ドライブデートするナオ武② タケミチ君と手を繋いだまま歩いた。本当は深海魚コーナーだけで、すぐ手を離すつもりだった。でも、タケミチ君の反応があまりによかったから、サンゴ礁の水槽も、イルカのプールの前でもずっと手を繋いでいた。
タケミチ君はというと、赤くなってぎこちなく歩いていたけど、ボクの手を振り払うことはしなかった。ときどき、目が合うと気恥ずかしそうに笑ってから目を逸らした。
すれ違う人の視線なんかより、手のひらで感じるタケミチ君の体温のほうが、ずっと大事だった。こんな平和にタケミチ君と水族館でデートする未来が来るなんて、過去の自分に伝えたら絶対に信じないだろう。この夢のような状況を無駄にしないように、ずっと手を繋いでいようと思った。
ただ、タカアシガニには負けた。
2メートルはありそうな、巨大な蟹にタケミチ君の心は持っていかれてしまった。
「すげぇ。見ろよ、ナオト。この蟹めちゃくちゃでかいぞ」
ボクの手を解いて、タケミチ君はタカアシガニの水槽に両手をついて食い入るように見ている。
「……確かに大きいですね」
「な?」
ボクも一歩前に行き、タケミチ君の隣に並び水槽を覗き込んだ。タケミチ君の喜んでいる姿を見ることは今日の目的でもあった。でも、彼の関心が蟹に移ったことは面白くない。巨大な蟹から視線を外さないタケミチ君を見つめながら、そっと手の甲で彼の頬に触れた。
「わっ、何?」
驚いたタケミチ君は振り返ってボクを見る。
「……触りたくて」
ボクの言葉にタケミチ君は目を見開く。驚いているようだが、無理もない。今まで自分たちはあまりベタベタしてこなかった。だから、突然の過剰な触れ合いに戸惑っている。
「ナオト、今日なんか……違う」
「そうですか」
訝しがるタケミチ君を誤魔化して、手を繋ぎ直した。肩が触れるくらい身体を寄せた。
可能ならば本当は今すぐキスしたいところだ。
水族館の展示を一通り見終わってから、展望台に移動することにした。他の観光スポットからも離れているせいか人がいない。駐車場にも数台しか車がなかった。
「不人気スポットじゃん」
タケミチ君は展望台を見上げて呟いた。
「何も調べてない人が、文句言わないでください」
そう言ったものの、タケミチ君の言うとおり不人気な場所のようで、ボクたち以外に人はいない。二人きりで最上階まで昇り、デッキに出た。潮の匂いがする風が顔に当たる。
「地平線が見える」
「景色はいいな。階段がキツかったけど」
タケミチ君は笑いながら言った。風が前髪を揺らして、額があらわになる。遠くを見る横顔を見ていたら、ふいに、この人が好きだという気持ちが溢れてきた。絶対に手が届かないと思っていた人が隣にいる。一緒にいられるのは当たり前じゃない。
目の前に広がる太平洋を誰にも邪魔されずに眺めることが出来た。隣ではタケミチ君も同じように、海を見つめている。欄干に寄りかかりながら、穏やかな波を見ていると世界で二人だけのように錯覚する。
「少しだけいいですか」
タケミチ君の頬に手を添えた。「は?」と戸惑う彼に唇を寄せた。今は周りに人もいないし、軽くキスしてもいいんじゃなかと思った。
「いやいや、ストップ」
肩を掴まれ止められた。もう少しで触れらたのに。
「嫌なんですか」
「……そんな目で見んなよ。……嫌っていうか、いつものナオトが違うから……」
拒否しながらもタケミチ君の耳は赤く染まっていく。潤んだ目で見上げられたら、ますますキスしたくなってくる。
「好きな人が隣にいたら触りたくなるでしょう?」
「好きって……やっぱりお前、今日変だよ」
タケミチ君は、まじまじとこっちを見てくる。肩をぽんと叩いて、疲れと睡眠不足が原因かもな、と的外れなことを言ってきた。
違います。君が別れそうな不穏な空気を出してくるからです。その不穏な空気のせいで、自分がどれだけ君を好きか再確認して抑えが効きません。
……なんてことは流石に本人に言えない。自分でも馬鹿だと思っている。
「……もう帰るか?」
タケミチ君が心配そうに腕を掴んで聞いてきた。黙ったままでいるボクが、本当に疲れと睡眠不足でおかしくなっていると思っているようだ。
手を繋ぎ直して、タケミチ君と向き合った。正直なところ、ボクとしてはこのまま帰ってもいい。早く帰って、思う存分抱き合いたい。でも、タケミチ君はそれでいいんだろうか。海に行きたいと言ったのは彼だ。
「……砂浜散歩してから帰りますか」
そうだな、とタケミチ君は頷いた。そのまま手を引いて階段を降りた。
展望台からすぐ砂浜に降りることができた。海水浴のシーズンは既に終わっている。日も傾き始めてどことなく寂しい雰囲気があった。
「なにか、目的があったんじゃないんですか」
「え?」
「海に行きたいって言ったのは君ですよね」
「あー、うん……」
砂浜を歩きながら尋ねた。タケミチ君の返事は歯切れが悪い。
この不穏な空気はやっぱり別れ話かもしれない。でも、今日のタケミチ君はボクのことをかなり意識していたはずで、手を繋いだときも握り返してくれた。嫌われている感じはしなかった。
だとしたら、この空気は何なのか。
タケミチ君は繋いだままの手を持ちあげて「これ」と言った。
「もう目的は達成した」
「は?これって……」
「ナオトと手を繋ぎたかったから」
居心地悪そうにボクを見てくる。まったく予想してなかった答えに言葉が出ない。
「……ナオトって、手繋ぐとか、そういうの好きじゃなさそうだし。東京だと人も多いから、知り合いに見られたらナオトもアレじゃん……」
タケミチ君は言いにくそうにポツポツ語った。
「なんだ、そんなことだったんですか」
「なんだって何だよ。オレはいろいろと考えてたんだよ」
キッと睨みつけられた。睨まれても嬉しいだけだった。そんなことを考えてくれたと知って、嬉しくて舞い上がっている。
「それは……すみません。ボクはてっきり……付き合いが嫌になったのかと」
「あー、まあ、それもある」
「は?!あるんですか?」
「ナオトって本当にオレのこと好きなのかわかんねぇんだもん。だからどう思ってるのか聞こうと思ってた」
「どうして……?」
「……だって、お前全然好きとか言わないし。次会う約束とかしないし。ヤることはヤるけど、それだけなのかって思うよ」
タケミチ君の言葉に頭を抱えそうになった。そんなふうに思っていたなんて。
「ボクは好きです。タケミチ君のことちゃんと好きですから!」
思わず声が大きくなる。繋いだ手をぎゅっと握って、焦りながら伝えた。
「それは……今日でわかったからもういいよ」
タケミチ君は、周囲を見回して苦笑いをした。これは本当にわかってくれているのか、自分の気持ちの半分も伝えられてない気がする。
「先の約束をしなかったのは仕事でキャンセルになったら申し訳ないからですし、好きだと言葉にしなかったのは君がわかっていると思ってたからす!」
「そっか……」
ボクの勢いにタケミチ君は若干怯んでいる。でもそんなこと気にしていられない。
「本当にわかってますか?」
「だいたい、わかったって」
「もういっそ、結婚でもしますか」
「おい、話が飛びすぎだろ。もうわかったから」
「じゃあ一緒に住みましょう。それならいいですよね?」
「……ナオト、プロポーズにしては投げやりすぎだろ、それ」
タケミチ君は苦笑いを浮かべている。
投げやりだと言われて、自分の余裕の無さが嫌になった。だけど、離れたくないと伝える方法がこれくらいしか思いつかない。
「この話の続きは車でしましょう。今、一秒でも早く二人きりになりたいので」
そう告げてから、「え?」と意味がわかってなさそうなタケミチ君の手を引いて車に戻った。シートに座りドアを閉めたのを確認してから、素早くタケミチ君の座るシートを倒した。
そのまま、覆いかぶさってキスをした。今日、ずっと触れたかった唇の感触にたまらなく、身体が熱くなる。
はぁ…、と荒い息遣いだけが車内に響いていた。タケミチ君はいきなりのキスに驚いていたようだった。でも、触れる度にだんだんとキスに応えてくれた。
「ナオト……」
首に腕を回されて、さらに身体が密着する。触れる身体は熱い。口の中に舌を入れながら、このままだと止められそうもない、と頭の中で警告音が流れた。
つづく