舞台の裏側エリトラで逃げる三人を、遂に殺す事が出来なかった。やっとだ。やっと、死ぬ建前が出来た。これで良い。これで良かったんだ。数十年間この身体を蝕み続けた仮面を剥がし、床に落とす。そして、渾身の一撃で割る。これでこの呪いを受ける奴も未来永劫いなくなった。やっと《俺様》は〈俺〉になったんだ。自分の身体が思い通りに動かせるのは久しぶりだな。
思えばくだらない人生だった。産まれてから一度も愛を与えられずに売られ、身を粉にして働いても主人に慰みものにされ、挙げ句の果てには骨董品の呪いに取り憑かれ、今の今まで〈俺〉として生きていなかった。
だがその人生にも幕が降りる。飛行船の高度が着々と低くなっている。〈俺〉が何もしなくても瓦礫に埋もれて窒息死するか、もしくは運良く生き残るか。いや、確実に死のう。もう充分じゃないか。兄を殺した時点で分かっているじゃないか。〈俺〉があの時、スナイパーで心臓を撃ち抜いて殺した〈俺〉の唯一の家族。〈俺〉の大切な、大切だった兄。そう、リアムだ。お前らには信じられないだろうけどな。血の繋がった家族を殺す。それが呪いの唯一の解呪方法だった。ただ、それだけだ。恨むなら恨め。憎むなら憎め。呪いたければ、呪ってしまえ。〈俺〉は全て受け入れる。そうでもしなければ、《俺様》が殺した人間の怨みが晴らせないからな。
死に場所はずっと前から決めている。今から向かっても遅くない。〈俺〉は足早と不安定に揺れる船内に向かった。
「…………………」
ステージにはもう冷たくなり始めた兄の亡骸があった。心臓に小さな穴が空き、兄を中心に血溜まりが出来ていた。その姿を見ても一切動かない心が憎い。うっすら開いている瞼を左手でそっと閉じる。天井に設置していた檻を下げ、極力瓦礫で遺体が損傷しないようにする。勿論、スティーブも既に頑丈な部屋に移した。この船で一番頑丈な部屋にな。
兄の入った檻の中に仮面のかけらを三つ投げ入れる。これは〈俺〉がここにいた証拠。〈俺〉はイロアス女王陛下直々の"極秘任務"を果たせなかった。そういう証拠だ。
ステージから降り、最後尾の席の後ろに立つ。ここなら全体も見渡せる。最期には丁度いい。懐から自分で持ち込んだ自決用のポーションを取り出し、一気に飲む。
「ぐぁ……あ"あ"ぁぁ………っ!!」
膝から崩れ落ち、喉を抑える。濃硫酸が口を、喉を、気管を焼く。声が出せなくなり、視界が狭まる。まだだ。まだ、このままでは死ねない。もっと苦しまなければ。震える手で懐に入ってあるもう一つのポーションと少量の粉を取り出す。ポーションに粉を入れ、よく振って混ぜる。その混合物を焼け爛れた喉に無理矢理流し込む。これに関してはどんな薬品なのか全く知らない。ただ、"任務"が遂行できず捕まりそうになった場合のみ服用しろと、そう言われただけ。
「ひゅー………ひゅー………」
喉から笛のような音しか聞こえなくなった。手足の痙攣が徐々に始まり、遂に身体を横にした。視界が更に狭まる。身体の感覚が失せる。
船が先程より激しく揺れ始め、細かな瓦礫が降ってくる。もうじきここも崩壊する。だがその前に俺の意識は途絶えるだろう。
なぁリアム。いや、兄貴。あんたは確かに【強い意志】を持った、【揺るぎない庇護者】だ。あの囚人達を最期まで〈俺〉から守り切ったんだからな。
【永遠の敗北者】は俺だ。結局何も手に入れてない。得られていない。この手で掴もうとしたものは全部俺の手からすり抜ける。手に入れたとしてもそれは〈俺〉の心を満たしてはくれない。一体〈俺〉は何の為に生まれてきたんだ。誰か、教えてくれよ。
天井が崩れる音がした。〈俺〉より大きい木片が〈俺〉に向かって落ちてくる。あぁ。これで終わりか。
次の人生はせめて、人を殺めずに生きたいな。
そして俺の視界は完全に暗転し、二度と幕を開ける事は無い。