ほしがふる 年間三大流星群。それは、一月一日~一月五日頃のしぶんぎ座流星群、七月十七日~八月二十四日頃のペルセウス座流星群、十二月七日~十二月十五日頃のふたご座流星群のことだ。三大流星群と呼ばれているからには、そうでない流星群もあるわけで。有名なものを挙げると、ハレー彗星を母体とする五月のみずがめ座η流星群や、十月のオリオン座流星群などがある。
極大時刻は年によって異なるが、最低でも三~四年先、長ければ十年近く先のものまで、観測条件が公開されている。よほど興味を抱いていなければ気にすることがないかもしれないが、年間三大流星群とされている三つについては、日が近くなれば、インターネットのニュースサイトの目に付くところに記事が公開される。
そのため、日頃、宇宙に興味を抱いていなくても、その時ばかりはそわそわしながら夜空を見上げてしまうのは、仕方のないことだろう。人は、毎日同じことの繰り返しであればあるほど、非日常的なものに飛び付きやすい。
流星の正体は宇宙空間を漂う塵。それが猛スピードで地球に突入し、大気中の原子や分子と衝突して発光する。流星の速度に地球の公転速度も加わるので、宇宙空間を漂っている時よりも速度は上がる。人間の肉眼で確認できるのは、ほんの一瞬。しかし、東都のど真ん中のような都会では、人工的な光や空気中の塵が多く、よほど明るいものしか見えない。
だから、三大流星群といっても、そう簡単には見られないのだ。――と、ニュースサイトを見ながら、降谷くんによる簡単な流星群講義がおこなわれた。なんでも、ちょうど一週間後の夜がその極大時刻に当たるらしい。
「きみが星に興味を抱いているなんて、初耳だ」
「うーん……興味というか、話題だから?」
眉を下げて笑う様子に、彼も、ポピュラーな話題に引き寄せられる普通の男なのだと、妙な安心感を覚える。さきほどまでの流暢な説明も、話題性から記事を読み、どんどん深みにはまっていったのだろう。
降谷くんがタブレット端末をこちらに寄越してきたので、俺も記事の内容に目を通すことにした。年末年始の浮き足立った記事の中に、流星群についての記載がある。記事によると、今回は一時間当たり、三十から四十程度の星が観察できる見込みとのこと。参考リンクを辿って、一年前の同じ流星群を撮影した動画を再生する。ヒーリング系の音楽とともに流れるそれは、時間の経過を忘れて見入ってしまうほどだった。実物を見ることができたなら、もっと素晴らしいに違いない。
更に読み進めていくと、昨年はかなりの好条件だったが、今年は満月から少ししか経過していないため、眼視観測はやや難しいと記載されていた。個人の家で電波観測をするためには三万円ほどの初期投資の他、アンテナの設置などが必要になるらしい。
「今年は電波観測を勧めると書かれてあるぞ」
来年は昨年ほどではないがまずまずの好条件、再来年は眼視観測・電波観測ともに、やや難しいと続けられている。
「そう。残念ながら、今年は眼視観測のはずれ年なんです。というか、昨年が好条件揃いだったみたいで。もっと早く気付けばよかったな……って、普段は興味を持たない、にわかファンがなにを言うって感じですが」
「誰だって、最初はそうだろう。追求を続けていくうちに、にわかファンではなくなるというだけだ。俺を追求し続けていくうちに恋に落ちた、きみがいい例じゃないか」
「追及の間違いでは? 全然笑えないギャグを言い出すなんて、あなたも歳を取りましたね」
言葉尻は厳しいが、目許がほんのり赤く染まっている。そのまま見つめていると、どちらからともなく、笑いが出た。
「きみは相変わらず手厳しいな」
「当然です」
しかし、そう言いながらも、マグカップの中身が空になっていることに気付いて、コーヒーを注ぎ足してくれるのだから、俺は相当甘やかされていると思う。
あぁ、こういうのを、幸せというのだろう。
「なぁ、肉眼では絶対に見えないというわけでもないんだろう? 一か八か、ドライブがてら、行ってみないか」
俺がそう言うと、降谷くんは、ぱぁっと顔を輝かせた。
「やった! 本当ですか? ……なんて、実は半分、期待していたんです。あなたと出かけるの」
降谷くんの簡単な講義が始まった時から、誘ってほしいんだろうなと思っていたんだ。
しかし、誘ってはみたものの、残念ながら、星を見るデートなんてロマンチックなものはしたことがない。そう言うと彼は「あの赤井秀一でも!」と驚いた。
「なんだ、あの赤井秀一って」
「だって、大抵のことなら経験してきましたみたいな顔だから……あぁ、いや、あなたの場合は女性のほうから寄ってくるからデートなんて考えなくてもよかったんでしょうね」
降谷くんの悪いところは、一人で推測して一人で自己完結するところだ。まぁ、この件については、降谷くんの推測通りなのだが。
「じゃあ、なんだ? 降谷くんには、そういう経験があるのか?」
物語の王子様のような見た目をした降谷くんだ、雰囲気を重視したデートを求められたに違いない。気の利く彼のことだから、そのリクエストにも応えてきたのだろう。
「……気になります?」
「そりゃあ、な」
彼の過去の恋愛遍歴が気にならないといえば嘘になる。
「別に、なんてことないですよ。あぁ、プラネタリウムくらいは誘われたこともありましたかね。でも、それだって組織に潜入するよりも前のことです。いくら僕が優秀でも、組織のバーボンが、その辺の人と深い仲になるわけにはいかないので。少なくとも、あなたが嫉妬したくなるようなことは、これっぽっちもありません。むしろ、僕のほうこそ、あなたの過去の恋愛遍歴を想像して発狂、しそう、だ……」
尻すぼみになりながらそう言って、降谷くんは顔を背けてしまった。しかし、耳が赤らんでいるのが見える。
「おい、降谷くん」
「うるさい」
こちらを向かせようと腕を伸ばすが、振り払われた。もちろん、この程度で諦める俺ではない。
「いや、うるさくないぞ。いいから、顔を見せてくれ」
きみ、今、絶対にかわいい顔をしているだろう。
「うるさいうるさい! あぁ……だから嫌なんです、あなたと喋るの。格好悪いところばかり見せてしまう……」
耐えられないといった感じで、ソファーからずるずるとずり落ちて、そのままラグの上にしゃがみ込んでしまう。そんなことをしても、余計に顔を見たくなるだけなのに。
「きみは格好いいよ。なぁ、出かけるならどこまで行けばいい? 車を出そう」
降谷くんにずるいと言われるだろうが、彼に対して効果的があるとわかっている、殊更優しい声音で、彼が顔を上げてくれるようにと希う。
「……ずるいんですよ、それ」
「あぁ。わかってやっているからな」
彼は優しくされることに弱い。――これは、俺がまだ沖矢昴だった頃、彼を近くで見ていて感じたことだ。
降谷くんは溜息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
「米花の森公園の奥のほうなら、暗いから、見えるかもしれません……」
米花の森公園は少年探偵団の子どもたちが何度か遊びに行ったことがあり、俺も知っているところだ。降谷くんの住まいからは少し離れているが、それでも東都内である。
「そういえば、米花天文台はどうなんだ? あそこは確か、夜間展望会をやっているだろう」
沖矢の生活をしていたことで得たものの一つに、子どもたちが喜ぶような施設に詳しくなったというものがある。天文台併設のロッジ宿泊者限定で夜間展望会が毎晩開催されており、円谷少年が予約困難だと言っていた。
「あるにはあるんですが、いくらなんでも、予約が埋まっているんじゃないですか。だって、来週ですよ?」
「まぁ、確認するだけでも損はないと思うぞ」
鼻歌混じりで、米花天文台のウェブサイトを検索する。満天の星空を背景にしたウェブサイトには、天文台や望遠鏡の紹介、天体の写真や動画のギャラリー、併設のロッジなどがメニュー項目に盛り込まれていた。併設のロッジへのリンクを開くと、たくさんの写真とともに、設備内容が紹介されている。一室六名まで宿泊できるロッジはなかなか広そうだ。米花の森公園のキャンプ場にもロッジが数棟あったが、あれと同じくらいだろう。
宿泊予約状況を確認する。……当たりだ。
「見ろ、降谷くん。俺はこういう時の運がいいんだ」
マグカップを片付けていた降谷くんを呼び寄せ、タブレットの画面を見せる。
「えっ……どうして」
空室欄にはバツではなく二の数字。ちょうど年明けすぐのことだから、他の予定を入れている者も多いのだろう。
「予約は電話のみで受付か……さて、どうする?」
「どうするもなにも、答えは決まっています!」
降谷くんはすぐさまスマートフォンを手に取り、急いで予約専用の電話番号へと電話をかけた。無事に予約が取れたと言って電話を終えてからも、彼は興奮冷めやらぬといった様子で、たくさん降るから、たくさん願わないといけませんね! と、すっかり機嫌をよくしている。
たくさん降るなら、降った分だけ、彼との幸せが続くように……なんて、願うのもいいかもしれない。
◆
自分たちには、紆余曲折を経て今の関係に落ち着いたという言葉が、とてもよく似合う。
初対面での印象は、決して、いいものではなかった。組織はガキにも後ろ暗い仕事をさせているのかと思ったし、その仕事を平然と請け負っているガキ本人に嫌気が差した。次の任務で組むやつだと紹介され、顔を見た瞬間に、彼に対して抱いた感想が、それだ。
ここはこんなガキにも仕事をさせているのかとバーボン本人に言えば、成人しているのだと返され、彼を気に入っているらしいベルモットに変装でも仕込まれているのかと思ったものだ。
そこからの数年は、任務で何度か行動をともにするだけの間柄だったのだが、ある日、俺と彼の間に決定的な亀裂が入るできごとが起こった。
俺たちの目の前で、ある一人の男が死んだ。
バーボンは俺に対して、激しい憎悪を抱いた。死んだのは公安からのスパイとはいえ、こんな組織の中でもバーボンとは馴れ合っていたから、それも仕方ないかと思った。当時は確信を抱けなかったが、たぶん、バーボンも公安の彼と同じような立場かもしれないと疑っていたからというのもある。
彼らが幼馴染みという可能性を考えなかった俺は、バーボンの瞳に込められた憎悪の深さに、長い間、気付けなかった。
数年後、俺は組織に潜入するために近付いた宮野明美のことを死なせてしまった。その時に思い出したのは、組織にいた頃、俺のことを視線だけで殺さんばかりの目付きで睨み付けていたバーボンの顔だ。
俺は、組織に潜入していた公安警察の男だけでなく、一般人である宮野明美も死なせてしまった、非力な存在だ。自分の非力さを思い知ったせいか、父の消息が絶たれた真相を突き止めたら、あるいは、自分のその志を継いでくれる者が現れたら、いつ死んでも構わないと思うようになった。いつからか、バーボンのあの瞳を思い出しては、断罪を望むようになったのだ。
だからこそ、キールを組織へ再び潜入させるのを機に、来葉峠で死んだ。
赤井秀一が死ぬという台本を見事につくり上げたあの少年なら、本当に俺が命を落としたとしても、俺の志を継いでくれると思ったから。
俺に新しく与えられたのは、沖矢昴という、存在しないはずの人間の姿。断罪を望む気持ちは相変わらずだったが、ボウヤの台本ということもあって、ひとまず、沖矢の生活を始めることにした。
沖矢の生活を始めてすぐに、自分にはもう一つ、やらなければならないことがあると気付いた。姉を失い、組織から脱出したシェリーの存在だ。彼女は自らが研究していた薬剤によって、幼い姿へと変わってしまっていたが、すぐに宮野志保だとわかった。俺が組織に潜入するにあたって、決定的な橋渡し役となった彼女のことを守らなければ。姉のことを守ってやることができなかった分も含めて。
赤井秀一という名は知らなくても、諸星大の顔と名前で、彼女に存在を覚えられてしまっている。組織から逃亡している彼女の身辺を警護するには、沖矢昴という存在は非常にありがたい。赤井秀一死亡劇の台本の中でうまれた沖矢昴に、初めて、存在理由ができた瞬間だった。
そんな時だ。バーボンが、俺の消息を追っていることを知ったのは。
憎んだままでいいから俺が死んだと思っていてほしい自分と、家族も仲間も死んだと思っているのに一人だけ真実に近付こうとしている彼にだけはすべての真実を教えてやりたい自分とがいて、どうすればいいのか、わからなかった。
考えあぐねているうちに、彼は赤井秀一の生存を暴いてしまった。それだけではなく、躱しても躱しても、沖矢昴の正体が赤井秀一だと言って憚らない。
赤井秀一が取らなさそうな行動を取れば、彼の疑念を晴らせるだろうか。そう考え、徹底的に、沖矢昴としての生活を楽しむことにした。同時に、彼の動向を探るため、安室透としてアルバイトをしているポアロへと定期的に足を運ぶようにもなった。しかし、近所の喫茶店に通う大学院生として接しつつ彼の様子を見ても、疑念は晴らせなかったらしい。
驚いたことに、彼は、沖矢昴に対して、交際を申し込んできた。
他にも相手に近付く方法はいくらでもあるだろうに、どうして交際を申し込むのか。肝心なところで不器用な彼があまりにもかわいくて、断ることができなかった。もちろん、自分から正体を明かすつもりはないが、喫茶店店員と交際する大学院生という生活を楽しませてもらうことにした。
形ばかりの交際を続けて、ほどほどのところで姿を消すつもりが、彼との距離感を掴み損ね、ついには、惹かれるまま唇に触れてしまった。
駆け引きを楽しむなんてできないくらいに、彼に惚れこんでしまったのだ。
これが安室くんのハニートラップなのであれば、ここで牙を剥くに違いないと思い、覚悟を決めていたのだが、意外にも、彼はそのまま交際を続けてくれた。もちろん、ことあるごとに、沖矢の正体が赤井ではないかと探っているのだという発言を織り交ぜながら。
傍から見ればただの恋人同士となんら変わりない付き合いだ。休日にはインターフォンを何度も鳴らして俺を起こし、沖矢の小柄な愛車で、温泉旅行もした。今にして思えば、この温泉旅行の夜こそが決着の時だと、互いに、心のどこかで覚悟をしていたのだろう。
いくら恋人同士で、唇を触れ合わせた仲とはいえ、俺が正体を隠している以上、これより先に進むことはできない。事実、首許を隠さなければと、安室くんが勧める浴衣を固辞し、手持ちのハイネックを着ている有様だ。安室くんが、ことあるごとに正体を疑っているのだと発言していても、沖矢が赤井だという事実を実際に突き付けた場合に彼が受けるダメージは、俺には計り知れない。
並べられた布団に、二人して行儀よく仰向けに寝転びながら、俺は、これ以上の交際は辞めようと持ちかけた。あくまでも、沖矢昴として、彼に別れを告げることにしたのだ。
しばらく沈黙が続いた後、衣擦れの音とともに、安室くんが、俺に跨って顔を覗き込んできた。
「……あなた、それでも、正体を隠せているつもりだったんです? いい加減にしろよ、赤井秀一。こんなに顔を近付けて、それでもわからないとでも思うのか? 僕も随分、見くびられたものですね?」
常夜灯の下、安室くんの表情は、よく見えない。
「きみ、……あなたを、見くびっているつもりは」
「それですよ。あなたの変装が下手なんです。口調に気を付けているつもりでしょうけれど、言葉の端々で、赤井秀一だとわかる。あなたのことを何年追っているとお思いですか? FBIのお仲間たちよりも、コナンくんよりも、僕のほうが、あなたを知っている自信がありますよ」
確かに、普段の口調が出てしまいそうになることは、これまでにも何度かあった。すぐさま取り繕って誤魔化してきたが、いい加減、それも限界ということか。どう答えるべきか逡巡していると、安室くんは、俺の首許に手を伸ばしてきた。俺が逃げる様子がないのを確かめ、ハイネックの首許から指を差し入れ、変声機をオフにする。
「……それで、どうする? 俺を組織に差し出すか?」
元々、彼はそのつもりで赤井秀一を追っていたのだろう。協力してくれたボウヤには悪いが、ボウヤならきっと、これから先、更なる窮地に追い込まれても、なんとか切り抜けていくに違いない。ただ、あの少女については……証人保護プログラムの適用を承諾してくれないか、ここを離れる前にジェイムズに頼んでみよう。
そう考えていると、安室くんは、大きな溜息をついた。
「そんなことをしなくても、僕は、自分の実力だけで組織の中枢に近付きますよ。まさか、この僕が赤井秀一を使わないとなにもできないとでも? ……やはり、あなたは僕のことを見くびっている」
そう言って俺を睨み付ける目は、仲間を失ったあの日、あの屋上で俺を見たものと同じだった。
「だから、違うと」
決して安室くんを見くびっているわけではない、それどころか、日本が誇る優秀な捜査官だと思っているのに、どうしても、それが伝わらない。
「どう違うんですか? あなた、肝心なところで言葉が足りないんですよ。違う違うって、どう違うか説明していただけますか」
この瞳からは、逃れられないと思った。
思えば、初めて会った日――彼のことをガキ呼ばわりした時だって、彼は俺を射抜くような、強い眼差しをしていた。とうに成人しているのだと澄ました表情で返され、その後の俺は、なにも言えなくなったのではなかったか。
組織の任務も、彼と組んだ時ほど行動しやすいものはなかった。同じ目線で、ものごとを見ているからだ。会話のレベルも同じで、ストレスなく、組織から提示された以上の成果を挙げることができる。組織の任務の中には薄汚いものもあったが、そんな任務の中でも、彼は凛として美しかった。なにものにも穢されない存在がこの世にあるとすれば、きっとこういう男なのだろう。そんなことを、柄にもなく、考えたものだ。
恐らく、その頃から、俺は彼に憧れていたのだろう。あぁ、彼には敵わない。
「正直に、言うと」
そう言葉を吐き出しながらも、この後、自分がなにを言うのか、まったく考えていない。いつもの俺ならば、相手の反応を予測して、常に自分が優位に立っていられるよう、ものごとを押し進めていくのに。相手がこの男となると、なにもかも、うまくいかない。
「あぁ、もう。わかりました。あなたが正直にって言うから期待してしまいましたが、よく考えたら、あなたはこれまで僕に嘘ばかりだった。そんなあなたが、突然正直に話すなんて無理ですよね。期待するだけ損だ」
そう言い捨て、顔を背けた安室くんを見て、心臓が嫌な音を立てる。
「待ってくれ」
咄嗟に、俺の上から退こうとする安室くんの腕を掴む。
「わ、ちょっ……」
勢い余ってしまい、安室くんがバランスを崩した。あ、と思った時には既に遅く、そのまま倒れ込まれてしまった。思わず、抱き締めるような体勢になってしまう。布越しに、互いの胸が密着している。抱擁なんて、これまでだってしてきたのに、今までにないくらい動揺してしまうのは、なぜだろう。
「あ、その……すまない」
「……いや、腕に力込めながらそう言われても、全然、説得力ないんですが……」
安室くんに指摘されて、初めて、自分が彼を抱き締める腕に力を込めてしまっていることに気付いた。しかし、すぐにその理由に思い至る。
「離したら、きみがいなくなりそうだ」
ここで彼の腕を離せば、もう二度と、彼と話ができなくなってしまうかもしれない。たった今、彼の前では沖矢の姿でいることをやめたのだ。彼に敵わないと、ついさきほど腹を括ったじゃないか。なにを言うのか考えられないなんて、言い訳にもならない。
彼の言う通り、俺は、彼に対して、嘘ばかりついてきてしまった。もちろん、後ろめたさは感じていた。
「……はぁ、わかりました。わかりましたよ。そんな表情しないでください。なんだか、僕がいじめているみたいじゃないか。あなたって、肝心な時は話し下手なんですね。……ここにはあなたの車できたんだ。この時間じゃ、一人で米花町まで帰る足もありませんし? 朝までちゃんといますから」
違う、そうじゃない。
「できれば、朝までだけじゃなくて、その先も、いてほしいんだが」
「はぁ? ここ、一泊ですよ? 明日には帰るんです」
俺は小さく溜息をついて、口を開いた。
◇
「なに、にやにやしているんですか?」
降谷くんの声に、我に返った。
「いや……、少し、昔のことを思い出していたんだ」
米花天文台へ宿泊予約の電話を終えてはしゃぐ彼を見て、俺は初めて二人で外泊した時のことに想いを馳せていたというのに、彼はすっかり落ち着いた表情で、いつも行くスーパーの広告を見ている。画面に表示されている食材から察するに、今夜は鍋になりそうだ。
「昔? ……あっ、まさか、昔の女か? にやにやして、絶対にそうだ」
「待て、なぜそうなる」
鼻息を荒くしているのを見て、誤解を解かなければならないというのに、かわいいなぁなどと考えてしまう。
「あぁ、いやだいやだ。僕は今日の晩ご飯はあなたの好きなものにしようかと考えていたのに、あなたの頭の中はすけべなことだなんて」
彼との付き合いは短くないのだが、今でも彼は、時々、一人で勝手に思い込んで、拗ねてしまうことがある。
「こら。怒るぞ、……零」
「……っ、今、それ言いますか? ずるい」
ベッドの中だけでの呼び方で彼の名前を呼ぶと、顔を真っ赤にして俯かれてしまった。
「俺としては、ベッドの中以外でも、こう呼ばせてほしいんだが。それだと、きみが嫌なんだろう?」
現在、俺は日本で仕事をしている。警察庁まで徒歩でも十五分程度の近距離なので、顔見知りと遭遇することがある。人前で「零」と呼んでいるところを見られては困ると、降谷くんが強くそう言うものだから、外でうっかり「零」と呼んでしまわないよう、普段から「降谷くん」と呼ぶようにしているのだ。初めは、なんて横暴な! と思ったが、ベッドの中でだけはそう呼んでも構わないというお許しが出てからは、考えが変わったのだ。名前で呼ぶだけで、ベッドの中でのことを連想させることができるではないかと。
「そりゃあ、だって、恥ずかしい、ですから」
「……何年経っても、変わらないな。そういうところは」
降谷くんが見ていたタブレットをスリープモードにし、自分の膝の上を手で軽く叩く。降谷くんは逡巡してから、ゆっくりとした動作で、俺の膝の上に座った。
「年数が経っても、恥ずかしいものは恥ずかしいんです」
膝の上に座る彼が愛おしくて、そのまま抱き締める。
「あの日のことを思い出していたんだ」
◆
「んっ……」
彼を抱き締めたままの体勢で、口付ける。旅館の布団の中で抱き締めての口付け。
「安室くん、きみ、鈍感と言われたことはないか?」
「はぁ? 失礼な人ですね。しかもこんな時に……キス、なんて……」
別に初めてというわけではないのに、初心な反応。変な気分になりそうだ。だが、彼の許しを得たわけではない。
「確かに、俺は、きみにたくさんの嘘をついてきた。隠さなければならないことが多過ぎたから、仕方ないと思った。だが……、きみに、そんな表情をさせたかったわけじゃない」
彼の頬にかかる髪に指先を絡ませ、耳へかける。
「……誰のせいだ」
「俺のせいだな。……きみを見くびったことなんて一度だってない。きみのことは、初めて会った日から、敵わない相手だと思っているんだ。これは嘘じゃない。……沖矢を追い詰めたのはきみだけだ。正直、恐怖心さえ抱いたよ」
安室くんが口を開こうとしたので、もう一度、口付ける。まだ、話を続けさせてほしい。
「文句は後でいくらでも、何年かかっても聞く。俺はきみと違って話し下手だから、今、一気に話してしまわないといけないんだ」
だから、少しの間だけ、耳を傾けてほしい。そう乞い願うと、安室くんは口付けの余韻で瞳を潤ませたまま、頷いた。
「……仕方ないから、聞いてやる」
「恐怖心を抱いたのは本当だが、不思議なことに、安心もしたんだ。俺を追い詰めたのが、他の誰でもない、きみでよかった……と。だって、そうだろう。完璧に消息を絶ったのに、簡単に見つかるわけにはいかない。信じてくれないかもしれないが、きみは、俺が初めて敵わないと思った男だ。そんな男にだけ、見つけられてしまったんだ。もちろん、トリックを見破られた悔しさはあったがな。だから来葉峠で言ったんだ。敵に回したくないと。ただ、ずっときみのことが気がかりで、……まぁ、ボウヤには咎められたが、ポアロを覗いてみたら、そこから先はきみも知っての通り、今のこの状態だ。完全に、色々なことを話すタイミングを見誤ってしまったな。……これは、俺のミスだ」
そこまで話して、自分が、ずっと、面と向かって謝罪をしたかったのだと実感した。来葉峠で電話越しに詫びたが、彼の怒りの炎を煽るだけだったから。
「さきほど、俺を組織に差し出すつもりかと聞いた時、きみは、そんなことをしなくても組織に食らい付いてみせると言ったな? 確かに、きみならやり遂げるだろう。俺がああ言ったのは……、俺なら、利用するからだ。実際に利用した。知っているだろう? 彼の死を、俺が始末したと組織に報告したことで、組織内での俺の扱いが変わった。きみは、彼が自決だったことにとうに気付いていて、それで、俺を憎んでいたんだろう。彼が、自分の仲間だったから。仲間の死を、俺が踏み台のようにしたから」
そこまで言ったところで、安室くんが腕を伸ばし、俺の口を手で塞いだ。
「黙って聞いていれば……そこだけは、あなたの間違った言い分を最後まで聞くわけにはいきません。僕があなたを憎んでいたのは、あなたほどの男が、どうしてあいつを自決させるような真似をしたのかということだ。あなたなら、人を一人逃がすことくらい、造作もないはずだ。違いますか? ……僕たちは、潜入捜査で犯したミスには、個人で対処しなければならない。組織に身元を知られたあいつが自ら死を選ぶことくらい、容易に想像できましたよ。もちろん、その連絡を本人から受けた時は動揺して、一刻も早く駆け付けて、なんとかしなければと思いましたけど」
その言葉に、あの日のできごとが脳裏を過ぎる。
「結局は、僕のミスでもあるんです。動揺して、一刻も早く駆け付けなければなんて、本来なら取るべき行動じゃなかった。誤った行動は、必ず悪影響を及ぼす。そこで、少し前に、ある仮説を立ててみたんです」
その言葉に、嫌な予感がする。頭を振って、塞がれていた口を開放させた。
「いい、安室くん。もう言わなくていい」
「僕があそこに駆け付けたことで」
もう何度目かわからない。安室くんの後頭部に手を回し、噛み付くように口付けた。とにかく、黙らせたかった。半ば強引に舌を捻じ込み、口蓋をぐるりとなぞると、安室くんは身体を大きく震わせる。
夢中で唇を貪り、彼の力が抜けたところで、ゆっくりと身体を離す。はぁ、はぁ……と肩を上下させて酸素を求める姿に、湧き起こりそうな嗜虐心を抑え込んで。
「最低だな……人がまだ言い終わらないうちに……」
「……きみだって、最後まで話をさせてくれなかったじゃないか」
しばし、睨み合いをする。
◇
「……あぁ、本当、あの時のあなたは最低だった」
降谷くんも、あの日のことを思い出したのか、眉間に皺を寄せた。
「今にして思えば、もう少し冷静になるべきだったと思っている」
「どうだか。話の途中で何度も何度もキスしてきて、話す気があったのか疑わしいですよ。結局あの後、ちゃんと話したのって……」
降谷くんの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「……だから、どうしてきみはそうやって照れるんだ」
――あの後。何度も繰り返した口付けにより、互いに熱を帯びた身体をそのままにはしておけなくて、そのまま抱き合った。沖矢として交際を続けていくことはできないと告げたばかりで、俺たちの間にあるしがらみをきちんと解消しきれないままという、状況としては最悪のタイミングだ。
「黙らせる手段は他にもあったはずなのに、あんなにキスしてきたのが悪い。僕だって……男ですから」
あの夜、繰り返し口付け、息を荒げた安室くんは、おもむろに浴衣を脱ぎ出したのだ。その時に言われた言葉を反芻する。
「好きな相手にこんなにもキスをされて、……なんだったかな。きみが突然ストリップショーを始めた時の言葉は」
「~~っ! うるさい!」
今、こんなふうに笑い話にしているが、もちろん、当時は、すったもんだの末での出来事だったのだ。
――さっきからキスばっかりして、かなり、やばいんですが。責任取ってくれるんですか? 僕は、好きな相手にこんなにもキスをされて我慢していられるほど、聖人君子じゃないんですよ。
好きな相手という言葉を聞いて、自分の気持ちを告げてしまおうと判断した俺は、その場で、沖矢として接しているうちに、安室くんに本気で惚れ込んでしまったことを打ち明けた。触れている最中、安室くんの瞳から涙がこぼれそうで、瞼に、目尻に、何度も口付けた。やはり涙があふれてしまったようで、その涙に「しょっぱいな」なんて言いながら。
すべてを正直に話したのは、翌朝のことだ。そして、その日から、彼との関係が変わった。
関係が変わったとはいえ、当時はまだ組織から身を隠していたため、しばらくは沖矢の生活を続けていた。それまでと同じように、ポアロに通い、周囲を警戒しながら、安室くんと密会する日々。ボウヤからは「二人が協力し合ってくれるなら、なにも言わないけど」と複雑そうな表情をされた。もしかすると、その頃から、彼を工藤邸に招き入れている本当の理由を察していたのかもしれない。ボウヤが工藤新一の姿を取り戻した後、彼との関係を打ち明けたら、大きな溜息をつきながら「やっぱり」と言われたから。ちなみに、このことは、その場にいなかった降谷くんには伏せてある。知れば、恥ずかしがって怒ったり拗ねたりしてしまうから。
「きみは昔も今も、変わらず情熱的だ」
膝の上に乗せた降谷くんの目尻に口付ける。あの時のような、しょっぱい味はしない。
「あなたは、相変わらず、恥ずかしい人ですよ」
「随分な言い方だな」
昔は格好悪いところばかり見せてきてしまったから、その分、恋人となってからは、いつだって格好よくありたいと思っているのに。
そう思っているのが伝わったのか、降谷くんは頬をゆるませて、俺の髪を撫でた。
「半分ちょっとは褒め言葉として受け取ってください。あなたのその恥ずかしい言葉たち、別に嫌いじゃないですし」
「すぐ恥ずかしいと言うが、俺がいつ、恥ずかしい言葉を言ったんだ?」
自分の発言を反芻してみるが、心当たりがない。
「自覚なしかよ。まぁ、いいです。というか、どうしたんですか? いきなり。思い出話をするほど、老け込んだわけでもないでしょう」
「老けたとまでは言わないが、若くもないからな。互いに立派なおじさんだろう?」
頬に、唇に、軽い口付けを施していく。腕の中で降谷くんが身を捩らせた。
「ちょっと、くすぐったい」
「柄にもなく浮かれているんだ。きみに、星空のショーに誘われて」
あの日のことを思い出したのだって、降谷くんからの誘いによる泊まりがけの小旅行が、あれ以来だから。
「今みたいなのが恥ずかしい言葉って言うんですよ。春は桜を見ながら、僕のことを桜が咲いたみたいだなんて言うし、夏には瞳の中に海があるでしたっけ? 秋は……」
指折り数えながら、俺の発言を次々と挙げていく。そんなにも覚えてくれているのかと、胸の中が熱くなった。
一週間後。降谷くんが言っていた流星群の極大時刻の日を迎えた。幸い、今夜は晴れてくれるらしい。
「まぁ、僕って晴れ男ですから」
そう言いながら「ふふん」と鼻息を荒くしているが、きみは、毎日のように天気予報を気にしていなかったか? この一週間、途中で一年の変わり目を跨いだ時だって、年越しの瞬間よりも流星群のことを気にしていたくらいだ。テレビでカウントダウンをしている中継を見ながら、あと少しで天文台に泊まれるとはしゃいでいただろう。
米花天文台併設の少人数向けロッジには、キッチンが備え付けられており、風呂も、洗い場と浴槽が分かれているタイプのものだった。もちろん、基本的な調理器具と食器もあらかじめ用意されているので、食材さえ持ち込めばいい。空調も効いており、しかも、冬だからということで、炬燵も完備ときた。まさに、至れり尽くせりだ。少人数向けロッジといっても六名まで宿泊できるように設計されているため、俺と降谷くんの二人では、かなりの広さを感じる。
現地に着くなり、降谷くんは歓声を上げた。
「赤井! すごく広いですよ! 写真で見たよりずっと広い! 風呂も広いし、キッチンもきれいだ。しかも、寝室と別にリビングがちゃんとある。なんだか、普通の家みたいですね!」
部屋の中をぱたぱたと動き回り、ドアを開いたり、電気をつけたり。その様子を見て、微笑ましく思ってしまう。
「空きがあってよかったな」
ここに来る途中で買った食材が入ったビニール袋を、ひとまず、ダイニングテーブルの上へと置いた。カーテンを開けて窓の外を見ると、バーベキューができるようになっている。もう少しあたたかい季節に、ここでバーベキューを楽しむのもいいかもしれない。その時には、ボウヤや真純、その友人たちを誘ってみよう。
「えぇ、来てよかった。本当、あなたって、こういう時の運はいいんですね」
一通り部屋の中を見終えたのだろう、背後から、降谷くんが抱き付いてきた。
「きみがいるからな。俺は最強だ」
「ふはっ、なんだ、それ」
冗談に思われたのだろうが、俺は、降谷くんがいるだけで大抵のことがうまくいく気がしているんだ。
夕食の用意をするにはまだ少し早いと感じた俺たちは、米花天文台を見学することにした。建物に入ってすぐに目に入ったミュージアムショップには、米花天文台のロゴが入ったTシャツや宇宙食が販売されている。
「あ、金平糖」
「買うか?」
金平糖を買って喜ぶ年齢でもないのだが、せっかく星空を見に来たんだ。星を連想させるものを買ってはしゃいでもいいだろう。俺は、降谷くんの返事を待たず、色とりどりの金平糖が詰め込まれた小瓶を一つ購入した。
吹き抜けとなっている館内には大きな望遠鏡が真ん中に設置されていて、何人かが順番を待っていた。それを囲むように、地球や太陽系、大宇宙……と項目ごとに部屋を分けられた展示室があるようだ。これも後で順番に眺めよう。それよりも、この時間であればと、時計を確認する。
「降谷くん、プラネタリウムに行こう」
「今夜星を見るのに、星を見るんですか?」
降谷くんの腕を引き、プラネタリウムの入口へ向かう。
「せっかくなんだ、見ておこうじゃないか」
五十分間のプログラムは、CGと音楽で宇宙の成り立ちを表現した映像だった。始まるまでは、眠くなってしまうのではないかと危惧していたが、いざ始まってみると、俺も降谷くんもすっかり夢中になってしまい、五十分間の上映があっという間に終わったように感じたのだ。
「本当に五十分ありました? なんだか、二十分くらいしか経っていない気がする」
「気持ちはわかるが時計を見てくれ」
プラネタリウムから出て、そんな他愛ない話をしながら、展示コーナーを順番に回った。途中、タイミングよく、吹き抜けのところに設置されていた大きな望遠鏡の列がなくなっているのを見かけて、そちらも忘れずに利用する。
館内を回り終える頃には、すっかり陽が暮れて、辺りには夜闇が訪れていた。
「もうこんな時間? 戻って、晩ご飯にしましょうか」
「そうだな」
極大時刻は深夜。天文台による夜間展望会は、二十二時から事前説明が始まり、深夜二時終了というプログラムになっている。冬の寒空の下で四時間過ごすことができるよう、腹ごしらえをしておこう。
「寒いな……」
天文台側でも、今回の夜間展望会ではじゅうぶんな防寒対策をしてくるようにとの注意喚起がなされていた。きちんと対策をしてきたつもりだが、それでも、頬に当たる風は突き刺すように冷たい。降谷くんは俺と同じようなニット帽を被り、マフラーをぐるぐる巻きにして、ダウンジャケットを羽織っている。
「うー……目出し帽が欲しい。顔が寒い」
「そんなもの被ってみろ。通報されかねないぞ」
観測広場で各々が持参したシートを敷いて、その上に寝転がる。二人分の毛布も用意した。
「素顔でも通報されそうな赤井に言われたくないです」
降谷くんの鼻が隠れるくらいまで毛布を掛けてやるが、鼻をすすって、まだ少し呻き声を漏らしている。
「ひどいな。風邪を引かないでくれよ」
「あなたもね」
降谷くんはそう言って、俺も毛布をしっかり掛けるようにと毛布へ腕を伸ばしてきた。当然、身体が密着する。
「……ちょっと、ここ、外」
「寄り添うくらいいだろう。内緒話をしたいんだ」
ここにいる者は、皆、自分の防寒着や毛布に包まれているし、本日の主役は、降り注ぐ星たちだ。どこにでもいるような恋人同士をわざわざ注視する者はいない。小声でお伺いを立てると、降谷くんは「仕方ない」と言って身体の力を抜いた。それをイエスの返事と判断し、二人分の毛布を寄せて、降谷くんを抱き寄せる。……思った通りだ。毛布に包まれるより、ずっとあたたかい。
「きみはあたたかいな」
「……なにそれ。子ども体温とでも? 僕のこと、一体、いくつだと思っているんですか?」
周囲の迷惑にならないよう、ひそひそ声で会話する。
「ん? ……今年で不惑の歳になるが、相変わらず魅力的な俺の恋人だと思っているよ」
あの組織で出会ってからは十五年になる。
「嘘ばっかり。童顔呼ばわりされた僕でも、さすがに、もうおじさんですよ」
「嘘じゃないさ。あの日以来、嘘はつかないと決めたんだ」
その言葉に、降谷くんが瞳を瞬かせる。やがて納得がいったのか「あぁ」と声を漏らした。
「確かに、沖矢の正体を明かしてもらってからは、それまでが嘘のように、なんでも言うようになりましたね」
毛布に包まれて身体があたたまってきたのか、外気の冷たさとの差で、降谷くんの瞳が潤んでいく。
「きみを口説き落とすのに必死なんだ」
「なんかその言い方、僕がまだ落ちていないみたいじゃないですか。……あ、赤井、見て」
降谷くんの声に、視線を夜空へと移す。
東都でも、周囲に明かりがなければ星は見えるらしい。残念ながら、数日前に満月の夜を越えたばかりなので、今夜はやや明るい夜となっている。しかし、月が浮かんでいる方角を避けると……なるほど、細い光の線が一瞬だけ浮かんでは消えを繰り返しているのがわかった。
春風に揺れる桜の花弁とは違い、触れることはできない。晩夏の長雨のように、身を濡らすほどたくさん降り注ぐわけでもない。もしかすると、草原の中で、幸運の象徴とされる葉を見つけるよりも、難しいかもしれない。
でも、流星が消えるまでに。もしも、心の中で、願いを三度唱えることができたなら。
「……なぁ、きみなら、なにを願う?」
ここに来る前「たくさん降るなら、降った分だけ、彼との幸せが続くようになんて、願うのもいいかもしれない」と思った。彼は、どうだろうか。
「そうですねぇ、考えたことなかったな。十年くらいですっけ? あなたとこうしてるの。それだけで、じゅうぶんなんです。これ以上を望むなんて、贅沢……」
夜空を見上げていた降谷くんが瞠目し、こちらを見た。
「はは、予想通りの反応だ」
冬の夜空の下、降谷くんは毛布から手を出した。その指にひんやりと光るものを見て、頬を赤く染めていく。
「……手袋を返せ」
「その前に、言いたいことは?」
付き合いは短くないというのに、未だに照れ屋の彼は、もう片方の手で俺の鳩尾を軽く殴った。全然痛くない。
「サイズがぴったり過ぎる」
「当然だ、きみだけのために用意したものだからな」
デザインも好みだろうという自信がある。長年の勘だ。
「あなたこそ、言うべきことがあるのでは?」
潤んだ瞳のまま睨まれるが、かわいいだけだ。
「きみとのハッピーエンドを願ったっていいだろう? 結婚しようじゃないか。……もちろん、イエスだよな?」
「……今更!」
星が流れるより早く、星が消えるより強く。願うように零を抱き締めた。