ハロウィンとか相談所(15) 霊幻の感傷的な思いを乗せた声を打ち消すように、エクボのドスの効いた声が響く。
「てめえは!本当に俺様の話を何一つ聞いてねえ!」
「そんな事」
「あー!うるせえその口にもまだ憑いてやがる!!」
霊幻の言葉を遮るようにエクボが顎を持ち上げ、角度を付ける。そして、目を見開き何が起きているのか状況を把握すら出来ない霊幻を他所に、唇付近に纏わりついていた黒い靄のような悪霊に嚙みついた。
が、それは角度のせいかキスのように互いの唇を重ね合わせる結果になってしまう。この状況は一体なんだと目を白黒させている霊幻を他所に、吉岡の身体を借りたエクボは忌々し気に眉を寄せて悪霊を飲み込むと、床に唾を吐く。事務所を汚すような真似を許す霊幻ではないが、今は衝撃で乙女のように震えている。
エクボに。エクボにキスされてしまった。それも連続で二回もだ。
最初のものは除霊と分る、が二回目のは角度が違うせいでよりキスされた感覚が強く、霊幻の腰が引けた。まずい、下半身が勝手に反応してしまう。条件反射だ。
何度も自分一人の安寧な空間で夢を見て、慰めてきた妄想の具現化。
キスされたい、そう願っていた霊幻の望みは本人の願いとは違う形で、相手は全く色事の気配ゼロのまま叶う事になった。
身体は借り物でほぼ知らない男のものだが、中身は確かに霊幻が恋する悪霊。
除霊の為に身体に指がはい回っただけでのけ反りそうになったのに、まさかの生身と生身の接触に頭の部品が数個弾けたかもしれない。
動揺する霊幻を他所に不味い悪霊を食べさせられたエクボの機嫌は地獄の底より深く沈み、とても凶悪なものを纏っていた。
まさに悪霊そのものの緑のオーラが不機嫌を火の粉のように振りまいてパチパチと弾けてゆく。キスをしたという認識すら多分ないと霊幻にもはっきり分った。
除霊の一環の行為であって、エクボにはひとかけらの恋愛感情も含まれていない事を。溺れる人間に人工呼吸をしたのとそう変わらない事だ、と思うと切なさで胸が痛む。
「いいか、てめえの頭は鳥頭か?!俺様や茂夫たちが何回同じ事を言って、こんな目に遭えば気が済むんだ!本物に対応出来ねえてめえに出る幕なんざねえ!黙って俺様が来るのを待てって言ってんだろ!今日だってな、ダッシュで体借りてここに戻ってきたんだぞ」
用事があるから出ていくが芹沢が学校へ行く時間には戻るから、変な依頼が来ても何もするなよと言い残してエクボはテルの取材に同行したのだ。
しかし市庁舎で例の魔法陣を見て、何か嫌な胸騒ぎを覚えて慌てて吉岡の身体を借りて駆け付けてみれば、事務所は黒い霧に囲まれるように夥しい数の悪霊に囲まれていた。
「俺、今日体付きで来いって言ったっけ…?」
「体付きだろうが霊体のままだろうが関係ねえ。いいか、霊幻。二度とは言わねえ。今後本物の匂いが少しでもしたら必ず俺様を呼べ!」
「エクボを…?モブじゃなくて?」
霊幻の疑問に悪霊は小さく舌打ちする。確かに霊幻の言う通りだ。この相談所には茂夫も芹沢もいる。なのに一番先に連絡しろとは。何故そんな事を口に出したのか、と思うより先に霊幻が反発する。
「エクボを呼ぶ方法なんて俺知らない」
悪霊のエクボには連絡手段などない。気ままに浮遊し、気が向けば事務所に来る存在を頼りにしていいはずもないのに、エクボは自分をまず頼れと言ったのだ。霊幻はそう言って背を向ける。気丈な詐欺師の面影はそこにはない。
恋して愛して止まないエクボからの除霊という名のキスの衝撃、そして自分を頼れと言いながらの悪態。どう考えても混乱しか生まれない感情に揺れ、さらに反応しかかる身体を理性で保つ事さえ難しく床に尻を付いていた。
「そりゃそうだが…。でも一人で何でも先走って突っ走るのはお前さんの悪い癖だ」
「大した事ないと思ったんだって。本当に普通のマッサー…じゃない、呪術クラッシュのつもりだったし、俺だってこんなに悪霊が飛び出してくるなんて思わなかったんだよ」
霊幻の言葉にエクボは眉を顰める。言われてみれば一理ある。霊幻でさえ視認出来る程の悪霊の群れであれば、客がいるうちにいくら何でもその危険さに気づくはずだ。しかしエクボと客が入れ違いになると同時くらいに悪霊が部屋に満ちて噴き出したのだから、霊幻にも予想がつかなかったというのは間違いない。
おかしな事ばかり今日は立て続けに起こる。エクボは市庁舎で見た魔法陣と、謎多きチェシャ猫、島崎の盲目の笑みが頭に浮かびバツの悪さをごまかすように小さく舌打ちをした。
「霊幻、とにかくお前さんは俺様の言う事を聞きやがれ。いいな」
命令とまではいかないが、強い口調のエクボの低い声に霊幻は返事が出来ない。床にへたり込んだまま、主人に叱られた子犬のような情けない顔をしてエクボの顔を見上げた。分かった、と聞こえるか聞こえないかの小さな声で返事を返して、ようやく相談所に静けさが戻る。
こうして波乱万丈に満ちた相談所の長い一日が終わりを迎えた。