爆豪の険しい顔が、カメラのレンズを真正面から睨みつける。
スタジオの空気がピリつく中、なんとかその雰囲気を和まそうとクラスメイトたちは声を上げる。
「爆豪ー! 笑えー!」
「かっちゃーん! ほらにこーって!」
「スタジオアリスかな?」
あちこちから飛んでくる軽口に、爆豪の眉間の皺がますます深くなる。
「うっせぇわテメェら!! 気ィ散る!!」
スタジオの天井に怒号が響き、周囲のクラスメイトはダメだこりゃというような顔をしながら肩をすくめる。
「おい爆豪、もうお前だけだぞ撮れてないの」
担任の相澤がため息混じりに告げると、爆豪はふんっと鼻を鳴らした。
「知るかぁ! アイツらがおちょくってくんのがわりぃんだろうが!!」
(こりゃ、どうやっても撮れねぇな)
そんな空気が漂い始めた時、相澤が静かにため息をついた。
「仕方ない……。おい、あの人呼んでこい」
「「了解でーす!」」
みんなが元気よく返事をし、足音が遠ざかっていく。
「は?」
爆豪が怪訝そうに眉をひそめたが、クラスメイトたちは面白がるように口元を押さえている。
そして、しばらくして。
「「連れてきましたー!」」
ドアが開かれた瞬間、爆豪の肩がぴくりと跳ねた。
そこにいたのは、緑谷に車椅子を押されているオールマイトだった。
「っ!」
爆豪の表情が一瞬にして強張る。
「え? え? 何?」
オールマイトは状況を知らされていないらしく、周囲を見渡した。
「爆豪少年が私を呼んでるって聞いたんだけど……?」
困惑した様子でそう言うオールマイトの言葉に、爆豪の肩がぴくりと跳ねた。
「は、はぁ!? お前ら……!」
怒りと動揺が入り混じった声でクラスメイトたちを睨む爆豪。
クラスメイトたちは視線を逸らし、誰かがわざとらしく下手くそな口笛を吹く。
(ふざけんな……何が「呼んでる」だ……!)
爆豪はギリッと奥歯を噛み締めた。
そんな中、相澤が申し訳なさそうな声で口を開く。
「すいませんオールマイト、暫くここにいてもらっていいですか」
「はぁ!?」
「え、うん、いいけど……」
驚く爆豪をよそに、戸惑いながらもオールマイトは頷く。
すると、それまで苛立ちを全面に出していた爆豪が、今度は急に押し黙った。
「っ、クソが!」
小さく悪態をつくが、先ほどまでのように睨みつけることはしない。
むしろ、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせている。
腕を組もうとするが、ぎこちなく指先が動くだけだった。
(なんで、オールマイトなんだよ……)
カメラの前に立つ爆豪を、クラスメイトたちが面白がるように囃し立てる。
「ほら、爆豪ー! 笑えー!」
「かっちゃんスマイルスマイルー!」
その声に、爆豪は力なく返す。
「うるせぇよ、お前ら……」
その言葉には、先ほどまでのような覇気がなかった。
たまに、ちらりとオールマイトの方を見る。
怒鳴ることも、舌打ちをすることもせず、ただ時折視線を送る。
そのたびに、何かを言いたそうに唇がわずかに動くが、結局何も言わずに閉じる。
オールマイトは、そんな爆豪の様子を静かに見守っていた。
何も言わず、ただ、ゆるやかに微笑んでいる。
爆豪の指先が、わずかに震えた。
「お前ら先戻っとけ」
相澤がそう言うと、クラスメイトたちは揃ってスタジオをぞろぞろと出ていく。
「「はーい」」
「オールマイト、かっちゃん、またあとでね」
緑谷がにこやかにそう言いながら、最後にスタジオの扉を静かに閉める。
爆豪はその様子を忌々しげに睨んでいたが、扉が閉まった途端、気まずそうに視線をそらした。
「オールマイト、少しいいですか」
そんな彼の様子を横目に、相澤がオールマイトにそっと耳打ちする。
「?」
オールマイトが小さく首を傾げると、相澤は簡潔に事情を伝えた。
「ああ、なるほど。わかったよ」
オールマイトは微笑みながら頷く。
相澤は、手に持っていたカメラのレリーズをオールマイトに渡した。
カメラを切るのは、誰よりも生徒の一番の笑顔を知っている担任が請け負っていたのだ。
「じゃあ、すみませんがよろしくお願いします」
オールマイトがそれを受け取ると、相澤はあくび交じりに肩を回し、部屋を出ようとする。
「お、おい、どこ行くんだよ」
慌てて声を上げる爆豪に、相澤は振り向きもせず応えた。
「お前の写真撮影が終わるまで少し寝てくる」
「はぁ!? 職務怠慢だろ!」
「お前のせいだろうが」
相澤は呆れたようにため息をつきながら言い放つ。
「はあ、30分やるからさっさと終わらせろ」
「おい、ふざけんな!」
爆豪が叫ぶのも聞き流し、相澤はスタジオの扉を開ける。そしてバタンと無情に閉じられる扉。
爆豪は舌打ちしながら振り返る。
スタジオには、オールマイトと二人きり。
静まり返ったスタジオに、かすかに機械の音が響く。
空調の音さえも気になるほどの静寂の中、オールマイトはふと微笑んだ。
「そういえば、この前ね」
唐突に話し始めるオールマイト。
「……は?」
爆豪は不意を突かれたように顔を上げた。
何を言い出すのかと思ったが、オールマイトは気にする様子もなく続ける。
「ちょっと面白いことがあったんだ」
一瞬、警戒するような視線を向ける爆豪。
だが、オールマイトの柔らかい表情に圧はなく、いつもの調子で話し始めるのを見て、結局黙って続きを待つことにした。
ただの何気ない世間話だった。
爆豪の反応を気にせず、オールマイトはゆるく、楽しげに話し続ける。
「……っていうことがあってさ、いやぁ、あの時はほんとに参ったよ」
爆豪はそわそわとした態度のまま聞いていたが、やがて、それまで何となく聞いていた話の流れに、思わずつられてしまう。
「っは、何だよそれ」
自然と笑いが漏れた、その瞬間。
カシャ。
静かなスタジオに、小さくシャッター音が響いた。
「……あ?」
一瞬の出来事に、爆豪はわずかに目を見開く。自分の笑顔が切り取られたことに、まだ気づいていないまま。
オールマイトは、手元のレリーズを見つめながら、優しく目を細めていた。
「ふふ、今の爆豪少年、すごくいい顔だなって思って撮っちゃった」
オールマイトはレリーズを持ったまま、冗談めかして笑う。
爆豪は一瞬ぎょっとして、すぐに眉をひそめた。
「……勝手に、撮ってんじゃねえよ」
「いやいや、ほんとにいい笑顔だったんだよ」
オールマイトは悪びれずに笑いながら、パソコンの方へ視線を向けた。
「これでいいか確認してくれる?」
「……あんたが確認しろ」
爆豪は不機嫌そうに腕を組む。
「オールマイトが納得するんだったら、それでいい」
ぼそっと言って、そっぽを向く。
オールマイトは、ふっと優しい目をして「わかったよ」と頷いた。
パソコンの画面で撮影した写真を確認する。
カチカチとマウスを動かし、画像を拡大するオールマイトを、爆豪はちらりと盗み見た。
「うんっ、やっぱりいい笑顔だ」
画面を見つめながら、満足そうにオールマイトが笑う。
オールマイトのその無邪気な笑顔に、爆豪は妙に気恥ずかしくなった。
「……そーかよ」
照れくさそうに、呟くように返す。
それ以上は何も言わなかった。
「終わったって言いに行った方がいいのかな?」
オールマイトが、ちらりとスタジオの扉を見ながら言う。
「……どうせ、あとで戻ってくんだろ」
爆豪は座ったまま、どこか面倒くさそうに答えた。
「行き違いになっても困るものね。じゃあここで待ってようか」
「……」
特に異論はなく、爆豪は黙ったまま。
オールマイトは少しだけ姿勢を崩し、穏やかな調子で問いかけた。
「爆豪少年、最近腕の調子はどう?」
「ようやく手に力入るようになってきた」
そう言って、爆豪は右手を軽く握る。
指の動きを確かめるように、一度、ぎゅっと拳を握り締めてから開いた。
オールマイトはその様子を見て、感心したような声を出す。
「もう? ほんと君の回復力には驚かされるな」
「……まあな」
爆豪は視線を落としながら、どこか誇らしげに鼻を鳴らす。
オールマイトが穏やかに笑い、また他愛のない話を交わしていると、スタジオの扉が開いた。
「おい、どうだ終わったか」
相澤が無造作に入ってきて、部屋の空気を確認するように二人を見る。
そして、微かに目を細めた。
「どうやらちゃんと終わったみたいだな?」
「うるせぇわ」
爆豪がむすっとした顔で返すが、相澤はそれを軽く受け流す。
「あ、見て見て相澤くん」
オールマイトが、いたずらっぽく笑いながらパソコンの画面を指差す。
「すごくいい顔だと思わないかい?」
相澤は無言で画面を覗き込んだ。
そこには、どこか柔らかく、穏やかに笑む爆豪の姿が映し出されていた。
「これは……」
一瞬、言葉を探すように息をつく。
「そうですね、とてもいいと思います」
相澤の口元も、わずかに緩やかな弧を描いていた。
「ふふ、よかった」
オールマイトがまた満足そうに笑う。
爆豪はそんな二人の反応に、気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……終わったなら、俺ァもう行くぞ」
立ち上がった爆豪の耳が、ほんのり赤くなっていたことに、オールマイトも相澤も、気づかないふりをしていた。
後日。
「そういや結局、爆豪の写真ってどうなったんだろうな!」
クラスメイトの一人がそう口にすると、皆が一斉にアルバムをめくる。
「お? 見てみるか!」
「こっちのページじゃね?」
興味津々でアルバムを覗き込むと、そこには。
「……何これ」
「誰?」
「超穏やかじゃん」
「爆豪くんってこんな顔できたんや……」
一人一人が並ぶ中で映っていたのは、柔らかく笑う爆豪の姿。
睨みつけるでもなく、威圧感もない、ただ穏やかで、どこか満ち足りたような表情だった。
「え、これマジで爆豪?」
「加工とかしてねぇよな?」
「喧嘩売ってんなら買うぞテメェら……!」
爆豪は明らかに苛立っている様子で睨みつけるが、もう三年の付き合いなので、クラスメイトたちはそれを気にする様子もなく、まるで日常の一部のようにスルーしていく。
「これあれだよな、オールマイト呼んだ時の」
「あーそうそう! その前まですげぇ顔してたのにな!」
「マジで人相悪かったのに、こんなに変わるんだな……」
「爆豪にこの顔させるオールマイトすげぇよな」
「なー」
クラスメイトたちが口々に感想を漏らし、アルバムを眺める。
「……うるせぇわ」
爆豪がぼそっと呟く。
クラスメイトたちが談笑する中、爆豪はそっぽを向いて、アルバムの中の自分の笑顔をもう一度ちらりとだけ見る。
そこに映っていたのは、普段の威圧感や苛立ちとは全く違う、穏やかで落ち着いた表情の自分。
目尻が緩んで、口の端がふわりと上がっている。鏡の前で見たこともないような、リラックスした顔だった。
「……チッ」
舌打ちひとつ残して、爆豪はアルバムを閉じた。