伝わるぬくもり 送迎のバスから降り、吐いた息は白く、すぐ様消え入る。
吹く風は冷たく、肩をすくめて身震いするオールマイト。
「12月にもなるとほんとに寒いね、二人共平気かい?」
自分の後ろに続いてバスを降りて出てくる爆豪と轟を振り返り声をかける。
「こんくらい何ともねェ」と口元をマフラーに埋めて、そこから少し覗く鼻の頭を少し赤くしている爆豪。
轟は白い息を右側から吐き出しながら「俺も平気です」と答える。
二人の個性を考えると、自分ほど寒がっていないのも納得する。
「子どもは風の子って言うものね」
オールマイトは冗談交じりな口調でそう言って、冷えた指先に息をはぁっと吐き、手をすり合わせる。
その姿を見た轟が「オールマイト」と静かな声で呼ぶ。
「うん?」
オールマイトが轟の方に向くと、轟は左手をすっと持ち上げて、ぽっと小さな火が灯る。
「わあ……!」
感激したように声を上げるオールマイトが、ゆらゆらと揺れている炎の前に、手のひらを向けて両手をかざす。
橙色をした優しい光がオールマイトの指先を照らして、じんわりと温もりが広がる。
「ありがとう、温かいよ轟少年」
ほっとした様な顔で笑うオールマイトと、それを嬉しさの滲む、少しはにかんだ顔で視線を返す轟。
そんな仲睦まじい教師と生徒の様子を爆豪は眉をひくつかせ、マフラーに隠れて奥歯をぎり、と噛み締める。
(ふざけんなよ半分野郎……)
平然とオールマイトのすぐ目の前に立ち、彼の指先を包むように炎を灯す轟。オールマイトも灯されている炎で暖を取るべく、その身をわずかながら轟に身を寄せている。
そんな自然なやりとりで、そんな距離の近さになれる術を爆豪は持たない。
「爆豪も温まるか?」
轟は爆豪の方を向き、純粋な善意を宿す曇りなき眼でそう言った。そんな轟の気遣いを「誰がテメェで暖なんか取るか! 気色悪ィ!」と怒鳴るように叫んで突っぱねる爆豪。
その勢いに任せて爆豪は続けて言葉を吐く。
「それに俺だって暖取らせることくらい出来るわ!」
そう叫んだ爆豪はバチバチっと軽く掌の上に、火花を小さく散らして温めた手で、オールマイトが轟にかざしていた両の手を、引っ張るようにして握り込んだ。
そしてそのまま強く握りしめたまま、オールマイトに向かってどうだと言わんばかりに得意げに顔を上げる。だが、上げた先の視界に爆豪は固まった。
爆豪の目の前で金が踊るようにふわりと揺れる。
出した炎のそばに寄るだけの轟とは違い、爆破で温めた自らの手で触れなければならなかった分、それを急に引っ張ってしまった分、オールマイトとの距離が、近い。
今更になって、爆豪は自分のした行動の大胆さを自覚する。
自分の視界いっぱいに映る距離の近さに、自分の手のひらに伝わる、オールマイトのまだひんやりとしている指先の温度や、大きく細長く、そして少しカサついた皮膚の感触を感じた瞬間。心臓が、身体の奥底から鳴り響くような感覚に、爆豪は思わず息を呑む。
オールマイトは嬉しそうに、どこか安心したように目を細めて、どこまでも晴れた青空を持つその瞳は、柔らかい視線で爆豪を見つめる。
「爆豪少年の手、温かいね」
そう言う声は落ち着いた響きを持ち、優しく温かな声音が、手を包んでいるのは爆豪の方なのに、包み込まれるような安心感を与えた。
爆豪はただただ、その瞬間を認識するだけで精一杯だった。
近さを感じる度に、優しい声が耳に届く度に。胸が張り裂けそうになるほどの感情が爆豪の中で渦巻いていく。
オールマイトのすぐ目の前にいるその距離が、あまりにも近すぎて、触れるのが不敬だと思うくせに、触れたくてたまらないような、そんな感情に爆豪は押しつぶされそうになる。
「ッ、……っ、たりめーだろ」と漸く絞り出せた言葉は、その声があまりにも掠れているのを感じ、どうか気付かないでくれと、切に思った。
オールマイトが優しく自分を見るその目が、あまりにも近すぎて、爆豪は耐えきれなかった。その目を見ていられなかった。
自分が今オールマイトに感じている動揺や、心の中で渦巻く感情を見透かされてしまうような気がして。酷く優しいその視線から逃げたくて、爆豪は目を逸らす。
「いいぞ爆豪、そのまま前は頼む」
轟はオールマイトの背後で炎を出し続けて、先程よりも幾らか大きい炎でオールマイトの背中を真剣な顔をしながら暖める。
どこか呑気な響きを含む轟の言葉に、爆豪はオールマイトから感じていた温かさや優しさが放つ甘い余韻が、心の中に広がっていた感情が、轟のその呑気な言葉一つで無に帰したかのように感じた。
「黙れや半分野郎……!」
轟に苛立ちと呆れを含んだ声で、少し肩を落としながら、低く呟く爆豪。
オールマイトはそんな二人を見て、静かに。でもどこか愉快そうに、控えめに笑った。
「ふふ、二人共、有難いけどこれじゃ帰れないよ」
少しだけからかうように、でも穏やかな響きを含んでそう言うオールマイトは「だから」と続け、爆豪に握られている両手のうち、右手だけをほんの少しの動きでするりと抜き取って、そのまま轟の目の前で、ふんわりとした微笑を浮かべながら、穏やかな声で言葉を紡ぎながら、手を差し出す。
「三人で、手を繋いで帰ろうか」
轟はオールマイトの言葉と差し出した手に困惑する。あまり表情が動かず、わずかながら驚きの表情を浮かべるその顔には、何も言えずに少し戸惑った色が見える。
オールマイトの笑顔を前にして、その手をどう受け取るべきか、轟は迷ったように感じる。
「あっ、繋ぐなら左手より右手の方がいいかな?」
差し出した右手を見つめる轟の様子を見て、ふと気づいたようにオールマイトは小さく言った。
轟はその言葉に一瞬だけ瞬きをして、驚きと共に胸の奥がふっと温かくなるのを感じる。
オールマイトが自分のことを気にかけてくれるのが嬉しかった。轟の個性上、右手の方が冷たいだろうからという、ただの些細な気遣い。オールマイトにそれ以上の他意はきっと無いだろう。なのになぜか、それ以上に嬉しくて、轟の心の奥にじんわりと温かさが広がっていく。
「……いや、こっちでいいです」
静かにそう返しながら、轟はオールマイトの右手へ、そっと左手を伸ばした。
辛くて、憎くて、今までどれだけ憎んだか分からないこの半身。何度も拒絶し、何度も遠ざけ、それでも、自分の一部としてそこにあり続けるもの。
だから今は。「あつい」ではなく、「あたたかい」と言ってくれる人の冷える手を温めたかった。
轟は触れる瞬間、ほんの少しだけ躊躇いながら、それでもしっかりとオールマイトの右手を握った。
遠慮がちに触れた指先から伝わる感触と温度は、どこか穏やかで、柔らかくて、安心する。
憧れの人の手。
こうなりたいと思った人の、憧れた人の、その手をこうして握っている。
じわりと自分の熱が伝わるのを感じながら、轟はそっと指先に力を込めた。これは、ただの温もりではなく、個性の炎でもなく、自分がオールマイトに与えてもらった、これから自分が誰かに与えられる〝あたたかさ〟だと、思えたから。
いつか自分も誰かの手を握った時、安心させることが出来るようにと、祈りを込めて。憧れの人の大きな手と、確かに繋ぐ。
「何もよくねェんだよ、何で半分野郎と……」
爆豪はそう呟きながら、繋がれた手を見つめる二人の様子を明らかに不満げな顔で見ていた。
いとも簡単に離れていったオールマイトの右手が恨めしく、空いた隙間がやけに冷たく感じる。
まるでおもちゃを取られた子どものようだ、と爆豪は自分でそう思った。
自分の手の中には、まだオールマイトの左手が残っているのに、じわじわと焦燥感が胸を満たしていく。まるで、大事なものが指の隙間から零れ落ちそうな、そんな感覚に、無意識に奥歯を噛みしめる。
ふと、オールマイトの視線が爆豪に向く。
「……手、離そうか?」
そっと問いかける優しく穏やかな声音。爆豪の不満げな顔を見て、気遣ってくれたのだろう。
それは、けして嫌悪などではなく。
爆豪の意志を尊重するための、静かな提案。
けれどそう言われた途端、爆豪の胸の奥が切なく捻れる。
そういうところだ。
そういうところが、どうしようもなく優しくて、どうしようもなく――
だから、離してほしくなんてなくて、そう簡単に離そうとするな、と言いたくなる自分が、情けなかった。
「そんなこと、言ってねェだろうが……」
低く、不機嫌そうに呟いた声は、まさに拗ねた子どものようで。
オールマイトに触れている手に、無意識にぎゅっと力を込める。離したくない、離されたくない、と言葉に出来ないのに、手放すのも、手放されるのも、嫌だった。
自分が何でこんなにこだわっているのか、分からないわけじゃない。
ただの寒さしのぎのために繋いでいる手なのに。オールマイトが自分だけのものじゃないなんてことは、分かりきっているのに。それでも独占したくなるこの気持ちが、どうしようもなく爆豪の中に燻り続けていた。
「じゃあ、帰ろうか」
オールマイトは穏やかにそう言って、繋いだ二人の手を軽く持ち上げた。
まるで、子どもを引いて歩く親のように。
けれど、その手には余計な力はなく、ただ優しく、どこまでも落ち着くものだった。
爆豪はそれを振り払うこともできず、ただ無言で視線を落として歩く。
轟は少し照れくさそうにしながらも、どこか誇らしげに、握られた手の感触を確かめるようにする。
冬の冷たい空気の中、オールマイトを真ん中にして、爆豪がその左側、轟が右側に並び、オールマイトの歩みに合わせて、三人は歩き出した。
オールマイトは二人の少年が与えてくれるその温かさを、全身で感じ、心地よさそうにゆっくりと息を吐いた。吐いた白い息は優しく空気に溶けていく。
どちらもそれぞれに違う感触とぬくもりが手のひらに伝わってくる度に、胸の奥でじんわりと温かく広がって、誇らしい気持ちになる。
爆豪は前を見ているが、たまにどこか落ち着かない様子で、時折ぎゅっと、握る手に力が込められる、表情にはけして出さずに、そんな不器用な仕草が、愛らしいなと思った。
轟は静かで落ち着いていて、ただ手を繋いで歩いている。だが、それだけでもオールマイトには轟が十分に安心し、穏やかな心持ちでいるのが伝わってきて、嬉しさを覚える。
握った手のひらから伝わるのはなにも温度だけではない。日々己を研磨し積み重ねている努力の証が、指の節々や掌の硬さに滲んでいた。
轟は、歩きながら静かにオールマイトの温かさを感じていた。
自分がいつかこうなりたいと憧れたその人の温もりは、ヒーローとしての力強さだけではなく、心から溢れる優しさを感じて、どこか安心した気持ちが胸を満たす。
爆豪は、オールマイトの手のひらの熱をしっかりと感じながら歩き続けていた。
どんなに素直になれなくても、どんなに強がっても、この人が側にいることで、自分は少しだけ楽になれる気がしていた。
この人の熱が、爆豪の手に直接伝わってきて、心の中に優しく、切なく、ほんの少しだけ甘く、広がっていく。
二人の少年はいつもの寮への道のりが、いつもより少しだけ特別だと感じながら、足をゆっくり、ゆっくり進めていくのだった。
「温かいね」
言葉にすればそれだけで、白い息と共に静かな夜にすぐに消え行ってしまう。
けれど、今二人の少年から伝えられる手のひらの温もりがどれほど尊いものか、オールマイトは痛いほどに知っている。
努力を重ね、己を磨き、ひたむきに前を向いて進んできた少年たち。
その成長の軌跡を、こうして手のひらから、優しい温度と共に感じることができると、冷えた身体を、胸のところからじんわりとあたたかいものが体を満たしていく。
この熱を、未来へと繋げるために――彼もまた、前へと歩き出す。