培養水に溺れる「こんにちは」
「こ、んにちは」
そいつは俺の言った言葉を繰り返す。
「さようなら」
「さよ、なら」
まだ知能は足りていないらしい。
自分から言葉を発する事は無い。
言葉を理解していないのか言葉を自分から発するという発想が無いのか定かでは無い。
ズラッと並んだ培養カプセルが目に入りうんざりする。
この工程をこれから先あんなにもしなければならないのか。
「あれ、だれ」
不意にそいつが言葉を発した。
なるほど、知能はあったらしい。
先ほど書いたカルテを破き新しい評価を書き出す。
「あれはお前で、お前はあれだ。名前は飴村乱数。量産型のクローンだ」
正確には試作中だが。
「お前も、飴村乱数?」
「いや俺は違う。俺は山田零だ」
他者へ対する関心が出てきた。
これは良い兆候だ。
「山田零、量産型?」
「俺は1人しかいねぇ。クローンはお前だけだ」
「ほんとに?」
じっと幼い目が俺を捉える。
まだ善も悪も何も知らない目は酷く澄んでいて居心地が悪い。
「ほんとに?」
「何が言いたい」
「本当にお前が山田零なのか?お前がオリジナルである証明はどうやってするんだ?天谷奴零は偽名ではなく識別するための名前だとしたら?なぁ、クローンとオリジナルの違いってなんだ?」
さっきまで単語しか話さなかった飴村が饒舌に話し始める。
「お前何言って…」
「あそこで培養されてるの、本当に俺だと思うか?」
「はっ…俺が作ったんだからそうに決まってんだろ」
「よく見てみろよ」
こいつの言葉なんて俺の行動になんの影響も与えないはずだ。
それなのに何故か体が勝手に動いきカプセルに近づく。
「ほら、自分の作ってるモノはなんだ?俺か?」
冷や汗が止まらない。
見てはいけない。
きっと見たら全てが変わってしまう。
俺の在り方も何もかも。
「俺、は…」
俺が作っているのは飴村乱数で、これはそのクローンの一体のはずなのに、
「なん、で…俺が浮かんでんだ…?」
クスクスと後ろから笑い声が聞こえる。
「ねぇ、自分が何者か分かる?」
「お前がオリジナルって、本気で言える?」
何も答えられない俺に飴村は畳みかける。
「所詮人間なんて多少差はあれど内容物はおんなじなんだよ。こんなに体格差がある俺とお前ですらな」
「…何が言いたい」
「この研究はさ、本来俺を作るものじゃなかったんだよ。山田零のクローンを作る過程で生まれた副産物。それが飴村乱数だよ」
クスクス、クスクスと培養カプセルの中の俺達が笑う。
「なぁ、誰に見える?そいつら」
俺、か、飴村乱数か。
「なんだ、なんなんだよ」
ぐるぐると目が回る。
段々と息ができなくなって、視界が暗くなって、
「あ、起きた?」
「あめ、むら」
気がつくと俺はシブヤのカフェにいた。
「急に寝ちゃうんだからびっくりしたよ、それで?話って?」
どうやらあれは夢だったらしい。
「…忘れた」
夢の衝撃が強すぎて何も考えられない。
話があったとしても、今日は今すぐこいつのから離れたい。
「えぇ〜何それ」
急に呼び出しといてさ、と拗ねる飴村に謝り席を立つ。
「あ、そうそう僕ひとつだけ聞きたかった事があるんだけど」
いつも通り、俺がそう教えた通りの声と話し方で俺を呼び止める。
警戒心を与えないように、不安を与えないように、そういう意図のはずだったのに、今はその声が、話し方に恐怖を感じる。
「お前ってさ、山田零と天谷奴零、どっちのつもりでいるの?」
クスクスと笑い声が聞こえたような気がした。