パパは誰?数年ぶりに降った大雪で、歩く道が不安定なため、幻太郎は1歩ずつ確実に歩くよう、ゆっくり歩いていた。乱数に仕立ててもらったダウンが大活躍だ。
抱っこ紐で赤ん坊をしっかりと抱っこしていても、ゆったりと着れて、更にとても暖かく、時々視線を下に向ければ、すうすうと心地よさそうに大切な子供が寝ているのが確認できた。マフラーまで乱数のお手製で、暖かく、また肌にも優しくチクチクしない。靴も雪で滑らないしっかりと溝のあるタイプを履いてきたので、ばっちりだ。
匡星の保育園までは家から徒歩15分。七星が産まれてからは、こうして七星を抱っこして、匡星と手を繋いで帰るのが、日課となっていた。
「夢野です。お世話になります」
保育園の入り口で、保護者証を見せて中に入ると、お迎えを待っている子供たちが遊んでいた。積み木で家を作っている子。絵本を読んでいる子。年の多い子が小さい子の面倒を見て、一緒に遊んでいたり、不思議なダンスをしている子もいたりする。幻太郎はこの光景が、好きだった。
子供たちが活き活きとしていて、笑顔があふれているからだ。
「匡星くん、お迎えですよー」
部屋の奥でお友達と図鑑を見ていた匡星が、先生の呼びかけにくるりと首をこちらに向けた。
「匡星。お待たせしました」
「げんちゃー!」
匡星は読んでいた図鑑をそのままにして、幻太郎の元へ走ってきた。一緒に図鑑を見ていたお友達は、きょとんとしていた。
「匡星、お友達がびっくりしていますよ。図鑑もお片づけしないと」
幻太郎が先ほどまで匡星が座っていたところを指差すと、お友達はまだ固まっていた。よほどびっくりしたのだろう。
「あ、けんちゃんごめんね!」
匡星は再びお友達のけんちゃんのところに駆け寄ると、頭を下げて謝ってた。
「けん君!お迎えですよ」
今度はお友達のけんちゃんが呼ばれた。
「あ、夢野先生。こんばんは」
「ああ、けんちゃんのママさん。こんばんは。いつも匡星がお世話になっています」
「いえいえ、とんでもない。こちらこそ匡星君にはお世話になっています」
いつものやりとりではあるが、深々とお互い頭をさげる。
匡星とけんちゃんは仲良く図鑑をお片づけして、自分のカバンが入っている箱が収納されている棚に行くと、リュックの中に持ち帰るものを入れた。
「げんちゃー、できたよ!」
「はい。上手にできましたね」
幻太郎が頭を撫でてやると、匡星はニコニコして、幻太郎に抱きついた。
けんちゃんも同様、帰る支度がきちんとできたので、母親が頭を撫でていた。
「今日はパパ、遅くなるって言ってたから、ママとるいちゃんとでご飯食べようね」
「うん!ぱぱいないのさみしーね」
「そうだねー。明日はお休みだから、明日パパにお疲れ様しようね」
「あーい!」
けんちゃんと、そのままのやりとりをじっと見ていた匡星がちらりと幻太郎を見上げた。
「ねえ、げんちゃん」
「どうしました?」
幻太郎は抱っこしている七星に気をつけながら、その場にしゃがんで匡星の目線に合わせた。
「あのね……。こうのね……」
そこまで言って匡星はもじもじとしてしまい、続きが言えないでいた。
「匡星。何か聞きたいことがあるんでしょ?なんでも聞いていいんですよ?」
匡星の両頬を両手で包み込んでそう言うと、匡星の顔がぱああっと輝いた。
「あのね、こうのね。ぱぱっているの?」
匡星のその言葉にその場にいた大人が凍りついた。普段ならざわっとしそうなのだが、綺麗に氷の魔法をかけられたように、その場から動けなくなってしまったのだ。
匡星が帝統と幻太郎の子供だというのは、誰もが知る公然の秘密だ。誰もそのことを知っていても、口に出してはいけいない。なぜかそう思っているのだ。
匡星は本当に帝統の生き写しのように、顔立ちがそっくりで、帝統の子供であることを証明しているようなものだが、まだ2歳の子供にはその辺りはわからないようだった。
「いなくなっちゃったの?」
しゅんと悲しそうな顔で、うつむく匡星頭を撫でて、幻太郎は頭を振った。
「いいえ。いなくなってませんよ。いつも匡星のそばにいてくれてますよ」
「しょっかー……」
「会いたいですか?」
周りの大人は自分の子供の世話をしつつも、幻太郎と匡星の話に聞き耳を立てていた。
ついに、言ってしまうのか。その現場に立ち会うことができるのか……。
先生方も、子供達から目はそらさないようにしながら、2人の会話に耳を傾けていた。
「どうちよっかな……」
匡星はイッチョマエに腕を組んで悩むそぶりをする。帝統がやるのを見ているせいか、こんなところまでそっくりだ。
「急がなくていいですよ。会いたくなったら、言ってください。きっと向こうも会いたがってます」
「うん。わかった。あ、ななちゃん寒いよね。早くおうちにかえろ」
匡星は靴箱から自分の靴を持ってくると、上手に靴を履くことができた。
少し前まで手伝ってやらなければできなかったことが、ひとつずつできるようになっている我が子の成長が嬉しいと思うのに、少しさみしいとも思ってしまう。
「ちぇんちぇー、ちゃよーなら!」
「はい。匡星君、バイバイターッチ!」
パチンと先生とハイタッチをすると、幻太郎は頭を下げて保育園から家路に向かった。
「寒くないですか?匡星」
「だいじょーぶ。らむちゃんのてぶくりょ、あったかいのよ」
「そうですか。それは良かったです」
2人は手をつないで、雪道を歩く。
「あにょねー」
「はい」
「げんちゃはこうのぱぱのこときらい?」
まっすぐ前を向いたまま、匡星は少し悲しそうな声でそう聞いてきた。
もちろんそんなことはない。帝統は幻太郎にとって唯一無二の、愛しい番だ。世界で一番愛している。もちろん面と向かって帝統にこんなこと言えはしないが、二度もお腹を切ってまで子供を産みたいと思うほどには、愛しているのだ。
「嫌いじゃないですよ。匡星のことが大好きなくらい、匡星のパパの事も大好きですよ」
にこりと微笑んでそう伝えると、先ほどとは打って変わって、ぱあっと匡星は笑顔になった。
「ちょっかー。よかった!」
「足もと気をつけてくださいね。滑らないように」
「あーい!」
はあ、と大きなため息をついて幻太郎はちゃぶ台の上に頬杖をついていた。
「どうしたんだよ。デッケーため息ついて」
匡星と七星を寝かしつけて居間に戻ってきた帝統は、頬杖をついている幻太郎の横にあぐらをかいて座った。
「うーん。どうしようか、悩んだんですが、あなたに聞くのが正解のような気がしました。気がするどころか、それしかないんですが……」
ゆっくりと帝統の方に頭を乗せて体を傾けると、帝統はそのまま幻太郎の体を抱きしめた。
「何?俺にできることなら、やるけど?」
「今日、匡星に、自分のパパはいるのか?と聞かれまして……」
「え!」
帝統はびっくりして、幻太郎の顔をまじまじと覗き込んだ。
「帝統、小生は匡星にあなたが父親だと伝えようと思います」
「え!」
「ダメですか?」
「いや、だめじゃねー。ダメじゃねーけど、なんかこう……。いいんかなーって思っちまって」
「どういうことです?」
「七星はさ、ちゃんと番になって、俺も責任を持って親になったけど、匡星の場合は、ほら。幻太郎に最悪な迷惑をかけて、俺は何の責任も果たすことなく、親のふり、ってーか、どさくさ?で一緒にいる、みたいな……。もちろん、可愛いよ。匡星も七星も二人とも可愛くて、愛しい。でも、父親って名乗っていいのか、全然わからねー」
匡星がこの世に生まれ落ちた経緯に、帝統はかなり幻太郎に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから罪悪感があり、匡星に父親だと名乗り出るのはかなり抵抗感があった。
「それは、帝統だけが背負うことではないです。元はと言えば、小生が悪いんです。子供が欲しくて、あ、あなたとの子供が欲しかったから、あの夜のことがあったんです。後悔はしてないです。後悔どころか、あなたとの子供ができて、どれほど幸せだったか。日に日に大きくなるお腹、痛いくらいに元気に動くあの子が、愛しくてたまらなかった。それもすべて、あなたとの子供だったからです。あの子は私が欲しかったから……。だから……」
帝統の服を力一杯握りしめて、幻太郎は瞳いっぱいに涙を浮かべた。
「幻太郎……。わりぃ」
「いえ、すみません。感情的になりすぎました……」
幻太郎はそのまま体の力を抜いて、帝統の体に寄りかかった。
「俺はな、幻太郎。匡星のことについて、何かを言える立場じゃない」
「それは!」
「聞いて?」
帝統は幻太郎の口に人差し指をあてて、幻太郎の言葉を封じた。
「でもな、何かを言える立場になりたいとも、思うんだ。誰にも恥じることなく、匡星の父ちゃんは俺だぞ!ってな。俺は、それができるのは幻太郎次第だと思ってる。幻太郎が、匡星の父ちゃんだって言っていいですよって言ってくれたら、俺は胸を張って匡星に父ちゃんだって言えるよ」
「帝統……」
「まあ、まだギャンブルはやめらんねーし、仕事も頭痛くなることばっかだけど、少しずつでも幻太郎も匡星も七星も守れるよう、がんばるからよ」
帝統はそこまで行って、大きく息を吸うと、一度幻太郎の体を離して、そのまま両手を畳について深く頭を下げた。
「今更だし、今までもめっちゃ迷惑かけた。親の件も、悪かった。どんなに謝っても足りねーのはわかってる。それでも、俺は匡星の父親だって言いたいし、父親としてできることはやりてぇ。その権利を俺に与えることができるのは、幻太郎だけだ。どうか宜しくお願いします」
「っ……!」
ぽろぽろと幻太郎の頬に涙が伝う。嬉しくて、嬉しくて。やっと帝統と本当に家族になれたような気持ちが溢れた。
「帝統!」
幻太郎は土下座をしている帝統の体に飛びついた。その勢いを帝統は受け止めきれす、そのまま2人は居間の畳の上に転がった。
「帝統、遅くなってしまってごめんなさい。今更かもしれませんが、匡星と七星を一緒に育ててくれますか?私はあなたと、子供たちと幸せになりたいです」
「いいの?」
「はい。もちろんです。明日、匡星に伝えますね。あなたのパパは帝統だって」
「ああ。ありがとう。ありがとう!幻太郎」
帝統は幻太郎を思い切り抱きしめて、そのままちゅ、と音を立てて、幻太郎の頬にキスをした。
突然の帝統の行動にびっくりして、唇が触れた頬を手で押さえた。
「え?もしかして嫌だった?」
「ふふふ。嫌じゃないですよ。ちょっとびっくりしました。でも、頬だけでいいんですか?」
少し意地悪な言い方をしたが、幻太郎は帝統の体に乗り上げたまま、自分からも帝統の頬にキスをすると、帝統が「うわー」と唸って、幻太郎の体を抱きしめると、そのままくるりと体勢を変えて、あっという間に上下を入れ替えてしまった。
「明日、仕事は?」
「明日は匡星の保育園もお休みですからね、小生も仕事はお休みです。あなたは?」
「匡星が保育園休みの日は仕事しないって契約。ギャンブルもお休み」
「では、少し寝過ごしても大丈夫ですね」
「ああ。そうだな」
「明日、朝は少しゆっくり起きて、新しくできたパン屋さんの焼き立てパンでも食べに行きましょう」
「ああ、いいな。めっちゃ家族って感じ」
「なんですか?それ」
くすくすと笑う幻太郎の寝間着の合わせに手を差し込むと、帝統はその細い首に唇を寄せた。
「っ、匡星が、あそこのコーンスープが、大好き、なんです。ぅんっ」
帝統のしっかりとした指が、鎖骨をなぞるだけで、身体がびくりと震えてしまう。
「んじゃ、パン屋さんでモーニング、に決定だな」
「はい……」
背中を上から下へ帝統の指が動くだけなのに、幻太郎の体は気持ちよさに震えたのだった。
いつもなら休みの日は幻太郎が起こすまで、帝統と2人でゆっくり寝ているのに、匡星がひょっこりと起きてきた。
七星のミルクを作るためにいつも通り起きていた幻太郎は、まだ少し夢の中にいる息子の元に行くと、ゆらゆらしている体が倒れないよう、その体を支えた。
「匡星、もう起きたんですか?」
「おちっこー……」
目をこすりながら大きな欠伸をする匡星の手を引いて、幻太郎はトイレに匡星を連れて行き、トイレをすませると、匡星は部屋に戻り、また寝るのかなと思っていると、着替えを持って、幻太郎の元にやってきた。
このまま起きるということなので、幻太郎は匡星の着替えを手伝ってやった。
まだ全ての工程を1人でできるわけではないが、少しずつ1人でできるようになっていた。
トイレもすこしずつ失敗がなくなり、最近はきちんと起きることがほとんどだった。
着替えが終わると、匡星は自分の椅子に座って、ぼんやりとテレビを見ていた。テレビは子供が好きそうな番組で、保育園でもしばしば話題に上がるそうだ。
幻太郎はテレビを見ている匡星の隣に座って、少し声を落として、話しかけた。
「匡星、あなたのパパなんですが……誰だか知りたい、ですか?」
「うん。ちりたい。おちえてほちい」
「はい。教えましょう。実は、ずーっとあなたのそばで、あなたを守ってくれていた人なんですよ」
「う?」
「そこでお腹出して寝ている人ですよ」
幻太郎が寝ている帝統を指さすと、帝統はお腹を出して、ボリボリとかいていた。
「え?だーちゃん?」
「はい。だーちゃんが匡星のパパなんです。ずっと黙っていてごめんなさい」
「だーちゃんが、こうのぱぱ」
「はい」
呆然と寝ている帝統をじっくり見つめる匡星の瞳がキラキラとしてきた。
「さて、お休みの日とはいえ、そろそろ起こしてください。あなたのパパを」
「あーい!」
元気よく返事をすると、匡星はお腹を出して寝ている帝統へ思い切りダイブしたのだった。
FIN