セックスしないと出られない部屋のナオ武♀① 「セックスしないと出られない部屋」
そういう部屋があることは、橘直人はよく知っていた。オカルト界隈では有名な話だったからだ。時空の狭間にできた異空間。どういう経緯でその謎の部屋に飛ばされるのかは推測の域を出ないが、部屋に閉じ込められる人間は無作為に選ばれているわけではないらしい。絶対にセックスしない組み合わせを部屋に入れるという。通常だったら絶対にセックスなどしない二人。それがどうやってこの部屋から脱出するのか――その試行錯誤の様子を何者かが観察している……と噂されていた。
「ナオト、起きろ!」
聞き慣れない声に起こされて、ナオトはうっすらと瞼を開けた。起きた瞬間に視界に飛び込んできたのは柔らかそうな胸の膨らみだった。
「……えっと?」
この状況はいったいなんだろう。困惑した。見知らぬ女性が覆い被さっている。
「どうもこうもねぇよ。オレたちタイムリープに失敗したっぽい」
「タイムリープ……? あの、君は……」
「オレだよ! タケミチ! なんか目を覚ましたら女になってた」
ナオトは目を見開いた。
目の前にいる女性は、花垣武道だという。癖毛に青色の大きな目。たしかにタケミチの面影があった。おそるおそる彼の名前を呼んでみた。
「タケミチ君……?」
「そうだよ、オレだよ」
半信半疑のまま、自分の肩に置かれた手を取り、その手の甲を確認した。そこにはタケミチと同じ傷があった。
「本当にタケミチ君? その姿……まさか女体化したんですか?」
「ああ。信じられねぇけど、そうみたい」
タケミチは神妙に頷いた。頷いた拍子に小さな顔に柔らかな黒髪がかかる。タケミチに妹がいたらこんな感じかもしれないと思わせる容姿だった。男のときも彼は小柄だったが、女性の身体になったら一層華奢な印象だ。細い身体のわりに胸は豊かで、パーカーを着ていてもその膨らみはよくわかった。
「驚きですね。タイムリープだけでなく女体化まで起こるとは……。なんでもアリじゃないですか」
ナオトは腕を組んで、タケミチの身体の変化を頭のてっぺんからつま先まで観察した。
「オマエ、飲み込みが早いな。もうちょっとオロオロするもんじゃねえの?」
「ボクは環境に適応する能力が高いんですよ」
そう言うとナオトは立ち上がり、部屋の内部を見渡した。部屋はどこにでもありそうな和室だった。ワンルームの簡素な作りで、玄関のドアや台所が見える。何処か見覚えがある部屋――どこだったろうか。ああ、そうだ。タケミチの顔を見て気づいた。ここはタケミチが住んでいたアパートの一室だ。
「ここはタケミチ君の部屋ですよね」
「そう、だと思う」
タケミチは歯切れ悪く答えた。どこか不安気な様子だった。窓の方に指を挿して「窓の外見てみて」と言う。
ナオトは窓まで歩き、そっとカーテンを開けた。窓の外は暗くよく見えない。でもここが東京じゃないことはすぐにわかった。タケミチの部屋ならば窓は開けたらすぐに道路があり、車の走る音が聞こえる。それがまったく聞こえてこない。暗闇に目が慣れて見えたものは一面のクレーターだった。それは小学生のころ望遠鏡で覗いた月面とよく似ていた。
暗闇に星々が輝いているが、月はどこにも見えない。
「……宇宙空間?」
ぽそりと呟くと、いつの間にか隣にタケミチが立っていて「外、変だろ?」と聞いてきた。
「やっぱり、ここ普通じゃないよな。オレ、ナオトより先に目が覚めたからいろいろ探索してみてさ。オレの部屋そっくりだけど細かいところは違ってる。なんていうか、オレの部屋っていう設定のセットみたいなんだよ」
「……タケミチ君の部屋そっくりに作った偽物だということですか」
「うん。電気は通ってる。水も出るみたいでトイレと風呂も使える。でも玄関のドアも窓も開かないから外に出られない」
「なるほど」
腕を組んだまま唇に親指を当ててナオトは考え込んだ。タケミチの部屋そっくりの場所。外は宇宙のような異世界。そして女体化したタケミチ。
このちぐはぐな状況から導き出せる答えはなんだろう。
「ナオトぉ……どうしよう。オレたちタイムリープが失敗して異世界に飛ばされたってこと?」
弱々しい声をあげながらタケミチはペタっとナオトの腕に絡んだ。ふにゅっと胸が当たる。その感触にナオトはびくりと肩を揺らした。
「あの、タケミチ君、あまりくっつかないでください」
「ええ? だって怖いじゃん。オレをひとりにすんなよ」
「いえ、そういう問題ではなくて……」
「どういう問題?」
「胸が当たってます」
ナオトはちらりとタケミチを見て気まずそうに言った。その言葉を聞いたタケミチはああと納得して腕から離れた。
「この身体めちゃくちゃおっぱいデカいよなぁ。自分でもちょっと揉んじゃったもん」
タケミチはパーカーの上から両手で胸を揉んだ。手の動きでムニュムニュと形を変える豊満な胸は、かなり大きかった。
「人前で揉まないでください」
冷ややかにナオトは言った。でも、その目元がほんの少し赤らんでいるのをタケミチは見逃さなかった。
「おお? ナオトも人並みに巨乳に興味あるんだ? やっぱオマエも男だな〜」
ヘラヘラと笑うタケミチをナオトは睨みつけた。
「うるさいです。この状況で馬鹿なことを言うのはやめてください」
「別に照れなくていいじゃん。おっきいおっぱいは全世界の男のロマンだし」
「別に、ボクは」
ナオトが反論しようとしたところでカタン、と音が響いた。見ると郵便受けに何かが入れられたようだ。二人は顔を見合わせ、警戒しながら郵便受けに近づいた。
「何コレ?」
「封筒のようですね」
取り出すと真っ白な封筒がはいっていた。
「うわっ! 絶対デスゲームの招待状じゃん! この部屋から出られるのは一人だけとか言ってゲームを仕掛けられてるんだろ?! やだよ、オレ鉄骨渡りとかしたくないよぉ……」
騒ぐタケミチを無視して、ナオトは慎重に封筒を開けた。そして中に入っていたカードを取り出し一読した。
メッセージの内容はこうだ。
おめでとうございます。
貴方たちはセックスしないと出られない部屋の入室資格を手にしました。
ぜひ、お二人で協力し脱出してくださいませ。
なお、途中退出は不可となっておりますのでご了承ください。
ご健闘をお祈り申し上げます。
「…………え? なにこれ。オレたちセックスしないと出られない部屋にいんの?」
「…………なるほど」
「いや、いや、なるほどって、オマエ、何納得しちゃってんだよ?!」
「君だけが女体化している意味ですよ。男性が女性に性転換する。その法則性を考えればボクも女体化するはずなのに……していなかった」
「うん、つまり、どういうこと?」
「……つまり、セックスしやすいようにタケミチ君だけ女体化したということですよ」
「なんだよ、その気遣い! いらねぇ!」
タケミチは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
ナオトはこの状況を冷静に分析していた。
タケミチは異性愛者という自覚で生きているのは間違いない。女性である姉と付き合っていたのだから。となると同性とセックスすることはかなりハードルが高いだろう。だからと言って女体化すればセックス出来るというものでも無いはずだ。ここで無理強いしてもタケミチを追い詰めるだけになる。
「タケミチ君……」
ぽん、とナオトは気遣うようにタケミチの肩に手を置いた。
「ボクもセックスとなると無理かもしれません。いくら女体とはいえ君が相手だと思うと……その気にならないというか……」
「なっ、オマエ……失礼な奴だな!」
「じゃあ、君は出来るんですか? ボクと?」
「……わかんねぇよ、そんなの!急に言われてもさあ!」
今にも泣きそうな顔で訴えるタケミチに、ナオトは浅く息をはいた。
「わかりました。少し考える時間をとりましょう。他の解決作が見つかるかもしれませんしね」
そう言うと、ハッとタケミチが顔を上げた。
「そっか、……そうだよな。他の脱出法があるかもしれないよな」
時間を置こうという提案にタケミチはあからさまに安堵した様子を見せた。
――どうやら、花垣武道と橘直人が絶対にセックスしないという事前情報は確かなようだ。