ピンクのチョコレート保育園に行く支度をしながら、匡星はテレビのある特集に釘付けだった。
目をキラキラとさせて、頬を両手で包み込んで、お尻がフリフリと揺れていた。
「げんちゃ!こーこれやりたい!」
テレビを指差して、こちらを向いたその笑顔は期待に満ちていた。
「これって……」
「チコレート!チコレートつくりたい!」
「ちこれーと?作る?」
だいぶおしゃべりが上手になった匡星だが、まだまだ拗音がうまく発音できない。だがそこが可愛くて、いとおしい。
チコレートはチョコレートのことだとすぐにわかったが、作るとは一体何のことだろうと首を傾げた。まさかカカオ豆から作ろうとしているのだろうか?
「こにょね、しろいのと、ぴんくの。ちゅくるの!」
幻太郎は匡星が指差すテレビに視線を向ける。
すると、数人でチョコレートを楽しく成形しているところだった。
要するに、チョコレートを一度溶かして、新たに成形して再度固める。これをやりたいと言っていたのだ。
「なるほど、バレンタイン特集でしたか」
若い男女数人で、思い思いのチョコレートを作成していた。白とピンクのチョコレートで器用にウサギを作っている人がいて、作成のポイントをコメントしていた。
「うさちゃん」
より一層キラキラとした瞳でテレビを見つめている匡星に、幻太郎はしまったと思った。
幻太郎は食事はそこそこ作ってきた年数があるので、レシピを見れば大体のものは作ることはできるのだが、おかし作りはしたことがない。
仕事の関係上、おかし作りもいろいろ本で読んだりネットで見かけた程度の知識はあるが、未知の領域だった。しかもなぜか、チョコレート作りは難しいことを知っていた。
さらに、絵心のようなものも皆無だ。果たして、絵心なしに、ウサギは作ることができるのか……。
「げんちゃ!しろとピンクでうさちゃんつくる!」
予想通りの言葉に、幻太郎の思考はフル回転を始めた。
今日はまだ保育園があるので、やるとしたら明日の休日。今日材料とともに、本屋に行って、チョコレートに関する本を購入。材料はチョコレートだけでなく、その他器具も必要。七星を連れて全部回りきれるか……。うん。無理だ。となると、乱数に聞くのが早い。
「うさちゃん、作れるように調べておきますので、ひとまず保育園に行きましょう。歯磨きしてお洋服着替えましょうね」
「あい」
ピシリと右手を綺麗に真上に伸ばすと、今度は両手をあわせて「ごちしょうしゃま」と言う。
「ん?匡星。まだはみがきしてねーの?ほら行くぞ」
仕事用のシャツに着替えた帝統は、先ほどまで面倒を見ていた七星を幻太郎に渡すと、匡星を抱き上げて洗面所へ向かった。
朝は時間がない中、帝統のご飯、七星のミルク、匡星のご飯と保育園の準備を終わらせなければならないので、幻太郎は大忙しだ。子供のことは帝統がやってくれるが、育休中の間はなるべく自分が家のこと、子供のことをやりたいと思った。
もちろん産後の体は見えないところが傷ついているというのを帝統がわかっているので、うまくフォローをしている。
この朝のバタバタした時間でも、帝統はうまく幻太郎をフォローしていた。
匡星が幻太郎と一緒に朝ごはんを食べている間に、帝統は七星のミルクとおしめ替え。そして自分の身支度をする。
匡星が食べ終えたら、歯磨きと着替え。その間に幻太郎が食器などを片付けるといったルーティンが自然とできて、今日に至る。
幻太郎は七星をおんぶして、家族が使った食器を綺麗に洗い上げる。七星の哺乳瓶はすでに帝統が殺菌処理済みだった。
「ほい。匡星出来上がり」
台所から居間に戻ると、匡星は帝統に着替えを手伝ってもらってすでに保育園に持っていくリュックを背負っていた。
「だあちゃ、チコレートつくるんだ!」
帝統に抱っこされて玄関に向かいながら、匡星は先ほど決まった予定を嬉しそうに話ししていた。
「チョコ、作れんのか?」
「しろいのと、ぴんくのでうさちゃんつくる」
「白いチョコとピンクのチョコねえ」
「だあちゃ、いる?」
玄関に匡星を座らせて、靴を履かせながら、匡星とうまく会話する帝統を見て、親子のふれあいに幻太郎の心は温かくなった。
「おう!もちろんだ」
匡星に靴を履かせ終えると、帝統はベビーカーを取り出し、七星を幻太郎から受け取り、しっかりと七星の体を固定した。首が座ってきたのでこういうことがだいぶ楽になってきた。とは言っても細心の注意を払うことは忘れない。
「はい。では出かけましょうか」
帝統の仕事場への迎えは保育園の少し向こうに来ることになっているので、家族4人で車に気をつけながら保育園を目指す。
幻太郎は七星が乘っているベビーカーを押して、帝統は匡星と手をつないで歩いていると、近所の方や通勤中、通学中の人からも「おはようございます」と声をかけられる。もちろん、幻太郎と帝統も返しているが、声をかけてくる人たちのメインは、匡星だ。
「おはよごじゃます!」
元気よくいろんな人に愛想を振りまく姿がかわいらしくて、毎日のことなのに、毎回写真や動画を撮ってしまう帝統である。
匡星を保育園に預けて、帝統と別れると、帰り道にある公園に寄って、ベンチに座ると幻太郎は乱数へメッセージを送った。
するとすぐに既読になり、電話がかかってきた。
「おはー、幻太郎!」
「おはようございます。朝早くからすみません」
「いいよいいよ。楽しそうだから、僕も参加させて!いつもバレンタインデーは誕生日会してもらってて、チョコ作ったことなかったし。楽しそうだから!」
電話越しでもわかるくらい、乱数が楽しそうにしているのがわかった。
確かに、いままでは乱数の誕生日会をしていたが、バレンタイン要素を入れてもいいのかもしれない。明日作って当日に食べるのもアリだと思い、日持ちのしそうなものを作ろうと幻太郎は思った。
「ちょうど昨日の夜大きい仕事終わったから、今日幻太郎に一緒にご飯食べよって誘おうとしてたんだ。七星連れて長時間買い物するの大変だろうから、僕この後お買い物して、何か美味しそうなお弁当も一緒に買って持っていくよ」
「え?いいんですか?」
「うん。道具は何が必要かわからないから、必要なもの、教えて。とりあえず簡単にできそうなサイト見つけたから、後でURLおくっておくね」
「ありがとうございます。乱数が来てくれるなら心強いです」
「んー。じゃ、お昼ごろいくねー」
「はい。お待ちしていますね」
寒いけれど、冬の朝の空気は好きで、幻太郎は匡星と帝統を見送った後、こうして七星とこの公園で少し休憩するのがちょっとした楽しみになっていた。もちろん七星の寒さ対策はバッチリだ。乱数お手製のアウターとおくるみで、寒くはないはずだ。
「さ、帰りましょか」
七星も1歳を過ぎれば保育園に入園するので、こうして2人で過ごすのも、後少し。少し寂しい気持ちもあるが、成長が楽しみなところもある。
匡星の時にも感じていた思いが、蘇るようで面白い。
家に帰ると、乱数に送ってもらったサイトを確認して、足りない器具をメッセージでお願いした。匡星のリクエストであるホワイトチョコレートとピンクのチョコレートも一緒にお願いした。
洗濯物を干したり、掃除機をかけたり、七星のミルクやおしめ替えなどをしていると、あっという間にお昼の時間となり、乱数がたくさんの紙袋とともに、やってきた。
「ピンクのチョコレート2種類あったんだけど、どっちかなぁ」
いちごのイラストが描かれたチョコレートと、もう一つはルビーチョコレートだった。
なるほど、確かにどちらもピンクである。
「匡星が食べるならいちごですかねぇ」
乱数かかってきた製菓用の機材と、チョコレートはたくさんの種類を買ってきてくれた。ビター、ミルク、いちご、ルビー、そして抹茶もあった。
「細かく刻んで溶かすだけとはいえ、温度管理が大変そうですよね」
「まあ、温度計も買ってきたから大丈夫だよ。明日楽しみだね!ラッピングもたくさん買ってきたよ」
さらにきらびやかで可愛い袋やチョコレートを入れるカップなども出てきて、机の上がきらびやかになった。
「んじゃ、お昼食べちゃお。奮発してステーキとハンバーグのW主役のお弁当だよ!」
じゃじゃーんと幻太郎にお弁当を見せ、2人で楽しいランチの時間を過ごしたのだった。
チョコレートを細かく切るのは包丁でやるため、さすがに危ないので、幻太郎と乱数が担当した。
その間帝統は子守をしていた。
ある程度準備ができたところで、お湯を沸かす。スマートフォンで動画を流しながらバタバタしている2人を見て、匡星はキラキラとした眼差しを向けていた。
「匡星、もう大丈夫ですよ」
作業が始まってから少し時間がかかったが、匡星は飽きることなく、帝統と一緒にじっと待つことができていた。いい子すぎて、帝統はずっと匡星の様子を動画で撮っていた。後で2人に見せれば喜ぶだろうと思って。
とろとろに溶けた色とりどりのチョコレートをスプーンですくって型に流し込む。
ホワイトチョコレートとピンク色のチョコレート2種類を、いろいろ考えながら、流し込んでいた。
「うさちゃんは?」
匡星のメインはあくまでもうさちゃん。さすがにイラストを描くようにはできないので、乱数が探してきたウサギの型を出してやると、ホワイトチョコレートをその中に流し込んでいた。
目とはな、そして耳に後でピンクのチョコレートを使って書くことにして、まずはウサギの形を作るように教えた。
幻太郎は匡星に付きっきりだったが、乱数は乱数で自分の思い通りに、アーモンドやくるみなどの木の実をのせてみたり、ビターチョコレートにオレンジやグレープスルーツの皮の砂糖漬けをくぐらせたり、大人用のチョコレートを作っていた。
「うさちゃんのおめめかくの」
ウサギの型に流し込んだチョコレートの粗熱が取れたので、冷蔵庫で冷やしていたのだが、他のことをやっている間に綺麗に固まっており、冷蔵庫から出してやる。
クッキングペーパーをつかってチョコのペンのようなものを作ってもらい、匡星は真剣にウサギの顔を描いていた。
「できた!」
いくつか作ったウサギ全てに顔を描くと、匡星はやりきったという顔をしていた。
「うん、匡星じょうずー!」
匡星の描いたうさぎはちょっと目が寄っていたり、口が歪んでいたりしたのだが、乱数は嘘偽りなく、匡星が上手にウサギの目や口を描けたと頭を撫でてやった。
「お、すごいじゃねーか」
ずっと七星のお守りをしていた帝統は、チョコレート作りが終わったのを確認して、七星を抱いたままひょっこりやってきた。
「こえは、だあちゃんで、こっちがげんちゃ。んで、このおめめがおおきいのがらむちゃ!で、これがななちゃん」
ウサギのtyコレートひとつずつ指差しながら、匡星が説明してくれる。
確かに一つだけ、目が大きいのがある。
「え?ぼく?」
「うん!らむちゃ。これどーじょ」
匡星はチョコレートをつまみあげると、それをそのまま乱数の口元に持っていく。乱数は自然と口を開けて、匡星の手からチョコレートを受け取った。既成のチョコレートを削って溶かしてもう一度固めただけなので、味が何か特別なものになっているわけではないのに、乱数が今まで食べてきたチョコレートの中で、一番美味しい気がした。
「ばーたれーはちゅきなひとに、チコレートあげるんだって!だから、だあちゃんとげんちゃとらむちゃ、あとななちゃんにもあげるの」
「ばーたれー?」
何のことかわからず帝統が首をかしげると、
「バレンタインですよ」
と幻太郎が正解を告げた。
「なるほど。そういうことか」
帝統は七星を幻太郎に渡すと、匡星を抱き上げて、ぎゅうっと抱きしめた。
「俺も匡星が大好きだぞー」
頬をくっつけあって、ギュウギュウと抱きしめある2人に幻太郎が七星を抱いたまま、そっと寄り添った。
「小生も匡星が大好きです」
幻太郎の腕の中の七星も、まるで会話がわかるのかいいタイミングで「あー!」と楽しそうな声を上げた。
「んもー!僕だって匡星も帝統も幻太郎も七星も、みんなみんな大好きなんだからね!」
乱数が両手を広げて帝統と幻太郎に飛びついた。
なんだかとても楽しくなって、自然と笑いがこぼれた。
「きゃー」
みんなで抱きしめあって、「大好き」を言い合って、ああ、幸せだと、幻太郎はうっすらと瞳に涙を浮かべたのだった。
あの後、七星がお昼寝を始めたので、チョコレートが固まった端から、帝統も手伝ってチョコレートをラッピングした。
ウサギのチョコレートは乱数のをもう一度作ると匡星が言うので、もう一つ作り匡星が思うようにラッピングをして、また後日、本当のバレンタインの日に渡す約束をした。
七星はまださすがにチョコレートは食べられないので、七星のために作ったチョコレートは匡星自身が食べることにして、作ったチョコレート達は台所にひとまず保管することになった。
「今日は七星の子守ありがとうございました」
子供達が寝て家事も全て終わらせたところで、2人は居間でいつものまったりタイムを過ごしていた。
「いや、全然。七星首すわったし、抱っこもだいぶ楽になったしな。匡星が好きだったあのプレイマット、七星もお気に入りで遊んでたぜ」
七星の様子を録画しておいたので、それを見せてやると、幻太郎の目尻が優しく緩んだ。
帝統の足の間に座り、背中を帝統に預けているので、帝統に包み込まれているみたいで幸せな気持ちになれるこの体制が幻太郎は好きで、2人のまったりタイムの時は、何も言わなくても帝統は幻太郎の収まりがいいようにちゃぶ台から少し離れて座っている。
「好きな人にチョコレートをあげるなんて、急に何を言い出すのかと思ったけど、ちゃんと意味わかってたんだな」
「ええ。びっくりしました。ただ単にテレビで見たから作りたいのかと思っていましたが、ちゃんと意味があったんですね。ほんとうにいろんなことを吸収していて驚きます」
「保育園に行くようになってからしゃべる言葉も多くなったし、子供っていろんなことができるようになるの早くて、びっくりだ」
「着替えだって自分でできるようになりましたしね。食事もほぼ手をかすことがなくなってきましたし。嬉しいのと少し寂しい気持ちとありますが……」
こてんと首を傾けて、帝統の首に擦り寄ると、帝統は幻太郎の体をしっかりと受け止めて、その腕の中に閉じ込める。
「幻太郎と匡星の成長見守れて、本当に幸せだ。もちろん七星も。ばばあ……お袋にあんなこと言われても、俺を突き放さないでくれた幻太郎には感謝しかない。乱数も一緒にこうして幸せな時間を過ごせるの、本当に嬉しい」
七星が産まれる前にあったいざこざを思い出し、帝統は少し体をこわばらせた。
「それを言うなら、僕だってそうだ。いろいろと隠したままだった。それでも、帝統は受け止めてくれた。本当に幸せだよ」
2人は額をくっつけて、お互いに瞳を見つめた。
「これからも幻太郎と、幸せになりたい。もっと、もーっと!」
「ふふふ。はい。僕も同じ気持ちです。今後とも宜しくお願いします」
鼻先をくっつけて、ふふっと笑って、2人は唇を合わせた。
ちゅ、ちゅと軽くリップ音をさせて、幻太郎が薄く口を開くと、帝統の厚みのある舌がするりとその構内へ忍び込んだ。
fin