たからさがし 事務所に着いてしばらく、私書箱サービスから新しい郵便物が届いているという連絡が入った。
個人的にライブラ外部の情報提供者との連絡用に契約しているものだ。それ故ここに届く情報の重要度はあまり高くなく、既出の案件の裏付けとして使えれば上々という程度だ。よって緊急性も高くない。
とはいえ放っておくわけにもいかないので、その日ランチで外に出たついでに受け取りに行った。
私書箱を開けると封書が一通届いていた。どこにでも売っているような白い封筒で、取り出すと中に紙では無いものが入っていることに気がついた。
封筒の上から指先で確かめる。細長く固い、金属片のようなこれは──
「鍵?」
僕はその場で封を切る。
案の定、中に入っていたのは鍵だった。それも数字が刻まれたタグ付きで、ロッカーのものなのだろうと思われた。
だが一体どこのものなのか。
手がかりを求めてもう一度封筒を覗くと、隅で紙片がひしゃげているのを発見した。メモ帳の端を無造作にちぎったのだろうそれには走り書きで住所が記されていた。
ここからほど近く、マップで調べると地下鉄の駅だった。なるほどこれはコインロッカーの鍵というわけだ。
この私書箱には届けられないサイズの何かを送りたかったのだろうか。僕はその足で駅へと向かった。
構内にはいくつかコインロッカーがあり、ひとつひとつ見て回らなければならなかった。しかも改札外には手元の鍵の番号が使用中のものは見つけられず、不要な運賃を払って改札内に入るしかなかった。
そうしてようやく見つけたそれはトイレ脇の落書きだらけのロッカーで、僕はうんざりしながら鍵を挿した。
中に入っていたのは封筒ひとつ。さっきのものと同じ白い封筒を僕は嫌な予感を覚えながら封を切った。
予想通り、入っていたのはまたどこかのロッカーの鍵だ。
一緒に入っていた紙片には今度は住所ではなく簡潔に数駅先の駅名が書かれていた。払った運賃は無駄にはしないという御配慮に感謝しつつ僕は電車に乗り込んだのだった。
次のロッカーに入っていたのは、案の定というかまたしても鍵だった。
だが一緒に入っていたのはメモではなく一枚のカードだ。裏面に絵画がプリントされたもので、表にはこれまでのような走り書きなど一切ない。これではこの鍵がどこのものであるかわからない。
──否。僕は改めて裏の絵を眺めた。五人の裸婦が輪になって踊っているこの作品は。そうだ、これはマティスの「ダンス」。そしてここは5Ave-53St駅。
僕は地上へと出て、その絵を収蔵している世界でもっとも有名な美術館のひとつへと向かった。
HLになってから“外”からの観光客が減ったものの人気の美術館は変わらず混雑している。ビヨンドにもヒューマーの芸術に興味を持つものが居り、今は彼らの方が多いかもしれない。
チケット購入に並ぶ列を横目に僕は警備員に声を掛けた。鑑賞後にうっかり荷物を取り出すのを忘れて出てきてしまったんだと鍵を見せる。すると鍵はやはりここのロッカーのもののようで、警備員は中へと入れてくれたのだった。
そうして探し出したロッカーに入っていたのは、やはり鍵だった。
今度は一冊の本の上に乗っていた。タイトルは「ホモデウス」、数年前に話題になった書籍だ。が、おそらく内容とは関係がない。重要なのはその本の「所有者」だ。
本は新品ではなく、もう何度も読まれて角が丸くなってしまっている。そう、これは図書館で借りられたものなのだ。蔵書票はここから歩いて十数分の所にある公園の一角にある図書館のものであることを示していた。
代わりに返してこいということかな。僕は本を小脇に南方面へと歩き出した。
カウンターでまずは本を返した。思えば図書館に来るのも久しぶりで、僕はしばらく目的を忘れて並ぶ書籍の棚を巡って愉しんだ。
読もうと思っていた本、以前読んで面白かった小説、目に付いた興味深い専門書。そんなものを手にしてぱらぱらと捲る。
そんな折にポケットの中でスマホが震えた。クラウスから着信だ。僕は慌てて廊下へ出て電話に出た。いつまでも事務所に戻らないので何かあったのではと心配して連絡をくれたのだ。
僕はすぐに戻ると返事をして通話を終え、当初の目的であるロッカーを探した。やがて見つけたその中を見て、ここがゴールではないだろうと思っていたから落胆はしなかった。
またどこかのロッカーの鍵は、先週公開となった映画のチケットの半券に突き刺さっていた。このシアターに行けということなのだろう。ちょうど僕も観たいと思っていた映画だ、行くのはやぶさかではない。
とはいえ今は戻らなくてはならないので、事務所に戻る地下鉄車内で今夜の上映時間を調べた。
本編が終わりエンドロールとなると観客が一人二人と席を立って出ていく。その中で僕は最後まで観てから立ち上がった。
指定された映画は、子どものころ初めて映画館で観た作品のシリーズ最新作だった。何作も作られ長く続いている人気のSFタイトルだ。今回も練り込まれた息もつかせぬ展開で期待を裏切らない出来だった。
ただきっと僕がこの作品を好きだというイメージはみんなには無いだろうから観に行くことは言っていない。だがその一方で鍵を置き続けている誰かは僕の好みを知っているということだ。
観賞の余韻をロビーでビールと共に味わいながら混雑が収まるのを待った。それからロッカーに近づき鍵を挿す。今度もまた鍵だったら今日はもう探すのをやめよう。こんな回りくどいことをする余裕があるのだ、急ぎの用件ではあるまい。
それに正直どうでもいい気分にもなってきていたのだ。どの情報屋かわからないが本当に伝えたいことがあるならとっくに直接会いに来ている。何のつもりかは知らないがそろそろ余興にも飽きてきた。
ところが、中に入っていたものを見て僕の気持ちは変わった。それはやはり鍵には違いなかったがカードキーだったのだ。ホテルのパンフに挟まれ、ナンバーのプリントされたそれは客室の鍵だ。
ようやくの“御対面”か。待っているのは情報屋本人ではなく、引き合わせたい誰かかもしれない。
もしそうだとしたら映画なんて観ていてお待たせしてしまったかな? 僕は足早に映画館を出て指定のホテルへと向かった。
部屋の前まで来て周囲を見渡す。廊下には誰もいないのを確認してドアをノックした。鍵を渡されたのだからそのまま入れということなのだろうが、念のため。
中から応えはなく、僕は用心をしながらドアを開けた。室内の照明はついていない。ただカーテンを開けたままの窓から外のネオンの明かりが差し込んで様子を窺うことはできた。
果たして、人影はなく気配もなく。バスルームも開けて確認したがやはり誰もいなかった。相手より先に着いたということだろうか。僕は部屋の奥まで進んで、だがそうではないことに気づいたのだった。
ベッドの上に車のキーが落ちていた。
僕は可笑しくなって笑う。よもやここまで仕込むとは。さっき映画館で投げやりな気分にもなったが、この「宝さがし」が俄然楽しくなってきた。
僕はそのキーを手にホテルの地下駐車場へ向かった。キーで車のメーカーはわかるが車種はわからず、どこに停められているかもわからない。仕方なくブロック毎にキーのボタンを押しながら反応する車を探した。
やがてピピッと解錠する音が聞こえ、そちらに顔を向けてもう一度押す。と、ピッと施錠する音と共にハザードランプを点して応える車を見つけたのだった。
中に乗り込みエンジンをかけるとカーナビが起動して地図上に赤い点を示した。今度はこの場所へ行けということらしい。そう納得してルート設定しようすると赤い点が移動を始めたではないか。しかも速度が速く、おそらく相手も車だ。
どんどんと遠ざかる赤い点に慌てて僕は車を発進させ追跡を始めた。
赤い点はやがて停まり、動かなくなった。僕はあえて接近せずワンブロック先の角に車を停めて眺める。そこには数台車が停まっており、どれかにGPSの発信器が取り付けられているのだろう。
僕はしばらく思案した。すぐに行きたいのは山々ながら場所が場所だったからだ。何しろ警察署の真ん前なのだ。
まさか罠なのか。散々振り回されたあげく最終的に辿り着いたのがこんなところで、ノコノコ顔を出したらそのまま手錠を掛けられるなんてオチだろうか。
とはいえ、それこそ散々振り回されてこのままノコノコ帰るのも癪に障る。もし想像通りの罠ならこのイタズラを仕掛けたヤツは近くで見ているはず、見つけ出して真相を吐かせてやらないと気が済まない。
だがどうするかという決定を下す時間は与えられなかった。停まっていた車の一台から男が一人降りてこちらへ向かって歩いてきたのだ。真っ直ぐに迷うことなく、間違いなくこの車を目指している。僕はいつでも出られるようアクセルに足を置いた。
息を呑んで近付く男を観察する。コートの裾を靡かせながら近付く姿には見覚えがあった。急ぐでもなく歩いてくる男はそのうち街灯の明かりの中を通りすぎ、僕はアクセルから足を離した。
助手席側の窓がコンコンと叩かれたので窓を開けた。そして覗きこんできた相手に先手を打って挨拶をした。
「こんばんは、マーカス・ロウ警部」
「──驚いた、スターフェイズか」
彼は髪を掻き上げ、両目で僕を認めると何故か呆れたようなガッカリりしたような表情を見せたのだった。
「まったく誰が来るのかと思えば……ほら」
と、やにわに窓に突っ込んできた手にはボックスの煙草が握られていた。いや、ケースは粘着テープで封がしてある。中には煙草ではなく別の“何か”が入れられているということだ。
「君なら直接渡せばいいのに」
渡し際にマーカスがそんな愚痴を口にしたから、僕は身を乗り出してその腕を掴んでいた。
「待って! もしかしてこれって」
「あれ、兄さんから何も聞いてない?」
GPS発信器を仕掛けた車でおまえを追ってくるヤツがいるから接触してこれを渡してくれ。マーカスはそんな風にダニエルから頼まれたのだという。
僕は渡された煙草の箱を唖然と眺めた。これは確かにダニエルお気に入りの銘柄だ。ただいつもソフトパックのを吸っているからこれは「箱」にするため買ったのだろう。
そう、それだけじゃない。用があるなら電話一本で呼び出せばいいだけなのに、手間とお金もかけて弟さんまで駆り出して、一体何を渡そうとしたのか。
「──中身は何か聞いてますか」
「いいや。それも知らないのか」
「えぇ。あの、できれば一緒に確かめてもらっても?」
「いいけど……」
マーカスは渋りながらも留まってくれた。もう遅い時間だ、本当のところさっさと帰りたいだろう。だが兄からの頼み事をきちんと済ませるという責任感と、おそらく中身への好奇心から。
僕はまずボックスを軽く振ってみた。カコカコと固いものがケースに当たる音がする。これもまた鍵なのだろうか。だとすれば今回は次へのヒントをマーカスが持っている可能性がある。
封のテープはぐるりと一周巻かれていて僕は引きちぎるようにして取り除き、ボックスを開けた。中から滑り落ちたのは、鍵だった。しかしロッカーのものなどではなく、どこかの部屋の──
「ちょっ……本気?!」
途端、マーカスが頭を車内に突っ込んで早口でまくしたててきた。
「こんなカミングアウトってないんじゃない?! いや、知ってたけどさ!」
「えっ、まさか、これ」
「そうだよ! 住所はどうせ知ってんだろ、さっさと行け!」
マーカスは困惑と苛立ちの混じった荒い口調で吐き捨てると、来た道を早足で戻っていったのだった。
アパートの建物自体は紐育当時の古いものだがエントランスは鍵内蔵のICチップと手のひら静脈認証とのタブルロックとなっていた。
僕はまず鍵をかざして一つ目のロックをパスする。だが二つ目を前にして戸惑った。ここに入るのは初めてなのだ、当然手のひらの登録はしていない。
ダニエルとの関係はビジネスパートナーから始まって、知人となり友人となり、今ではそれ以上の親密なものとなった。だが優先事項は飽くまで仕事であり使命であるという暗黙の了解に、越えてはならない一線を僕らは無言のうちに引いていた。だから会うのはいつも外であり、互いに部屋を訪れたことはなかったのだ。
しかしそんなことは百も承知で鍵を渡してきた。それは「勝手に入れ」というメッセージに他ならない。
まさか。僕はおそるおそる手の形をしたパネルに手を乗せる。と、ピッと認証の音が響いてエントランスのドアが開いたではないか。そのあり得ない事態に思わず立ち尽くしたが、また閉まってしまう前に急いで中へと入った。
エレベーターのパネルでまた鍵をかざして最上階へ。ドアの部屋番号を頼りに進むとダニエルの部屋は角部屋だった。
深呼吸をしながら手を挙げてインターフォンを押す。スピーカーから返事はなく、しばらくしてドア越しに足音が近付いてきて鍵が開く音がした。薄く開いたドアの隙間から家主が呟く。
「自分で開けて入ればいいだろ」
そんな精一杯の照れ隠しに僕もまた「そうだよね」と不器用に答えていた。
初めて入ったダニエルの部屋は予想通り染みついた煙草の匂いと、淹れたばかりのコーヒーの香りが立っていた。僕の到着に合わせて用意してくれたようだ。
「弟さんから連絡が?」
促されるままソファに座り、渡されたカップに口を付ける。コーヒーは意外にもインスタントではなくサイフォンで淹れたものだった。いつもコーヒーを飲んでいるのは警察官のスタイルみたいなものかと思っていたがそれなりにこだわりを持っていたらしい。部屋に来なければ知らないままだったかもしれない。
「いや、おまえに貸した車が近付いてきたから」
「あぁ」
そうだった、あの車にもGPS発信器が仕込まれていたんだった。よく調べもせず乗り込んでしまった僕も迂闊だったが、追う側と見せかけて追われる側だったのだからまったく玄人の遣り口だ。
それにエントランスの生体認証にしてもいつのまに取られていたのか。いや、そもそもあの私書箱の存在をどこから探り当てたんだ。
僕は改めて自分の「恋人」が油断のならない相手だということを知って舌を巻き、同時になんてふさわしいと頼もしくもなったのだった。
ならば、突然渡されたこの鍵にも何か別の意味が隠されているのだろうか。初めて部屋に入れてもらえたことで浮かれたが、これがゴールではなくまだ続きがあるとしたら──
「スティーブン」
「なに?」
「ハッピーバースデー、でいいんだよな」
「えっ」
僕は腕時計を確かめる。いつの間にか日を越えて日付は6月9日になっていた。
「合ってるか、俺の情報」
「うん、合ってる。今日が僕の、そう、本当の誕生日だ」
参った。正確なプロフィールまで調べ上げられていたなんて。
ということは。僕はポケットから鍵を取り出してテーブルに置く。
「じゃあこれ、もしかして」
「いろいろ考えたんだけどな。こういうのもアリかと思ったんだ」
そう言ってダニエルは僕の方へと鍵を押し返してきたのだった。
鍵にはやはり別の意味が隠されていた。ダニエルは僕には決して越えられなかっただろう一線を越えてみせたのだ。部屋に招き入れるのはこの一度きりではなく、これからはいつでも何度でも来ていいのだと、鍵という形で示した。
「これっていわゆる“プレゼントは俺”ってやつ?」
「おまえ……、たまにどうしようもなく下世話な物言いするよな」
「でもそう思っていいんだよね」
僕はダニエルの顔に手を伸ばす。親指の腹で頬を撫で、唇をなぞる。
「ダニエル」
そうして薄く開かれた口元にゆっくり唇を寄せた。
(Happy Birthday)