分からない 呼び止めると菅原さんは振り向く。体育館を出て歩き始めた後に。それで俺に笑ってみせる。
「日向? なに、どしたの?」
「菅原さんって、」
時々寂しそうにしてますよねなんとなく。
そう言うと菅原さんは笑った。そんなことないけど、って言った。それでひと回り小さい俺の肩に優しく触れる。手があったかかったのを覚えてる。
菅原さんがトスを上げてた頃、俺はそれをうまく打てなかった。本当に下手だったと思う。トス上げよっか? っていう菅原さんの誘いを俺は、何度か無邪気に断ってた。そういうのをなぜか思い出す。今さら会って話したところで、あの頃の埋め合わせができるわけじゃないけど。
「菅原さん、お久しぶりです!」
玄関先で俺がそう言うと、菅原さんは笑う。
「日向! 会いたかったわー、もうー」
菅原さんは昔みたいに俺を撫でようとして、寸前のとこで手を止める。面白い人だなって思って俺は笑ってしまう。
「えっ何いまの、フェイントですか?」
だって畏れ多いじゃん、とか菅原さんは言う。何だよそれって思ってしまう、俺は。
「日向はもう俺の後輩ってだけじゃねえじゃん。日本代表だし。すっかり国民の弟みたいになって……、」
それで結局撫で回される。温もりは何も変わらない。わっ、とか言って、俺は目をつぶってしまう。菅原さんはあははって笑う。その仕草は本当に昔と同じだった。この人が常に良い先輩であろうと努めてるのを、俺はちゃんと知ってる。
明るい部屋のなかで、菅原さんは俺に聞く。軽くて親しみやすくてそれで優しい声で。
「おまえ、いま彼女とかいんの?」
「んー、知りたいすか?」
「全然知りたいわ。おまえ、いまヤバいだろ引く手数多でさ」
「いや本当にそんなことないすよ」
「うそつけー!」
うそじゃないですよ、と言うと、菅原さんはちょっと微笑む。そこになんか安堵の気持ちを見つけてしまって、俺は複雑な気分になる。
「あ。でも菅原さんみたいなひとならいいかも」
「はあ? あははははは! 何言ってんだ」
「子供扱い!! ひっど! うわ、本気ですけどー!」
「はははははは! ばーか、何なんだよ」
「……俺、本気ですよ」
「うわ、」
ちょっとぞっとした、って顔を菅原さんは隠せてなかった。俺は少し笑って、気づかないふりをした。何秒か空白ができる。俺が何も言わなかったから。そのままただ見つめてた。菅原さんの笑みは退いていった。
「俺、おまえのこと時々怖いよ」
「え」
「その目がさ、……わ」
言葉を奪うようにキスしてた。なんでそんなことしたのか、全然分かんない。
菅原さんはずるい。大人になって、遠くに行って、俺が全部忘れてしまってるって思ってる。それで驚いた顔で、唇を離した俺に聞く。
「おまえ、なんで……、」
さあ、なんででしょうね。俺にも分かりません。
とは言わないで、俺はただ見つめてる。そして菅原さんはそれを困ったように見てる。その笑顔は怯えたようにも見える。見上げてたあの頃と違って視線がちゃんと正面で重なる。まっすぐ向けた視線を受け止めてから、菅原さんは目を閉じる。諦めと何かの覚悟をもって。俺は唇を柔らかに重ねる。あたたかい。ちゃんと血が通ってる。信じられないくらい白いひとなのに。
……なんででしょうね。
ただ魔が差したから。感傷的になっていたから。あの頃とは何もかも違うって知らせたかったから。伸びてしまった背が結局届かなかったから。いつまでも俺を子供扱いするあなたが、きっとこれからも振り向いてくれないだろうから。
分からない。分からないんだ。