続きの話とも呼べない話「今日もまたごろごろしてるの」
夕方をすぎても布団から一向に出てこない私に向かい、呆れた声で恋人がそう言った。
「だってすることないし」
「でもさ、なんかもっとあるでしょ」
やらなければいけないことはあった。それ以外にも、趣味で買ったもののまだ手をつけていないゲームや画材もそこらに散らばっていた。やることはいくらでもあった。
何もやる気が起きないのだ。
何をしても楽しくない。好きだったことですら、続けるうちに息が苦しくなる。それどころか、身体を起こすだけでも疲れる。完全に腐っていた。
「もう少ししたら起きるよ」
私はそう告げてまた布団を被った。
恋人の言い分は痛いほど分かっていた。
しかし、それに対し罪悪感が芽生えることも無く「そうだよな」と思うだけだった。
精神を病んでしまった人のように毎日涙が止まらない、死にたくてたまらないといったことも無く、私はただただ横になっているだけだった。
別に悲しいことや辛いことがあるわけではない。むしろ特に追われることもなく恵まれた日々だ。
死にたいと思うことはない訳ではなかった。しかし、死にたいと言うよりは、生きるのが面倒臭いというだけだった。実際、生きているが死んでいるのと変わりない生活を続けている。
あれから更に私は腐っていった。
気が付けばペンを持つこともなくなり、あれほど描き続けていた学生服の彼の絵も全く描くことがなかった。
身体を起こして絵を描く気力が無いのであれば、文字を綴ればいいと、小説を書くことも試みた。幸い、現代では携帯ひとつあれば寝転んだ状態でも書くことは出来る。相変わらず人に見せるには躊躇するような拙い文章だが、何かを生み出しているという感覚だけでも味わいたかった。しかし、断片的な言葉が浮かぶだけで、文章とは言い難いメモになるばかりだった。
それもそうだ、起承転結がある訳でもない。身体を起こし、パソコンに向かい原稿を仕上げたあの本でさえまともな文章にはなっていないというのに、寝転がった状態で書くものがまともなものになるはずが無い。
最悪、素人の文章の羅列ならば「結」さえあればどうにかなるかもしれないが、その「結」すら何も無い。
ただあの本を書いた理由は、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。「かもしれない」と、確信が持てないように、あの本を書いた理由が自分でも分からなかった。自分の中で整理をしたかった、区切りをつけたかった、忘れたくなかった、忘れたかった、様々な感情が混ざった複雑なものだった。
実際に書き終えて、得たものは何も無かった。
ただ、何も得ていないことだけがわかった。
何も得てすらいないのに、永遠に囚われていた。
何も始まっていないから、何も終わることも無い。
絵を描いたところで何かが変わることはなかった。
小説を書いたところであの人に会える訳でもない。
彼の記憶を紡ぐという、唯一あの時から無気力であった私が続けてきた行為も気が付けば面倒臭いと感じるようになっていた。
彼を忘れないように描いたところで、なんの意味も無い。今までだって意味を持って描いていた訳ではなかったのに、無意味でばかばかしい行為だと思えて仕方がなかった。
意味など見出さずとも、何かを頑張っている人は沢山いる。 勿論そのことを頭で理解はしていた。実際、大学で部活をしているかつての同級生のSNSを眺め、死体のような自分と比較して輝かしく映った。どうして自分はこんな生活を続けているのかと思うことはあれど、それに対し劣等感を抱えることもなく、全てが他人事だった。
気が付けば「どうでもいい」が勝ってしまい、他人と比較した時の劣等感といった、辛いという感情も減っていった。同じように、楽しいと思えることも徐々に減っていった。
楽しいことなんて何も無かった。今では、何とか「つまらなくはないもの」を積み重ねてなんとか生きながらている。なにもかもが不安定な日々だった。
それでも唯一、こんな腐った自分にも幸せな時間が残っている。それは夢という、なんともありふれた話であった。
夢の中でなら、私はいつでも「中学時代」に戻ることが出来る。その時間だけが唯一、セーラー服を着ていたあの時に、学生服を着た彼に会えるのだ。
10年経ってもそんな夢を見続けるなんてただの亡霊だ。そんなこと分かりきってきた。
今でも見る夢は、甘酸っぱい出来事がある訳でもなく、当時と変わらず彼の後ろ姿を見てるだけだった。それでも私は幸せだった。ああ、自分は今日も生きていけるんだと。
もしも死ぬことが出来たなら、この夢の中にずっといられるのだろうか。
そうしたら、自分はずっと「生きる」ことができるのに。
現実はそう簡単に死ねるはずもなく、毎日目は覚めて、あれから10年が経った身体を動かそうとするだけだった。
私から崇拝を失ったら、何も無くなってしまうというのに。
今日も明日も終わることの無い緩やかな地獄が私を待っていた。