アクスタ企画用村たぬ(穂半)「伸びてきたな爪が」
縁側でまどろんでいると男の声が聞こえた。床の上に放り出した自分の手足を見ての言葉だというのはすぐに分かったが、少年は黙って目を細めた。返事をする代わりに欠伸を漏らす。
男に指摘されて初めて、今まで指先など気にせず過ごしていたことに少年は気づいた。以前は大半を野性の姿で過ごしていたからだ。それに爪なんて自然に削れるし、伸びたら折れたり剥がれたりするものだという認識しかなかった。
男は少年に寄り添うように座り、その小さな手を取った。春の日差しのような温もりが掌に接する。水でも触っていたのか、それとも何か作業をして汗をかいたのか、その大きな手は湿り気を帯びていた。
感情の抑揚が少ない男の切れ長がじっと少年の手を見つめている。同い年の仲間より小柄であるという自覚はあったが、男の手と比べると大人と子供のような差がある。年齢はそれほど変わらないにもかかわらずだ。そんな一回り半ほど小さな手を握った彼は飽きもせずにじっと見ている。
少年の皮膚は薄くて白いが荒れていて肌理も粗い。ほっそりとした指は骨も華奢でまるで枯れ枝のようだった。
長らく手入れを怠って凸凹になっている爪をなぞりながら男は口を開く。
「切るか爪を」
「どうやって」
「爪切りだ普通に」
血が通っているのか分からないような冷えた手を、男が両手で包み込んだ。温度は高いところから低いところに移るのだったか、または逆なのか、相手の高い体温がじわりと少年の肌に熱を灯す。
指先まで温もったと思うと男の手は少年の腕を掴んだ。腕から肩へ、胴体へと長い腕が伸びる。彼の意図が読めず少年は困惑した。
「……一体、なんすか」
ずっと口を閉じていたせいで声が掠れていた。すすき色の頭とその頂点に生えた耳を撫でる手からは何を考えているのか感情が読めない。
「健康になってもらう、うちに来たからには」
「なんすか、それ」
面食らって思わずさっきと同じ言葉を繰り返した。自分は短躯ではあるが病気も怪我もなく健康だ。
「もっとでけぇだろおまえと同い年の奴は。食えよメシ。あとさっさと寝ろ夜、昼寝しなくていいよう」
まるで親や兄姉の説教を思い出した。でも身内に言われたときのような不快感はなくて、その事実に少年は混乱した。
少年を撫でる男の手は温かく優しく、声も穏やかで、でも彼といると胸がむずむずする。この感情の名前が分からない。こんなとき相手に何をどう伝えればいいのかも。
「ダルい……」
いつものように覇気のない気怠げな声だった。しかしそれを聞いた男は静かに微笑んでいた。
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タイトル:村男とちいこたぬき
(2021年4月22日発送版)
発行者:坂取
発行:nrym
発行年月日:2021年4月22日
連絡先:info@nrym.org
ツール:8P折り本ツール
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印刷:坂取家のプリンター