傘南米には不釣り合いな洋館の窓辺から、ドラルクは物憂げに外を眺めた。
「今日は雨かぁ……。ジョン、残念だが今日のお散歩は中止だ」
「ニュニュニュ〜?」
ドラルクの腕の中で、言い聞かせるように語りかけられたちいさなジョンは、どうしてと首を傾げる。
「そういえば、君にはまだ私たちの性質をしっかりとは説明していなかったね」
ドラルクは一つ頷いて、吸血鬼という存在の性質を語った。吸血鬼は死ぬと塵になること、また吸血鬼は雨が嫌いで、雨の日はあまり外に出ないこと。塵の状態であるとそのまま水に流されて二度と復活できなくなること。ドラルクは大粒だと雨粒にすら負けること。
「ュニュ〜〜〜!??」
ジョンは体の毛が逆立つほど驚き慌て叫び上がった。
ジョンは今は完治しているが、身体中傷まみれの状態でドラルクと出会い、傷が治るまでそれなりの時間をドラルクの側で過ごした。ドラルクがどれだけか弱いかは自分の痛み以外に目を向けられるようになって一番に理解したことで、水場も鬼門だとよくよく理解していた。しかし、それらと南米では恵ですらある自然界の雨とが、今に至るまで結びついていなかったのだ。
「ュン!!」
「ジョン!?」
ジョンは慌ててご主人の腕を抜け出すと、窓辺に駆け寄り、一つ一つ鍵がかかっているか確認する。そしてご主人をぐいぐいと引っ張り、窓辺から部屋の中央にドラルクを移動させた。これでひとまずは大丈夫、窓からさまざまないきものが飛び込んで来ない限り…とドラルクの腕に戻る。
「おや、心配をかけてしまったかい。けど大丈夫だよ、ジョン。この屋敷は御真祖様の能力が掛かっているからね。例え何かが飛び込んできても雨は降り込まないようになっているのさ」
ドラルクが得意げに笑う。窓は割れるのか、とジョンが首を傾げると、「お父様は割れないようにしたがったけど、なんでも出会いに繋がるかもしれないから、と御真祖様が」ドラルクは肩をすくめていた。
「それに、多少の雨ならいくら私でもそう簡単には死なないさ! まぁ靴に水が入ったりするとじわじわ気持ち悪くなって死ぬとかはちょっと……稀に良くあるけど」
「ュ〜!!!」
死んだらダメ! 流されちゃう!!
すっかり不安になってしまったジョンは、少しの冗句も受け付けない。(ジョークではなかったが。)ドラルクはジョンを腕の中に、大丈夫だ、とまるでゆりかごのようにドラルクは優しく揺すりながら、しかしこのまま寝させてしまうのは宜しくないなと考える。吸血鬼は雨を嫌うが、ドラルクはまだ新しい吸血鬼だ。雨の日に外に出たい日だってあるし(死ぬけど)、なんなら家事で流水には毎日触れているのだから、ジョンがここでドラルクは水場はダメなのだと学習すると、のちのちのドラルクが困ることになるだろう。ドラルクは、ジョンを使い魔にするつもりでいるのだ。自身の方針くらいパートナーには理解してもらう必要があるだろう。
ドラルクは先程引き剥がされた窓辺に向かってゆっくりと歩きながら、伺うようにジョンを見る。
「…ねえ、ジョン。少し外に出てみないかい?」
「ュ!? ォー!!」
NOとやけにきっぱりした返事だが、ドラルクはめげない。
「外に出たってすぐ雨に降られることはないんだよ。玄関にはポーチがあって、雨をそこで防げる。それに、ジョンに見せてあげたいものがあるんだ。多分ジョンはまだ知らないはずだから」
ドラルクが流れるように言えば、ジョンとて頷かずにはいられない。好奇心旺盛なところは、ドラルクとよく似ていた。
「ュュュ……ニュン」
「十分だけですよ」、と制限をつけたジョンにも、ドラルクは「勿論だとも」鷹揚に頷いてみせた。
ドラルクの腕の中のままで外に出る。玄関には灯りが掲げられていて、煌々と足元を照らしている。懐かしい匂いがした。雨が乾いた土に染み込んでいくのが見えなくてもわかった。雨季が近いのかも。
ジョンが呼吸をすると、ドラルクも同じように空気を味わっていたらしい。
「あぁ…やはり雨は雨で風情があるね」
「ニュ〜」
それは土地に生きる者ではない見方だったが、ジョンが危惧していたような雨に怯える様子はドラルクにはなく、それだけでジョンは強張っていた体が楽になったようだった。
「ふふ、そんなに安心した顔をして。ほら、見てごらん。これが玄関ポーチさ! 雨をしっかりと遮ってくれる上に、とても優美だろう?」
「ニュン!」
ドラルクの得意げな声につられて見上げると、洋館の入り口は少し出っ張っていて、入口につながる階段までを覆う庇が付いている。庇は細かい装飾や加工がさりげなく施されていて、ジョンの目から見ても芸術的だと理解できた。
「雨に濡れて困るのは人間も同じだからね。彼らは身体が冷えることで機能が低下したり、運が悪ければ死んでしまうことだってあるんだ。だからこういう場所を作ったし、…ほら、見ておいで」
「ニュー?」
ドラルクはジョンをそっと腕の中にから下ろすと、玄関から持ってきていた細長いものを自身の真正面の地面へ向けて、ゆっくりと押し広げた。まるでコウモリの羽のようなそれを、ドラルクは頭上に掲げそのまま玄関ポーチの外へと歩いていく。
「ニュ!?」
「大丈夫」
驚いて駆け寄るジョンを声だけで宥め、ドラルクはとうとう庇の下から抜けた。ニュッ! 息を詰めるジョンとは逆に、ドラルクはからりと笑っている。
「これはね、傘と言うんだよ。自分の行くところに庇のように広げられるんだ」
「ニュ!ニュニュ!」
説明は良いから早く戻って! ジョンの焦りにドラルクがポーチへと帰ってくる。思わずジョンはドラルクに飛びかかり小さな前足で確認するが、たしかに触れているところは濡れてはいなかった。
「もう少し前は雨の時には使えなかったと聞いたけれど、今じゃ雨を弾くことだってできるようになっているんだって。足元は確かにちょっと濡れるけど、顔は大丈夫だろう?」
腕、胸、顔、とペタペタ触れるジョンを、ドラルクは好きにさせていた。どこも砂にはなっていないと認めて初めて、ジョンの意識が傘へと向く。
「ニュニュ〜!!」
傘をペシペシと叩くジョンに、ドラルクもすごいよねえと相槌を打ちながら見守る。傘は骨組みがあって、そこに布を貼り合わせているようだ。外側は水はついているけれど内側は無事で、まるで魔法のようで驚いてしまう。
「ジョンもどんな感じか、試してみるかい?」
「ニュン!」
ジョンの力強い肯定に、ドラルクは玄関ポーチの端ギリギリにまで立ち、半分雨が降る場所の地面に傘を広げて置いた。
「はい、どうぞ」
トコトコとジョンが向かった空間は、まるで木の下にいるようだった。しかし木と違ってこの傘は、わざわざ雨粒を避ける場を探す必要はなく、さらに甲羅は全く濡れることはない。けれどいつもより雨音は近い、不思議な空間だった。
キャッキャとはしゃぐジョンを、ドラルクが微笑ましげに見ている。
「気に入ったかね、ジョン」
「ニュン!」
「秘密基地にするのかい? それは素敵だね。…私も? 入っていいの?」
もちろん! ジョンの声に、「ならお邪魔しようか」と即座に返したドラルクは、ジョンの足元の汚れも気にせずジョンを胸に抱き抱えると、傘の中にちいさく丸めたその身を滑り込ませた。
「あぁ、これは…たのしいな」
「ニュ〜!」
棺桶と同じく狭い傘の中はどうやらお気に召したらしい。ドラルクと同じ空間にいられてジョンは先ほどよりも幸せな声をあげた。
確かにドラルクはか弱い身だったが、そんな彼を生かす技術は日々人間たちの手によって
生み出されていた。そして、そのような技術が無かったとしても、ドラルクは楽しいと思えばそちらへ行く意思を持つのだ。死は、ドラルクにとっては必然なのだろう。
ジョンはまた一つ、ドラルクのことを知った。だからと言って、ジョンがドラルクの死を心配しないこととは別なのだと、この後濡れた足から徐々に体が冷えて死ぬドラルクによってジョンは思い知ることになるのだった。