prayer「え?」
呆けた声を兄さんは上げた。
「だから、今年は無理なんだ」
「いや、でも、毎年この日は一緒に――」
「うん。彼女が祝ってくれるって言ってて」
「彼女」
「言ってなかった? 七月くらいから付き合ってるんだ」
当日どうやらサプライズを考えてるみたいでさ。
わざとそんなことを言って良心に訴えかければ渋面を見せながらも兄さんは口を閉ざした。
「いいじゃない。兄さんも祝ってもらいなよ」
さらに追い撃ちを掛ければ、ついには舌を鳴らしてキッチンへと煙草を吸いに逃げていったのだった。
そう、兄さんは今〝アイツ〟と喧嘩中なのだ。きっかけなんて知らない。兄さんは何も話さず、僕の部屋へ来てクダを巻いていくだけだ。もしかしたら話したいのかもしれないけれど僕の方から訊いてなんかやらない。
僕は二人の関係に納得したわけじゃないんだ。兄さんもそれをよくよくわかっていて、それでもアイツを選んだ。言うなれば先に裏切ったのは兄さんの方じゃないか。
「僕らもそろそろ〝兄弟離れ〟しないとね!」
換気扇の音に負けじと、僕は大声でトドメの一撃をお見舞いしたのだった。
12日。僕は朝からそわそわしていた。
でもそれは彼女のサプライズが楽しみだからではなく兄さんのことが気になっていたからだ。
HLになってから誕生日は兄弟一緒に過ごしてきた。こんな街で一年を生き延びたことを祝し、一年後またこの日を共に迎えられるように祈る。
でもそんな〝儀式〟を僕の方から無下にしてしまったことを今更のように悔いていた。もし今年一緒に祝わなかったことで来年一緒に居られなくなったりしたら。験を担ぐ性質ではないけれど、一抹の不安が過ってしまうのだった。
僕は私用の端末を取り出しメッセージアプリを立ち上げた。兄さんとの会話は誕生日のことを話したあの日が最後、「部屋に行っていいか」というメッセージに絵文字で「OK」と返していた。
画面に指を添えたままどんなメッセージを送ろうかと悩む。謝りたい気持ちもあるけれど、あれこれ言わず一言「Happy Birthday」がいいだろうか。
こんなことで悩むなんてあのときは予想もしなかった。アイツのことで悩む兄さんへの腹立ちでつれない態度を取ってしまったんだ。
しばらくそうして端末を握っているとデスクの電話が鳴った。僕はもう一方の手でそれに応え、不安が一年前倒しで現実となったことを知った。
分署に届けられた兄さん宛の荷物が爆発した。
署に届く物はすべて厳重なセキュリティチェックを受ける。当然その荷物も例外ではなかったが結果は「問題なし」として兄さんの手に渡されたのだ。
幸いだったのは、兄さんがそれを喫煙室で一人きりの時に開けたことだ。室内はめちゃくちゃになったが他に被害者はでなかった。
兄さんはすぐさま警察病院へ搬送され、約四時間の手術の後に個室へと移された。
爆発の衝撃で後方に吹き飛び壁に打ち付けられ全身に打撲・骨折多数、それから肝臓を損傷していた。箱を腹のあたりで開けたのだろうか腹部へ特に強い衝撃を受けたようだ。
とはいえ重傷だが重体ではない。
この街は地上でもっとも剣呑な場所になったのは確かだが、即死でもなければむしろ死からもっとも遠い場所になったからだ。
異界から流れ込んだ高度で胡乱な技術により、脳さえ無事ならば死ぬことはないのだ。どんなに肉体的なダメージを受けたとしても別のパーツに置き換えられるし、脳だけ取り出し丸々別のボディに移植することさえ可能だ。
兄さんはそんな極端なことにはならなかったが、異界医療の影響を受けた人界における最先端の手術を受けたのだった。やがて麻酔が切れて目を覚ませばすぐにも煙草を吸わせろだとわめき始めることだろう。そして驚異的に快復してほどなく退院するはずだ。
不安は最悪の事態とはならなかった。僕はとりあえず胸を撫で下ろし、そしてようやく〝事件〟について考え始めた。
配達物の中身は到着時の分析により素材はカシミアの、おそらくマフラーだったという。
一緒に添えられていたバースデーカードに検査官は誕生日のプレゼントだと判断した。これから寒くなる時期にマフラーは不自然ではなく、疑わしさは感じられなかったのだろう。
他に不審なものも紛れておらず、当然行われた術式へのチェックも「検出されず」という結果が出ていた。しかし爆発は起きた。
カシミアが自然爆発などするはずがないなら、HLPDの検査をもすり抜ける高度かつ特殊な術式が組み込まれていたと考えられる。
しかしそれほどの術が使えるならば分署ごと、いやブロックごと吹き飛ばすことも造作なかったはずだ。ところが威力としては精々一部屋を破壊する程度で、だからこそ兄さんも助かった。
僕は眠る兄さんの頬を指先で撫でた。
「兄さん……、ダニー」
セキュリティチェックを受けた荷物に兄さんも警戒心を持たなかったろう。バースデーカードを見て僕からだと思っただろうか。それともアイツから仲直りのプレゼントだと?
きっと喜ぶ姿を冷やかされるのを嫌って自分のデスクではなく喫煙室で一人になって箱を開けたのだ。その点は偶然であったにしても、犯人の目的は「兄さんだけ」を「傷つける」ことだった。
何ものかによる報復か。なるほど兄さんを逆恨みする犯罪者はごまんと居るだろう。しかしそれなら殺せばよかった。そうしなかったのは。
「警告、か」
誕生日という特別な日をわざと選んで、わざと威力を弱めた爆発で重傷を負わせるに留めた。その陰湿なやり口に怒りが湧き上がる。
いったい〝敵〟は誰か。いや、そもそもこれは兄さんがターゲットだったのか。兄さんを黙らせるのが目的ではなく、間接的に他の誰かに精神的ダメージを与えたかったのでは。
そうだとしたら、真のターゲットは。
「アイツ、か」
消灯時間が過ぎ、薄暗い廊下を行くとその先で人影が僕を待っていた。今一番会いたくない相手だったが、来ることはわかっていた。
「ロウ、警部」
「よくもまぁぬけぬけと顔を出せたものだ」
肩で荒い息をして、いかにも慌てて駆けつけましたとばかりの様子に苛立ち嫌みが口をつく。
「ダニ……、警部補は」
「手術は成功したよ、問題ない」
「良かった。その、会いに行っても?」
「ダメ」
当たり前のように一歩を踏み出した相手の前に僕は立ち塞がった。
「面会謝絶。家族以外は入れません」
嘘だった。術後で絶対安静なのは確かだけど。
僕のそんなあからさまな嫌がらせにスターフェイズはいつもの高慢さで対抗するのではなく、どこまでも低頭で食い下がってきたのだった。
「マーカス、お願いです。一目だけでも」
「ダメだ。明日、出直してこい」
そう、〝今日〟は絶対に会わせない。
僕も負けじと我を張って、ほんの少し上にある瞳を睨め付ける。
「――わかりました。無事で本当に良かった」
スターフェイズは負けを認めたように目を閉じ、それだけを言い残して暗い廊下を帰って行った。
自販機でコーヒーと、子どもの頃によく食べたチョコバーが売られているのを見て、二つ買って病室に戻った。
兄さんはまだ眠っている。僕はベッドの脇に椅子を寄せてチョコバーの一つをその枕元に置いた。
「ハッピーバースデー、ダニエル」
なんとも侘しいけれどケーキの代わりだ。
僕はもう一つの封を開けて囓る。懐かしい味がした。
子どもの頃、二人してこの味にハマって毎日のように食べていた時期がある。当然体重は増えに増え、さすがに怒られて食べるのを禁じられたのだった。大人になってからもその記憶に縛られてずっと食べていなかった。
「やっぱり美味しいなぁ」
味覚が次々と記憶を呼び起こした。隣には必ず兄さんがいて、口の周りをチョコレートで汚しながら食べるのも、母さんに取り上げられ怒られて泣くのも一緒だった。
「ごめんね、兄さん」
僕はチョコレートの付いた唇をぎゅっと結んで涙を流した。
こんなことになったのは誕生日を一緒に過ごさないなんて言ったからだ。勿論そんな因果なんてあるはずはないけれど、それでもどこかに原因を見いだしたくて僕は自分を責めた。
もう二度とあんなことは決して言わない。
どんなことがあってもこれからずっと誕生日は一緒に祝おう。
そして一緒にしぶとく生きていくんだ。
兄さんの手に手を重ね、僕は祈るように誓った。
(オワリ)