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    seki_shinya2ji

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    名前が付けられるまでの話

    【北組】朧 名前のない存在は、この世にごまんとあるがそれは発見されていないから名前がない。発見されているのに名前がついていないものは研究中のものか、それか意図的に考えることを放棄されたものである。人間は、知らないものがあるとそれを知りたがる性質はある。「分からない未知の物」という結論が出るまで探求し続ける葦だ。
     しかし、この男は違った。
     母の顔を知らない。父の顔も知らない。自分に兄弟はあるのか。祖父母とは何か。そして、自分の名前は一体何なのか。全く分からない。そんな存在だった。
     目覚めたのは雨が降りしきる路地裏。中華料理屋と中華料理屋の間に居たことはそこら中に漂う油の匂いで分かった。
     一応検査の結果一般知識は認められた。そこそこに世の中のことは分かった。例えば時刻が分かるとか、中国の正式名称が言えるかとか、紙にあいうえおを書くとか。しかし自分が誰なのか、どこから来たのか、なぜあんな所で頭から血を流しているのか、全く思い出せなかった。持っているはずの免許証や保険証どころか財布や携帯電話すらない。あいうえおを書く時に「自分の名前を書いてください」と言われてボールペンが止まった。目の前で厳しい顔をして自分の身元の引き取り先について相談する医師と看護師をぼんやりと眺める日々が続いた。
     ぼんやりと感じる世の中に取り残された感覚にさほど焦りも絶望も感じられなかった。当時を思えばただ混乱しているだけだったのかもしれないが、それでもその感覚は今でも感じる。あの日から自分は生まれたと思う真っ新な感覚は快感こそなかったが肩が軽くも感じたものだ。だから今でも肩が軽いのだ。
     それから間もなくして歩行テストが行われた。問題なく歩くことができたら退院なのだが金がない。どうしたらよいのだろうと思って緑色のガムテープの上を歩いた。当たり前だが問題なんてどこにもなくてあっけなく合格してそのまま点滴が外されて次の日退院になった。
     その当時の医師とは未だに関係はある。定期検査はサボっているが、別の件で顔を合わせることがある。「あ、キノハ」というと「残念、俺は木葉じゃなくて小見ね」と言われる。あれ、キノハだと思ったんだけど、と言うまでが一連の流れだ。
     そう、その小見という人間が点滴を外した時に、やってきたのが黒須であった。
     覚えている。その時の言葉を男は一生忘れない。
     ――信介?
     すると木葉、違う、小見が言う。
     ――似てますよね?
     そういうと二言程会話をして南は黒須に引き取られたのだ。真っ黒の車に乗せられて運転席にいた大見が「は?」と言った時の表情は人生で初めてFカップの女を見た童貞と同じ顔をしていた。
     そして全員同じようなスーツを着た人間が待ち構えるその邸宅に着いた時、男はアッと思った。その時はてっきり運転手がいるから大金持ちの家に行けるんだ、働いて治療費払うのか、怠いなと思っていたのだが。どうやら違うらしい。
     あ、これ。臓器売られるやつ。
     ほとんど防衛本能から出てくる直感であった。ぼさぼさの髪がなんだかしっくりくるけど、まず風呂に入らせてくれ~なんて思っていた自分が面白くなってきた。笑ってしまいそうになったが、ここで笑ったら……
    「あ。はははハハハ! 待って! おれ、死ぬやん!」
     今まで標準語しか話すことができなかったのに、どうしてか関西弁がスルリと出てきた。あ、やべ、なんて一瞬で「まぁええ、どうせこの後死ぬんやし」と思うともう全てがどうでもよくなった。あの時の「命という枷からの解放感」は忘れられない。きっと射精より気持ちが良かった。と、思う。
     ゲラゲラと笑い転げてしまうともう止まらなかった。あは、はは、ングフ、フフフと笑いが漏れて涙も零れた。悲しくなんて一ミリもなくて、怖くもなんともなかった。あの「命という枷からの解放感」の瞬間、あの一瞬だけが死ぬほど怖かったと今でも断言できる。
     いつまでも笑い続けている男をみて、黒須は何かを考え込んだあと、「ええ加減に笑うのやめぇ」とうんざりした顔をした。男は思った。ここで笑わないでどうする。と。
     そして通された畳の部屋。男はまた呼吸を止めて、そして大笑いした。
    「ドッペルゲンガーや!!」
     病院のトイレにあった鏡を見た時に自分の顔は見ていた。その顔と同じ顔をした人間が正座して広い畳の和室で一人待っていたのだ。ドッペルゲンガーを見ると死ぬという。ますます自分が死んでしまうのだと思った。きちんと正座して真剣な顔で待っていた男は、男を見てその大きな目を大きく見開いた。
    「シンスケ」
     と呼ばれた男は立ち上がった。自分より少し低い身長から自分より成長が未熟な年下なのではないかと推測される。そんな男に正面から見つめられてしまえば、男はもうへらへらするしかなかった。
    「君もシンスケ? 俺もシンスケって言われた」
     そう言って手を差し出した。しかし目の前にいたシンスケは
    「申し訳ございません。貴方が誰か分からない今握手はできません」
     ときっぱり断られた。
    「アソ。ええよ別に。俺、これから死ぬらしいし」
     そういってアハ、とまた笑った。
    「あー。そん事やねんけど」
     口を挟んできたのは黒須であった。ボリボリと頭を掻いてバツの悪そうな顔を収めて存外真剣な顔をして二人を見た。
    「お前」
     指したのは記憶喪失の方の男だ。唐突に指を鼻目掛けて差されて黒目がちょっとだけ目頭に向かって寄った。
    「お前は名前も分からんやつや。そんでも、お前には明確に役割がある」
     そう断言した。男はその言葉を理解できず首を傾げて「よく分からん」と言った。
    「お前はシンスケのドッペルゲンガーやない。霞、朧の存在や」
     霞。朧。男は自分のことをそこそこに頭のいい人間だと思っていたが漢字は浮かんでこなかった。しかし分かる。靄みたいな存在のことだ。ますます意味が分からず「よく分からん」ともう一度言った。
    「お前は自分の好きなことしてええ。そうしとったら、お前はシンスケの朧になってシンスケの姿を霞ませることができるんや。お前が存在して動けば北組も大きなるし、自由に動ける幅も広がるんや。せやから今日からお前に名前をやる」
     怒涛の言葉に男は首を傾げる時間もなかった。
    「南」
     ただそれだけ。方角を言われたのかと思ったら次の言葉で一つだけ理解した。
    「南信介。お前は北信介を朧にさせる、唯一の存在や」
     
     俺に命という足枷がまたつけられてしまった、という絶望と諦念であった。
     
     
     
     
     #朧
     大気中に水分が多いと様々なものがぼんやりとぼやけて滲むように見える状態。
     気象用語ではない。
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