9最近、よく眠るようになった気がする。
ふと意識が浮上した。
ガイアはベッドから起き上がり、窓の方へ足を一歩踏み出したが、バランスが取れずベッドに逆戻りする。
高級そうなスプリングはなんの音も立てず、ガイアを迎え入れてくれた。
自分の終わりはきっと近いのだろう。そう漠然と考える。
結局、ガイアはディルックから離れることができなかった。本当は離れることがディルックのためだとわかっているのに、足が上手く動かないことを理由に、最後まで此処にいてしまった。
ディルックのことを大切に、本当に大切に想っているのに、結局自分の独りが寂しいという気持ちを優先してしまった。
散々このままじゃいけないって焦ったくせにこのザマか、と独りごちる。
と、コンコンと扉を叩く音がガイアの耳に届く。ベッドから身を起こしたのと同時に扉が開き、視界に赤色が映る。
「……?急にどうしたんだ、ディルック」
いつもなら、ディルックは申し訳なさそうな顔をして、今日も成果がなかったと言うのに。今日のディルックは何も言わないし、どこか吹っ切れたような顔をしている。
ディルックは無言のまま、近くの棚の引き出しから小型のナイフを手に取った。
取り出された白銀のナイフは、ディルックの手の中で鈍く光っている。
ディルックが何をするのかわからず、黙っていると、ズカズカと真っ直ぐガイアの方へ向かってきた。
「えっ…」
ディルックは服の袖を捲り自らの腕を晒すと、そこにナイフを添える。
ガイアは嫌な予感がした。
慌ててディルックの腕を掴もうとしたが、ディルックの方が速かった。
勢いよくナイフを引く。
白い腕に赤い鮮血が走り、床に滴り落ちていく。
「お、お前、何してるんだ!すぐ止血しないと…」
「君が飲まないというのなら、別に構わない」
静かにディルックは言った。
「は……?お前、まさか…」
「ただ、この血が地面に落ちていくだけだから」
ディルックは腕から流れゆく血を眺めて続ける。
「でも、僕は君に飲んでほしいな……一緒に生きていたいから」
そして、ディルックはガイアの青い瞳を見つめた。
あぁ、バレてしまった。
ガイアが初めに思ったことはそれだった。
俺がお前の血を喜んで飲むわけがないだろう。
次にそう思った。
よく分からない怒りがふつふつと湧いてくる。
「…ッッ俺は、人様から血を啜って生きる化け物になってまで生きたくないんだよ!!」
ガイアは叫んだ。化け物になってまで生きたいと思わない。
第一、ガイアはあの時確かに死にたかったのだ。未練が一切なかったと言うと嘘になるが、死にたいという思いは本物だ。
その思いがどうして、血を求める化け物へと成り果ててしまったのか。
どうしてまた迷惑をかけてしまう存在になってしまったのか。
「お前だってわかるだろう?!ラグウィンド家の養子が化け物になって夜な夜な血を啜っているなんて、冗談じゃない!」
「それに、血を啜ってずっと生き続けるなんて嫌なんだ…俺はもう疲れたんだ、死にたいんだ…」
この苦しみから解放してほしい。もう迷惑をかけないでいい存在になりたい。そう願った。
「俺を殺してくれよ、ディルック…」
言ってしまった瞬間、ガイアは後悔した。咄嗟に口から出てしまったが、これではよりディルックに迷惑をかけるだけだ。
人に迷惑をかけたくないと言った傍から、一番迷惑をかけたくない相手に迷惑をかけるような事を言っている。そんな自分に嫌気がさした。
「じゃあ、僕の血だけ飲めばいいだろう」
黙り込んでしまったガイアを見つめ、ディルックはなんてことの無いように言い放った。
「聞いた話だと、君は吸血鬼だ。体を動かし、人と同じように生活するためには血を飲む必要がある。血を飲まないと体は動かなくなり、やがて死ぬ」
まだ勢いの止まらない血をガイアの方へ押しつけ、続ける。
「つまり、僕の血だけを飲んでいても君は生きていられるし、僕の血で満たされれば他の人を襲うこともない」
呆然として聞いているガイアの目をしっかり見据えた。
「君は僕の血で生き、僕が死んだら君も死ぬ。だから、人を襲う化け物になんか、永遠に彷徨う怪物になんかならないし、させない」
「………ハハッ、まさに一心同体ってか?傲慢な義兄さんだなぁ」
ガイアはそう言って苦笑いを浮かべた。
そして、目の前に押しつけられたディルックの腕に触れる。
「…そこまでお義兄さまに言われたんなら、しょうがないよなぁ…」
苦笑いを浮かべたまま、ガイアはそっと舌を這わせた。
「そうだ、前から気になっていたんだが、君はまだ僕のことが嫌いという発言を取り消してくれないのか?」
血で汚れてしまった床をハンカチで拭きながら、ディルックはふとガイアの方を見て言う。
「えーっと…そんなこと言ったか…?」
ガイアはベッドに腰掛け、手を握ったり開いたりしながらうーん、と首を傾げた。
「言ったよ、『俺は、お前のことが大っ嫌いだったぜ、義兄さん』って」
ディルックはビッと親指をずらし、首を切る真似をする。
「そんなちゃんと再現するなよ…でも、確かに言った気がするなぁ…」
しみじみと呟いているガイアの様子に焦らしたのか、ディルックはベッドに近づき、ガイアの頬を引っ張った。
「痛っっ!お前のそういうところは大っ嫌いだよ今も!」
そう言って、ディルックの手を振り払うと、ディルックはため息を零す。
「はぁ……まぁいい、僕は君の本当の気持ちを知っているから」
そう言いつつも少し落ち込んだ顔を見せながら、ディルックはガイアの隣に座った。
「?…でも改めて、なんで俺はこうして吸血鬼なんかになったんだろなぁ…」
ガイアは自分の手の平を上に翳した。
人間であった頃と変わらない手。血を飲んだ今ではしっかり動くし、この手が死者の手だとは誰も思わないだろう。
「あぁ、その理由はあの詩人から聞いたよ」
ディルックはそう言って横にいるガイアに微笑んだ。
「片想いのまま死んだ者は吸血鬼になるんだって、ガイア」