キスしても出られない部屋【藍嶺】「んっ……、ちょっ……、ぁ……」
ちゅ、ちゅ、とリップ音が何度も鳴り、嶺二の耳を擽る。
待って、止まってと口を挟む隙もなく、軽く触れては深く繋繰りと、それは永遠と繰り返されていた。
そろそろ呼吸も苦しくなり、助けを求める様にトントンと相手の身体を叩けば、反論する様に口内の弱いところを舌で強くなぞられてしまう。
「んんっ!!」
たまらず嶺二の身体から力が抜ける。するとそれを分かっていたかの様に、嶺二を抱きしめる腕の力強くなった。嶺二とそこまで変わらない体格のはずなのに、どこにそんな力があるのか。
酸素不足で潤む瞳で見上げれば、翡翠とターコイズをとかしたような綺麗な瞳と視線が絡んだ。
力が抜けクタリと腕の中に収まっている恋人を、その綺麗な瞳に映して、愛おしそうに目を細める。
その笑顔があまりにも幸せそうで、嶺二は思わず言葉を詰まらせてしまう。口から出かかっていた文句は跡形もなくどこかへと消えてしまっていた。
けれど休息は長くは続かず、藍は嶺二の呼吸が落ち着いたのを確認すると、今度は顔中に唇で触れていく。
「ちょ、……も、おわ……」
終わり、そう言おうと嶺二の口が開いたのを幸いに、藍はそんなつまらない言葉を食べてしまう。
そしてまた、嶺二が止められないように、何か言おうとすれば的確に弱いところをついていく。
「ぁ、あぃ、ぁい……!」
叱るようなニュアンスを含んだ声色を気にもせず、全くやめる様子のない恋人。嶺二は再び酸素不足でぼんやりとする頭をなんとか働かせると、一瞬だけ唇が離れた瞬間に、藍の唇を手で覆ってしまう。
突然唇が塞がれてしまい、藍は目をパチパチと瞬かせた。
そしてようやく止まった恋人に、嶺二は今度こそ文句を言ってやる。
「もうっ! おしまいって言ってるでしょ、アイアイ!」
「一回も言われてないけど」
しれっと言ってのける藍に、嶺二は頬をぷくっと膨らませた。
「アイアイが言わせてくれなかったんでしょ……!」
「ボクはキスしてただけで、レイジの発言の邪魔はしてないよ」
「そのキスで邪魔してたでしょ! ぼくが喋れないように、終わりって言おうとするたびに、わざと弱いところを触って……!」
「へぇ、レイジって、口の中にも弱いところ、たくさんあるんだね」
ワザとらしく答える藍に、はじめから知ってたくせにと、嶺二は藍を睨みつける。
けれど垂れた目尻のせいで、藍は全く怖さを感じなかった。むしろ可愛いと、その目尻にキスをする。
「も、もう、またそうやって……、いいから、いったん話を聞いて」
嶺二はもう一度藍の唇を手で塞ぐと、再度言い聞かせる。
さっきよりも少し怒気が強くなった声色を感じて、藍は今度は素直に従った。
「今、ぼく達がいるのはどこですか?」
「『キスをしないと出られない部屋』だね」
「はい、アイアイ大正解。で、今ぼくたちは、どんな状況ですか?」
「レイジとたくさん触れ合って、キスして、甘い時間を過ごしてたよ」
「確かに、結果的にそうなっちゃったけど……」
嶺二は小さな声で呟くと、気持ちを切り替えて藍の目をじっと見る。
「で、その結果どうなってますか?」
「まだ部屋の中にいるね」
「そう! そうだよね、アイアイ。ぼくたち、まだ出られてないよね?!」
ようやく本題に辿り着き、嶺二は声を大きくして藍に詰め寄る。
本来は部屋から出るために唇を触れ合わせたはずだった。それなのに、藍は一回のキスでは物足りなかったのか、部屋を出れるか確かめようとする嶺二を抱きしめ、静止する言葉ごと唇で塞いでしまった。
普段の家デートの時であればやぶさかではないものの、今は状況が違う。
恋人がキスより大事なことを思い出してくれて良かった。そうホッと一息つきながら、嶺二はあたりを見回した。
真っ白な壁に、三、四人は寝れてしまいそうな大きなベッドが一つ。そこから少し離れた場所に、テレビボードをかねたチェストとモニター、観葉植物に冷蔵庫。それと向かい合うようにソファーがあり、二人はソファーに座っていた。
雑誌のインタビューを受けるために藍と嶺二は楽屋にいたはずが、一瞬強い光に当てられ、目が覚めたらこの扉のない部屋に閉じ込められていた。
そんな目が覚めた時と、微塵も変わらない部屋の内装。キスをしたら扉でも出てくるのかと思っていた嶺二は、全く変化のない部屋に青ざめた顔をする。
「あんなにたくさんキスしたのに、なんで出れないの?!」
「さぁ、なんでだろうね」
藍はあっけらかんとした様子で、目の前にいる嶺二の頬にキスをした。
「アイアイ、なんでそんなに落ち着いてるの」
またキスをしたのに、相変わらず何も起きる気配もない。嶺二は少し視線を動かし、壁の方に視線をやる。そこには、1枚の大きな紙が貼ってあった。紙には『キスをしないと出れない部屋』と印刷された文字が大きく書かれている。
改めて読み直しても見間違いはなく、嶺二はますます困惑する。
「間違ってないよね……。なんで何も起きないの……」
「他にも何かルールがあるとか」
「確かに。なら、それを探さなきゃ。もうそろそろインタビューの時間が……」
言いながら嶺二が腕時計を見れば、不思議なことに時計はぴたりと止まっていた。
「え……」
「この部屋、時計もないし、時間の概念がないのかもね」
「そんな事ありえるの……?」
「ありえない、と言いたいけど、実際に時計は止まってるし、今ある情報だけで答えを出すのは難しいと思う」
「そう、だね……」
嶺二の背筋をゾッと悪寒が駆け巡る。普通のリビングのような部屋が、急に気味が悪く思えた。
かすかに手が震えていることに気づいた嶺二は、それを落ち着けるように深呼吸をすると、藍の身体を抱きしめる。
「アイアイのことは、ぼくが絶対守るからね」
「レイジ……」
藍の身体を優しく包む腕が嬉しくて、それに応えるように、藍も嶺二の腰に回していた両腕に力をいれた。
「レイジの事はボクが守から、安心して」
「……うん、ありがとう、アイアイ」
嶺二が受け入れてくれた事が、認めてくれたように思えて、藍は嬉しさを表すように嶺二の唇にキスをする。
「……ちょっと、レイジ、手をどけて」
「どけません」
唇にキスをするはずだったのに、それはまたしても嶺二の手に阻まれてしまった。
「キスをしても出れなかったんだから、他にも出る方法がないか探すのが先」
「……」
嶺二の言い分は正論だ。それを分かっているからこそ、藍はあからさまに不貞腐れた顔をしながらも、渋々と引き下がる。
そんな恋人が可愛くて、嶺二はついつい厳しい態度を続けることが出来ずに、藍の頬に軽く唇で触れた。
「続きは、ここを出れたらね」
「本当?」
途端に目を輝かせる恋人に、嶺二は柔らかな眼差しを向けた。
「本当。インタビューの後は、アイアイも今日のお仕事終わりって言ってたでしょう?」
「うん、後は帰るだけだよ」
「作曲の仕事があるって言ってたから、誘わない方がいいかなって思ってたけど。アイアイがいいなら、夜は一緒にぼくの家に行こう?」
「行きたい。作曲は、まだ納期まで時間もあるから問題ないよ」
「良かった。そしたら、一緒にここから出る方法を探そう?」
嶺二に促されるように二人はソファから立ち上がると、部屋の中を物色し始めた。
ソファの周りを軽くみてから、ひとまずチェストの方へと移動する。
「分かりやすく棚だし、やっぱりここからだよね」
嶺二はそう言うと、端から引き出しを引いて中を確認していく。一つ、二つと空の引き出しが続いたが、三つ目の引き出しを開けると、そこには紙切れとハサミが入っていた。
「何だろう、これ?」
嶺二は紙切れを手に取ってみる。するとそこには、印刷された文字が書かれていた。