空が見える場所 きっかけは至る所に転がっている
最初に惹かれたのはどこかと聞かれても憶えていないと語ろうとウーヤは考えている。
話せば長くなるが、つらつらと語るのは性に合わない。
故に、語らないに限るのだ。
ささくれだっていると感じた口調は少しずつ棘がなくなっていった。
思い返すと、他の世界の破壊者と遭遇したあとのことだ。あの頃から少し心を開くようになった。
少し。本当に僅かだけだ。
行動もただの無鉄砲というわけではない。
言い過ぎか。
日常生活はさておき、戦闘となれば周りをしっかり見ていて剣技を使い分けている。
桜華流を中心に組み立てられた戦術はまるで舞を披露しているようで、思わず見惚れてしまいそうになる。相手の隙を突くのが上手く、低い位置からの技を好んで使う。多分こだわりがあるのだろう。中でも八重霞という奥義は圧巻である。
「剣聖と呼ぶに相応しいだろう? あれは応用力がある」
召喚されてから間もない頃、その称号を与えたサイファが愉しそうに語っていたのを思い出す。
——確か、新年祝賀の儀だったか。
各地の地主や村長などを招待し、半日をかけその土地の平穏を祈る儀式。
天弓の射手アズサが五穀豊穣と厄祓いを願って弓始神事を行う。離れた位置から木の枝を射てそこにくくってある木の実が詰まった袋を仕留めるというものだ。
そのあと聖なる巫女ゾーイから預かった福豆が十傑の手から招待客に渡される。植えると一年間豆が実り続けるとされており、食に困らないという言い伝えがあるのだそうだ。
夕食が振る舞われたあと、アイリスとイロンデールが平穏無事を願って剣舞の奉納をして儀式は終わる。
「戦闘以外であの男の技倆を確認するならばこれから奉納される剣舞が最適だ。力強さの中に嫋やかさが見え隠れしている」
祝賀会も終わりに近付き今正に剣舞が披露されんとする中で語る皇王は過去を思い出しているのか目を細めた。
武者修行とやらで会得したいくつもの技を使い分け、特に舞が切り替わるその瞬間の表情は筆舌しがたいのだとか。
剣舞を見た一般客からは桜華流を学ぼうと道場の門を叩く者が毎年大勢出るのだという。
「ウーヤ殿も落とされるかもしれんぞ」
それはなんの変哲も無い言葉のようで、サイファも別段語気を強めに言ったわけでもなかったのだろうが、会場によく響いたように感じた。
「……」
それにしても返事に困窮する言葉である。
鴉の英雄という立場上、これまで自身の色恋沙汰には特に関心を持たなかったのだが、そんな身でも考えを覆される程の魅力があるというのか。
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第一印象なんてそんなものだ
どうしてもサイファの代わりの存在を求めてしまう。その役割を押し付けるのは悪いことだと思っていたがそうしなければ先に進めなかった。
だからあんなことで立場が変化するなんて考えもしなかった。
冗談じゃない。
自室に戻ったイロンデールは行き場のない怒りを抱えて沸々としながら寝床に横になる。
脱ぎ捨てたブーツや放り投げられた武具などをアイリスに見られでもしたら武道を極めんとする者が何事かと説教をされることだろう。
しかしそんなことはどうだっていい。
——あんなおっさんの世話なんか誰がするかよ!
この世界に召喚されたとか英雄だとか馬鹿馬鹿しい。新しく来る者など次元の狭間を通ってくる賊で足りている。
来て欲しいわけではないが。
大体あの男はこちらが『おっさん』と呼ぶに値する外見だ。つまりいい歳をしている。
——子供じゃねぇんだから世話なんかされなくても勝手にこの世界に順応できるだろ!
口を尖らせたまま頭の後ろで指を組んでいたイロンデールはそれを外してゴロリと寝返りをうった。
サイファの考えはよくわからないが、あとになれば良い方向に進むことが多かったのでエルフの進言に従っているとはいえ、今回もきっとそうなるのだろう。
だとしても。
——納得いかねぇ。
イロンデールは布団を頭から被った。
イリソから破壊者とやらの召喚の地までそれなりに距離があったしそこからジダ城までも獣を討伐しながらだったのでひどく疲れていた。加えてウロボロスを追い払ったので体力は限界を迎えている。
瞼はすぐに重たくなった。
そして古い記憶が蘇る。
初めてこの城に連れられてきた時のことだ。サイラスについてきてみればそこには風格のある男がいた。
「サイファ様、これが……イロンデールです」
イロンデールの前に何か言葉があったような気もするが、幼いその頭では理解できなかった。サイファが苦笑してそのあとサイラスが食い下がっていたので多分悪い言葉が付属していたのだろう。
——サイファサマ……。
聞いたことはある。
この国で一番偉い人間だ。
「免許皆伝と聞いたぞ、イロンデール」
ぽん、と頭の上に乗せられた手は大きく温かかった。子供扱いにジトリと睨みつけてみたが彼はどこ吹く風といった様子で頭を撫で続ける。
「……っ」
腹が立つ一方で体がムズムズとして仕方ないのでサイファの手を払うと、彼は
「おっと」
などと言い、余裕がある様子で離れた。代わりに別方向からゴツンときつい一撃を貰う。
「こンのっ……戯け者が! サイファ様に失礼を働くなとあれほど言っておいただろう!」
サイラスの怒号を止めたのはそのサイファサマだった。
「いや、サイラス。私が悪い。挨拶もなしに頭を撫でられれば気分も悪くなろう」
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皇王は鴉と燕を翻弄する
サイファが逝去して二回目の冬。
昨年は喪に伏すため開催されなかった新年祝賀の儀が今年は執り行われるという。
城下町は活気で賑わい、露天商はたたき売りに近い状態で商品の案内をしていた。
鴉の英雄ウーヤは朝からイロンデールに付き合い、各店舗を回って歩く。
ここのみたらしの餡は丁度いい甘辛さだとか、あの店の濡れおかきは串に刺してあるから食べ歩くのに重宝するとか、あの店の酒は美味いらしいとか。興奮した様子でこちらを案内する燕は行く先々で店の物を購入していた。
実際イロンデールが勧めてくれた店の売り物は美味かったし、酒はすっきりとした口当たりなのにどこか深みがあって晩酌が楽しみになる味わいであった。
アルヴァロの元に向かう時からその片鱗は見せていたが、いつの間にかこちらの好みを把握しているのだから恐れ入る。
気に入られた証拠か。
サイファの逝去から立ち直ったあと、『ウーヤの旦那』と呼んでくれるようになったのも嬉しいことだった。
それはそれとしてまだ青いところは残る。
「失礼する。頼まれていたものを持ってきたのだが……」
ジダ城内のとある一室に桐箱を届けに入ったウーヤはそこで言葉を止めた。
一昨年、女性様衣装で身を包み剣舞の披露をしていたその男は、鶯色をした襦袢の上に白緑色の着物を身につけ濃紺の袴を穿いていた。反対色である金の矢羽柄が映えており、紅梅色の帯は暖かみを演出して春の訪れを予感させる。
彼は女官に化粧を施されているらしく椅子に座ったままじっとしていた。
【中略】
「それで、サイファ殿はどうしていたのだ?」
「何?」
「サイファ殿はどこまで手を貸したのだ、と聞いている」
「……それは旦那に頼むことじゃない」
「ならば、起き上がれるか?」
寝台に横になったままのこちらにウーヤが問う。体に力を入れ、なんとか起き上がることはできても疲労でまともに動くことはできない。ならば、とウーヤが今度は手を差し出してきた。
「握ってみろ」
「……」
言われた通り握り返すが指先が震えてしまう。
「なるほどな……」
ウーヤは納得したように頷くと傍の戸棚の中から手巾を取り出した。
「旦那……?」
「起き上がる力も握力も共にないのであれば俺が手を貸すしかあるまい」
「……!」
顔が熱くなる。
流石に、それは。
「いや、旦那! 本当にっ……」
「噛んでいろ」
口元に用意された手巾を持ってこられた。
——どこまでも同じことを……。
サイファの面影が重なる。
ずっと頼っていた存在がいなくなって、代わりなど出てこないと思っていた。前室で化粧をされている時、ウーヤにそれを求めそうになってしまい、それは失礼だと依頼の言葉を飲み込んだのにどうしてこの男は。
「頼む……」
ぽつりと呟いて、手巾を噛んだ。
「うむ」
ウーヤの声から幾許かの緊張が感じ取れる。
イロンデールとて同じだった。
同性の、しかも長い付き合いになるだろう破壊者に恥部への接触を許すなど。
袴の腰紐も、帯も既に緩められていた。運ばれた時に医師に指示されたのだろう。袴の前布を開かれ、襦袢の間を縫って忍び込んだ鴉の手が下帯の中に忍んでいく。屹立をそっと握ったそれは大きく、少しゴツゴツとしているが温かい。サイファとはまた違うところに形成されたマメが擦れて、イロンデールは息を詰めた。
「これは……つらかったな」
鴉はそう労ってからゆっくりと手を上下させた。
「……っ」
ピクンと体が跳ねてしまい、慌てて取り繕う。他者の手でそんな簡単に感じてしまうなどあってたまるものか。声が出ないように我慢すれば必然と鼻息が荒くなってしまい興奮が強いと勘違いされそうだ。唾液の量は明らかに増えて手巾がじわりと濡れていく。
示指でスリスリと裏筋を撫でられる。それから全体を慈しむように撫でられて、母指が先端をグリグリと押した。
**********
止まることのない時の中で
アイリスが違和感を覚えたのは辺境の村の崖上に作られた次元の狭間の調査をしに出かけた時だった。
ここは獣が特に獰猛で、異形のものの影響もあってか人々を襲う案件も増えている。
報告を聞いているだけでは状況の判断に困ったので碧炎と紫雲に皇国を任せ、出向いたのだ。
そこには勿論ウーヤとイロンデールも同行した。狭間の近くはいつウロボロスが現れるとも限らないのだ。
現場に着いて間もなく、気が立ったシリュウトカゲとヒーズル蜂の群れに遭遇した。
「一体何が起こってる⁉︎」
アイリスは目を丸くする。
確認したそれぞれの個体は普段討伐している個体よりも一回り大きくなっているのだ。
「まずいな。トカゲの方はこのまま放っておくと厄介な成体になっちまうぞ!」
「狭間の向こう側もそうだがこの辺りの調査もせんと同じことの繰り返しというわけか」
イロンデールとウーヤはそれぞれ言いながら臨戦態勢に入っている。
そして先に飛び出したのは燕の方だった。
彼は他の剣士よりも体格が一回り小さいことを逆手に取って素早く相手の間合いに詰め寄り、居合で切り倒していくことを得意としている。
それが他の侍士団員を鼓舞する行動だということも理解している。
目論見通り、アイリスの後方で構えていた団員の纏う空気が変わった。
「かかれ!」
アイリスの号令でそこは戦場と化す。
「アイリス、あれいくぞ!」
「見せてやりましょう!」
イロンデールの掛け声に併せてアイリスも剣を振るう。桜華流の合わせ技は昔から何度も活用してきた。広範囲の敵を倒せるのでこういった局面では有効だ。
技を出したあと、アイリスはいつもイロンデールに目を向けている。黄支子色の襟巻きの内側で彼がこっそりと笑っている姿が見れたら上手くいった証拠だ。
——今回も気持ち良く剣が振えたようだな。
安堵をしたアイリスだが、その後のイロンデールの動きに疑問を持つ。
——何故ウーヤ殿と連携をしない?
ウーヤと互いに背中を預け合い共闘はしている。互いを庇いあってもいる。
だというのに。
アイリスが理解できないままに獣たちの討伐が終わった。兵に傷の手当てをするよう伝えたアイリスはもう一度ウーヤとイロンデールに視線を送る。
普通に話をしている。
ぎこちなさもないし笑顔も見せている。
「——なんなのだ……」
呟いたアイリスは一つ息を吐いて、閉じていた目をパチリと開けた。
天井から落ちた雫が湯船に波紋を作る。
辺境の村の討伐から一週間。調査のための兵を残してようやくジダ皇国に戻ったアイリスへ、数日の休暇を取るようアズサから声がかかった。
「たまには自宅で過ごすのも悪くないですよ」
と微笑んだアズサの言葉に甘えることにしてアイリスは沈む夕日を背に、道場が併設される生まれ育った家に戻ることにした。
野営続きで塵や埃を洗い流せなかったので真っ先に風呂場に向かう。久方ぶりの自宅の風呂は懐かしくて緊張の糸も解れていった。
しかしただのアイリスに戻るのも僅かな時間で、目を閉じれば先頃の討伐の光景が頭に浮かんでしまう。イロンデールが意図的に息をずらしていたわけでもないしウーヤがイロンデールに力を貸すのを惜しんでいたわけでもない。
「本質が見抜けないなど……まだまだ精進しなければ……」
呟いたアイリスは風呂場の外に視線を向けた。気配は家の奥に消えようとするので声をかける。
「……イロンデール」
「おい。こっちは風呂にいるのがわかったから声をかけなかったんだぞ?」
「わかっている」
照れているのだろうか、弟弟子は少し慌てた声だった。どんなに時を経ても外見や背格好が変わらぬ彼は何か心に抱えるものがあるとこの桜華流の道場に戻ってくる。
「ふふ……もう少しで出る。そうしたら話をしよう。食事も一緒にどうだ?」
「ん? それなら、簡単なものを作っておく」
「楽しみだな」
父サイラス仕込みのイロンデールの料理は見栄えを気にしていないし味も一流とは言えないがそれでも家庭の料理という暖かみがある。
「昔に戻ったみたいだ」
ウロボロスが現れる前の時期を思ってアイリスは苦笑した。