ドラマで吸血鬼役を演じる嶺二が、あまりにもエッチで話題になる話(1)「カット!」
監督の声が響くと同時に、スタジオの張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
「映像確認お願いします!」
監督とスタッフたちが集まって、今撮ったばかりのシーンを再生する。その映像を見ながら、スタッフの何人かが思わず息を呑んだ。
「すごいですね……」
全員の視線を釘付けにしている、画面に映る一人の男。その演技に、スタッフの1人がポロリと言葉を溢す。
黒のハイネックにモスグリーンのジャケットを羽織り、伏目がちな表情で、唇についた血を指で拭う。画面に映る寿嶺二は、その仕草のどこを切り抜いても、ドキリとしてしまうほどの色香を放つ“吸血鬼”だった。
艶めいた目線、憂いを含んだ微笑み、そして美女の喉元に伸びる指の動き。そのすべてが画面の中で妖しく、目が離せない美しさを纏っている。
「れいちゃんの表現力、昔から凄いんだよ。どこから映しても、指の先まで計算されてる」
「それはその通りなんですが……、あの、寿さん、表現力がありすぎるというか……、少し艶っぽすぎるというか……」
一応放送時間を考慮して、もう少し控えたほうがいいのではないだろうか。そんなスタッフの言葉は、今回撮影するドラマの主役が近づいて来た事によりかき消えてしまった。
「どうかな? 大丈夫そう?」
髪の毛を耳にかけながら、首を傾げて尋ねてくる嶺二に、スタッフは言葉を詰まらせる。
ある目的のため東京の雑踏に紛れて、その色香で人を惑わし虜にする吸血鬼レイ。今はその役をまとっていないはずなのに、スタッフの心臓がドキリとひときわ大きな音をたてた。
「あ、えっと……」
嶺二さんがエロすぎてNGかもしれません。そんな事を言えるはずもなく、しどろもどろになってしまう。
そんなスタッフをよそに、監督は平然とした様子で『最高だよ!』と嶺二に応えた。
「どこを切り取っても、妖艶で、出会う人間全てを虜にする吸血鬼そのもので、ぼくのイメージ通り!」
「そんなに褒められると、ちょっと照れちゃうな〜。もっと褒めてもらえるように、この先の撮影も、頑張っちゃうぞ!」
「期待してるよ、よろしくね」
アイドルグループQUARTET NIGHTとして活躍する寿嶺二。今や飛ぶ鳥も落とす勢いの大人気アイドルが主演の連続テレビドラマ『ヴァンパイア・ナイトコード』が、今日ついにクランクインを迎えた。
ニコニコと優しげな空気を纏ってバラエティでも活躍している寿嶺二が、はたして妖艶な役ができるのか。
撮影前まではそんな不安の声も聞こえたが、先ほどの演技を見れば、もうそんな意見を口にするものは誰もいなかった。
批判的な意見を全て実力で黙らせた嶺二の演技力は素晴らしく、バラエティでみせる顔とは全く違っていた。人を惑わし、どんな人間でも虜にするほど美しい吸血鬼。むしろ嶺二のために作られたのでは、というほどのハマり役だった。
むしろあまりにもハマり役すぎて、冷静に映像を確認することができない。このまま撮影が終わるまで、自分たちの心臓はもつのかと、スタッフたちが今度は逆の意味で不安になっていた。
幸い監督だけは一般人と感覚が違うのか、嶺二とは付き合いが長いからなのか、嶺二の演じる吸血鬼を見ても、いつも通りの様子で映像を確認して撮影を進めている。おかげで問題なく進行しているものの、他のスタッフは未だ慣れず、気を抜くといけないものを見ているようで、視線を逸らしそうになってしまう。
そんなスタッフ達の様子を、紺色のスーツに身を包んだ一人の男、日向龍也が、腕を組んで眺めていた。
嶺二の事務所の先輩である龍也は、今回のドラマでは嶺二と相棒ポジションとなる準主役の刑事役を演じている。
「……ったく、わかってんのか? あいつは……」
ぶっきらぼうにボソリと呟きながら、龍也は渋い顔をした。
嶺二の演技は賞賛に値するものの、同時に何人かのスタッフが、必要以上に嶺二に熱を帯びた視線を向けていることにも、龍也は気づいていた。
(……あいつは、なんでこう、いつもいつも……)
そう小言を言ったところで、嶺二の仕事には問題がないのも事実だった。
龍也は仕方ねぇなと心の中で呟くと、嶺二の隣へ移動する。そして必要以上に誰かが接近しないよう、嶺二を背に庇うように立った。嶺二はそんな先輩の意図を理解して、小さな声で謝る。
「龍也先輩、ごめん。強めに線引きはしてるつもりなんだけど……」
「謝んな。お前は良い仕事をしてるだろ」
「……うん、ありがと」
嶺二は安堵した表情で龍也を見上げた。その声音はほんの少しだけ甘えを含んでいて、いつも年下に見せている大人の顔とは違う、無防備な素直さが滲んでいた。
演じる役とのギャップに、龍也の胸の奥で、小さな花火がぱちりと弾けそうになる。
「次のシーン準備入りまーす!」
「あ、ぼく行かなきゃ。見ててよ先輩。もっと良い仕事してくるから」
龍也のおかげで、嶺二は安心した様子で笑うと、カメラの前へと小走りで移動していった。
「そういうとこだろ、ったく……」
龍也は人知れず呟くと、静かに頭を掻いた。
「おつかれ〜!」
歌番組の収録日。
今夜、QUARTET NIGHTは寿嶺二主演ドラマ『ヴァンパイア・ナイトコード』の主題歌を初披露する。それが楽しみで仕方ない嶺二は、満面の笑みで控室の扉を開けた。
部屋にはすでに他のメンバーが集まっていた。
パソコンで作業をする藍に、静かに紅茶を飲んでいるカミュ。そしてソファで仮眠をとっている蘭丸。
藍が小さくおつかれさま、と返すだけで、誰も嶺二の方を向きはしなかったが、嶺二は特に気にしなかった。
そんないつも通りのメンバーに、嶺二もいつも通りに話しかける。
「ねえねえ、ぼくと龍也さんが出てるドラマ、昨日ついに第1話が放送されたんだよ〜!」
椅子に腰を下ろしながら、嶺二は嬉しそうに報告する。その話題に、藍がピクリと反応する。
「確か昨日、SNSのトレンドに入ってたよね」
「そう! そうなんだよアイアイ。いや〜、ぼくちんの大人な魅力の吸血鬼が、みんなにウケてるみたいでさ。1話放送後、“#レイ様”って僕の役名がトレンド1位になったらしいんだよね」
「リュウヤの役名の“#龍雅さん”もトレンドに入ってたみたいだし、順調なスタートみたいだね」
「本当安心したよ〜。絶対面白いとは思ってたけど、みんなに見てもらうまでは、本当に喜んでもらえるか分からないし。それに、アイアイもしっかりチェックしてくれてたみたいで、お兄さん嬉しいな〜」
嶺二に微笑まれて、藍が少しバツが悪そうに顔を逸らす。ドラマを観たとハッキリは言っていないのに、藍が視聴をしていた事に感づいたらしい。
「QUARTET NIGHTが主題歌を務めてるドラマだし、レイジ以外のボクたち3人もゲストで出演するから観てただけだよ」
照れた表情で、仕事だから見ていただけと主張する藍。その様子が可愛くて、嶺二は口元を綻ばせた。
(これ以上言うと、拗ねちゃうかな?)
そう思った嶺二は、名残惜しいと思いながらも話題を元に戻した。
「だとしても、アイアイが観てくれたの嬉しいな。トレンド1位も、自分の演技が多くの人に喜んでもらえてる証拠かなって思ったし」
嬉しそうに話す嶺二に、藍も、静かに話を聞いていた蘭丸、カミュも、自然と口角が上がる。
「それに、演技が色っぽいって、制作チーム以外にも、いろんな人からたくさん褒められちゃった」
その瞬間、控室の空気がピタリと止まった。
和んでいたはずの控室に、冷えた空気が漂い始める。
蘭丸はソファからゆっくりと起き上がり、カミュもまた、ほんのわずかに眉を寄せる。
この調子でどんな相手に対しても、愛想と色気ばかり振り撒いている嶺二を思うと、どうにもいい予感がしなかった。
「それに、龍也さんとの絡みも評判みたいでね。先輩とのコンビって、やっぱ安定感があるのかな〜って」
「龍也さんか……」
蘭丸がぼそりと漏らす。
「リュウヤと一緒のシーンって、たくさんあるの?」
「うん、龍也先輩は相棒役だからね。アクションだったり、頭脳戦だったり、2人で頑張ってるよ! 龍也先輩が相手だと、いい意味で緊張しないし、現場でも助けてくれて、すごく安心して演じられるんだよね」
楽しそうに話す嶺二に、藍は複雑ながらも「そう」と安堵した表情を浮かべた。
蘭丸、藍、カミュは知っている。
最近、嶺二が主演のドラマの影響で、共演している女優よりも“色っぽい”と、SNSの中だけでなく、スタッフや共演者の間でも噂になっていることを。
その温和な態度からか、普段から嶺二はあまり良くない相手を惹きつけることがある。それを知っている3人は、心の奥で言いようのないざらつきを覚えていた。
「でも龍也先輩ったら酷いんだよ。出来上がったドラマのポスターを確認した時、ぼくの大人の色気はどう? って聞いたら、デコピンしてきてさぁ」
「……それはお前が悪いだろ」
「え、なんで?!」
龍也の苦労が偲ばれて、蘭丸はため息をつく。
「龍也先輩、番宣の写真撮影中は褒めてくれてたんだけどなぁ」
言われた蘭丸は、嶺二主演のドラマのポスターを思い出す。局でも力を入れているドラマらしく、いたるところに貼ってあるポスターは自然と蘭丸の目にも触れていた。
ポーズ、衣装の着こなし、目線の使い方。持ち前の表現力を余すところなく発揮した嶺二の姿は、写真だというのに、人を惹きつけ惑わす色香を感じた。いずれ役と本人を混同する人間が現れても仕方がないと思うほどに。
プロとしての実力を褒めたい気持ちと、危機感が足りない嶺二を心配する気持ちと。蘭丸には龍也の気持ちが手に取るようにわかった。
「ランランも、明後日から撮影に参加だよね?」
「あぁ、そうだな」
「じゃぁ、ランランにも、色っぽくてかっこいいお兄さんを見せてあげよう」
「……てめぇが色っぽいって柄かよ。騒がしい、の間違いだろ」
「なにおー! ぼくだってやれば出来るんだから」
「そりゃぁ良かったな」
「ちょっと、信じてないでしょ〜!」
そう二人で戯れていると、楽屋の扉がノックされた。いつの間にか撮影の準備を始める時間になったらしい。
呼びにきたスタッフに促され、4人は衣装を着替えに向かう。
そして手渡された衣装を目にして、嶺二は目を輝かせた。
「わあ〜、これ、ヴァンパイア風の衣装? 刺繍も凝ってるねぇ」
黒とそれぞれのメンバーカラーを基調に、細かな刺繍が施されたバロック風の優雅な衣装。
今回嶺二が演じるのは、東京で人間に紛れて暮らすヴァンパイアだ。よくファンタジー映画で見るような、ヴァンパイアらしい衣装は着る予定がないため、いかにもな衣装に嬉しそうに袖を通す。
布の質も良い立派な衣装に、それほど、今回のドラマにテレビ局が力を入れていることが伺えた。
着替えを終えた4人は、ヘアメイクを整えに移動をする。
と、通りがかった数人の番組スタッフに声をかけられ、嶺二は足を止めた。
「あっ、嶺二さん……! ドラマ観ました! めちゃくちゃ良かったです!」
「録画してたので、もう3回も見ちゃいました」
「レイ様が出てくるたびに、ドキッとしちゃって……」
男女関係なく好評な様子に、嶺二は満面の笑顔を浮かべる。
「本当? 嬉しいな〜。ありがとう。じゃあ、特別に……」
そういうと嶺二はスッと片手を差し出し、スタッフの一人の首筋に手を伸ばし、触れるか触れないかの距離で、なぞるような素振りを見せた。
僅かに憂いを帯びた悩ましげな瞳に見つめられたスタッフは、まるで吸い寄せられるように視線を逸せなくなる。
そして視線を絡ませたまま、嶺二は妖艶で艶やかに口元を綻ばせた。今は無いはずの吸血鬼の牙が見えたような気がして、スタッフはたまらず顔を真っ赤にして声にならない悲鳴を上げる。
「ひっ……」
そのままスタッフたちは時が止まったかのように静かになり、その後すぐに歓声が上がった。さらに周りで様子を見ていたスタッフや演者が集まってくる。
そのときだった。
「嶺二」
静かに、しかし鋭く冷ややかな声が背後から響いたかと思うと、次の瞬間、嶺二の腕を掴んだカミュが、ずるりと彼を人の輪から引きずり出した。
「えっ、ちょ……ミューちゃん?」
カミュは嶺二の身体を、まるでしまい込むように、自分の背後へと押しやる。
「この後、歌の打ち合わせがありますので。申し訳ありませんが、お暇させて頂きます」
理知的で美しい声音は、しかし徹底的に冷淡だった。
「あ……、そうですよね! すみません……!」
瞬く間に散っていくスタッフたち。その後ろ姿を見送りながら、嶺二は小さく「……ごめんね」と呟いた。
カミュは返事をしなかったが、庇ってくれている背中が、本気で怒っているわけではないことを伝えていた。
代わりに口を開いたのは、蘭丸と藍だった。
「……ったく、何やってんだよ、おまえ」
「ほんと。レイジ、いつも以上に気が緩んでるんじゃない? ちゃんと気をつけてよね」
「本当ごめん。ドラマを褒めてくれたのが嬉しくって、つい“レイ”になりきっちゃって……」
嶺二が申し訳なさそうに身を小さくすると、三人は揃って重いため息をついた。
このまま、もっと人気が出ていったらどうなるのか?
蘭丸の視線が藍に、藍の視線がカミュに、カミュの視線が蘭丸に。互いに言葉を交わさずとも、目線だけで思考が通じ合う。
釘を刺す役は、少しでも多い方がいい。
三人の表情は静かに鋭さを帯びていった。