、本当に?」
寝具の上へと体を横たえて、しどけなく唇を開いて。
あまく、あまく、悟は問う。
「ほんとう、は……」
カラカラと喉が渇いていくのがわかった。
欲しているのは水ではない。飢えているのは悟に対してだ。彼の身体を手にしたのはほんの少し前のことだというのに、それでも飢えは満たされない。
自惚れてもいいのだろうか。憂太と同じ想いを悟も持ってくれているのだろうか。
形の良い悟の唇はこんな時は閉じているばかりで動かされることはない。
ぐるりぐるりと思考はめぐる。都合の良い考えと悟に対する欲ばかりが、頭の中を占めていく。
そんな思考を持つことすら、もう、すでに悟の術中なのかもしれなかった。
それでも、いい。
白い指に引かれるままに側へ寄り、横たわる身体の上に覆いかぶさる。ゴクリと音を立てて憂太が唾を飲み込めば、狐は艶やかに笑ってみせた。