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    ta_setuko

    タワハノ小説の進捗置き場です。

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    ta_setuko

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    Cナナシの話。監察官のストレス値が高いです。親密度会話や本編の台詞を使用していますが、一部変更しています。

    ALL INこれは賭けだ。信じるに値する人間か、それとも偽善者の皮を被ったクソ野郎か。

    監察官の意思で解散したチームのHANOIは、全て破棄される。つまり、招集された時点でHANOIの命は監察官に左右されるということだ。
    これは監察官の心理的な負担を減らすためにと、HANOI用のマニュアルにしか載せられていない。
    だけど、そんな気遣いをしたところで意味はなかった。最近のコーラルは誰が見ても疲れている。目の下に隈を作って、下手くそな作り笑いばかり。

    「ちょっと監察官、アンタ隈が酷いけど……寝れてるの?」
    「……少し仕事が立て込んでるだけだよ。ごめんね、心配かけて」
    「そう……。あんまり根詰めすぎないようにね。何事も身体が資本なんだから」
    「うん、ごめん」

    ミラの心配する言葉がいくつか続いて、会話は切り上げられた。ナナシが視線だけを向けると、階段を上がっていく姿が見える。上の階から挨拶にいくのは、コーラルのルーティンだった。
    ナナシは再びゴシップ誌に目を落とす。
    詳しくは知らないが、監察官の仕事は激務のようだ。娯楽施設で他の監察官が愚痴を吐き出していたことをナナシは思い出す。その監察官は生活リズムが乱れる、といったようなことを話していた。
    以前コーラルが部屋に来たとき、生活について話を聞いたが、その時は眠れていると答えていた。あの時はまだ目の下に隈などなかったとナナシは記憶している。
    攻略が進んで、見覚えのないゴミ箱が掲示板横に置かれるようになって、それからだ。それから、コーラルはナナシでもわからざるを得ないほどに疲弊していった。
    ゴミ箱へ足繁く通う姿を、本部のHANOIたちは皆知っている。ただ、それを咎めるHANOIは誰一人いなかった。
    記事を読むわけでもなく、ただ目を滑らせる。意味もなくページを捲ると、コーラルの気配がした。
    アダムスと何かを話している声が聞こえる。十人全員の挨拶回りはそろそろ終盤だろうか。

    「ナナシ、おはよう。身体の調子はどうかな」

    雑誌に影がかかる。上から降ってきた声に顔を上げると、コーラルが眉を下げていた。
    アンタは調子が悪そうですね。
    言葉には出さず、眉間を寄せる。不機嫌だとでも思ったのか、コーラルは曖昧な笑顔で口を噤んだ。
    ナナシは雑誌を閉じて口角を上げる。

    「……どうも。別に、特別悪いところはないですよ。ヒマなんで、出撃するならお供しますけど?」
    「本当? よかった。じゃあお願いしてもいいかな」
    「ハイハイ、了解です。アンタが敵にどつかれないように、せいぜい見張っててやりますかねェ……」

    立ち上がったナナシは、他のメンバーを確認するために掲示板へと向かう。コーラルはアイテム生成をするためにパソコンに向かっていた。
    その日の攻略メンバーは、掲示板に名前が表示されるようになっている。他の本部は知らないが、102本部ではHANOIが出撃を了承した時点で、コーラルがラップトップから掲示板へとメンバーを登録していた。
    掲示板から呼び出せば了承なんて関係ないのに、よくもまぁ面倒な手間をかけたがる。そんなだから疲れるんじゃねぇの。
    もちろん、これも言葉には出さない。
    掲示板の前には、緑の髪を揺らすクレヨンがいた。

    「……クレヨン」
    『ナナシ! ナナシも こうりゃく? きょうは クレヨンも いっしょにいく するんだよ!』
    「あぁ、よかったな。……もう一人は?」
    『んー わかんない! かんさつかんが よびにいく してるのかな?』

    紙に書かれた笑顔のイラストと同じ顔で、クレヨンが笑う。だがナナシは背筋が冷えた。最後の一人に声をかけてる最中ならいいが、それならアイテム生成は後回しにするはずだ。
    だとすれば。

    「お待たせ、二人とも。悪いけど少し待っててくれるかな?」

    後ろからやってきたコーラルが、気まずそうな顔でゴミ箱の横に立つ。ナナシは隠すことなく不快な顔をしてみせた。

    「同行させるんですか」
    「……うん」

    ごめんね、と告げて、コーラルはゴミ箱へと入っていく。見るだけでも肌が粟立つそこへ、HANOIたちが入ったことはない。だからゴミ箱の中で何が起きているのかは誰も知らなかった。

    『かんさつかん つかれる してたね』
    「……さぁな。俺たちには関係ないことだろうよ」
    『……かんさつかんも こころかたまる してるのかな……。クレヨンが えがお してあげられたらいいのに……』

    聞こえない声が、小さく震えていた。ナナシは口を閉ざしてコーラルが出てくるのを待つ。
    果たしてあの人間は、本当に信用できるのだろうか。

    「お待たせ。……行こっか」

    少ししてから、コーラルは清掃員と共に出てきた。帽子を目深に被る清掃員の表情は窺い知れない。

    「ナナシ、今日は君がこれを持っていてくれるかな」
    「……あぁ、はい。了解です。」

    特別監視タグを受け取り、首にかける。「特別に監視することなんてないよ」と宣っていた頃と比べると、まぁマシにはなったかもしれない。
    コーラルは中間地点に飛ぶため、キーボードを叩きはじめた。ナナシは腹に力を込める。飛ぶ時にはいつも独特の浮遊感が生じる。これはいつになっても慣れそうになかった。



    死体が室内の至るところに点在している。何度見てもあまりいい気分にはならない場所だった。
    ナナシがクレヨンの様子を窺うと、沈痛な面持ちではあるが、泣き言を訴える様子はない。前を向いて、監察官の後ろをついている。
    真っ暗になった部屋を歩き、抜けた先は移植を待つ患者たち。移植される臓器たち。ここは前に他のメンバーが攻略済みだ。ナナシは一度来たことがある。クレヨンは初めてだったようで、軽やかに跳ねると、きょろきょろと忙しなく動き出した。

    『かんさつかん みてみて! とうめい!』
    「これ凄いよね。ぶつかっても痛くないし……」

    クレヨンに連れられたコーラルは木を触っている。にこにこと笑うクレヨンにつられて、コーラルも笑った。
    0と1で作られたことを主張する木は見ていて面白いものではない。そもそもナナシは塔にあるオブジェクトに興味を示すこと自体がほとんどないのだけれど。
    ナナシは二人から視線を外す。クレヨンがついているなら滅多なことはない。あれでいて周囲によく目を向けていることをナナシは知っていた。
    塵とも雪とも判別がつかないものがちらちらと掠める。視界の端では役目を捨てた何かが虚ろな目をして独り言を呟いていた。

    ──役目を捨てた何か、といえば。

    コーラルたちからは離れた場所で、一人佇む男に目を向ける。煙草に火をつけた清掃員は煙を吐き出していた。
    あれには随分としてやられたもんだ。
    第一の塔での戦闘を思い出す。ナナシの眉間に一層深い皺ができた。無意識に、鉄パイプを握る力が強くなる。

    「……随分と熱烈な視線だな。そんなに俺が気になるかい?」

    ふいに投げられた言葉にほんの少し目が見開く。煙草を燻らせた清掃員は、片手にモップを携えてナナシに近づいた。鉄パイプを振りかざせば届く距離だ。

    「驚かせたか? 俺もお前たちにはあまり関わらないようにはしてるんだが……そんなに殺気立たれたらつい、な」
    「……それはそれは、殊勝な心がけをどうも……。心配しなくても、監察官が信用してる奴を今さらどうこうするつもりはありませんよ」
    「はは、それはよかった」

    愛想よく笑う清掃員から敵意は感じない。それがナナシの勘に触った。
    わざわざナナシの攻撃範囲内に入ってくることも、どう見られているかわかっていて話しかけてくることも、全部。自分は無害だとアピールしているように見えて、つい舌打ちが漏れる。

    「……余裕だな。HANOIでもないのにこんなところまで駆り出されて、手伝って……。……献身的で何よりですよ。これで俺の仕事も楽になるってもんだ」
    「なに、恩人のためだ。これぐらいなんともないさ。……だから、そんなに噛みつかないでくれないか。俺はお前の役目を取り上げたいわけじゃないんだ」

    どんなめでたい解釈をしてるんだ、コイツ。半端な修復でとうとう頭がバグったか?
    猜疑心の籠った目で清掃員を睨んだナナシは、しかし皮肉な笑みを浮かべる。

    「俺の役目なんて、人間様の言うことに従って、使い潰されるだけですよ。……それだけだ」
    「…………そうか」

    帽子を深く被った清掃員は僅かに俯いた。

    「お前も自分の役目に苦しんできたんだな」
    「は……?」

    虚をつかれて、思わず声が出る。よりによって清掃員に言われるとは思ってもいなかった。
    そういえば、清掃員には記憶がないと聞いた。ナナシにはウイルス対策ソフトウェアに関する知識がほとんど無かったが、それでも一度壊れたデータを修復することが簡単でないことはわかる。現に清掃員は記憶を失って、間に合わせもいいところだ。
    だからこそ、いつまたバグに飲まれて牙を剥くかわかったもんじゃない。
    面食らったナナシを見た清掃員は気まずそうに頭を掻く。

    「悪い。的外れだったか?」
    「……勝手にこっちの心情を想像されたかねェな」

    引っかかる。清掃員は確かに記憶を失っていて、敵対したことは知らないはずだ。
    それなのに「お前も」と言った。清掃員自身を含んでいないとすれば、一体誰と一緒にされている。他のHANOIとだろうか、──それとも。
    胸騒ぎに駆られてナナシが口を開こうとした時だった。
    後ろから軽やかな足音がして、背中をとんとんとノックされる。

    『ナナシ!』
    「……あ? なんだよクレヨン」
    『あっち いっしょに みる しよー』
    「ー…………わかった、わかった。引っ張るな。……いや、監察官はどうした?」
    『かんさつかんも いるよ!』

    クレヨンの少し後ろには監察官がこちらへ向かってきていた。ナナシの肩の力が抜ける。
    クレヨンに連れられるがままにナナシはその場を離れた。入れ違いにコーラルとすれ違う。目で追った先には清掃員がいた。

    「清掃員さんはここに来るのは初めてだったよね」
    「あぁ。足滑らせて落ちるなよ」
    「いやー……流石にそこまでのドジはしないんじゃないかな……多分」

    聞こえてくる会話は穏やかだった。ナナシはそれ以降の声を意識的に聞かないようにして、クレヨンに目を向ける。
    どうせゴミ箱では二人だから、あんなものは今さらだ。
    クレヨンはいつもの笑顔で、小さな紙に描かれた、いつもの絵を見せる。

    『せいそういんと おはなし たのしくできた?』
    「……楽しくはねェな」
    『そっかー おはなしするの むずかしいむずかしい……』

    残念、と言いたげな顔をしたクレヨンは、口をへの字にした。言葉を選んでいるのか、ピンクのクレヨンをさ迷わせている。いつもは流暢に話すクレヨンにしては珍しかった。
    言葉を待っている間、一瞬だけ黄色い目が清掃員の方を向く。
    あぁ、そういうことか。
    ナナシは唸り声をひとつ上げて、小さく舌打ちを漏らした。

    「……聞きたいことがあるなら回りくどいことすんな」

    クレヨンは腹芸には向いていない。特にナナシ相手になんて悪手もいいところだった。
    パッと顔を上げたクレヨンは目を丸くしている。そして『えへへ』と照れたように笑った彼女は、さらさらと言葉を紡ぎだした。

    『ナナシが せいそういんとおはなし めずらしい! ローランド ナナシはざつだん あんまりしない いってた!』
    「あー……そりゃあ、あの爺と雑談したってなァ……年寄りの説教はごめんだぜ」
    『だからね わたし きになる したの』

    唇を結んだクレヨンは少しだけ眉をハの字にする。

    『なにか かなしいこと あった?』

    ナナシは口を閉ざした。まさかクレヨンに気を使われるほど酷い顔をしていたのだろうか。元々表情が豊かではないから、いま自分がどんな顔をしているのかもわからない。
    だけど自己分析はしなかった。まだナナシは自分の感情に信用を置いていない。0と1の記号だと、その考えが抜けきらないままでいる。

    「……いや、何もねェよ」
    『そっか! クレヨン いつでもナナシのはなし きく するからね!』
    「あぁ。そんときは頼んだ」
    『うい!』

    クレヨンが満面の笑みを見せたタイミングで、コーラルが「そろそろ進もっか」と呼びかける。後ろに控えている清掃員は一歩下がった。多分、クレヨンが駆けよっていったからだろう。
    エリアを進み、棺に花を供えると道ができた。監察官に続くと、どこからともなく声が聞こえてくる。鐘の音が遠くから聞こえてくるような感覚だった。
    橋を渡った先には教会があった。病院と教会が関連しているのはナナシにもわかる。それはいい。
    だが無視することのできない異様な雰囲気があった。視界の先にある像がそれを物語っている。

    「……救世主様だのなんだの、キナ臭い言葉がいよいよ具現化してきましたね」
    「元々教会があったなら、救世主って概念も浸透しやすかったのかもしれないね。……さて、ここからは初めて攻略する場所だ。気をつけて行こうか」

    いつもの隙がある表情から一転して、コーラルは引き締まった顔をしていた。役目を全うしようと襟を正す姿がどうしてか痛々しく見えて、ナナシは思わず口を開く。

    「……監察官」

    清掃員の言葉が頭をよぎる。振り向いたコーラルは、ナナシからの呼びかけに笑顔で応じる。

    「ナナシ? どうしたの、何かあった?」

    コーラルはナナシから声をかけると、大体「何かあった?」と言う。これはナナシから声をかけることが少なかったし、実際にナナシも用事があるから声をかける、といったことが多かったからだ。
    前までは話が早くて手間が省けると思っていた。今はすこし不快が上回った。

    「……アンタは、」

    アンタは、自分の役目に苦しんでいるんですか。
    問いかけの言葉は形にならなかった。口を閉ざしたナナシに、コーラルは戸惑いがちに目を瞬かせる。
    聞いて、一体なにができる。よしんば苦しんでいると返ってきたところで、この人間を監察官たらしめる存在の一人であるHANOIにできることなんて、なにも。
    喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、口角だけを上げる。いつも通りの、諦めたような笑み。

    「いえ、宗教勧誘に引っかかりそうだなと思っただけです」
    「えっ……うーん。されたことはあるけど、毎回きちんと断ってるから大丈夫だよ」
    「へぇ。監察官にも断るなんてことができたんですね」

    意外ですと付け加えれば、コーラルは悲しそうに目を伏せた。

    「……うん。僕はちょっと流されやすいから。そういう面では頼りないかも」

    小さく、独り言のように呟かれた言葉だった。ナナシは眉を潜める。一体何が気に障ったのかがわからなかったのだ。
    ナナシは声をかけようとしたが、煙草の臭いが鼻を掠めて口を閉ざした。離れていても存在を主張してくるそれが煩わしい。
    思わず漏れた舌打ち。自分に向けられたものだと思ったのだろう、コーラルの「ごめんね」の言葉に陰鬱な気分になる。ナナシは背中を向けた。キャメロン曰く「不器用」な彼は、こんな時にかける言葉を持ち合わせていない。まして、人間相手に。

    「……先に行ってるね」

    コーラルは探索の続きを始める。ナナシは数秒ほどその場から動けなかった。足が縫い留められたような感覚。無意識に視線が地面に落ちた。ふと目に入った特別監視タグが鈍色に光る。これさえあれば双方の居場所がわかるため、はぐれることはない。
    一歩ずつ遠ざかっていくコーラルの足音。息を吐いたナナシが顔を上げて振り返ると、大した距離は離れていなかった。探索中のコーラルは歩幅がやたらと狭い。ただでさえ歩くのが遅いのに、とナナシが一歩踏み出したときだった。

    『かんさつかん!』

    駆けつけるクレヨンの声と同時にナナシも気配を察知する。瞬間、救世主の像から十字架の形をした敵が飛び出してきた。
    新品の鉄パイプを握り、駆け出す。コーラルがラップトップを構えるよりも早く、クレヨンのラフナイフが空気を裂いた。ナイフは十字架の上部に刺さり、敵は後退する。ナナシが前衛に構えると、斜め後ろから清掃中と書かれた黄色の札が勢いよく飛んできた。それは十字架の横を掠めて木にぶつかり0と1に四散する。

    「おっと、外したか」
    「せ、清掃員さん……二人も、ありがとう」
    『かんさつかん だいじょうぶ? けが してない?』
    「うん、大丈夫だよ」

    トドメを刺すために鉄パイプを構え、体勢を立て直す十字架に近づく。十字架は清廉な目の中に黒を一滴垂らしたような不穏さを滲ませて、何かを告げようとした。しかし言葉になる前に、ナナシは鉄パイプを振り下ろす。鈍い打撃音の後に十字架は粉砕され、0と1に溶けた。
    息を吐いて振り返ると、呆けた顔をしているコーラルと目が合った。

    「カタつくまでは気ィ抜かないでください」
    「あ、ああ……ごめんナナシ」
    「まぁ別に、アンタは後ろで休んでてもらっても構いませんけどね」

    揶揄する声音とは裏腹に、ほんの少し気遣いを混ぜた言葉だった。だがコーラルには上手く伝わらない。一瞬頬をひきつらせた彼は、ラップトップを構えたまま、ナナシを見据える。

    「そんなわけにはいかないよ。僕は君たちの監察官なんだから」
    「……そうですか」

    まるで自分に言い聞かせるようだった。ナナシは漠然と「失敗した」と思った。恐らく平時のコーラルであれば伝わっていたはずだったのに。
    クレヨンが心配そうに二人を交互に見る。クレヨンは誰かを笑顔にしたいという気持ちは大きいが、空気は読める方だ。安易に踏み込むことはしない。だからこそこの場で居心地の悪い思いをさせていることはナナシも察している。察していても、現状を打開する言葉だとか、解決策が思いつかないのだから、どうしようもなかった。
    清掃員は一歩下がったところでコーラルの様子を見ている。明らかにHANOIとは違う立ち位置から見守っている様に、ナナシは酷く苛立ちを感じた。
    眉を下げて笑ったコーラルは教会へと歩き出した。救世主の像を横切る途中、祈りを捧げる男女二人が鳥の姿へと形を変える。

    「うお、マジかよ」
    『とりさんだ!』

    第二ラウンドの始まりに、再び武器を構える。コーラルはラップトップに強化コードを打ち込んだ。

    「待ってね、今サポートする……!」

    同じコードを三回打ち込み、コーラル以外は強化コードが適応された。黒い鳥はぶつぶつと何かを呟き、音波となって襲いかかってくる。全体に放たれたそれを避けきれることができずに、全員がダメージを受けた。
    戦闘に支障はない程度の負傷。ナナシが鉄パイプで殴りつけ、清掃員が清掃中の札を打ち込む。クレヨンの投げたナイフが敵二体を牽制する最中、コーラルが一歩、二歩とよろめいた。
    ナナシの背中に冷たい汗が流れる。前にローランドが「司令官殿は戦闘中に動けなくなることがある」と言っていたことを思い出したのだ。まさか、とナナシが手を伸ばしかける。

    「……監察官? おい、しっかりしろ!」

    しかし、今にも倒れそうなコーラルの身体を支えたのは清掃員だった。宙ぶらりんになった手は空を切り、無意識に舌を打った。
    顔色の悪いコーラルは、下手くそな笑みを浮かべている。ラップトップが今にも手から滑り落ちそうだった。

    「ぁ、ごめ……ごめん、ね」
    「いい。すぐに終わらせるから、少し休んでな」

    清掃員はコーラルを下がらせると、再び戦闘へと戻る。がなりたてる白い鳥の嘴をモップで殴り、潰れた鳴き声が上がった。
     
    『わらって わらって!』

    クレヨンがジャグリングをするようにナイフを自在に操り、黒い鳥へと突き刺す。血飛沫が上がり、抵抗した黒い鳥がクレヨンを啄んだ。一瞬顔が引きつったクレヨンだったが、すぐにいつもの笑顔に戻る。
    ナナシが応戦してクレヨンから黒い鳥を引き剥がした時、白い鳥が清掃員にモップで打たれて木に叩きつけられた。怒り狂った様子で体勢を立て直した白い鳥は、黒い鳥へと抗議を始めた。
    どうやら救世主様への信仰で揉めているようだ。

    「そのまま潰しあってくれたらこっちも楽なんですけどね」

    ナナシが呟き、この隙にさっさと終わらせてしまおうとした時、

    「いま回復するから……!」

    か細い声が聞こえた。キーボードを叩く音にナナシが振り返る。青い顔をして、冷や汗を垂らしながら、どうにか気丈に監察官であろうとするコーラルが、何かのコードを打ち込んでいた。
    ……そんなに、なってまで。
    ナナシが何度目かのやるせなさを感じて、歯を食い縛る。多分、そんな慣れない情を抱いたのが、この場においては不適切だった。
    だから、クレヨンと清掃員の間を縫って、目の前まで来ているエネミーへの対処に一瞬遅れてしまう。
    頭で理解するより早く、これまで潜り抜けてきた修羅場の経験が、無意識に身体を動かした。だが打ち上げるように振った鉄パイプは空を切る。黒い鳥はナナシの隣を勢いよく横切り、コーラルに向けて特攻を仕掛けた。

    『よけて!』

    クレヨンのつんざくような悲鳴を認識する前に、ナナシの身体が咄嗟に動く。自分以外は間に合わないからだ。コーラルには避けられる程の体力も、気力も残っていない。
    だから、助けないといけない。監察官を。──コーラル・ブラウンを。
    それは、監察官が倒れたら困るから、アイツらが廃棄されるから、……人間様だから。そういう、HANOIの役割から来る損得じゃなくて。
    ふ、と一瞬過ったのはいつかの言葉。偽善者の言葉だと一蹴して、だけど騙されそうになった言葉。
    ──君が覚えてきた感情は、君自身が悩んだり、考えたりして、自分で育んできたものなんだよ。

    「あぁ、全く……!」

    こういうことかよ、畜生。
    ナナシは動けないコーラルの前に飛び出す。鋭い嘴が左腕を裂くが、構わず振り払い、体勢も整わないままに鉄パイプを横に一閃、薙ぎ払った。
    潰れた声を上げて、黒い鳥は0と1に溶けていく。白い鳥はクレヨンと清掃員が倒していたのか、すでに影も形も見えなかった。
    裂かれた左腕は捲り上げている袖を下ろせば隠せる傷だ。コーラルに見られる前に、袖を少しだけ下ろした。
    振り返ると、コーラルは棒立ちになってナナシを見上げている。申し訳なさそうに下がった眉に、不愉快な苛立ちが込み上がった。

    「あ、ありがとうナナシ。ごめんね。大丈夫だった……?」
    「ええ、お気になさらず」
    「そっか……ごめん、大事なところで動けなくなって……」
    「……だから、HANOI風情に頭下げてんじゃねーよ」

    HANOIの監察官になってしまったから、そんな風になっているのに。元凶に謝るなんて、どうかしている。
    だが口には出さず、言葉を飲み込んだ。言ったところで、また謝罪が返ってくるだけだろう。
    どんな言葉をかけていいかわからずに口を閉ざす。クレヨンを呼んで、後は任せようとナナシが考えた時、後ろから呻き声が聞こえた。

    「ぁいったた……」
    「清掃員さん!?」

    弾かれるように動いたコーラルが、声の方へと駆け出す。それを目で追うと、清掃員が頭を押さえてよろめいている姿があった。クレヨンも心配して、清掃員の傍でわたわたとしている。

    「あぁ、この像を見たらどうにも……」
    『だいじょうぶ? クレヨンが よしよし するね!』

    予想外の出来事だった。しかし結果としてコーラルの傍にクレヨンがいることとなったので、放っておいても問題はないとナナシは判断した。
    三人から目を外し、今しがたコーラルが落としていったバッグを拾う。清掃員への対応をしている間に、終わらせなくてはならないことがあった。

    「……よし、あの馬鹿は気づいてねェな」

    近くの木まで移動して、幹に背を預ける。何かあれば呼ばれるだろうし、少し振り向けば三人の元へすぐに行ける距離だ。

    「あーあ……結構なケガだな、こりゃ」

    袖を捲ると、裂かれた左腕はぱっくりと開き、回線コードが見えていた。一応動かせはするが、間違いなく戦闘に支障は出る。とはいえ、こんなものをコーラルに知られでもすれば、また陰鬱とした顔をするに違いない。悟られたくはなかった。
    ナナシはバッグを漁り、回復用のアイテムを探す。以前はもう少し整頓されていたバッグ内も、今は乱雑に纏められていた。
    舌を打ち、痛みに耐えながら息を吐く。あった、と回復アイテムを見つけたタイミングで、後ろから鈍臭い足音が聞こえた。

    「ナナシ!?」
    「うわ、来たよ……」

    来てほしくなかった、と拒絶の声音で吐き出すが、コーラルはそれに傷つくどころではなかった。ナナシは咄嗟に隠したが、ぽたぽたと血が垂れており、怪我をしていることを察したからだ。
    隠し切れなかったことに眉を潜めるナナシだったが、すぐに渇いた笑みを浮かべる。

    「……普段、特にここ最近はボサーっとしてるクセに。こういう時だけは目ざといっスねェ……」
    「そんなイヤミ言ってる場合じゃないよ!」

    言葉は振り払われ、コーラルは怪我を見せるようにナナシに詰め寄った。一度は断ったものの、引かないコーラルに渋々と怪我を見せる。まだ真新しい怪我がいつできたものか、恐らく察しがつくはずだ。
    コーラルは痛々しく顔を歪め、拳を握る。

    「結構、ひどいケガじゃないか……」

    すぐに治療をしないと、と言い出すコーラルは、ナナシの予想から外れて強い意思を持つ目を見せた。もっと、弱々しく傷ついた顔をすると思っていたのだ。
    コーラルの申し出を何度も断るが、彼はそこに座って、治療をすると言って引かない。
    役目に苦しんでいるのなら、こんな厄介なHANOIなんて放っておけばいいのに。いや、役目を全うしようとしているから、苦しんでいるのか。
    だったら、尚更。

    「……人間に借りを作るなんて、まっぴらだ」

    早く見捨ててほしい。そっちのほうがよっぽどお互い楽だった。バーチャルで何かが変わったところで、現実に戻れば白紙に戻るのだから。
    早く次の攻略へ。そう煙に巻いてしまえば、これまで通り流されてくれると思っていた。
    けれど、眉を寄せたコーラルは、出会ってから初めてナナシに声を荒げたのだ。

    「どうして君はもっと自分を大事にできないんだ!?」

    怒気のこもった声だった。しかしトーロファミリーの人間に怒鳴られ、詰られた時とは違う。ナナシは頭の隅で、「監察官も怒鳴るんだな」とどこか他人事のように思った。
    そこでナナシはようやく、「人間様」と「コーラル・ブラウン」とで区別がついていることを、すんなりと認めることができた。一度認めてしまえば、枷が外れたように気持ちが軽くなった。
    だから、今の言葉がHANOIだからと見下すものと違い、ナナシを心配して向けられたものだと、素直に受け入れることができる。だというのに、コーラルは声を荒げるなんて、組の人間と同じだと反省しているのだ。こんなおかしなことがあるだろうか。
    いくつかの言葉を交わして、ナナシは告げる。

    「……信じても、いいんですね?」

    差し出した信頼に、コーラルは大きく目を見開いた。陰鬱で疲ればかりだった目に光が戻る。
    くしゃりと顔を歪めたコーラルは、それでも口角を上げた。だけど無理な作り笑いと違って、痛々しさは一切ない。ナナシは胸が締め付けられるような思いになったが、それは嫌悪感とは違った。しかしどう形容していいのか、ナナシにはまだわからない。
    何度か深呼吸をして落ち着いたコーラルは、信頼への嬉しさを言葉にした後、ナナシに頭を下げる。

    「……ごめんね、ナナシ。僕は自分のことばっかりだった。その傷は、僕を庇ったときにできたものだろう?」

    謝らせてしまった、と思った。だから知られたくなかったのに。そんな風に思う必要はない、と言いたかったし、いっそ思いの丈を全部吐き出してしまおうかとも思ったが、それは憚られる。必要なことは最低限伝えたのだ。これ以上の言葉を口にするのは、まだ荷が重い。
    だからキャメロン曰く、「素直じゃない」言葉を伝える。きっと、今のコーラルであれば理解できるはずだから。

    「……あのさ。その謝るクセ、直してくれません? 居心地が悪いんで」
    「あっ……ごめ……。んんっ、……ありがとう」

    どこか憑き物が落ちたような呑気な笑顔に、肩の力が抜ける。もう、これまでのような苛立ちは感じなかった。

    ****

    コーラルがシューニャたちの罠に陥り、HANOIたちは本部に強制送還された。その間のナナシは、誰が見てもわかるほどに気を揉んでいた。特別監視タグが機能せず、コーラルの居場所も、生存もわからない状態だったからだ。しかしナナシの明らかな変化も、この非常事態では誰一人として話題に上げることはなかった。
    多くのHANOIたちが本部の玄関前でコーラルの帰りを待っている。そんな中、コーラルの部屋からEXIT使用時のような、大きな音が聞こえた。
    全員が気づいた時には、もうナナシが動いていた。誰もナナシを止めることはなく、その背中を見送った。
    コーラルがいてほしい。だけど、この先にいるのは敵かもしれない。楽観的な思考を諫めながら、扉を開ける。
    視界に入った、見慣れたシルエット。振り返ったコーラルはどこも怪我をしておらず、ナナシは心底から安堵した。

    「……何やらデケェ音がしたと思ったら、アンタでしたか」

    心中を押し込めて、努めていつも通りに振る舞う。「捜してくれてたの?」と言われたときには、本当にコイツどうしてやろうかと思ったが。
    それでも覚悟を決めたようなコーラルに、強くは言わなかった。地に足がついていると、言葉の端々から感じることができたからだ。
    そして、真っ直ぐにナナシを見据えたコーラルは、真水のように透き通った青い目を瞬かせて、気丈に微笑む。

    「……不安にさせてすまなかったね。でも、僕はもう迷わないよ。僕は、君達の「監察官」だ。だから……これからもよろしくね、ナナシ」

    そう言い切ったコーラルに、ナナシは取り繕っていたものが剥がれかけた。一瞬の動揺を悟られたのかはわからない。
    ただ、コーラルはもう大丈夫だということはわかった。今はそれだけで十分だった。

    コーラルの帰還後、本部内はようやく落ち着きを取り戻した。全員と会話を終えたコーラルが、ナナシの元へとやって来る。
    おずおずとパーティへの加入を打診するコーラルに、二つ返事で請け負った。何を今さら下手に出ることがあるのだろう。とはいえ、コーラルという人間は元からこの性格です、と言われたら納得するしかない。
    よかった、と笑うコーラルは、懐から取り出したものをナナシへと渡す。

    「ナナシ。早速で悪いけど、これは君が持っていてくれないかい?」
    「……、……わかりました」

    差し出されたのは特別監視タグ。いつかは首枷と思っていたそれが、今は少し違って見えた。
    罠に嵌まった直後なのに、罠と見抜くことができなかったのに、一番に探索して報告する権利を与えてくれている。
    きっと、これを信頼と言うのだ。

    「あの、監察官」
    「うん?どうしたの?」

    未だに慣れない感情の動きにむず痒くなって、思わずコーラルを呼んだ。とはいえ、呼んだ後のことを考えていなかったので、ナナシは一拍おいて煙に巻くことを選んだ。

    「……、……もし、俺に探索されるのが嫌になったらすぐにお返ししますよ。他の奴らに探索してもらうなり、なんなり……」

    ほとんど癖である、斜に構えた態度だった。信頼を突き放すような言葉にも、コーラルは目を丸くしてくすくすと笑う。
    何がおかしい、とナナシが怪訝な目を向けると、コーラルは柔らかく目を細めた。

    「それ、初めて君に特別監視タグを持たせた時にも言われたね。何だか、懐かしいや。……うん、でもナナシが僕に返すようなことにはならないと思うよ。あっ、でも探索に疲れたらいつでも言ってね!それは話が別だから……!」

    ああ、そういうことかと合点がいく。あまり覚えてはいないが、確かにそんなことを言ったような。
    コーラルも変わったな、とナナシは感嘆にも似た気持ちを抱く。以前のコーラルなら意気消沈してもおかしくはなかった。

    「……ふふ、わかりました。疲れたら、ですね」
    「あ、怪我とか体調不良を隠すのはもう無しだよ?」
    「勿論ですよ。監察官のありがたい言葉を、俺は忘れちゃいませんから」
    「もう、君はそうやってすぐに茶化すんだから……」

    苦笑したコーラルは、他の子たちも誘ってくると言い残して背中を向けた。しゃんと伸びた背中を見送りながら、ナナシは口角を上げる。

    ──これは賭けだ。信じるに値する人間か、それとも偽善者の皮を被ったクソ野郎か。

    結果は見ての通り。

    「……賭けは俺の勝ちですね、監察官」
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