似た者夫婦未満地元のカメイアリーナ仙台で行われたシュヴァイデンアドラーズ対ムスビイブラックジャッカルの試合は、白熱の末、自身が所属するブラックジャッカルの勝利で幕を閉じ、活躍した日向は華々しいデビューを飾った。
試合後の対応はチームによって差があるものの、ブラックジャッカルではダウンを取った後はある程度の自由時間が与えられている。日向はバレーボール協会に就職した黒尾から挨拶を受けた後、応援に来てくれた先輩や後輩、恩師たちと話し、最後に帰る準備をしていた烏野の同期達とファンサービスを終えた影山を捕まえることに成功した。
「「2人ともお疲れ~」」
「お疲れ」
「おう」
「おお!今日は見に来てくれてありがとうー!!」
「すごくいい試合だったよ!てか、日向めちゃくちゃ上手くなってんじゃん!」
「だろ?だろ??もっと褒めてもいいんだよ山口クン!」
得意げに胸を張って見せると「今日でファンができたんじゃない?」と山口が笑う。そんな2人のやり取りを嫌そうに見ていた月島は「日向のファン」と鼻で笑った後、今日の試合結果に少し拗ねている影山に気付き、にやにやと嫌な笑みを浮かべた。
「にしても王様、最後完全にふられてたね、ブロック」
「?」
「今シーズン、王者アドラーズでも優勝は難しいんじゃない?」
「ふざけんな、今シーズンもうちが優勝する!」
「まあまあ、今シーズンの影山クンには準優勝をあげようじゃないか」
「…ブフッ、よかったね王様」
反論する影山に日向が茶々を入れて月島が更に煽る。2人を眼光鋭く睨む影山を見て山口と谷地が笑う光景は、卒業してから3年経ったにも関わらずあの日から何ひとつ変わっていなくて、日向は漸く日本に帰って来たことを実感した。
俺、本当に帰って来たんだ……!
影山と交わした再会の約束を最高の舞台で果たせたこと、遠く離れても応援し続けてくれた仲間がいることに万感の思いが込み上げる。視界がじわじわとぼやけ、瞬きで溢れそうになる涙を必死に誤魔化す日向の背後から唐突に、生物の頂点に立つような圧と厳格さを備えた声が元相棒の名前を呼んだ。
「影山」
会場のざわめきに紛れることのない確かさで届くその声に、日向は自分の名前が呼ばれたわけでもないのに緊張にびくりと肩が揺れ、零れそうになっていた涙が一気に引っ込んだ。
月島の煽りに乏しい語彙で反論しながら睨みを効かせていた影山は、その声を聞くと途端に「先ほどまでの凶悪な面はどこにやった!」と言いたくなるほど幼い子供のような無防備さで牛島の方を振り返り、こちらに断りもせず当然のように駆け寄っていった。
その姿は3年や2年といった「敬愛する先輩」に駆け寄る犬のような従順さに似ているものの、根本的にどこか違うようにも感じた。もっとこう、対等というか親しみがあるような……。どこかしっくりこない違和感に頭をかしげる日向をよそに、山口が感心したようにしみじみと呟いた。
「いや、知ってたけどさ。影山って本当に牛島さんと仲良くやってるんだね」
「アドラーズと代表、どっちも同じチームで3年もやってるんだから、よそよそしい方が変デショ」
「そうだけどさ」
「今や兄弟を超え”似たもの夫婦”なんて揶揄われているほどですからね」
ドッと笑い出す3人に日向の脳内が停止した。似たもの夫婦?夫婦??あの結婚した2人がなる、あの???好き同士がなる、あの夫婦????
「え!?は???え、ふ、夫婦????」
「あ、日向はブラジルにいたから知らないのか!まあ、一部のファンがそう言って盛り上がってるだけだよ」
「あ、ああ、そう?なんだ……?」
「あれ~?元相棒を取られてご立腹ですか?」
「い、いやそうじゃねーし!そうじゃねーけど……いや、そうじゃなくない??」
あまりにも普通に受け入れられている影山・牛島コンビを指す「夫婦」という言葉に、日向はカルチャーショックのような衝撃を受けた。ショックというよりも非常に混乱している。そもそも男同士だ、というのは一旦置いておくにしても、あの牛島若利と"恋愛"なんてふわふわキラキラしたものがどうしても結びつかない。いや、牛島若利にも恋愛感情やスケベ心があって、高校や大学ではかわいい彼女がいたのかもしれないが。ただ、日向にとって牛島は"稚拙"とド正論で罵倒してくるようなきつい、というか厳しい性格をしている人間で(もちろん牛島に実力があり、誰から見ても日向が下手だったのは事実だが)、さらに言うと試合前の少しズレた受け答えに対人関係だってそれほど得意とは思えない。だからこそ、コミュニケーション能力に未だ難ありな影山と「兄弟」ならまだしも「夫婦」なんて言われるほど親密で優しい人間関係を築けているとは到底思えなかった。
「本当に?本当の本当にそう呼ばれてんの?」
「どれだけ確認する気だよ」
山口の苦笑を聞き流しながら、少し離れたところで言葉を交わす影山と牛島の様子を伺う。2人とも表情こそ乏しいものの険悪さはなく、コート上で見せる鬼のような気迫や鋭さの抜けた2人はどことなくゆるく穏かで、確かに平屋の縁側とかが似合いそうだ。
他の同期3人が談笑を始めたのを横目になんとなく似たもの夫婦(仮)を見ていると会話の途中、影山がかすかに目を細めた。見過ごしそうなほど小さく淑やかな仕草に、数秒遅れであの影山が笑ったのだと気づく。
これは、まさか、本当に???再度、混乱の渦に飲まれる。あまりの衝撃に視線を逸らせずにいると、熱い視線に気づいたのか徐に牛島が日向の方を振り返った。思いがけず視線が合ってしまったことにビクリと肩が揺れ、冷や汗がこめかみを伝う。悪いことは何もしていないのだが、不躾に見てしまった上に、影山の多分、牛島にしか見せないであろう稀有な笑顔を見てしまった後ろめたさに思わず後ずさる。
「日向翔陽。今日は綺麗に返されたが、次は全部弾いてみせる」
「ハ、ハイ!イイエ!!」
「?それはどっちだ」
不思議そうに首をかしげた牛島のジャージの裾を影山が小さく引っ張り「こういう奴です」と大変不名誉な補足を入れる。
そんな隣にいてわざわざジャージを引っ張る必要なくない?と脳内でそんなツッコミを入れる日向をよそに、牛島はただ「そうか」と頷いた。息をするような自然さで行われる親密な触れ合いを目の当たりにして、恋愛のれの字も知らない、というか興味もなかった元相棒のなんとも言えない甘酸っぱさに叫び出しそうになる。ブラジル仕込みの瞑想と「あくまで夫婦みたいってだけで!事実じゃないから!!」というセルフ脳内ツッコミを繰り返せば、徐々に冷静さが戻ってきた。
「あの、牛島さん!」
「なんだ?」
「俺は、今日がデビュー戦だけど次もその次も勝って、アドラーズからシーズン優勝奪ってみせます!」
「そうか、頑張れ」
素っ気なくも少しワクっとした雰囲気で頷いた牛島は、最後に影山へと視線を送る。影山が小さく頷いたのを見ると、さっさとその場を後にした。
「「おお~」」
アイコンタクトで通じ合う2人に山口と谷地が感嘆の声を上げた。月島は嫌というよりも少し不満気に顔を顰めている。案外、影山と牛島が夫婦扱いされているのにご立腹なのは、身内に対しては甘いというか素直じゃない愛着を見せる月島の方なのかもしれない。「僕の(僕らの)王様なのに」ってやつだ。一方、渦中の影山は、同期3人から向けられる視線に不思議そうな顔で首を傾げている。
それにしてもあのワクっという雰囲気といい、首をかしげる仕草といい、本当に2人は似ている。ただ、影山と牛島は一方がどちらかに似ているのではなく、お互いの一部分を交換するようにちょっとずつ似ている気がする。
夫婦が似てくる理由には元々似ているという説もあるが、仕草や表情を無意識のうちに真似しているからだという説もある。長い時間、真似しているから自ずと似通っていく。きっと影山は牛島と一緒に過ごしてきた長い時間の中で時に首を傾げ、時にワクっとした表情で隣を、コートの対角を見つめていたのだろう。だとしたら、見たこともない影山の淑やかな笑い方は、きっと牛島がそういう風に影山へ笑いかけているからかもしれない。一番近くで、仕草がうつるほど何度も何度も。
そう思うと「夫婦」呼ばわりは決して悪いものでも、混乱するほどのものでもないのかもしれない。スポーツという厳しい実力主義の世界で、優しい時間を長く共有できた信頼の証だ。混乱していた気持ちに自分なりの答えが出て、それがストンと腑に落ちた。
「やっぱり影山は牛島さんと似てるな」
「そうか」
日向がそう言うと、かつて影山に「牛島と似ている」と伝えた時と同じように少しそっけなく、けれども誇らしさと喜びを含んだように目を伏せた。つるりとした頬に長いまつ毛の影が音もなく落ちるのを見ていたら、透き通るように白かった頬がじわじわと赤く染まっていくのに気付き、カッと目を見開いた。
え、マジ?これって照れ??好意の照れ???旦那と似ていて嬉しいってこと????それとも選手的に?????あの時みたいに「いずれはあんなスパイク打ちたい」って言えよっ!!!!!!!
頬を染め恥じらうように目を伏せた影山の姿に、再再度、混乱の渦へと突き落とされた日向は、考えたって出口のない迷宮でフルマラソンした挙句、SNSで「影山 牛島 夫婦」と検索するなどの奇行に走った。
散々迷走した結果わかったのは、2人が長く優しい時間を共有していたのは事実だったし、日向が思ってた100倍くらい仲がよろしかったこと。そして「似た者夫婦」の「夫婦」が言葉通りになるのは、最早時間の問題なのかもしれないという日向にとってはある種、予定調和な事実だけだった。